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序章 私は陥れられていたようです
第2話 食堂での出来事
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私の故郷は、コルベ国の端、ドレスディア辺境伯領だ。
色々な国と接しているこの領は、我がコルベ国の国防を一手に担っている。
領土も広大で、様々な国との交流も活発なので、王都に来る者も、向かう者も多い。
そのため王都から故郷までは、直通で乗合馬車が出ていた。
退職するこの日に合わせて、乗合馬車の中でもしっかりとした護衛がついていて、適度に宿場町に寄ってくれる乗合馬車を予約してある。
値段は高いけれど、女性でも安全に、一人旅をできるものだ。
子爵家から乗合馬車の乗り場までは結構歩くので、馬車が出る時間よりも、大分早めに子爵家を出発していた。
歩いて乗り場の近くまでいったら、早めの昼食をとってから、馬車に乗り込む予定だ。
昼食を食べる場所は、最初から決めてあった。
まだ兵士達と仲が良かった頃、皆が非番で必ず行くと話していた食堂が、ちょうど乗合馬車の乗り場近くにあったことを思い出したのだ。
食堂の名前と、馬車乗り場の近くという情報しかないけれど、そんなに評判の良い店なら、誰かに聞いたらすぐに分かるだろう。
一時間半ほど歩くと、予定通り早めに乗合馬車の乗り場に着いた。
数多くの馬車が行き来しているので、自分の乗る馬車の場所が分かるかどうか不安に思っていたけど、故郷であるドレスディア辺境伯領に行く人はやはりとても多いようで、一番目立つ場所にあった。
おかげですぐに見つけることができた。
乗り場の確認を終えた私は、次にそのあたりを歩いている優しそうな人に、兵士達おすすめの食堂の場所を聞くことにした。
1人目に尋ねた人は王都に来たばかりの旅人で、知らないと言われてしまったけれど、2人目でもう、目的の食堂の場所を教えてもらうことができた。
やっぱり安くて美味しくて、有名らしい。
考えてみれば、王都に出てきてから、私にはほとんど休日などなかった。
だから私が王都の街を歩けたのは、シレジア子爵家に勤めると決まるまでの、ほんの1週間弱の間だけだった。
今から行く食堂が、とても評判が良さそうで、ボロ雑巾のように疲れていたけれど、ほんの少しだけ楽しみな気持ちが生れる。
食べ物の力は偉大だ。
私は少しの期待感を胸に、食堂の扉をくぐった。
――そのことを後で死ぬほど後悔するとも知らずに。
*****
扉をくぐって食堂に入る。
まだまばらにしか、お客さんはいない。
昼食の時間には、少し早いからかしら。
好きなところに座るように言われたので、窓のそばのテーブル席を選んで座る。
一人でお店に入る事なんてそうそうないから、うまく注文できるか心配していたけれど、店員さんも時間に余裕があったみたいで、何が美味しいか、何がおすすめか、私の好みを聞いて、注文をとってくれた。
おかげで、一人でお店に入るのに慣れていない田舎者の私でも、とっても美味しい昼食にありつけた。
体は疲れていて、たくさんの料理を食べられるか心配していたけれど、食欲をそそる匂いのおかげで、食欲がわいてくる。
早速運ばれてきた前菜は、サラダと、何かの内臓と香辛料を混ぜて固めたパテ。
そのパテを、贅沢に白パンに付けて食べる。
口の中に入れた瞬間、パテは蕩けるように消えていく。
信じられないくらい、美味しい!
久しぶりのごちそうに、少しだけ気分が上昇する。
次は昼食に付いているワインを飲みながら、次に届いたメインの鹿肉のソテーをいただく。
――伯爵家のパーティーに出される料理にも負けないくらい美味しい!
