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後日談、或いはおまけ
37.シェラン、再び女装する
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「禁欲的な修道騎士どもを色仕掛けで落とす。いいだろ、俺の得意分野だ」
「や、や、やめて下さい!」
シェランは半ば冗談で言ったのだが、エラには通じなかった。
「自分の見た目を自覚して下さい! 色香に狂わされた男どもに囲まれて襲われたらどうするんですか」
「……エラ、あのな」
「ドゥーカンさんがやるなら、私が代わりにやります! 貴方にそんなことはさせられませんから」
「待て待て、それこそ駄目だろ」
「私なら殺られる前に殺ります。大丈夫です」
「どうどう、エラ、ステイだぞ、ステイ」
灰色の朝靄が立ち込めている。
ヴェルニは石造りの古都だ。靄の中に、巨大な魔物の幻のように大聖堂の鐘楼が聳え立っている。湿った石畳を伝わって、早朝の勤行に励む僧侶たちの声がうっすらと響いてきた。
シェランは肩を竦めた。
「適材適所だろ。いいから俺がやる」
「適材適所過ぎて駄目です。危険です」
「ああもう……」
シェランは乱暴に髪の毛を掻き回すと、半目になってエラを睨んだ。
「分かった。色仕掛けじゃなくて、『お前の秘密を知っている。バラされたくなくば……』って路線で行く。あと、お前にも手伝ってもらうからな」
元々最初からその予定だったのだが、それを打ち明けられる空気ではなかった。
「分かりましたっ!」
「何を喜んでるんだ」
シェランはそそくさと着替えを済ませた。修道服を纏った老女に化けたのだが、すっぽりと全身を覆う羊毛のマントで体型が隠せるので、それほど手間は掛からない。問題はエラだ。
「お前は可愛すぎるからな、原形を留めないぐらい不細工に変えるぞ」
そう宣言して、20分、30分……
そのうち、エラが不安そうな、揺れる声を押し出した。
「あの、時間が……大丈夫ですか? 頑張って急いだんじゃ……」
「納得がいかん。全然不細工じゃない。なんて手間の掛かる娘だ、畜生、まだ可愛いとか俺を嘲笑ってるのか」
詐欺師のプライドが傷付けられたのか、シェランはぶつぶつと文句を言い続ける。
「ちっ」
まるで親の仇のようにエラを睨んでから、シェランは彼女の頭の上からバサッとベールを被せた。
「仕方ない、宅鉢教会のシスターの設定でいく。あの宗派はいつも顔を隠してるからな。しかしお前、本当に恐ろしいな……この俺を負かすとか」
「何と戦ってるのか、私には全然分からないんですけど」
「まあいい、ほら、一緒に行くぞ」
エラの腕を掴んで、シェランは歩き始めた。弱々しくよろめきながら歩く老女が、杖の代わりに若い修道女に縋っている、という設定だ。
「これがお義母さまの年取った姿……だったら喜んで支える……むしろ支えたいんだけど」
「お前のお義母さま好きはブレないな」
「素の声を出さないでいて貰えますか?」※氷点下の声
「お、おう、ごめんなさい」
そんなやり取りを交わしながら、大聖堂の裏手へ回り、関係者しか立ち入れないはずの宿坊と勤行堂の間へ堂々と入り込む。変装のせいか、誰からも見咎められることは無かった。
併設された厩には数人の馬丁がたむろしていて、全身に汗を掻いた馬が蹄を踏み鳴らしている。ちょうど通路の端から白い修道服の集団が現れて、もう一方の端に消えていくのが見えた。
「よし、こっちだ」
シェランの手が、老女とは思えない力強さでエラの腕を掴み、方向を指示する。
もう一方の手で、懐から次々と薄い封書を取り出しては、歩く道すがら、パラパラと撒いていった。完全に怪奇文書だ。一体、あれにどんな人間が引っ掛かるというのか……と、物陰に隠れ潜みながらエラは思っていたのだが、ろくに待たずとも、獲物は次々と掛かった。
「っ?!」
通りがかった僧が怪訝な顔で封書を開いては、ぎょっとして息を呑み、そそくさと懐に隠して歩み去っていく。誰も彼もそっくり同じような反応なので、
(この国の教会、大丈夫なのかしら)
エラは今更すぎる感想を抱いた。
もっとも、王家の方にも問題があるので、もはやこの世の中に何も確実に信じられるものがない。
「……何が書いてあるんですか、あれ」
「情報屋から買った後ろ暗い秘密と、それっぽいでまかせが半々。でまかせの方が食い付きがいいな」
「何かの餌みたいに……」
「沢山釣れると楽しいだろ?」
この人、こういうところは生粋の詐欺師だ……とエラが思ったとき、
「げ、猊下、このような書状が何枚か発見されて……」
「これを置いていったのはどこのどいつだ!」
二階奥の扉がバンと開いて、見覚えのある修道騎士が顔を真っ赤にして現れた。兵士たちを呼び集め、「探せ! 犯人を引っ捕らえろ!」と喚きながら階下に姿を消す。嵐か暴風が過ぎ去ったようだった。
「……はは」
シェランが薄く笑いを洩らした。
「狂信者は単純でいいよな。ほら、行くぞ」
「はい」
ごく気楽に、散歩でもするようにふらりと、無人となった部屋に入っていく。いや、シェランだって緊張しているのかもしれないが、その様子は表面には表れない。お陰でエラも落ち着いて、書類探しに集中できた。
「よし、あった。こいつのせいで、割と振り回されたな。さあ、帰ろうぜ」
老女の顔で微笑むシェランに、うっかり見惚れてしまったほどだ。
そのシェランの上機嫌は、大聖堂を出てカリクルを貸馬屋に託し(貸馬屋は大抵の主要都市にあるので、金さえ払えば、馬車を屋敷まで送り届けてくれたりもするのだ)、代わりに箱馬車を借りて、乗り込むまでは続いた。
「……ぐ」
座席に座り込んだ途端に、シェランは眠りに落ちた。爆睡だ。どんなに揺れても揺さぶられても絶対に起きず、シェランは物言わぬ屍のように眠りこけた。
「や、や、やめて下さい!」
シェランは半ば冗談で言ったのだが、エラには通じなかった。
「自分の見た目を自覚して下さい! 色香に狂わされた男どもに囲まれて襲われたらどうするんですか」
「……エラ、あのな」
「ドゥーカンさんがやるなら、私が代わりにやります! 貴方にそんなことはさせられませんから」
「待て待て、それこそ駄目だろ」
「私なら殺られる前に殺ります。大丈夫です」
「どうどう、エラ、ステイだぞ、ステイ」
灰色の朝靄が立ち込めている。
ヴェルニは石造りの古都だ。靄の中に、巨大な魔物の幻のように大聖堂の鐘楼が聳え立っている。湿った石畳を伝わって、早朝の勤行に励む僧侶たちの声がうっすらと響いてきた。
シェランは肩を竦めた。
「適材適所だろ。いいから俺がやる」
「適材適所過ぎて駄目です。危険です」
「ああもう……」
シェランは乱暴に髪の毛を掻き回すと、半目になってエラを睨んだ。
「分かった。色仕掛けじゃなくて、『お前の秘密を知っている。バラされたくなくば……』って路線で行く。あと、お前にも手伝ってもらうからな」
元々最初からその予定だったのだが、それを打ち明けられる空気ではなかった。
「分かりましたっ!」
「何を喜んでるんだ」
シェランはそそくさと着替えを済ませた。修道服を纏った老女に化けたのだが、すっぽりと全身を覆う羊毛のマントで体型が隠せるので、それほど手間は掛からない。問題はエラだ。
「お前は可愛すぎるからな、原形を留めないぐらい不細工に変えるぞ」
そう宣言して、20分、30分……
そのうち、エラが不安そうな、揺れる声を押し出した。
「あの、時間が……大丈夫ですか? 頑張って急いだんじゃ……」
「納得がいかん。全然不細工じゃない。なんて手間の掛かる娘だ、畜生、まだ可愛いとか俺を嘲笑ってるのか」
