6 / 42
6 記憶なんて戻らなきゃいい
しおりを挟む
「先輩、なんか顔色が悪い……」
「いや、気のせいだよ」
「あの、本当に変な意味じゃないので……誤解しないでくださいね?」
その不安そうな月森の表情を見ているのがつらい。俺はうつむき視線をそらした。
変な意味……か。そうだよな。男同士で深い意味を期待するなんて……変だよな。
「誤解してないって。そもそもどっちが好きって聞いたの、俺だしさ」
「あ……そうでしたよね。そっか。よかった」
俺の言葉に心底安堵したというような月森の声色。ちらっと顔をうかがえば、もう笑顔に戻ってる。それを見て、またツキンと胸に痛みが走った。
いや、これは恋愛感情じゃない。
きっと雛の刷り込みみたいなものだろう。
目を覚ましたあと、母以外で初めて会ったのが月森だ。
友達だって、今の俺には月森しかいない。
家でも職場でも、そして休日まで毎日一緒。
だからちょっと勘違いしちゃったんだろう。きっとそうだ。
そう分析すると少し気持ちが落ち着いた。
そうだ、月森があまりに優しくて良い奴だから悪いんだ。俺が勘違いしたのは月森のせいだ。
「それより月森、俺、口調も前と違う?」
さっき月森は『見た目や口調が違っても』と言った。
職場で、表情が柔らかいとか穏やかだとか言われることが多いから、見た目は変わったんだろうと思っていたが、よく考えたら口調も違うんだろうか。
「あ、はい。少し……結構違います」
「どんな風に?」
「前の先輩はもっと……厳しい、というか、男らしい……というか、えっと……もっと口が悪かった、です」
「へぇ。じゃあ今は?」
「今はすごく優しい口調ですね」
なるほど。前は優しくなかったと。ほうほう。
これが優しいと言われるなら、前は相当口が悪かったんだな。
俺は前の自分を想像して、表情を作ってみた。
笑顔を消し、口元を少しゆがめ、少し冷たい視線を月森に送る。
口が悪い、ってどんな感じだ?
「お前、俺が優しくないって言いたいのか?」
「えっ……」
「今よりもっと威圧的だったって言いたいんだな? おい月森。なんとか言ってみろ」
こんな感じかな。ちょっと違ったか? 演技臭かったか? と照れが出そうになったとき、月森の顔があきらかに強ばった。
「せ……先輩? もしかして……記憶が……戻……」
声を震わせ、どこか怯えるような、どこか悲しそうな、複雑な表情をする。
その反応があまりにも予想外で困惑した。
もしかして……月森は俺の記憶が戻るのが怖い?
どうして?
「ごめん……月森。ちょっと、からかっただけでさ。えっと……記憶は戻ってないよ?」
「……あ」
しまった、というように月森の顔が青ざめる。
なに……どういうこと?
俺の記憶が戻るようにと、週末が来るたびにあちこち連れ出してくれるのは月森だ。
バスケもボルダリングもちゃんと身体が覚えていたし、料理が得意だと教えてくれたのも月森だ。
それなのに月森は、本当は俺の記憶が戻ってほしくないんだろうか。戻ることを恐れてる?
どうして……?