この料理が庶民価格で食べられるなんて、評判が良いのもうなずける。
ここ何年かはゆっくりと食事をする時間もなかったから、世の中にこんな楽しみがあることを忘れかけていた。
じっくりと時間を掛けて味わっているうちに、少しずつお客さんたちは増えていった。
席があいているテーブルは、あと一つか二つといったところ。
私の食事は、もうほとんど食べ終わっていて、あと残すところはデザートのプティングだけになっていた。
4人掛けのテーブルに1人で座っているけれど、知らない人と相席になる前に、店を出られそうでよかったと思った。
「おやっさん! まだ席あるー?」
「おう! ギリギリだったな」
ちょうどそう思っていた時、新たにお客さんが店に入ってきた。
聞き覚えのあるその声に、反射的に心臓がギュっと縮む。
思わず顔をあげて、その方向を確認してしまった。
入ってきたのは、屈強な体躯の3人連れの男たちだった。
なぜその声に聞き覚えがあるのかというと、それが子爵家のお抱え兵団の、兵士達だからだ。
特にその3人は、毎日のように私のところへきて回復魔法を掛けるようにと命令しながら、罵声を浴びせかけてくる人たちだった。
そのせいで、私はこの人たちの声を聞いただけで、反射的に体が強張り、汗が流れるようになってしまっていた。
私がいることに気づかれたくないと思って慌てて顔を伏せたけれど、既に手遅れだった。
「あれー、ニーナちゃんじゃーん。なにしてんのこんなところで。ああ、そういえば仕事クビになって、田舎に帰るんだっけ?」
「おやじ。知り合いがいたから、こっちの席に座るよ。ちょうど3人分空いているし」
「……えっ!」
3人はどかどかと派手な足音をたてて近づいてきたかと思うと、私の了承もとらずに、私のいたテーブル席に座り込んでしまった。
――しまった! 兵士たちがよくくる食堂だって、分かっていたのに。どうしてこの店にきてしまったの私!?
考えてみれば当然のことだった。
だって非番の兵士が必ず行く食堂ということは、必ず知り合いの兵士に会うということだもの。
毎日誰かは、必ず非番の人がいるのだから。
疲れすぎていて、どうやら頭が働いていなかったらしい。
それにしてもよりによって、この3人が来るなんて……。
特に罵声が激しい3人。
そんな苦手な人たちだけど、実は街の人達からの人気がとても高い。
3人ともここ最近、グングンと剣の実力をつけていて、王国の剣術試合で上位の成績をおさめているからだ。
剣術試合というのは、戦のない平時に兵士たちの腕がなまらないように、定期的に開催されているものだ。
それは剣の腕を鈍らせないためだけではなく、国民にとって、最高の娯楽にもなっている。
そのため大小様々な剣術試合が、国中のあらゆる場所で開催されている。
中でも特に、ここ王都で開催される、国王主催の試合が、国で最高峰の大会とされている。
国王主催の試合には、大きく分けて二つある。
国王直属の騎士たちの試合と、そして貴族お抱えの兵士や、傭兵、腕に覚えがあって予選を通過すれば、誰もが出場できる試合。
国王直属の騎士たちの剣術試合は貴族しか見る事ができない。
でも誰でも参加できる試合のほうは、庶民でもお金を払えば見ることができる。
だからその大会に出場すること、しかも上位の成績を収める者は、一躍有名になり、国中の憧れの存在になるのだ。
何度も上位に食い込むような剣士は、舞台俳優などと同じように有名人になり、巷で絵姿などが書かれて売られるようになるくらいだ。
この3人は、最近の剣術試合で何度も上位に食い込んでいるので、既に絵姿が出回っている。
現に、有名人が来たと、店の中のお客さんの何人かが、嬉しそうに3人の様子を遠くからチラチラとうかがっていた。
「やっとお前がいなくなるのか。せいせいするな」
「本当だぜ。普通の頭をしていたら、婚約破棄された時点で、空気読んで田舎に帰るだろうによ。それからも大分居座って、図太いよなー、田舎者は」
兵士たちの心ない言葉に、涙がでそうになる。
心の大切な部分から、血が噴き出してきているようだ。
言葉でも、人は切れる。
食堂にいる他のお客さんたちは、兵士たちの言葉に戸惑ったように、静かにこちらの様子をうかがっている。
ヒーローたちが敵視する相手――私を睨みつけてくる人も、中にはいた。
こんなところで泣きたくなんてない。
言葉を深く聞かないように、受け流そうとする。
いつもそうして乗り切ってきたように。
「いつもいつも、ろくに話も聞かずに、ただ流れ作業で回復するだけ。俺たちが誰のために働いているか、分かってないよな」
「そうだそうだ。おい、なんとか言えよ」
ろくに話もしないと言われて、なんとか言えと言われて、何か言葉を発しなければと思うけれど、喉が詰まってしまったように、何も言えなくなる。
いつもそうだった。
確かに忙しくて、一人一人とじっくり話す時間なんてとれなかった。
だけど特にこの3人に対しては、話せないのは時間がないのだけが原因ではなかった。
罵声を浴びせかけられるようになってから、怖くて何も言えなくなってしまったのだ。
だからひたすら黙って回復をかけていた。
それだけ私を嫌って文句を言うのに、なぜかこの3人が一番、私のところに回復しにきていた。
――そんなに私がキライなら、私のところにこなければいいのに!!
