最低最悪のクズ伯爵

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空白の5年間

⑪勧誘

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 王家の勲章の盗難騒ぎのあった次の日の朝。
 あれだけの騒ぎがあったというのに、セドリックがいつものように、いつもの中庭に行くと、やはりエリスがなにごともなかったかのように、朝の鍛錬をしていた。

 いや、何事もなくではない。
 まるでなにかを振り払うかのように、いつもより激しく剣を振るっていた。
 既に息は激しく乱れて、汗がしたたり落ちている。
 セドリックが来たことに気が付くと、剣を下ろしてその場に座り込んだ。



「エリス、うちに来い」

 座り込んでからしばらくしてようやく息が整ってきた時、セドリックはこれまで漠然と考えてきたことを、はっきりと言葉にして、口にした。

 自分がこんなことを考えてきたことが意外だったが、言いだしたら、それは当然のことのように思えた。
 エリスがこれから先もずっと、あの父親と兄の犠牲になって、能力を発揮できず、それなのに飼殺されて働かされ続けるなんて、あり得ない。
 エリスが望むならハウケ家でない場所へいってくれてもいい。
 だけどケーヴェス家につながれ続けるのは違う。

「へ? うちってハウケの屋敷? いいよ。いつからいつまで?」
「用意ができ次第すぐに。期限は無期限で。ケーヴェス家と縁を切って、うちに来い。俺がなんとかしてやるから」

 セドリックがそう言うと、エリスは最初、言葉が聞こえなかったかのように、しばらく無反応だった。
 しかし徐々に言葉の意味を飲み込んだようで、しばらくしてからやっと、囁くような小さな声でこたえた。
 
「……本気で言ってる? セディ君」
「本気だ。お前はケーヴェス家のアホどもに飼い殺しにされているには、惜しい人材だからな」

 セドリックはその時、エリスが笑ったのかと思った。
でもそれは一瞬で、すぐに泣くのをこらえるような表情になっていた。
 瞳がいつもより光っているように見えるのは、気のせいだろうか、それとも……。

「ありがとねー、嬉しい。まあ無理だけど」
「なぜ無理なんだ」
「あの父親が、許すはずない。兄貴はともかく、あのクソは俺がいないとケーヴェス家がたちいかないって、分かっていて飼い殺しているんだ。絶縁なんて絶対にさせてくれない。それにケーヴェス家の腐った鎖がついたままハウケ家に行ったら、お前に迷惑がかかるだろう。いや、お前はどうでもいいんだけど。ユリアちゃんとかレオ君に迷惑かけられないし……」
 それはセドリックに向けて言っているというよりも、まるでエリスが自分自身に言い聞かせているようだった。

「お前は、俺のところに来たくないのか? 一生ケーヴェス家に繋がれて生きていきたいのか?」
「そんなわけないだろう!」
「じゃあダメな理由ばっかり探すな! 俺と一緒に来たいなら、そう言え。方法ならいくらでもある。なんとでもなるから」

つい先ほどまで動揺した様子だったエリスの表情はいつの間にか、すっかりいつも通りのヘラヘラとして内心が読めないものに戻っていた。
 完璧に。
 でもこの顔が笑っているのではなく、本当は泣いているのだということを、セドリックはもう知っていた。
 まるで笑顔なのに涙が描かれた、道化の仮面のように。

「セドリックさー、初めて会った時、俺がなんでお前たちの馬車が通る道にいたのか、分かる?」
「……気晴らしの遠駆けじゃなかったのか?」
「ぶっぶー。実は俺、来ると知っててお前たちを探していたんだよね。」
「探していた? なんでだ?」

 あの時は、エリスとセドリックはほぼ初対面だった。
 ただ学園ですれ違ったことがある、顔は知っているという程度の間柄だった。
 セドリックには、エリスに探されるような心当たりは一切ない。

「お前がエルトマン侯爵邸に来ると思って、待ち構えてたんだよ。自分は伯爵家の跡取りに決まっているくせして、ルガー子爵夫人を目の前でかっ攫っていって。そのくせあっさりと振ってくれちゃって。俺があの夜会で、どんな思いでルガー夫人を連れていくお前を見ていたことか。心の中を見せてやりたいよ。今にも餓死しそうな、何十年も食べてない犬の目の前から、美味しいごちそうが載った皿を目の前で持っていかれたようだった。嫉妬の炎で消しクズになりそうで、もう絶対、こいついつか殺してやろうって思ったよ」
「……」

 夜会で、ルガー夫人を狙っている様子だったエリス。
 ケーヴェス家を抜け出したいエリスにとって、ルガー夫人は子爵家を継げるかもしれない、千載一遇のチャンスのはずだった。

 あの時、エリスはどんな顔をしていただろうかと、セドリックは思い出そうとした。
 確かいつも通り遊び人らしく、軽い調子でおどけて肩をすくめていたような気がする。

「ユリアちゃんを俺に惚れさせて、ボロ雑巾のように捨てる計画で頭をいっぱいだった。……そしたらなんかもう、本当にキラッキラしていて、可愛くて、幸せいっぱいの家族がいてさー。お互いを思いやっていて、弱ったレオ君を必死になって介抱してて。……世の中に、こんな家族が存在するのかと思ったよ。レオ君からこの家族奪ったら、俺本当に、もう地獄いきじゃんって……」

 エリスの仮面が、またほんの少しだけ揺らぐ。
 目だけが、眩しい物を見るような、穏やかな目になっていた。


「な? 俺こんな危ないヤツだから。一皮むけば、クソ親父や兄貴とおんなじなの。こんな奴そばにいたら嫌だろう? キラキラの家族ごっこにほんの少しの間混ぜてもらって、気分を味合わせてもらっただけで十分だよ。ありがとな」
「違うだろう。あのクソ禿親父と、お前とは全然」
「いや一緒だって。聞いただろう? さっきの計画」
「聞いたよ。で? お前そんな卑怯な真似、今までしたことあるのか? どうせ考えているだけで、実行なんてしたことないんだろう」
「……」


「考えていただけでやらなかった。レオの幸せを奪えなかった。レオを助けて、馬に乗せてくれた。お前が何を考えてたかなんて知らないけど、やっていることは、ただのバカ正直な良いヤツなんだよ。つまりお前は、バカ正直な良いヤツだ」
「いやいやいや、何言っちゃってんの、セドリック。お前騙されやすいタイプ? 俺計画実行しようと思ってたよ。お前らに近づいて、家族ごっこしながら取り入ってやろうと思っていたし、朝鍛錬を頼んだのだって、事故の振りして、剣で切りつけてやろうとすら思ったからだし」

 なぜエリスは、これほど必死になって自分を悪く見せようとするのかと、セドリックは不思議に思った。
 自分をよく見せようとするなら分かるが、こいつはどうして……

「バーカ。初めて会った日、俺とレオを馬に乗せて走ってる時からもう、お前はバカ正直な良いヤツなことバレバレだったんだよ。レオをできるだけ揺らさないように、長い時間ずっと、気を配りながら慎重に走らせて続けて。俺はこんな良いヤツ、生れて初めて会ったと思ったよ……どうした?顔が赤いぞ」
「……いや、なんでも」

 なぜかエリスの顔が真っ赤になっていることを指摘すると、彼は俯いて表情を隠してしまった。
 声もいつも騒々しくて賑やかな彼らしくなく、小さい。

「もう良いから、四の五の言わずに来いよ。ユリアもレオも、お前の事が大好きで、気に入っていて、頼っている。俺だって……」
「あー!! もう良いから! 分かったそれ以上言うな!」

 ついにエリスは、頭を抱えてその場にしゃがみこんでしまった。

「なんなんだよもう。この調子でユリアちゃん口説けば一発だろうによ。天然男怖すぎる」
 そうしてなにやら、ぶつぶつと呟いている。

「今、分かったと言ったな? エリス」
「あー、分かった。もう分かったよ」

 なんだか力が抜けたようにそう言うと、エリスは勢いをつけて立ち上がった。
 まだ若干、顔が赤い。

「少し時間ちょーだい。考えておくから」
「……」
「そんな疑うような顔するなよ。ちゃんと真剣に考えてるから。……じゃあなセディ君。また明日の朝、同じ時間にね」

 そう言うと、エリスは返事を待たずに歩き出した。
 ひらひらと手を振りながら。
 
 エリスの背中を見送っていたセドリックには見えなかった。
 その表情が何かを決意したように、目がギラギラと輝いていたことを。




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