創発のバイナリ

ミズイロアシ

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第二部 後編

08 真と虚の感情

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 部屋の中で、エリオは人知れずため息を漏らした。

 ぐっすり眠るロゼを背負って部屋を出て、二階へ上がった。

「ホント寝すぎ」

 背中に温かみを感じて、自然と笑みがこぼれた。



 階段の死角に彼はいた。

 エリオのこぼれた笑いを聞いたら、自然と涙が滲み出た。

「っ……何やってんだろ……俺……」



「ダグラス?」

 ポールは、暗がりにいる彼に声を掛けた。

「は、ポール。うん。なんでもないよ」

と言った彼の声は、完璧にいつも通りだった。

 表情が見え辛い階段の陰に上手く隠れているから平気だ。

「もうできたのか。手伝うの、いらなかったな」

 上手く取り繕えたと思う。

「あ、うん。食べる?」

 ポールの声色は、少し疑いが混じっていた。

「あー、ありがとう」

と礼を言って少し唾を飲み込んだ。

「お手洗い借りるから、先食べてて? エリオたちっ、二階にいるから……お前、部屋で待ってれば?」

「そうだね……でも、やっぱ呼んでくるよ」

 足音が階段を駆け上がるのを待って、二階の戸が閉まる音を聞くまで、息を潜めて待った。



 急いでトイレの個室に入る。

 直ぐに顔を手で押さえた。

 独り静かにむせび泣く理由なんて、もはや自分でもわからなかった。

 一体誰から逃げているのだろう。

 今の感情の名前は、あるのだろうか。

 頬の雫を拭う度に、自身の感情まで捨て去りたい気持ちだった。

「都合の悪いことばかり覚えてて……ズルい」

 黒い瞳が、更に黒さを増した。

「自分の、可愛がってた弟の存在すら忘れてるくせに……俺の言ったことなんか、覚えてんなよっ、馬鹿……」

 心の声なのか、抑えきれなくて口から溢れたのか、自分で判断できなくなるほど、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっていた。

 最後の涙を拭った。

「こんな気持ちになるくらいなら……感情なんていらない……!」

 空虚に向かって吐き捨てた。心無い言葉だ。



 ダグラスが中央部屋の戸に手を掛けると、隙間から楽しげな声が聞こえてきた。

 室内では、友人二人それからロゼが、ローテーブルを囲んでいる。
 おやつ片手に、楽しく談笑していた。

 十センチくらいの隙間を作ってみたはものの、未だ中に踏み込めないでいた。

 果たして、今の自分は正しく笑えるだろうか。そんなことを考え、扉の前で尻込みしていた。

「ダグラス!」

 扉の向こうで、ポールの声がした。

 はっとして急いで友人の顔を作る。向こうから戸を引かれたが、なんとか平然を保っていられた。

「あ……ロゼ」
「ダグラス、待ってたよ。こっち、早く来て!」

 彼はロゼに袖を摘まれ、室内に引き込まれた。

 ロゼ、ポール、エリオの顔を見ると、彼らは澄んだ瞳をしていた。
 自分の仮面とは大違いだと思わされた。

 勿論、それを表に出すことはない。そうする気持ちも毛頭ない。上手くやり過ごすのがダグラスだからだ。

 ロゼが無邪気に

「それでねー、ポールまで笑うのよ? 酷いでしょう?」

と、先程描いた絵を見せて言った。

「えっ」

「ダグ、笑えるだろ?」とエリオが言った。

「笑わないよね?」

 描いた本人に念を押された。

「あー……」
 二人の様子から、どちらを取っても、意味がない質問に思えた。できる限り知恵を絞るしかない。
「う~ん、ロゼの絵って――独創的、だよね?」

「は?」
 またこいつ上手く逃げおおせたなと思いムカついた。

「ドクソウテキってなあに? ポール」
「へっ!? 独創的って言うのは――……」

「は、はは……」

 ダグラスは、気づくと人一倍疲れた笑い声を出していた。

 三人は彼を置いて再び会話に白熱した。

 しかし本人は除け者にされたとは思わない。

 寧ろ丁度いいと思い、目の前に注がれた飲み物に口を付けた。



 話題に一区切りが付いて、ロゼはエリオに話しかけた。

「ねえ、今度はエリオの家を教えてよ!」
「はあ? やだよ」
「何でー!」
「なんでって……」

 ダグラスは、親友の態度に呆れ、ため息を吐いた。
「はぁ。女の子を家に呼ぶ、なんて言った日には……親がどんな反応をするか」

 助け舟を出してあげたのだった。

 エリオは引きつった顔で言った。
「そ、そうだ! そうだぞー、ロゼ?」


「ええー?」

 納得のいかない無垢な少女に、再びダグラスは

「女の子が男の家に行きたいとか、言うもんじゃないよ?」と教えた。

「何でえ? ポールん家はいいのに?」
「ポールは……う、う~ん」

 子どもの反論にたじたじになった。

 逃げるようにポールへ放った視線は鋭く、彼に「余計なことをしたかも……」と思わせた。

「ロゼ? ここへ来るのだって、親に君のこと言わずに来たんだよ?」

 あくまでロゼには優しく話す。

「えー?」

「ポールの場合は――ちょっと……特殊なんだよ。普通は、そうだな、もっと親しく――……」
「とにかく! 俺はお前を家に上げねぇから! 絶対!!」

 エリオが騒ぎ立てた。

「ええ! ケチ!」

 ロゼも負けていない。

「じゃあダグラスの――」
「ダグも駄目!」
「何でエリオが答えるのよ!」
「だからあ、男の家に行くなってえ……言われただろ!」

「っ……うるさあい!!」

 大声の二人に挟まれ、流石のダグラスも声を荒げた。
「お前らもう声デカ過ぎ! 頭が痛いわ!」

 吠えられた二人は小動物のように『しゅん』と大人しくなった。

「珍しー。ダグラスが大声出すなんて」

 蚊帳の外のポールは呑気にジュースに口を付けた。

「はぁ。もうこの話題やめようよ。疲れた」

 ダグラスはそう言い終わると、頬杖を付いてわざとらしくぐったりした。慣れない大声を出したのが余程心の負担になったのだろう。

 四人はこの後も、それぞれの気持ちで、楽しいパーティーを一晩中過ごした。
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