「しかもこいつ、クロリスちゃんのことをイジメてたんだろう?大人しそうな顔して、怖いよな」
「あんないい子を裏でイジメるなんて、最低だよな。クロリスちゃん、いつも泣いてたぞ」
「そうそう。俺もクロリスちゃんの相談にのっててさ。昨日なんて、『やっとニーナさんから解放されます! ありがとうございます!』って、大きな瞳で見つめられて、感謝されちゃったよ。グッとくるよな」
「…………え?」
顔を伏せてやり過ごそうとしていた私だけれど、聞こえてきた話の内容が、どうしても聞き流せなくて、思わず顔を上げてしまう。
「わ、私がクロリスをイジメていたですって? クロリスが泣いて相談していたって……そんな……え……」
そんなこと、到底信用できない。
きっとこの3人組は、私のことが嫌いなので、嫌がらせで言っているんだろう。
あんなに可愛くて、良い子で、小動物みたいな。
私のことを慕ってくれていたクロリスが、そんなことを言うはずがないのだから。
「しらばっくれるんじゃねーーーよ! このクソ女が!」
バンッ!!
「ひぃ!」
3人のうちの1人が急に怒鳴ると同時に、テーブルをまるで威嚇するように叩いた。
私は大きな音に驚いて、固まってしまった。
――怖い。イヤだ。誰か助けて!
クロリスのことで嘘をつかれた怒りよりも、恐怖のほうが勝って、それ以上何も言えなくなる。
「クロリスちゃんはなあ! ずーッと前から悩んで、泣いていたんだぞ!? それをお前は……」
「こんな最低な女、初めて見た。こえーわ」
怖くて体がガタガタと震えはじめる。
店中の人たちが、私たちのやり取りに注目をしていた。
もうプティングなんてどうでもいいから、一刻も早くこの場を離れたい。
だけど怖すぎて、体が固まって、思うように動けない!
「聖女って、たっかい給料もらってたんだろ?」
「シレジア子爵家の疫病神だな」
「本当に。子爵様の優しさに付け込んで、ろくに仕事もしないで居座って。それで厳しい訓練をしている俺達よりも高給取りかよ。イヤになるぜ」
もう言われるがままだ。
私はガタガタと震えながら、もう早くこの地獄が終わってくれることだけを考えるようになっていた。
――いっそのこと、消えてなくなってしまいたい。
そう思っていたその時。
「おい、そこまでにしておけ」
また別の、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
屈強な3人組に対しても、全く恐れる事のない落ち着いた声。
恐る恐るその方向を見ると、傷だらけの40代くらいの、こちらも屈強な体躯の男性。
シレジア兵団のうちいくつかに分かれている小さな部隊の、元部隊長であるアレフさんだ。
私がシレジア子爵家に勤める前からいた、ベテランの兵士だ。
この騒ぎが起き始めてから店に入ってきた客はいないので、きっと3人組がこの店に来る前に、すでに来ていたのだろう。
料理に夢中な私は、アレフさんが来たことに気が付かなかったのだ。
「なんだ。誰かと思ったら、『元』部隊長のアレフか」
「最近は若手にも全然勝てなくなって、お前も今日、引退したんだったな」
3人はアレフさんのことをバカにしたように、顔を見合わせてあざ笑った。
アレフさんは自分の席を立ちあがると、3人の挑発にかまうことなくゆっくりと歩み寄ってきた。
そしておもむろに私の腕を掴んで、グイッと立ち上がらせる。
急に腕を掴まれた事に焦る。
だけどそうでもされないと、私は席を立てなかっただろう。
「ニーナさん、店を出るぞ。いいな? 親父、これは俺とニーナさん、2人分の代金だ。釣りはいらない」
