9 / 15
9.入学
しおりを挟む
一年後。
私は順調に拗らせていた。
あれから一回も、お義兄さまとは会っていない。相手がいないので愛は育まれないけれど、片想いと妄想だけはやたらと育まれた。
そもそも、私はお義兄さまが大好きなのである。もちろん家族愛だったのだけれど、厳密に言えば家族ではない。微妙なラインの上を歩いていた自覚はある。
(うう、しかし、本当に全く帰って来ないなんて酷い)
婚約したことを後悔している? と言われれば、している。毎晩眠れないまま、布団の中で寝返りを打ち続け、挙句に晴れやかな朝焼けを見てしまうぐらい後悔している。でも、私とお義兄さまの気持ちを除けば、それが最善手であることに変わりないのだ。
だから、迂闊に動けない。
そして、この婚約がどのくらいの重さを持つのか、私には測りかねた。公爵夫人の優しさと気まぐれによって繋がれたような縁だし、婚約者と深い関係というわけでもない。周囲に大っぴらに喧伝しているわけでもないし、今のうちなら単なる破談で済むのでは? というのが、私の希望的推測なのだけれど。
とにかく、私一人で悩んでいても仕方がない。誰かに相談しなければ。特に、お義兄さまに。
(ひょっとして、全部私の勘違いかもしれないし)
「お義兄さまは私が好きなのですか?」と聞かなければならない……うん、無理。
そこまで確信があるわけではない。何を思い上がっている? みたいな目で見られたら立ち直れないし、かといって苦笑混じりに優しくされたら、それはそれでいたたまれない。
しかし、全部が私の単なる勘違いだとしても、一度勘違いしてしまったら、そこから順調に育ってしまうのが、片想いの恐ろしさだと思う。
眠れない夜の間、妄想が羽ばたきすぎた結果、お義兄さまとの子供(息子一人、娘一人)を抱いている幸せな家庭図を思い描いている自分に気付いて、私は布団を剥いで飛び起きた。
まずい。これはまずすぎる。
「……このままじゃ、駄目だわ」
そんな折に、予想外の話が飛び込んできた。私の学園入学の話だ。
最初はゲインズ公爵夫人からだった。
「うちの息子も学園に通っているけれど、今年で三年生になるの。エミリアも入学すれば、婚約者同士、仲が深められるのではないかしら」
「公爵家に嫁ぐのに、教養も箔もつく」
「貴族同士の繋がりを持つのも大事なことだし」
周囲の声は様々だったけれど、私が前のめりで入学を決めたのは、100パーセント下心でしかなかった。
(学園に入れば、お義兄さまに会える)
とにかく、会えないことにはどうしようもない。
会いたい。
お義兄さまに会えなくなって一年経って、私は何かの限界に達していた。
淡いピンク色の花びらが、視界を埋め尽くす。
学園の門から、その奥へ続く道は、大量にアーモンドの木々が重なり合い、早春に咲く五弁の花が咲き乱れていた。風が吹くと、はらはらと花びらが舞う。幻のように綺麗な光景で、私はしばらくその場に立ち尽くしたまま見惚れていた。
「エミリア」
落ち着いた声がした。
私の足がびく! と震える。実を言うと、地面から飛び上がりそうなほど驚いた。
「お義兄さま!」
いきなり会えた。というか、馬車止めの近くで待っていてくれたのだ。
思わず目を潤ますと、お義兄さまは目を背け、苦笑いを浮かべた。以前の、何のこだわりもなく話せていた頃と同じ、少し素っ気ない態度で肩を竦める。
「少し痩せたな。背が伸びたのか?」
「お義兄さまこそ……」
あれ、あまり変わりがない?
