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14.薬草園と日誌
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「いいこと? これが蔵書室の奥の鍵。こっちは宝物庫の鍵です。小さいのは、二階の奥の間の机の抽斗を開ける分」
銀色の鎖が擦れる音が響く。
小さな鍵、何かの紋様が彫り込まれた鍵、古びて摩耗した鍵、釘のように長い鍵。三十本ぐらいの鍵が鎖に取り付けられているけれど、どれも綺麗に手入れされている。
「この家にずっと伝えられてきたものです。次は貴方が引き継ぐのですからね。今から用途を覚えておきなさい」
「はい、お義母さま」
お義母さまは真面目な顔をしている。私も真剣だ。次代の伯爵家の女主人として、お義母さまから少しずつ教えを請うて、引き継ぐべきものは引き継いでいかねばならない。
ただ仕事を引き継ぐ、というのとは少し違っていて、家の魂を受け継ぐというか、歴史を繋ぐ役割というか。その歴史の単位として「家族」があって、私はそれを引き継ぐのだなあ、としみじみ思う。
「あとは薬草園の管理ね。これが蒸留所の鍵です」
飾り気ない鉄製の鍵を渡される。
伯爵家の庭園に隣接して、大きめの公園といった雰囲気の薬草園がある。木立に囲まれたそこには、よく使われる香草、薔薇水を作るために育てられている薔薇、貴重な薬草まで、いろんな低木や草花が整然と並び、こんもりとした茂みを作っている。
伯爵家で日々使われる香草をここで収穫するだけではなくて、この一帯の住民もよく摘みに来る。遠方から薬学者が訪ねてくることだってあるのだ。
横には立派な蒸留所まで建てられていて、そこの器具を貸して欲しいと頼まれることもある。そういうときに、出入りの許可を出すのはこの家の女主人の仕事だ。
「貴方は薬草園が好きだったわね。だからこっちは貴方に託して、私は染め物に専念しますからね。貴方が手伝いたいというのなら、好きにしたらいいけれど」
お義母さまは、蒸留所の隣に建てた染色小屋の扉をいそいそと開けながら言う。
染め物は、お義母さまの趣味だ。凝りすぎて、十年前に専用の染色小屋を建ててしまった。いろんな草、何かの皮、苔、木材、土なんかが硝子瓶や壺に詰められて並んでいる。ぐつぐつ煮たり、染めた布を干したり、お義母さまはあまり笑わないけど楽しそうだ。
魔女っぽいけれど、平和な魔女だなあと思う。
「慣れたら私も色々やってみたいです」
「ふん、勝手になさい」
お義母さまは鼻を鳴らし、外の青空を見上げ、木々の間から零れ落ちてくる眩しい陽光に目を細めた。
「……懐かしいわね。貴方がずぶ濡れになって、この家にやって来たのが、随分昔の事のようだわ」
「……そうですね」
「この家の人間は皆、言葉が足りないから。貴方がいないと、ただ刺々しいばかりで、上手く回らないのよ」
「お義母さま……」
「い、言いたいことはそれだけよ。貴方がこの家に必要不可欠だとか、そういうことを言っているんじゃありませんからね。まあ、いた方がましというだけで」
「はい、お義母さま」
「……分かっているならいいんです」
その日の午後、私は部屋で日誌を読んで過ごした。
日誌というのは、この屋敷の代々の女主人が残した記録のことだ。大体二百年分ぐらいあるらしいが、古いものは綴じ糸が千切れたり、ページそのものが摩耗して崩れたりして、迂闊には触れない。だから、今持ち出しているのは、ここ五十年ぐらい前のものだ。
その日の天候、薬草園の様子。日々の仕事。華やかなパーティーの準備。子供たちの成長。新しく仕立てたドレス。生まれた仔馬。
色褪せたインクで、びっしり書き込まれた言葉を辿る。たまに栞のように木の葉が挟まれていたり、何か残り香めいたものが漂ったりすることもある。
ついつい夢中になって読み進んでいたら、日が落ちて、窓の外が暗くなってきた。古びた紙の上の文字が読み取り辛くなる。灯りが必要かな、と思ったとき、カタリと音がして、私の机の上にランプが置かれた。
「……お義兄さま」
「随分熱心に読んでいるんだな?」
灯りを持ってきてくれたのはお義兄さまだった。