アレフさんは、その力強い腕で私の荷物も一緒に持つと、カウンターに明らかに多めのお金を置き、誰の返事も待つことなく、そのまま店を出ていった。
色々な国と接しているこの領は、我がコルベ国の国防を一手に担っている。
領土も広大で、様々な国との交流も活発なので、王都に来る者も、向かう者も多い。
そのため王都から故郷までは、直通で乗合馬車が出ていた。
退職するこの日に合わせて、乗合馬車の中でもしっかりとした護衛がついていて、適度に宿場町に寄ってくれる乗合馬車を予約してある。
値段は高いけれど、女性でも安全に、一人旅をできるものだ。
子爵家から乗合馬車の乗り場までは結構歩くので、馬車が出る時間よりも、大分早めに子爵家を出発していた。
歩いて乗り場の近くまでいったら、早めの昼食をとってから、馬車に乗り込む予定だ。
昼食を食べる場所は、最初から決めてあった。
まだ兵士達と仲が良かった頃、皆が非番で必ず行くと話していた食堂が、ちょうど乗合馬車の乗り場近くにあったことを思い出したのだ。
食堂の名前と、馬車乗り場の近くという情報しかないけれど、そんなに評判の良い店なら、誰かに聞いたらすぐに分かるだろう。
一時間半ほど歩くと、予定通り早めに乗合馬車の乗り場に着いた。
数多くの馬車が行き来しているので、自分の乗る馬車の場所が分かるかどうか不安に思っていたけど、故郷であるドレスディア辺境伯領に行く人はやはりとても多いようで、一番目立つ場所にあった。
おかげですぐに見つけることができた。
乗り場の確認を終えた私は、次にそのあたりを歩いている優しそうな人に、兵士達おすすめの食堂の場所を聞くことにした。
1人目に尋ねた人は王都に来たばかりの旅人で、知らないと言われてしまったけれど、2人目でもう、目的の食堂の場所を教えてもらうことができた。
やっぱり安くて美味しくて、有名らしい。
考えてみれば、王都に出てきてから、私にはほとんど休日などなかった。
だから私が王都の街を歩けたのは、シレジア子爵家に勤めると決まるまでの、ほんの1週間弱の間だけだった。
今から行く食堂が、とても評判が良さそうで、ボロ雑巾のように疲れていたけれど、ほんの少しだけ楽しみな気持ちが生れる。
食べ物の力は偉大だ。
私は少しの期待感を胸に、食堂の扉をくぐった。
――そのことを後で死ぬほど後悔するとも知らずに。
*****
扉をくぐって食堂に入る。
まだまばらにしか、お客さんはいない。
昼食の時間には、少し早いからかしら。
好きなところに座るように言われたので、窓のそばのテーブル席を選んで座る。
一人でお店に入る事なんてそうそうないから、うまく注文できるか心配していたけれど、店員さんも時間に余裕があったみたいで、何が美味しいか、何がおすすめか、私の好みを聞いて、注文をとってくれた。
おかげで、一人でお店に入るのに慣れていない田舎者の私でも、とっても美味しい昼食にありつけた。
体は疲れていて、たくさんの料理を食べられるか心配していたけれど、食欲をそそる匂いのおかげで、食欲がわいてくる。
早速運ばれてきた前菜は、サラダと、何かの内臓と香辛料を混ぜて固めたパテ。
そのパテを、贅沢に白パンに付けて食べる。
口の中に入れた瞬間、パテは蕩けるように消えていく。
信じられないくらい、美味しい!
久しぶりのごちそうに、少しだけ気分が上昇する。
次は昼食に付いているワインを飲みながら、次に届いたメインの鹿肉のソテーをいただく。
――伯爵家のパーティーに出される料理にも負けないくらい美味しい!
この料理が庶民価格で食べられるなんて、評判が良いのもうなずける。
ここ何年かはゆっくりと食事をする時間もなかったから、世の中にこんな楽しみがあることを忘れかけていた。
じっくりと時間を掛けて味わっているうちに、少しずつお客さんたちは増えていった。
席があいているテーブルは、あと一つか二つといったところ。
私の食事は、もうほとんど食べ終わっていて、あと残すところはデザートのプティングだけになっていた。
4人掛けのテーブルに1人で座っているけれど、知らない人と相席になる前に、店を出られそうでよかったと思った。
「おやっさん! まだ席あるー?」
「おう! ギリギリだったな」
ちょうどそう思っていた時、新たにお客さんが店に入ってきた。
聞き覚えのあるその声に、反射的に心臓がギュっと縮む。
思わず顔をあげて、その方向を確認してしまった。
入ってきたのは、屈強な体躯の3人連れの男たちだった。
なぜその声に聞き覚えがあるのかというと、それが子爵家のお抱え兵団の、兵士達だからだ。
特にその3人は、毎日のように私のところへきて回復魔法を掛けるようにと命令しながら、罵声を浴びせかけてくる人たちだった。
そのせいで、私はこの人たちの声を聞いただけで、反射的に体が強張り、汗が流れるようになってしまっていた。
私がいることに気づかれたくないと思って慌てて顔を伏せたけれど、既に手遅れだった。
「あれー、ニーナちゃんじゃーん。なにしてんのこんなところで。ああ、そういえば仕事クビになって、田舎に帰るんだっけ?」
「おやじ。知り合いがいたから、こっちの席に座るよ。ちょうど3人分空いているし」
「……えっ!」
3人はどかどかと派手な足音をたてて近づいてきたかと思うと、私の了承もとらずに、私のいたテーブル席に座り込んでしまった。
――しまった! 兵士たちがよくくる食堂だって、分かっていたのに。どうしてこの店にきてしまったの私!?
考えてみれば当然のことだった。
だって非番の兵士が必ず行く食堂ということは、必ず知り合いの兵士に会うということだもの。
毎日誰かは、必ず非番の人がいるのだから。
疲れすぎていて、どうやら頭が働いていなかったらしい。
それにしてもよりによって、この3人が来るなんて……。
特に罵声が激しい3人。
そんな苦手な人たちだけど、実は街の人達からの人気がとても高い。
3人ともここ最近、グングンと剣の実力をつけていて、王国の剣術試合で上位の成績をおさめているからだ。
剣術試合というのは、戦のない平時に兵士たちの腕がなまらないように、定期的に開催されているものだ。
それは剣の腕を鈍らせないためだけではなく、国民にとって、最高の娯楽にもなっている。
そのため大小様々な剣術試合が、国中のあらゆる場所で開催されている。
中でも特に、ここ王都で開催される、国王主催の試合が、国で最高峰の大会とされている。
国王主催の試合には、大きく分けて二つある。
国王直属の騎士たちの試合と、そして貴族お抱えの兵士や、傭兵、腕に覚えがあって予選を通過すれば、誰もが出場できる試合。
国王直属の騎士たちの剣術試合は貴族しか見る事ができない。
でも誰でも参加できる試合のほうは、庶民でもお金を払えば見ることができる。
だからその大会に出場すること、しかも上位の成績を収める者は、一躍有名になり、国中の憧れの存在になるのだ。
何度も上位に食い込むような剣士は、舞台俳優などと同じように有名人になり、巷で絵姿などが書かれて売られるようになるくらいだ。
この3人は、最近の剣術試合で何度も上位に食い込んでいるので、既に絵姿が出回っている。
現に、有名人が来たと、店の中のお客さんの何人かが、嬉しそうに3人の様子を遠くからチラチラとうかがっていた。
「やっとお前がいなくなるのか。せいせいするな」
「本当だぜ。普通の頭をしていたら、婚約破棄された時点で、空気読んで田舎に帰るだろうによ。それからも大分居座って、図太いよなー、田舎者は」
兵士たちの心ない言葉に、涙がでそうになる。
心の大切な部分から、血が噴き出してきているようだ。
言葉でも、人は切れる。
食堂にいる他のお客さんたちは、兵士たちの言葉に戸惑ったように、静かにこちらの様子をうかがっている。
ヒーローたちが敵視する相手――私を睨みつけてくる人も、中にはいた。
こんなところで泣きたくなんてない。
言葉を深く聞かないように、受け流そうとする。
いつもそうして乗り切ってきたように。
「いつもいつも、ろくに話も聞かずに、ただ流れ作業で回復するだけ。俺たちが誰のために働いているか、分かってないよな」
「そうだそうだ。おい、なんとか言えよ」
ろくに話もしないと言われて、なんとか言えと言われて、何か言葉を発しなければと思うけれど、喉が詰まってしまったように、何も言えなくなる。
いつもそうだった。
確かに忙しくて、一人一人とじっくり話す時間なんてとれなかった。
だけど特にこの3人に対しては、話せないのは時間がないのだけが原因ではなかった。
罵声を浴びせかけられるようになってから、怖くて何も言えなくなってしまったのだ。
だからひたすら黙って回復をかけていた。
それだけ私を嫌って文句を言うのに、なぜかこの3人が一番、私のところに回復しにきていた。
――そんなに私がキライなら、私のところにこなければいいのに!!