恋にやつれているという雰囲気はない。青い目にはこの一族特有の、取り澄ましたような冷たさと、家族に向ける温かみが同時に見える。組んでいた腕を解き、私を促した。
「ほら、行くぞ。簡単に案内してやる。お前が迷子にならないようにしっかり案内して回れと、家から指示が来てな。命令されては仕方がない。別に、俺が心配で待ち構えていたわけではないからな」
ああ、いつものお義兄さまだ。
「有難うございます、お義兄さま。とても心強いです」
「言っただろう、特にお前のためというわけではないんだから、お前は気にしなくていい」
「はいっ」
(ああ、本当に、いつもと同じだ)
最後に見た、どこか縋るような目をしていたお義兄さまは、私が見た幻だったのかもしれない。そう思ってしまうほど、お義兄さまの態度は自然で、昔から私が知っていたものと変わらなかった。
何もかも、元に戻ったようだ。……え?
ということは、やっぱり私の勘違いで? お義兄さまは私を心配していただけで、家に戻って来ないのは学究のためで、お義兄さまは私を恋愛的な意味で好きなわけではなく、私はこのまま政略的な結婚をして、私とお義兄さまの間に子供二人(妄想の所産)は生まれない? え? 嘘?
「……」
突然、汗ばんできた手のひらを握り締めた。心臓がとくとくと脈打っている。
あるいは、もしかしたら。一年間掛けて、お義兄さまは私を吹っ切ったのかもしれない。
「エミリア、どうした? ここは食堂だ。この奥に……いや、ここは後回しにしよう。次に行くぞ」
目の前にいたお義兄さまが、何かに気付いたようにくるりと踵を返し、足早に歩き始めた。
素っ気ないけど優しい手のひらが、私の背中を押す。その手には、親愛の情以外、何も含まれていないように思える。
そんなことを考えて、頭が真っ白になっていたので、私はお義兄さまが背を向けた向こう、私の婚約者が、一人の女生徒と身を寄せ合うようにしていたのに気付かなかった。
私は順調に拗らせていた。
あれから一回も、お義兄さまとは会っていない。相手がいないので愛は育まれないけれど、片想いと妄想だけはやたらと育まれた。
そもそも、私はお義兄さまが大好きなのである。もちろん家族愛だったのだけれど、厳密に言えば家族ではない。微妙なラインの上を歩いていた自覚はある。
(うう、しかし、本当に全く帰って来ないなんて酷い)
婚約したことを後悔している? と言われれば、している。毎晩眠れないまま、布団の中で寝返りを打ち続け、挙句に晴れやかな朝焼けを見てしまうぐらい後悔している。でも、私とお義兄さまの気持ちを除けば、それが最善手であることに変わりないのだ。
だから、迂闊に動けない。
そして、この婚約がどのくらいの重さを持つのか、私には測りかねた。公爵夫人の優しさと気まぐれによって繋がれたような縁だし、婚約者と深い関係というわけでもない。周囲に大っぴらに喧伝しているわけでもないし、今のうちなら単なる破談で済むのでは? というのが、私の希望的推測なのだけれど。
とにかく、私一人で悩んでいても仕方がない。誰かに相談しなければ。特に、お義兄さまに。
(ひょっとして、全部私の勘違いかもしれないし)
「お義兄さまは私が好きなのですか?」と聞かなければならない……うん、無理。
そこまで確信があるわけではない。何を思い上がっている? みたいな目で見られたら立ち直れないし、かといって苦笑混じりに優しくされたら、それはそれでいたたまれない。
しかし、全部が私の単なる勘違いだとしても、一度勘違いしてしまったら、そこから順調に育ってしまうのが、片想いの恐ろしさだと思う。
眠れない夜の間、妄想が羽ばたきすぎた結果、お義兄さまとの子供(息子一人、娘一人)を抱いている幸せな家庭図を思い描いている自分に気付いて、私は布団を剥いで飛び起きた。
まずい。これはまずすぎる。
「……このままじゃ、駄目だわ」
そんな折に、予想外の話が飛び込んできた。私の学園入学の話だ。
最初はゲインズ公爵夫人からだった。
「うちの息子も学園に通っているけれど、今年で三年生になるの。エミリアも入学すれば、婚約者同士、仲が深められるのではないかしら」
「公爵家に嫁ぐのに、教養も箔もつく」
「貴族同士の繋がりを持つのも大事なことだし」
周囲の声は様々だったけれど、私が前のめりで入学を決めたのは、100パーセント下心でしかなかった。
(学園に入れば、お義兄さまに会える)
とにかく、会えないことにはどうしようもない。
会いたい。
お義兄さまに会えなくなって一年経って、私は何かの限界に達していた。
淡いピンク色の花びらが、視界を埋め尽くす。
学園の門から、その奥へ続く道は、大量にアーモンドの木々が重なり合い、早春に咲く五弁の花が咲き乱れていた。風が吹くと、はらはらと花びらが舞う。幻のように綺麗な光景で、私はしばらくその場に立ち尽くしたまま見惚れていた。
「エミリア」
落ち着いた声がした。
私の足がびく! と震える。実を言うと、地面から飛び上がりそうなほど驚いた。
「お義兄さま!」
いきなり会えた。というか、馬車止めの近くで待っていてくれたのだ。
思わず目を潤ますと、お義兄さまは目を背け、苦笑いを浮かべた。以前の、何のこだわりもなく話せていた頃と同じ、少し素っ気ない態度で肩を竦める。
「少し痩せたな。背が伸びたのか?」
「お義兄さまこそ……」
あれ、あまり変わりがない?
