上 下
19 / 42

19『好き』が、苦しい

しおりを挟む
 実家に帰ると言って月森の家を出たものの、場所がわからず途方に暮れる。
 スマホの連絡先を開き、お気に入りに入っていた『母』の番号にかけてみた。
 すぐにスマホを通して聞こえてきた声で、ああ母さんだ、とホッとする。いつの間にか母さんも月森以外にホッとできる存在になっていたみたいだ。
 
『なによ、どうしたの? 喧嘩? めずらしい!』
 
 月森の家を出ることにしたからそっちに帰ってもいいかと聞いた俺に、母さんはまるで楽しむかのような声を上げた。どうせすぐに仲直りするとでも思っているんだろう。
 
「喧嘩じゃないよ」

 そう訂正すると『じゃあなんでよ?』と不思議そうに問う。
 しかし、俺が少し沈黙すると、すぐに話を切り替え最寄り駅を教えてくれた。
 こういうところ、嫌いじゃない。俺が助けた子とその母親への対応もそうだし、男を好きだと知ってもケロッとしてたり、俺は母さんが嫌いじゃない。いや、好きだなと思う。多少ケバくて香水臭いことを除けば。
 
 翌週から、俺は実家から出勤した。話に聞いていた通り一時間もかかる通勤に初日からうんざりする。
 もう月森の家が恋しい。月森が……恋しい。
 今日からはいつものプロジェクトではなく新人研修だ。
 少しは顔を出そうかと足を止めたものの、勇気が出ずに研修に向かった。
 俺はまだ、月森には会えない……。

 今までのフロアの一つ下でエレベーターを降りると、目の前に広い会議室があり、入り口には大きく『新入社員研修会場』と書かれた紙が貼られていた。
 新入社員でもないのにここに入るのは多少勇気がいった。
 開け放たれた入り口から中に入り、座席のネームプレートを確認して席に着く。
 周りは全員新卒者という中に紛れ込む、今年度から五年目の自分。居心地がいいわけがない。
 しかし、思いのほか馴染んでいるかもしれない。もっと悪目立ちするかと思ったがそうでもなさそうだ。
 
「あ、あの私、菊池って言います。よろしく」
 
 隣の席に座る女性が声をかけてきた。指定された席だから、きっと研修が終わるまではずっと隣だろう。
 
「中村です。よろしく」
 
 当たり障りなく微笑んだ。
 すると、ガタガタと椅子が鳴る音があちこちで響き、俺はあっという間に女性たちに囲まれ、次々に自己紹介をされた。
 なんだなんだ。どういう状況?
 
「あの、入社式ではお見かけしませんでしたよね?」
「あー……」
「あの、秋人に似てるって言われませんか?」
「あー……」
「彼女はいるんですか?」
「今日みんなで飲み会しませんか?」
 
 突然女性たちに囲まれて質問攻めにあうという初めての経験に、思わず目が白黒する。
 なるほど、母さんが言っていたのはこれか。“俺”はいつもこういう目に合っていたのか。あの秋人とかいう芸能人のせいで。
 中三からこうだったならうんざりだろうな。社会人でこれだ。中学生なら……想像するのも恐ろしい。ちょっとわかる気がする。いや、すごくわかる。それはそうか。前も今も俺は俺なんだから。
 周りの男たちからの冷めた視線に気づき、面倒臭いな、と思い始めた時、「先輩」という耳に馴染んだ声が会議室に響いて、ドキッと心臓が跳ね上がった。

