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15.結婚式
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その日は快晴だった。
庭師が丹精した梔子の茂みが、甘い香りを放っていた。招待客の皆さんは、淡い色をした飲み物の入ったグラスを片手に、それぞれ伯爵家の庭をそぞろ歩いている。
昼から酔っ払いを作るわけにはいかないので、強いアルコールは用意していない。軽い食前酒ぐらいのものだ。日が沈んでから酒樽を開けると、お義母さまと料理人が言っていた。
今日は私の結婚式だ。
私とお義兄さまの。
「全然緊張してないのね、おね……ね……さまは」
言葉の一部に妙な空白を作りながら、ヴィオラがつんとした声音で言った。
「緊張してるよ?」
「嘘。いきなり冷たい水を頭から被ったり、奇声を上げたり、廊下を一時間端から端まで歩き続けたりしてないじゃない」
「……」
誰がどれをしでかしたのだろう。怖くて聞けない。
「ヴィオラは変わりないね」
「当然でしょ。あの人たちとは違うんだから」
ヴィオラは胸を張って反り返る。可愛い。
だから、その頬がほんのり色付いているのは見なかったことにしようと思った。
「……その花、悪くないと思う」
「ヴィオラ?」
「その花よ! 何度も言わせないでよ」
「花? うん、これ、綺麗だよね、ありがとう」
ベールの上からふんわりと乗せて固定した花冠、髪や胸元、ドレスの裾に飾った花。結婚式が白昼、青空の下で行われるので、宝石よりも花の方がいいと思ったのだ。
庭と温室で育てた白い花に、少しだけ葉っぱも加えた。白い薔薇の花束も作ってもらった。耳には青いダイアモンドの飾りを嵌めているけれど、今日身に着けている石はそれだけだ。
なお、花冠を作ってくれたのはヴィオラだ。早朝、庭に出て、朝露のなかを歩いて、手ずから編んでくれた。
「ヴィオラ」
「なに」
ぎゅっと抱き締めたかったけれど、せっかく作ってくれた花が崩れるので我慢だ。
「いつもありがとう。大好き。これからもよろしくね」
「なっ……!」
耳まで真っ赤になったヴィオラが、声を尖らせたとき。扉にノックの音が響いた。
「……おい、いいか?」
お義兄さまだ。
「はい、どうぞ」
「準備は済んだか……ヴィオラ? なんで真っ赤なんだ? 熱でもあるのか」
「うるさい、兄。頭から冷水被って溺れてればいいのに」
「なっ……お前こそ、大事なぬいぐるみに切々と語りかけてただろう。一人二役だったようだが、もう問答は終わったのか?」
「ななななんてこと言うのよ兄!! 嫌い!!」
旋風のようにヴィオラが走り去る。
なんていうか、ドラマティックな兄妹だ。内容はあれだけれど。
(ぬいぐるみ……冷水……)
つい、お義兄さまの頭髪に目が行ってしまった。こころなしか少し湿って、しっとりしている気がする。
それ以外は、完璧とも言っていい礼服姿だった。お義兄さまには、かっちりとした正装が似合う。すっと伸びた背筋、冷たく澄んだ青い眼差し。佇まいは貴公子然としている。動揺さえしなければ、全く瑕疵が見つからない。
「お義兄さま、やっぱり似合いますね。生まれつき王子様っぽいというか、ごく自然で。かっこいいです」
「……」
「お義兄さま?」
「…………はっ」
お義兄さまは夢から覚めたように瞬きし、何かを振り払うように首を振った。
「……いや、何でもない」
「はい」
「違う。俺は……見惚れていたわけじゃない」
「はい。……ふふ」
「……だが、似合ってないこともない」
視線が合わない。だが、手を差し出されたので、その手を取って立ち上がった。ベールに付けられた小さな花が、視界の端で揺れる。