恋にやつれているという雰囲気はない。青い目にはこの一族特有の、取り澄ましたような冷たさと、家族に向ける温かみが同時に見える。組んでいた腕を解き、私を促した。
「ほら、行くぞ。簡単に案内してやる。お前が迷子にならないようにしっかり案内して回れと、家から指示が来てな。命令されては仕方がない。別に、俺が心配で待ち構えていたわけではないからな」
ああ、いつものお義兄さまだ。
「有難うございます、お義兄さま。とても心強いです」
「言っただろう、特にお前のためというわけではないんだから、お前は気にしなくていい」
「はいっ」
(ああ、本当に、いつもと同じだ)
最後に見た、どこか縋るような目をしていたお義兄さまは、私が見た幻だったのかもしれない。そう思ってしまうほど、お義兄さまの態度は自然で、昔から私が知っていたものと変わらなかった。
何もかも、元に戻ったようだ。……え?
ということは、やっぱり私の勘違いで? お義兄さまは私を心配していただけで、家に戻って来ないのは学究のためで、お義兄さまは私を恋愛的な意味で好きなわけではなく、私はこのまま政略的な結婚をして、私とお義兄さまの間に子供二人(妄想の所産)は生まれない? え? 嘘?
「……」
突然、汗ばんできた手のひらを握り締めた。心臓がとくとくと脈打っている。
あるいは、もしかしたら。一年間掛けて、お義兄さまは私を吹っ切ったのかもしれない。
「エミリア、どうした? ここは食堂だ。この奥に……いや、ここは後回しにしよう。次に行くぞ」
目の前にいたお義兄さまが、何かに気付いたようにくるりと踵を返し、足早に歩き始めた。
素っ気ないけど優しい手のひらが、私の背中を押す。その手には、親愛の情以外、何も含まれていないように思える。
そんなことを考えて、頭が真っ白になっていたので、私はお義兄さまが背を向けた向こう、私の婚約者が、一人の女生徒と身を寄せ合うようにしていたのに気付かなかった。
21
お気に入りに追加
2,193
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢はゲームに参加できない
西楓
恋愛
あるとき私は自分が生まれ変わりであることを知る。乙女ゲームの悪役令嬢ポピーとして転生していた。問題は悪役令嬢であることじゃない。外国人恐怖症のポピーはこの世界で幸せを掴むことが出来るのか⁉︎
どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~
涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!