「しかもこいつ、クロリスちゃんのことをイジメてたんだろう?大人しそうな顔して、怖いよな」
「あんないい子を裏でイジメるなんて、最低だよな。クロリスちゃん、いつも泣いてたぞ」
「そうそう。俺もクロリスちゃんの相談にのっててさ。昨日なんて、『やっとニーナさんから解放されます! ありがとうございます!』って、大きな瞳で見つめられて、感謝されちゃったよ。グッとくるよな」
「…………え?」
顔を伏せてやり過ごそうとしていた私だけれど、聞こえてきた話の内容が、どうしても聞き流せなくて、思わず顔を上げてしまう。
「わ、私がクロリスをイジメていたですって? クロリスが泣いて相談していたって……そんな……え……」
そんなこと、到底信用できない。
きっとこの3人組は、私のことが嫌いなので、嫌がらせで言っているんだろう。
あんなに可愛くて、良い子で、小動物みたいな。
私のことを慕ってくれていたクロリスが、そんなことを言うはずがないのだから。
「しらばっくれるんじゃねーーーよ! このクソ女が!」
バンッ!!
「ひぃ!」
3人のうちの1人が急に怒鳴ると同時に、テーブルをまるで威嚇するように叩いた。
私は大きな音に驚いて、固まってしまった。
――怖い。イヤだ。誰か助けて!
クロリスのことで嘘をつかれた怒りよりも、恐怖のほうが勝って、それ以上何も言えなくなる。
「クロリスちゃんはなあ! ずーッと前から悩んで、泣いていたんだぞ!? それをお前は……」
「こんな最低な女、初めて見た。こえーわ」
怖くて体がガタガタと震えはじめる。
店中の人たちが、私たちのやり取りに注目をしていた。
もうプティングなんてどうでもいいから、一刻も早くこの場を離れたい。
だけど怖すぎて、体が固まって、思うように動けない!
「聖女って、たっかい給料もらってたんだろ?」
「シレジア子爵家の疫病神だな」
「本当に。子爵様の優しさに付け込んで、ろくに仕事もしないで居座って。それで厳しい訓練をしている俺達よりも高給取りかよ。イヤになるぜ」
もう言われるがままだ。
私はガタガタと震えながら、もう早くこの地獄が終わってくれることだけを考えるようになっていた。
――いっそのこと、消えてなくなってしまいたい。
そう思っていたその時。
「おい、そこまでにしておけ」
また別の、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
屈強な3人組に対しても、全く恐れる事のない落ち着いた声。
恐る恐るその方向を見ると、傷だらけの40代くらいの、こちらも屈強な体躯の男性。
シレジア兵団のうちいくつかに分かれている小さな部隊の、元部隊長であるアレフさんだ。
私がシレジア子爵家に勤める前からいた、ベテランの兵士だ。
この騒ぎが起き始めてから店に入ってきた客はいないので、きっと3人組がこの店に来る前に、すでに来ていたのだろう。
料理に夢中な私は、アレフさんが来たことに気が付かなかったのだ。
「なんだ。誰かと思ったら、『元』部隊長のアレフか」
「最近は若手にも全然勝てなくなって、お前も今日、引退したんだったな」
3人はアレフさんのことをバカにしたように、顔を見合わせてあざ笑った。
アレフさんは自分の席を立ちあがると、3人の挑発にかまうことなくゆっくりと歩み寄ってきた。
そしておもむろに私の腕を掴んで、グイッと立ち上がらせる。
急に腕を掴まれた事に焦る。
だけどそうでもされないと、私は席を立てなかっただろう。
「ニーナさん、店を出るぞ。いいな? 親父、これは俺とニーナさん、2人分の代金だ。釣りはいらない」
アレフさんは、その力強い腕で私の荷物も一緒に持つと、カウンターに明らかに多めのお金を置き、誰の返事も待つことなく、そのまま店を出ていった。
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