「……父上と母上が待っている」
「はい」
控え室を出た先に、伯爵夫妻が立ち尽くしていた。いつもぴんと背筋を伸ばしたお義母さまはともかく、やや太り気味のお義父さままで、棒を呑んだように直角に立っている。どれだけ弄ったのか、いつも整えられている髭がぼさぼさになって、乱れた筆先のようになっていた。
「……」
「……」
「……」
言葉が出て来ないらしい。しばらく沈黙が落ちた。
お義父さまは盛大な咳払いをした。
「……あ、ああ。お前の幸せを願っている」
一生分ぐらいの、素直な言葉だった。
こうなると、私に言えることは何にもない。ツンツンした物言いをされると、笑ってしまったりフォローに回ったり、私の果たせる役割は沢山あるのだけれど、何の鎧も纏わない正直な言葉は、私の胸を貫通して、鼻先と目元をじんと熱くするだけで、返せる言葉もほとんどない。
「……はい」
「……いつまでこうしてもおれんだろう。行くぞ」
私の腕を取って、お義父さまが歩き始める。背後には、お義兄さまとお義母さまが、特に腕を取り合うわけでもなく、黙って並んでついてくる。
庭に出た。眩い太陽が、虹を砕いたような光の破片を撒き散らす。招待客の賑やかな歓声。私やお義兄さまの学園時代の友人たち。整列する貴族たち。向日葵のような笑顔を浮かべたゲインズ公爵夫人も、複雑そうな顔をした元婚約者とその恋人の姿も見える。
花で飾られた祭壇の前に立つと、お義父さまが手を放して、お義兄さまを私の横に導いた。いかめしい正装の司教さまが、フクロウのような顔をして私たちに頷く。その手のひらの前に跪いて、私たちは結婚の誓いの言葉を述べた。
でも、本当の誓いは、神の前ではなくて。
屈み込んだとき、お義兄さまがそっと私に囁いた言葉の方だったのだと思う。
「一生、幸せにする。……いや、お前がいれば俺は幸せだからな。返すだけだ」
「はい」
同じことを、お義兄さまに言って返したい。
私は今、幸せだ。
庭師が丹精した梔子の茂みが、甘い香りを放っていた。招待客の皆さんは、淡い色をした飲み物の入ったグラスを片手に、それぞれ伯爵家の庭をそぞろ歩いている。
昼から酔っ払いを作るわけにはいかないので、強いアルコールは用意していない。軽い食前酒ぐらいのものだ。日が沈んでから酒樽を開けると、お義母さまと料理人が言っていた。
今日は私の結婚式だ。
私とお義兄さまの。
「全然緊張してないのね、おね……ね……さまは」
言葉の一部に妙な空白を作りながら、ヴィオラがつんとした声音で言った。
「緊張してるよ?」
「嘘。いきなり冷たい水を頭から被ったり、奇声を上げたり、廊下を一時間端から端まで歩き続けたりしてないじゃない」
「……」
誰がどれをしでかしたのだろう。怖くて聞けない。
「ヴィオラは変わりないね」
「当然でしょ。あの人たちとは違うんだから」
ヴィオラは胸を張って反り返る。可愛い。
だから、その頬がほんのり色付いているのは見なかったことにしようと思った。
「……その花、悪くないと思う」
「ヴィオラ?」
「その花よ! 何度も言わせないでよ」
「花? うん、これ、綺麗だよね、ありがとう」
ベールの上からふんわりと乗せて固定した花冠、髪や胸元、ドレスの裾に飾った花。結婚式が白昼、青空の下で行われるので、宝石よりも花の方がいいと思ったのだ。
庭と温室で育てた白い花に、少しだけ葉っぱも加えた。白い薔薇の花束も作ってもらった。耳には青いダイアモンドの飾りを嵌めているけれど、今日身に着けている石はそれだけだ。
なお、花冠を作ってくれたのはヴィオラだ。早朝、庭に出て、朝露のなかを歩いて、手ずから編んでくれた。
「ヴィオラ」
「なに」
ぎゅっと抱き締めたかったけれど、せっかく作ってくれた花が崩れるので我慢だ。
「いつもありがとう。大好き。これからもよろしくね」
「なっ……!」
耳まで真っ赤になったヴィオラが、声を尖らせたとき。扉にノックの音が響いた。
「……おい、いいか?」
お義兄さまだ。
「はい、どうぞ」
「準備は済んだか……ヴィオラ? なんで真っ赤なんだ? 熱でもあるのか」
「うるさい、兄。頭から冷水被って溺れてればいいのに」
「なっ……お前こそ、大事なぬいぐるみに切々と語りかけてただろう。一人二役だったようだが、もう問答は終わったのか?」
「ななななんてこと言うのよ兄!! 嫌い!!」
旋風のようにヴィオラが走り去る。
なんていうか、ドラマティックな兄妹だ。内容はあれだけれど。
(ぬいぐるみ……冷水……)
つい、お義兄さまの頭髪に目が行ってしまった。こころなしか少し湿って、しっとりしている気がする。
それ以外は、完璧とも言っていい礼服姿だった。お義兄さまには、かっちりとした正装が似合う。すっと伸びた背筋、冷たく澄んだ青い眼差し。佇まいは貴公子然としている。動揺さえしなければ、全く瑕疵が見つからない。
「お義兄さま、やっぱり似合いますね。生まれつき王子様っぽいというか、ごく自然で。かっこいいです」
「……」
「お義兄さま?」
「…………はっ」
お義兄さまは夢から覚めたように瞬きし、何かを振り払うように首を振った。
「……いや、何でもない」
「はい」
「違う。俺は……見惚れていたわけじゃない」
「はい。……ふふ」
「……だが、似合ってないこともない」
視線が合わない。だが、手を差し出されたので、その手を取って立ち上がった。ベールに付けられた小さな花が、視界の端で揺れる。
「……父上と母上が待っている」
「はい」
控え室を出た先に、伯爵夫妻が立ち尽くしていた。いつもぴんと背筋を伸ばしたお義母さまはともかく、やや太り気味のお義父さままで、棒を呑んだように直角に立っている。どれだけ弄ったのか、いつも整えられている髭がぼさぼさになって、乱れた筆先のようになっていた。
「……」
「……」
「……」
言葉が出て来ないらしい。しばらく沈黙が落ちた。
お義父さまは盛大な咳払いをした。
「……あ、ああ。お前の幸せを願っている」
一生分ぐらいの、素直な言葉だった。
こうなると、私に言えることは何にもない。ツンツンした物言いをされると、笑ってしまったりフォローに回ったり、私の果たせる役割は沢山あるのだけれど、何の鎧も纏わない正直な言葉は、私の胸を貫通して、鼻先と目元をじんと熱くするだけで、返せる言葉もほとんどない。
「……はい」
「……いつまでこうしてもおれんだろう。行くぞ」
私の腕を取って、お義父さまが歩き始める。背後には、お義兄さまとお義母さまが、特に腕を取り合うわけでもなく、黙って並んでついてくる。
庭に出た。眩い太陽が、虹を砕いたような光の破片を撒き散らす。招待客の賑やかな歓声。私やお義兄さまの学園時代の友人たち。整列する貴族たち。向日葵のような笑顔を浮かべたゲインズ公爵夫人も、複雑そうな顔をした元婚約者とその恋人の姿も見える。
花で飾られた祭壇の前に立つと、お義父さまが手を放して、お義兄さまを私の横に導いた。いかめしい正装の司教さまが、フクロウのような顔をして私たちに頷く。その手のひらの前に跪いて、私たちは結婚の誓いの言葉を述べた。
でも、本当の誓いは、神の前ではなくて。
屈み込んだとき、お義兄さまがそっと私に囁いた言葉の方だったのだと思う。
「一生、幸せにする。……いや、お前がいれば俺は幸せだからな。返すだけだ」
「はい」
同じことを、お義兄さまに言って返したい。
私は今、幸せだ。
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