詐欺師のプライドが傷付けられたのか、シェランはぶつぶつと文句を言い続ける。
「ちっ」
まるで親の仇のようにエラを睨んでから、シェランは彼女の頭の上からバサッとベールを被せた。
「仕方ない、宅鉢教会のシスターの設定でいく。あの宗派はいつも顔を隠してるからな。しかしお前、本当に恐ろしいな……この俺を負かすとか」
「何と戦ってるのか、私には全然分からないんですけど」
「まあいい、ほら、一緒に行くぞ」
エラの腕を掴んで、シェランは歩き始めた。弱々しくよろめきながら歩く老女が、杖の代わりに若い修道女に縋っている、という設定だ。
「これがお義母さまの年取った姿……だったら喜んで支える……むしろ支えたいんだけど」
「お前のお義母さま好きはブレないな」
「素の声を出さないでいて貰えますか?」※氷点下の声
「お、おう、ごめんなさい」
そんなやり取りを交わしながら、大聖堂の裏手へ回り、関係者しか立ち入れないはずの宿坊と勤行堂の間へ堂々と入り込む。変装のせいか、誰からも見咎められることは無かった。
併設された厩には数人の馬丁がたむろしていて、全身に汗を掻いた馬が蹄を踏み鳴らしている。ちょうど通路の端から白い修道服の集団が現れて、もう一方の端に消えていくのが見えた。
「よし、こっちだ」
シェランの手が、老女とは思えない力強さでエラの腕を掴み、方向を指示する。
もう一方の手で、懐から次々と薄い封書を取り出しては、歩く道すがら、パラパラと撒いていった。完全に怪奇文書だ。一体、あれにどんな人間が引っ掛かるというのか……と、物陰に隠れ潜みながらエラは思っていたのだが、ろくに待たずとも、獲物は次々と掛かった。
「っ?!」
通りがかった僧が怪訝な顔で封書を開いては、ぎょっとして息を呑み、そそくさと懐に隠して歩み去っていく。誰も彼もそっくり同じような反応なので、
(この国の教会、大丈夫なのかしら)
エラは今更すぎる感想を抱いた。
もっとも、王家の方にも問題があるので、もはやこの世の中に何も確実に信じられるものがない。
「……何が書いてあるんですか、あれ」
「情報屋から買った後ろ暗い秘密と、それっぽいでまかせが半々。でまかせの方が食い付きがいいな」
「何かの餌みたいに……」
「沢山釣れると楽しいだろ?」
この人、こういうところは生粋の詐欺師だ……とエラが思ったとき、
「げ、猊下、このような書状が何枚か発見されて……」
「これを置いていったのはどこのどいつだ!」
二階奥の扉がバンと開いて、見覚えのある修道騎士が顔を真っ赤にして現れた。兵士たちを呼び集め、「探せ! 犯人を引っ捕らえろ!」と喚きながら階下に姿を消す。嵐か暴風が過ぎ去ったようだった。
「……はは」
シェランが薄く笑いを洩らした。
「狂信者は単純でいいよな。ほら、行くぞ」
「はい」
ごく気楽に、散歩でもするようにふらりと、無人となった部屋に入っていく。いや、シェランだって緊張しているのかもしれないが、その様子は表面には表れない。お陰でエラも落ち着いて、書類探しに集中できた。
「よし、あった。こいつのせいで、割と振り回されたな。さあ、帰ろうぜ」
老女の顔で微笑むシェランに、うっかり見惚れてしまったほどだ。
そのシェランの上機嫌は、大聖堂を出てカリクルを貸馬屋に託し(貸馬屋は大抵の主要都市にあるので、金さえ払えば、馬車を屋敷まで送り届けてくれたりもするのだ)、代わりに箱馬車を借りて、乗り込むまでは続いた。
「……ぐ」
座席に座り込んだ途端に、シェランは眠りに落ちた。爆睡だ。どんなに揺れても揺さぶられても絶対に起きず、シェランは物言わぬ屍のように眠りこけた。
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