其の匂い、芳しく【完結】

ミドリ

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3 入居者仲間

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 駅の背面には山があり、改札がどれかも分からない駅校舎内を通り過ぎて外へ出ると、町が緩やかに下りに傾斜しているのが分かった。

「あ、あの、切符は」

 私が尋ねると、寅之助は大きな口をにっこりとさせた。

「ああ、切符買われたんですか」

 寅之助の話によると、そもそもこの線はほぼ観光目的の乗客しかおらず、短距離を電車に乗って行こうとする地元住民はほぼ皆無らしい。その為、その殆どが無人駅で、切符が買える駅であっても駅員がいなくて買えないという事態が発生するそうだ。

「それって商売捨ててません?」
「数年後には廃線になるかもって噂ですねえ」
「え……」

 私が驚いた顔をすると、引けばいいのに相変わらずトランクを軽々と持ち上げたままの寅之助が、恐る恐る尋ねた。

「咲さん、もしかして……車の免許は」
「持っていません……」

 東京生まれの東京育ちで早い内に両親を亡くしてしまった私は、短大を卒業後就職をし、その後は人並みの生活をするべくせっせと働いてきた。免許の取得も考えたことはあったが、合宿に行くことやそこそこの費用がかかることを考え、やめた。だが、考えてみればそうだ。田舎といえば、車社会。車社会といえば免許。

「私……もしかして詰んだ?」

 思わず呟くと、不安そうに私を見下ろしていた寅之助が提案してきた。

「あの……僕でよければ、貴女の運転手になりましょうか?」

 その言葉と同時に、また先程嗅いだほんのり甘い何とも芳しい香りが鼻に飛び込んできた。もさいのに、田舎臭い男なのに、そのあまりにも可愛い言い方に、私は強い筈の警戒心をあっさりと解いてしまった。それに、見た目はどうあれ、臭くない男にはちょっと興味がある。

「は、はい、是非……」
「はは、じゃあ咲さん専属運転手ってことで宜しくお願いしますね」

 黒縁眼鏡の向こうに見えた寅之助の目が、一瞬金色に光った様に見えた。



 寅之助が案内してくれたのは、駅から真っ直ぐに降りて透き通る川を渡った先にある、それは古そうなこじんまりとした日本家屋だった。

 平屋の木造、縁側付き。居間となる六畳の部屋の畳はさすがに取り替えたそうで、い草のいい香りが部屋に染み渡っている。台所は昔ながらの銀色の流しがついており、その横にある置型コンロは新品だ。縁側を通って隣の和室に移動すると、六畳の寝室になっていた。襖を開けると、入居者へサービスという新品の布団が用意されていた。至れり尽くせりである。更に奥へ進むとあったのは、古臭いトイレに取って付けた様なウォシュレット。そして最後はタイル張りの風呂場だった。追い焚き機能付きとある。

「ガスの立ち会いはこちらでしておきましたので」

 見ると、小さな裏庭にはガスボンベが設置してあった。そうか、都市ガスではないのか、と改めて生活様式の違いに驚いた。今日は何もかも驚きっ放しだ。

「では、買い物が出来る場所のご案内をこれからしますので」
「あ、はい! お願いします!」

 寅之助の後をついて行き外へ出ると、寅之助はいきなりすぐ隣の家の駐車場にスッと入っていくではないか。いやまさかそんなことと思ったが、そんなことはあったらしい。荷台付きの白い軽トラの助手席のドアを開けると、照れくさそうに笑った。


「へへ、実は僕も元々入居者でして」
 私があんぐりと口を開けると、遠慮がちに、だが嬉しそうににっこりと微笑む。

「お隣さんなんです。これから宜しくお願いしますね。――さあどうぞ中へ」
「は、はい……」

 これで寅之助がいい男だったら、ドラマの様な展開になってもいいかもしれない。それなりにある筈の警戒心はどこへやら、私の脳内は段々とピンク色に染まりつつあるのだった。
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