「……月森?」

 会いたかった。……いや、会いたくなかった。もうしばらく気持ちが落ち着くまでは会わずにいたかった。
 今はまだ気持ちを隠しきれそうにないんだよ……。

「月森……なんでここに?」

 月森が俺に近寄ると、周りを囲っていた人たちがはけていく。

「プロジェクトのほうに寄るかなって思ったけど来ないので」

 相変わらず優しく微笑む月森に、目頭がぐっと熱くなる。
 ……本当、参るな。好きがあふれて心臓が痛い。

「な、んか用?」
「ノート持ってきました。これ、必要ですよね?」
「あ……ああ、置きっぱなしだったか」

 研修よりも月森のことで頭がいっぱいで、ノートが必要だとかそんな当たり前のことも抜けていた。

「さんきゅ、月森」
「先輩、お昼はどこで食べますか?」
「……なんで?」
「もしお弁当なら、こっちのフロア来ませんか? いつもみたいに隣で食べましょうよ」

 まるで何事もなかったかのような月森の態度に困惑する。
 告白して振られたのは、あくまでも前の俺ってそういう認識?
 今の俺ではないからこれまで通りに接してくるのか?
 前の俺が月森を好きだったなら、今の俺も好きだとは思わないのか……?
 脈がないなら放っておいてくれよ。なんでそっちから寄って来るんだ。

「いや、今日は社食で食べるから」

 弁当は作ってきたのに嘘をついた。

「……そうですか。残念。じゃあ明日からは?」
「まだ……わかんないよ。ほら、もうすぐ始業時間だから。早く戻りな。ノートありがとね」
「……はい。……じゃあ、また来ますね」
「え? あ、ちょっと……」

 また来るって何? と聞き返す間もなく、月森が会議室から出ていった。
 なんで……また来るんだよ。何しに来るんだよ。意味がわからない。放っておいてよ……頼むから。
 そう思うのに、しばらくは会えないだろうと思っていた月森にまた会えるという喜びが胸に湧き上がって来るのを止められない。心臓がうるさい。胸が……痛い。
 この気持ちは月森には迷惑だとわかっていても、好きな気持ちを止めることができない。
 ダメだと思えば思うほど、気持ちがどんどん大きくなっていく。
 手に入らないものを求めてしまう。

 ――――『好き』が、苦しい。

「あの……中村さん、今のって……」
 
 俺を同じ新卒者だと思っていただろう皆が、ざわざわとしだす。
 ああ、説明も面倒だな。どうしようか。
 そう悩んだのも一瞬で、始業の鐘と同時に入ってきた人物が全てを解決してくれた。
 
「お、中村。さっそく女はべらせてんのか?」
 
 同じフロアで毎日顔を合わせる人だ。話しかけられた記憶はあるが、名前は思い出せない。
 
「こいつ今は穏やかで優しいけどね。本当はすごい怖い奴だから気をつけて。もし記憶喪失が治ったら、たぶんここにいるみんな目で殺されると思うよ。あと新人じゃなくてだいぶ先輩だからそこんとこ忘れないように」
 
 目で殺されるって……さすがに言い過ぎだろう。
 朝一の俺なら間違いなく、余計なことをと思ったはずだ。
 しかし、秋人に似てるだなんだと騒がれ、月森に先輩と呼ばれた今となっては、感謝しかなかった。
 
 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

表紙を変更しました。
毎回表紙とタイトルに頭を悩ませております。
いつも迷子な作者で申し訳ないです(> <。)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

俺の好きな男は、幸せを運ぶ天使でした

たっこ
BL
【加筆修正済】  7話完結の短編です。  中学からの親友で、半年だけ恋人だった琢磨。  二度と合わないつもりで別れたのに、突然六年ぶりに会いに来た。 「優、迎えに来たぞ」  でも俺は、お前の手を取ることは出来ないんだ。絶対に。  

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

僕の宿命の人は黒耳のもふもふ尻尾の狛犬でした!【完結】

華周夏
BL
かつての恋を彼は忘れている。運命は、あるのか。繋がった赤い糸。ほどけてしまった赤い糸。繋ぎ直した赤い糸。切れてしまった赤い糸──。その先は?糸ごと君を抱きしめればいい。宿命に翻弄される神の子と、眷属の恋物語【*マークはちょっとHです】

【クズ攻寡黙受】なにひとつ残らない

りつ
BL
恋人にもっとあからさまに求めてほしくて浮気を繰り返すクズ攻めと上手に想いを返せなかった受けの薄暗い小話です。「#別れ終わり最後最期バイバイさよならを使わずに別れを表現する」タグで書いたお話でした。少しだけ喘いでいるのでご注意ください。

白い部屋で愛を囁いて

氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。 シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。 ※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

キミと2回目の恋をしよう

なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。 彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。 彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。 「どこかに旅行だったの?」 傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。 彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。 彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが… 彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?

処理中です...