プロローグでケリをつけた乙女ゲームに、悪役令嬢は必要ない(と思いたい)
犬野きらり
恋愛
私、ミルフィーナ・ダルンは侯爵令嬢で二年前にこの世界が乙女ゲームと気づき本当にヒロインがいるか確認して、私は覚悟を決めた。
『ヒロインをゲーム本編に出さない。プロローグでケリをつける』
ヒロインは、お父様の再婚相手の連れ子な義妹、特に何もされていないが、今後が大変そうだからひとまず、ごめんなさい。プロローグは肩慣らし程度の攻略対象者の義兄。わかっていれば対応はできます。
まず乙女ゲームって一人の女の子が何人も男性を攻略出来ること自体、あり得ないのよ。ヒロインは天然だから気づかない、嘘、嘘。わかってて敢えてやってるからね、男落とし、それで成り上がってますから。
みんなに現実見せて、納得してもらう。揚げ足、ご都合に変換発言なんて上等!ヒロインと一緒の生活は、少しの発言でも悪役令嬢発言多々ありらしく、私も危ない。ごめんね、ヒロインさん、そんな理由で強制退去です。
でもこのゲーム退屈で途中でやめたから、その続き知りません。
頑張らない政略結婚
ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」
結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。
好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。
ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ!
五話完結、毎日更新
悪役令嬢は王子の溺愛を終わらせない~ヒロイン遭遇で婚約破棄されたくないので、彼と国外に脱出します~
可児 うさこ
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生した。第二王子の婚約者として溺愛されて暮らしていたが、ヒロインが登場。第二王子はヒロインと幼なじみで、シナリオでは真っ先に攻略されてしまう。婚約破棄されて幸せを手放したくない私は、彼に言った。「ハネムーン(国外脱出)したいです」。私の願いなら何でも叶えてくれる彼は、すぐに手際を整えてくれた。幸せなハネムーンを楽しんでいると、ヒロインの影が追ってきて……※ハッピーエンドです※
私、悪役令嬢ですが聖女に婚約者を取られそうなので自らを殺すことにしました
蓮恭
恋愛
私カトリーヌは、周囲が言うには所謂悪役令嬢というものらしいです。
私の実家は新興貴族で、元はただの商家でした。
私が発案し開発した独創的な商品が当たりに当たった結果、国王陛下から子爵の位を賜ったと同時に王子殿下との婚約を打診されました。
この国の第二王子であり、名誉ある王国騎士団を率いる騎士団長ダミアン様が私の婚約者です。
それなのに、先般異世界から召喚してきた聖女麻里《まり》はその立場を利用して、ダミアン様を籠絡しようとしています。
ダミアン様は私の最も愛する方。
麻里を討ち果たし、婚約者の心を自分のものにすることにします。
*初めての読み切り短編です❀.(*´◡`*)❀.
『小説家になろう』様、『カクヨム』様にも掲載中です。
少し先の未来が見える侯爵令嬢〜婚約破棄されたはずなのに、いつの間にか王太子様に溺愛されてしまいました。
ウマノホネ
恋愛
侯爵令嬢ユリア・ローレンツは、まさに婚約破棄されようとしていた。しかし、彼女はすでにわかっていた。自分がこれから婚約破棄を宣告されることを。
なぜなら、彼女は少し先の未来をみることができるから。
妹が仕掛けた冤罪により皆から嫌われ、婚約破棄されてしまったユリア。
しかし、全てを諦めて無気力になっていた彼女は、王国一の美青年レオンハルト王太子の命を助けることによって、運命が激変してしまう。
この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。
*小説家になろう様からの転載です。
【完結】暗黒魔法大臣(齧歯目リス科)の娘、たまに人間、そして黒狐王
雪野原よる
恋愛
かつて冤罪で殺された私は、最高に可愛らしいリス獣人として生まれ変わった。前世から引き継いだ力、今生のふわふわ尻尾を併せ持った私は最強だ! いずれは復讐を果たしてやるつもりだが、今はとりあえず、自分のふわふわ尻尾を愛でるのに忙しいのである……ふわふわ……ふわふわたまらん
■頭が若干クルミ化している残念なヒロイン(身長20cmのエゾリス風、冬毛仕様)と、前世からの部下たちの物語です。
■ヒーローは狐(冬毛仕様)ですがヒロインの前では犬化(比喩表現)しています。
■偉そうなリスが、部下たちの肩に乗ってあれこれ命令するところを書きたかっただけのお話です。
■全10話。暗黒魔法大臣とは何なのかは、第7話で判明します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる