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9.入学

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 一年後。
 私は順調に拗らせていた。

 あれから一回も、お義兄さまとは会っていない。相手がいないので愛は育まれないけれど、片想いと妄想だけはやたらと育まれた。
 そもそも、私はお義兄さまが大好きなのである。もちろん家族愛だったのだけれど、厳密に言えば家族ではない。微妙なラインの上を歩いていた自覚はある。

(うう、しかし、本当に全く帰って来ないなんて酷い)

 婚約したことを後悔している? と言われれば、している。毎晩眠れないまま、布団の中で寝返りを打ち続け、挙句に晴れやかな朝焼けを見てしまうぐらい後悔している。でも、私とお義兄さまの気持ちを除けば、それが最善手であることに変わりないのだ。

 だから、迂闊に動けない。

 そして、この婚約がどのくらいの重さを持つのか、私には測りかねた。公爵夫人の優しさと気まぐれによって繋がれたような縁だし、婚約者と深い関係というわけでもない。周囲に大っぴらに喧伝けんでんしているわけでもないし、今のうちなら単なる破談で済むのでは? というのが、私の希望的推測なのだけれど。

 とにかく、私一人で悩んでいても仕方がない。誰かに相談しなければ。特に、お義兄さまに。

(ひょっとして、全部私の勘違いかもしれないし)

 「お義兄さまは私が好きなのですか?」と聞かなければならない……うん、無理。
 そこまで確信があるわけではない。何を思い上がっている? みたいな目で見られたら立ち直れないし、かといって苦笑混じりに優しくされたら、それはそれでいたたまれない。

 しかし、全部が私の単なる勘違いだとしても、一度勘違いしてしまったら、そこから順調に育ってしまうのが、片想いの恐ろしさだと思う。

 眠れない夜の間、妄想が羽ばたきすぎた結果、お義兄さまとの子供(息子一人、娘一人)を抱いている幸せな家庭図を思い描いている自分に気付いて、私は布団を剥いで飛び起きた。

 まずい。これはまずすぎる。

「……このままじゃ、駄目だわ」

 そんな折に、予想外の話が飛び込んできた。私の学園入学の話だ。
 最初はゲインズ公爵夫人からだった。

「うちの息子も学園に通っているけれど、今年で三年生になるの。エミリアも入学すれば、婚約者同士、仲が深められるのではないかしら」
「公爵家に嫁ぐのに、教養も箔もつく」
「貴族同士の繋がりを持つのも大事なことだし」

 周囲の声は様々だったけれど、私が前のめりで入学を決めたのは、100パーセント下心でしかなかった。

(学園に入れば、お義兄さまに会える)

 とにかく、会えないことにはどうしようもない。
 会いたい。
 お義兄さまに会えなくなって一年経って、私は何かの限界に達していた。






 淡いピンク色の花びらが、視界を埋め尽くす。
 学園の門から、その奥へ続く道は、大量にアーモンドの木々が重なり合い、早春に咲く五弁の花が咲き乱れていた。風が吹くと、はらはらと花びらが舞う。幻のように綺麗な光景で、私はしばらくその場に立ち尽くしたまま見惚れていた。

「エミリア」

 落ち着いた声がした。
 私の足がびく! と震える。実を言うと、地面から飛び上がりそうなほど驚いた。

「お義兄さま!」

 いきなり会えた。というか、馬車止めの近くで待っていてくれたのだ。
 思わず目を潤ますと、お義兄さまは目を背け、苦笑いを浮かべた。以前の、何のこだわりもなく話せていた頃と同じ、少し素っ気ない態度で肩を竦める。

「少し痩せたな。背が伸びたのか?」
「お義兄さまこそ……」

 あれ、あまり変わりがない?

 恋にやつれているという雰囲気はない。青い目にはこの一族特有の、取り澄ましたような冷たさと、家族に向ける温かみが同時に見える。組んでいた腕を解き、私を促した。

「ほら、行くぞ。簡単に案内してやる。お前が迷子にならないようにしっかり案内して回れと、家から指示が来てな。命令されては仕方がない。別に、俺が心配で待ち構えていたわけではないからな」

 ああ、いつものお義兄さまだ。

「有難うございます、お義兄さま。とても心強いです」
「言っただろう、特にお前のためというわけではないんだから、お前は気にしなくていい」
「はいっ」

(ああ、本当に、いつもと同じだ)

 最後に見た、どこか縋るような目をしていたお義兄さまは、私が見た幻だったのかもしれない。そう思ってしまうほど、お義兄さまの態度は自然で、昔から私が知っていたものと変わらなかった。

 何もかも、元に戻ったようだ。……え?

 ということは、やっぱり私の勘違いで? お義兄さまは私を心配していただけで、家に戻って来ないのは学究のためで、お義兄さまは私を恋愛的な意味で好きなわけではなく、私はこのまま政略的な結婚をして、私とお義兄さまの間に子供二人(妄想の所産)は生まれない? え? 嘘?

「……」

 突然、汗ばんできた手のひらを握り締めた。心臓がとくとくと脈打っている。

 あるいは、もしかしたら。一年間掛けて、お義兄さまは私を吹っ切ったのかもしれない。

「エミリア、どうした? ここは食堂だ。この奥に……いや、ここは後回しにしよう。次に行くぞ」

 目の前にいたお義兄さまが、何かに気付いたようにくるりと踵を返し、足早に歩き始めた。

 素っ気ないけど優しい手のひらが、私の背中を押す。その手には、親愛の情以外、何も含まれていないように思える。

 そんなことを考えて、頭が真っ白になっていたので、私はお義兄さまが背を向けた向こう、私の婚約者が、一人の女生徒と身を寄せ合うようにしていたのに気付かなかった。
 
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