机を隔てて、私の向かいに腰を下ろす。形のいい眉が、私の広げている日誌に向かって顰められた。
「面白いか?」
「面白いですよ。この家って、代々ツンデレの家系だったんだなって」
「ツンデレ? 何だその言葉は」
「学園で流行っていた俗語なんですけど。お義兄さまは聞いたことありません?」
「初めて聞いたな」
「まあ、ツンデレ相手にツンデレって言う人もあんまりいないでしょうしね」
「だから、そのツンデレって何なんだ」
お義兄さまは納得していないようだが(私が説明していないので当たり前だ)、私はさらりと会話を流した。
「この日誌、今はお義母さまが書き継いでますけど、いずれ私が続きを書くんですよね」
「ああ、そうだな」
「そしたら、いずれ私の子供たちが読むことになるのかなって。感慨深いですよね」
「子供……」
会話が途切れる。
私は微笑みながらお義兄さまを見上げた。
「お義兄さま、子供は何人ぐらい欲しいですか?」
「……」
いい反応をしていらっしゃる。色んな感情が一気に限界点に達しているのに、全力で抑え込んでいる顔(抑え込めていない)。
照れ隠しが悪化した挙句にツンデレ化した人に対して、この仕打ち。私は悪魔なのではなかろうか。
「ふふ」
「……お前。人で遊んでいるな」
「お義兄さまの反応を見るの、好きなんです」
「好き………?!」
椅子がガタッと動いた。ヴィオラだったら、ここで罵りながら部屋を飛び出すところだけれど、お義兄さまはもう少し頑張れる人なのでこの場に留まっている。
「……三人だ」
しばらく沈黙した後、お義兄さまがぼそりと言った。
「三人?」
「子供の話だろう。できれば三人以上はいた方がいい。出来なければ養子を取るから、お前が無理することはないが」
視線が合わない。お義兄さまはそっぽを向いて、ことさら不機嫌そうな口調で言う。頬には赤みが兆していた。
「なるほど……」
頬杖をついて、じっくりとお義兄さまを眺めた。やっぱりこの人が好きだなあ、と思った。
(子供が生まれたら、やっぱり照れ屋でツンツンした子が育つんだろうなあ)
養子を迎えても、過去の記録を見る限り、なぜか皆ツンデレに育ってしまうらしい。例外は私ぐらいのものだ。
でもきっと、寝る前に弟妹に絵本を読み聞かせるような子に育つだろう。
「楽しみですね、お義兄さま」
「……ふん、そうか」
銀色の鎖が擦れる音が響く。
小さな鍵、何かの紋様が彫り込まれた鍵、古びて摩耗した鍵、釘のように長い鍵。三十本ぐらいの鍵が鎖に取り付けられているけれど、どれも綺麗に手入れされている。
「この家にずっと伝えられてきたものです。次は貴方が引き継ぐのですからね。今から用途を覚えておきなさい」
「はい、お義母さま」
お義母さまは真面目な顔をしている。私も真剣だ。次代の伯爵家の女主人として、お義母さまから少しずつ教えを請うて、引き継ぐべきものは引き継いでいかねばならない。
ただ仕事を引き継ぐ、というのとは少し違っていて、家の魂を受け継ぐというか、歴史を繋ぐ役割というか。その歴史の単位として「家族」があって、私はそれを引き継ぐのだなあ、としみじみ思う。
「あとは薬草園の管理ね。これが蒸留所の鍵です」
飾り気ない鉄製の鍵を渡される。
伯爵家の庭園に隣接して、大きめの公園といった雰囲気の薬草園がある。木立に囲まれたそこには、よく使われる香草、薔薇水を作るために育てられている薔薇、貴重な薬草まで、いろんな低木や草花が整然と並び、こんもりとした茂みを作っている。
伯爵家で日々使われる香草をここで収穫するだけではなくて、この一帯の住民もよく摘みに来る。遠方から薬学者が訪ねてくることだってあるのだ。
横には立派な蒸留所まで建てられていて、そこの器具を貸して欲しいと頼まれることもある。そういうときに、出入りの許可を出すのはこの家の女主人の仕事だ。
「貴方は薬草園が好きだったわね。だからこっちは貴方に託して、私は染め物に専念しますからね。貴方が手伝いたいというのなら、好きにしたらいいけれど」
お義母さまは、蒸留所の隣に建てた染色小屋の扉をいそいそと開けながら言う。
染め物は、お義母さまの趣味だ。凝りすぎて、十年前に専用の染色小屋を建ててしまった。いろんな草、何かの皮、苔、木材、土なんかが硝子瓶や壺に詰められて並んでいる。ぐつぐつ煮たり、染めた布を干したり、お義母さまはあまり笑わないけど楽しそうだ。
魔女っぽいけれど、平和な魔女だなあと思う。
「慣れたら私も色々やってみたいです」
「ふん、勝手になさい」
お義母さまは鼻を鳴らし、外の青空を見上げ、木々の間から零れ落ちてくる眩しい陽光に目を細めた。
「……懐かしいわね。貴方がずぶ濡れになって、この家にやって来たのが、随分昔の事のようだわ」
「……そうですね」
「この家の人間は皆、言葉が足りないから。貴方がいないと、ただ刺々しいばかりで、上手く回らないのよ」
「お義母さま……」
「い、言いたいことはそれだけよ。貴方がこの家に必要不可欠だとか、そういうことを言っているんじゃありませんからね。まあ、いた方がましというだけで」
「はい、お義母さま」
「……分かっているならいいんです」
その日の午後、私は部屋で日誌を読んで過ごした。
日誌というのは、この屋敷の代々の女主人が残した記録のことだ。大体二百年分ぐらいあるらしいが、古いものは綴じ糸が千切れたり、ページそのものが摩耗して崩れたりして、迂闊には触れない。だから、今持ち出しているのは、ここ五十年ぐらい前のものだ。
その日の天候、薬草園の様子。日々の仕事。華やかなパーティーの準備。子供たちの成長。新しく仕立てたドレス。生まれた仔馬。
色褪せたインクで、びっしり書き込まれた言葉を辿る。たまに栞のように木の葉が挟まれていたり、何か残り香めいたものが漂ったりすることもある。
ついつい夢中になって読み進んでいたら、日が落ちて、窓の外が暗くなってきた。古びた紙の上の文字が読み取り辛くなる。灯りが必要かな、と思ったとき、カタリと音がして、私の机の上にランプが置かれた。
「……お義兄さま」
「随分熱心に読んでいるんだな?」
灯りを持ってきてくれたのはお義兄さまだった。
机を隔てて、私の向かいに腰を下ろす。形のいい眉が、私の広げている日誌に向かって顰められた。
「面白いか?」
「面白いですよ。この家って、代々ツンデレの家系だったんだなって」
「ツンデレ? 何だその言葉は」
「学園で流行っていた俗語なんですけど。お義兄さまは聞いたことありません?」
「初めて聞いたな」
「まあ、ツンデレ相手にツンデレって言う人もあんまりいないでしょうしね」
「だから、そのツンデレって何なんだ」
お義兄さまは納得していないようだが(私が説明していないので当たり前だ)、私はさらりと会話を流した。
「この日誌、今はお義母さまが書き継いでますけど、いずれ私が続きを書くんですよね」
「ああ、そうだな」
「そしたら、いずれ私の子供たちが読むことになるのかなって。感慨深いですよね」
「子供……」
会話が途切れる。
私は微笑みながらお義兄さまを見上げた。
「お義兄さま、子供は何人ぐらい欲しいですか?」
「……」
いい反応をしていらっしゃる。色んな感情が一気に限界点に達しているのに、全力で抑え込んでいる顔(抑え込めていない)。
照れ隠しが悪化した挙句にツンデレ化した人に対して、この仕打ち。私は悪魔なのではなかろうか。
「ふふ」
「……お前。人で遊んでいるな」
「お義兄さまの反応を見るの、好きなんです」
「好き………?!」
椅子がガタッと動いた。ヴィオラだったら、ここで罵りながら部屋を飛び出すところだけれど、お義兄さまはもう少し頑張れる人なのでこの場に留まっている。
「……三人だ」
しばらく沈黙した後、お義兄さまがぼそりと言った。
「三人?」
「子供の話だろう。できれば三人以上はいた方がいい。出来なければ養子を取るから、お前が無理することはないが」
視線が合わない。お義兄さまはそっぽを向いて、ことさら不機嫌そうな口調で言う。頬には赤みが兆していた。
「なるほど……」
頬杖をついて、じっくりとお義兄さまを眺めた。やっぱりこの人が好きだなあ、と思った。
(子供が生まれたら、やっぱり照れ屋でツンツンした子が育つんだろうなあ)
養子を迎えても、過去の記録を見る限り、なぜか皆ツンデレに育ってしまうらしい。例外は私ぐらいのものだ。
でもきっと、寝る前に弟妹に絵本を読み聞かせるような子に育つだろう。
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