「せ……先輩……」
月森が蒼白な顔をしているのに、俺は内心ホッとしていた。
今の俺という人格は、記憶を無くしてから、あの日病院で目覚めてからの俺だ。前の俺のことは少しも思い出せないし、今の俺にとっては他人のような存在と言ってもいい。
前の俺と今の俺、どっちが好きかと聞きたくなるくらいに、前の自分に嫉妬してた。月森の学生時代を知ってる自分に、たくさんの思い出を共有してる自分に、俺の知らない月森を知ってる自分に、嫉妬してた。
月森が俺の記憶を取り戻すために頑張れば頑張るほど嫉妬した。
でも、どうやら月森は、俺の記憶が戻ってほしくないらしい。
月森にも迷惑がかかるし、頑張って思い出さなきゃとずっと思ってた。
そうか。俺、このままでいいんだ。
やばい。嬉しくて鼻歌が出そうだ。
「月森」
「……は……はい」
「肉じゃがとカレーなら、どっち好き?」
「……え?」
「あ、そうそう、シチューもだな。どれが一番好き?」
レシピフォルダの『月森』の中にはカレーとシチューはない。たぶんレシピを見なくても作れるからだと思うんだよな。
月森が、蒼白な顔のまま「カ……カレー……?」と答える。
「やっぱり。たぶん俺もカレーが一番好きだった気がする。じゃあ明日はカレーにするね」
「あ……あの、先輩……?」
まだ青白い顔で戸惑う月森に、気付かないふりをして俺は続ける。
「あとさ。今週末は家でダラダラしない? たまにはドラマの一気観とかしてみたい」
「あ……はい。いい……ですね」
「なんかおすすめのドラマある?」
「……あ、じゃあ先輩が好きだったドラマ――――」
「月森が好きなドラマがいいな」
「……でも」
「記憶が戻るための努力みたいなの、ちょっとしばらく休みたい。なんか疲れちゃった」
「あ……ご、ごめんなさい。そうですよね、ずっとじゃ疲れますよね」
「月森が謝ることじゃないよ」
そう笑いかけると、強ばった表情をやっとゆるませ、少しだけ笑顔が戻る。
「月森のおすすめ、考えといて?」
「はい、まかせてください」
前の俺とはいったい何があったんだろう。喧嘩でもしていたんだろうか。
今の俺のことを嫌ったり怖がったり疎ましく思っているような素振りはない。これだけ毎日一緒にいれば、それくらいはわかる。
まぁ、なんでもいい。今の俺のままで月森が安心するなら、記憶なんて戻らなくてもいい。
俺はずっと、このままでいい。
「いや、気のせいだよ」
「あの、本当に変な意味じゃないので……誤解しないでくださいね?」
その不安そうな月森の表情を見ているのがつらい。俺はうつむき視線をそらした。
変な意味……か。そうだよな。男同士で深い意味を期待するなんて……変だよな。
「誤解してないって。そもそもどっちが好きって聞いたの、俺だしさ」
「あ……そうでしたよね。そっか。よかった」
俺の言葉に心底安堵したというような月森の声色。ちらっと顔をうかがえば、もう笑顔に戻ってる。それを見て、またツキンと胸に痛みが走った。
いや、これは恋愛感情じゃない。
きっと雛の刷り込みみたいなものだろう。
目を覚ましたあと、母以外で初めて会ったのが月森だ。
友達だって、今の俺には月森しかいない。
家でも職場でも、そして休日まで毎日一緒。
だからちょっと勘違いしちゃったんだろう。きっとそうだ。
そう分析すると少し気持ちが落ち着いた。
そうだ、月森があまりに優しくて良い奴だから悪いんだ。俺が勘違いしたのは月森のせいだ。
「それより月森、俺、口調も前と違う?」
さっき月森は『見た目や口調が違っても』と言った。
職場で、表情が柔らかいとか穏やかだとか言われることが多いから、見た目は変わったんだろうと思っていたが、よく考えたら口調も違うんだろうか。
「あ、はい。少し……結構違います」
「どんな風に?」
「前の先輩はもっと……厳しい、というか、男らしい……というか、えっと……もっと口が悪かった、です」
「へぇ。じゃあ今は?」
「今はすごく優しい口調ですね」
なるほど。前は優しくなかったと。ほうほう。
これが優しいと言われるなら、前は相当口が悪かったんだな。
俺は前の自分を想像して、表情を作ってみた。
笑顔を消し、口元を少しゆがめ、少し冷たい視線を月森に送る。
口が悪い、ってどんな感じだ?
「お前、俺が優しくないって言いたいのか?」
「えっ……」
「今よりもっと威圧的だったって言いたいんだな? おい月森。なんとか言ってみろ」
こんな感じかな。ちょっと違ったか? 演技臭かったか? と照れが出そうになったとき、月森の顔があきらかに強ばった。
「せ……先輩? もしかして……記憶が……戻……」
声を震わせ、どこか怯えるような、どこか悲しそうな、複雑な表情をする。
その反応があまりにも予想外で困惑した。
もしかして……月森は俺の記憶が戻るのが怖い?
どうして?
「ごめん……月森。ちょっと、からかっただけでさ。えっと……記憶は戻ってないよ?」
「……あ」
しまった、というように月森の顔が青ざめる。
なに……どういうこと?
俺の記憶が戻るようにと、週末が来るたびにあちこち連れ出してくれるのは月森だ。
バスケもボルダリングもちゃんと身体が覚えていたし、料理が得意だと教えてくれたのも月森だ。
それなのに月森は、本当は俺の記憶が戻ってほしくないんだろうか。戻ることを恐れてる?
どうして……?
「せ……先輩……」
月森が蒼白な顔をしているのに、俺は内心ホッとしていた。
今の俺という人格は、記憶を無くしてから、あの日病院で目覚めてからの俺だ。前の俺のことは少しも思い出せないし、今の俺にとっては他人のような存在と言ってもいい。
前の俺と今の俺、どっちが好きかと聞きたくなるくらいに、前の自分に嫉妬してた。月森の学生時代を知ってる自分に、たくさんの思い出を共有してる自分に、俺の知らない月森を知ってる自分に、嫉妬してた。
月森が俺の記憶を取り戻すために頑張れば頑張るほど嫉妬した。
でも、どうやら月森は、俺の記憶が戻ってほしくないらしい。
月森にも迷惑がかかるし、頑張って思い出さなきゃとずっと思ってた。
そうか。俺、このままでいいんだ。
やばい。嬉しくて鼻歌が出そうだ。
「月森」
「……は……はい」
「肉じゃがとカレーなら、どっち好き?」
「……え?」
「あ、そうそう、シチューもだな。どれが一番好き?」
レシピフォルダの『月森』の中にはカレーとシチューはない。たぶんレシピを見なくても作れるからだと思うんだよな。
月森が、蒼白な顔のまま「カ……カレー……?」と答える。
「やっぱり。たぶん俺もカレーが一番好きだった気がする。じゃあ明日はカレーにするね」
「あ……あの、先輩……?」
まだ青白い顔で戸惑う月森に、気付かないふりをして俺は続ける。
「あとさ。今週末は家でダラダラしない? たまにはドラマの一気観とかしてみたい」
「あ……はい。いい……ですね」
「なんかおすすめのドラマある?」
「……あ、じゃあ先輩が好きだったドラマ――――」
「月森が好きなドラマがいいな」
「……でも」
「記憶が戻るための努力みたいなの、ちょっとしばらく休みたい。なんか疲れちゃった」
「あ……ご、ごめんなさい。そうですよね、ずっとじゃ疲れますよね」
「月森が謝ることじゃないよ」
そう笑いかけると、強ばった表情をやっとゆるませ、少しだけ笑顔が戻る。
「月森のおすすめ、考えといて?」
「はい、まかせてください」
前の俺とはいったい何があったんだろう。喧嘩でもしていたんだろうか。
今の俺のことを嫌ったり怖がったり疎ましく思っているような素振りはない。これだけ毎日一緒にいれば、それくらいはわかる。
まぁ、なんでもいい。今の俺のままで月森が安心するなら、記憶なんて戻らなくてもいい。
俺はずっと、このままでいい。
213
お気に入りに追加
220
あなたにおすすめの小説


僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

林檎を並べても、
ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。
二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。
ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。
彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。
鈴木さんちの家政夫
ユキヤナギ
BL
「もし家事全般を請け負ってくれるなら、家賃はいらないよ」そう言われて住み込み家政夫になった智樹は、雇い主の彩葉に心惹かれていく。だが彼には、一途に想い続けている相手がいた。彩葉の恋を見守るうちに、智樹は心に芽生えた大切な気持ちに気付いていく。


ある日、木から落ちたらしい。どういう状況だったのだろうか。
水鳴諒
BL
目を覚ますとズキリと頭部が痛んだ俺は、自分が記憶喪失だと気づいた。そして風紀委員長に面倒を見てもらうことになった。(風紀委員長攻めです)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる