上 下
37 / 38
後日談、或いはおまけ

37.シェラン、再び女装する

しおりを挟む
「禁欲的な修道騎士どもを色仕掛けで落とす。いいだろ、俺の得意分野だ」
「や、や、やめて下さい!」

 シェランは半ば冗談で言ったのだが、エラには通じなかった。

「自分の見た目を自覚して下さい! 色香に狂わされた男どもに囲まれて襲われたらどうするんですか」
「……エラ、あのな」
「ドゥーカンさんがやるなら、私が代わりにやります! 貴方にそんなことはさせられませんから」
「待て待て、それこそ駄目だろ」
「私なら殺られる前に殺ります。大丈夫です」
「どうどう、エラ、ステイだぞ、ステイ」

 灰色の朝靄が立ち込めている。

 ヴェルニは石造りの古都だ。靄の中に、巨大な魔物の幻のように大聖堂の鐘楼が聳え立っている。湿った石畳を伝わって、早朝の勤行に励む僧侶たちの声がうっすらと響いてきた。

 シェランは肩を竦めた。

「適材適所だろ。いいから俺がやる」
「適材適所過ぎて駄目です。危険です」
「ああもう……」

 シェランは乱暴に髪の毛を掻き回すと、半目になってエラを睨んだ。

「分かった。色仕掛けじゃなくて、『お前の秘密を知っている。バラされたくなくば……』って路線で行く。あと、お前にも手伝ってもらうからな」

 元々最初からその予定だったのだが、それを打ち明けられる空気ではなかった。

「分かりましたっ!」
「何を喜んでるんだ」

 シェランはそそくさと着替えを済ませた。修道服を纏った老女に化けたのだが、すっぽりと全身を覆う羊毛のマントで体型が隠せるので、それほど手間は掛からない。問題はエラだ。

「お前は可愛すぎるからな、原形を留めないぐらい不細工に変えるぞ」

 そう宣言して、20分、30分……

 そのうち、エラが不安そうな、揺れる声を押し出した。

「あの、時間が……大丈夫ですか? 頑張って急いだんじゃ……」
「納得がいかん。全然不細工じゃない。なんて手間の掛かる娘だ、畜生、まだ可愛いとか俺を嘲笑ってるのか」

 詐欺師のプライドが傷付けられたのか、シェランはぶつぶつと文句を言い続ける。

「ちっ」

 まるで親の仇のようにエラを睨んでから、シェランは彼女の頭の上からバサッとベールを被せた。

「仕方ない、宅鉢教会のシスターの設定でいく。あの宗派はいつも顔を隠してるからな。しかしお前、本当に恐ろしいな……この俺を負かすとか」
「何と戦ってるのか、私には全然分からないんですけど」
「まあいい、ほら、一緒に行くぞ」

 エラの腕を掴んで、シェランは歩き始めた。弱々しくよろめきながら歩く老女が、杖の代わりに若い修道女に縋っている、という設定だ。

「これがお義母さまの年取った姿……だったら喜んで支える……むしろ支えたいんだけど」
「お前のお義母さま好きはブレないな」
「素の声を出さないでいて貰えますか?」※氷点下の声
「お、おう、ごめんなさい」

 そんなやり取りを交わしながら、大聖堂の裏手へ回り、関係者しか立ち入れないはずの宿坊と勤行堂の間へ堂々と入り込む。変装のせいか、誰からも見咎められることは無かった。

 併設された厩には数人の馬丁がたむろしていて、全身に汗を掻いた馬が蹄を踏み鳴らしている。ちょうど通路の端から白い修道服の集団が現れて、もう一方の端に消えていくのが見えた。

「よし、こっちだ」

 シェランの手が、老女とは思えない力強さでエラの腕を掴み、方向を指示する。

 もう一方の手で、懐から次々と薄い封書を取り出しては、歩く道すがら、パラパラと撒いていった。完全に怪奇文書だ。一体、あれにどんな人間が引っ掛かるというのか……と、物陰に隠れ潜みながらエラは思っていたのだが、ろくに待たずとも、獲物は次々と掛かった。

「っ?!」

 通りがかった僧が怪訝な顔で封書を開いては、ぎょっとして息を呑み、そそくさと懐に隠して歩み去っていく。誰も彼もそっくり同じような反応なので、

(この国の教会、大丈夫なのかしら)

 エラは今更すぎる感想を抱いた。

 もっとも、王家の方にも問題があるので、もはやこの世の中に何も確実に信じられるものがない。

「……何が書いてあるんですか、あれ」
「情報屋から買った後ろ暗い秘密と、それっぽいでまかせが半々。でまかせの方が食い付きがいいな」
「何かの餌みたいに……」
「沢山釣れると楽しいだろ?」

 この人、こういうところは生粋の詐欺師だ……とエラが思ったとき、

「げ、猊下、このような書状が何枚か発見されて……」
「これを置いていったのはどこのどいつだ!」

 二階奥の扉がバンと開いて、見覚えのある修道騎士が顔を真っ赤にして現れた。兵士たちを呼び集め、「探せ! 犯人を引っ捕らえろ!」と喚きながら階下に姿を消す。嵐か暴風が過ぎ去ったようだった。

「……はは」

 シェランが薄く笑いを洩らした。

「狂信者は単純でいいよな。ほら、行くぞ」
「はい」

 ごく気楽に、散歩でもするようにふらりと、無人となった部屋に入っていく。いや、シェランだって緊張しているのかもしれないが、その様子は表面には表れない。お陰でエラも落ち着いて、書類探しに集中できた。

「よし、あった。こいつのせいで、割と振り回されたな。さあ、帰ろうぜ」

 老女の顔で微笑むシェランに、うっかり見惚れてしまったほどだ。

 そのシェランの上機嫌は、大聖堂を出てカリクルを貸馬屋に託し(貸馬屋は大抵の主要都市にあるので、金さえ払えば、馬車を屋敷まで送り届けてくれたりもするのだ)、代わりに箱馬車を借りて、乗り込むまでは続いた。

「……ぐ」

 座席に座り込んだ途端に、シェランは眠りに落ちた。爆睡だ。どんなに揺れても揺さぶられても絶対に起きず、シェランは物言わぬ屍のように眠りこけた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

冴えない俺と美少女な彼女たちとの関係、複雑につき――― ~助けた小学生の姉たちはどうやらシスコンで、いつの間にかハーレム形成してました~

メディカルト
恋愛
「え……あの小学生のお姉さん……たち?」 俺、九十九恋は特筆して何か言えることもない普通の男子高校生だ。 学校からの帰り道、俺はスーパーの近くで泣く小学生の女の子を見つける。 その女の子は転んでしまったのか、怪我していた様子だったのですぐに応急処置を施したが、実は学校で有名な初風姉妹の末っ子とは知らずに―――。 少女への親切心がきっかけで始まる、コメディ系ハーレムストーリー。 ……どうやら彼は鈍感なようです。 ―――――――――――――――――――――――――――――― 【作者より】 九十九恋の『恋』が、恋愛の『恋』と間違える可能性があるので、彼のことを指すときは『レン』と表記しています。 また、R15は保険です。 毎朝20時投稿! 【3月14日 更新再開 詳細は近況ボードで】

学園の美人三姉妹に告白して断られたけど、わたしが義妹になったら溺愛してくるようになった

白藍まこと
恋愛
 主人公の花野明莉は、学園のアイドル 月森三姉妹を崇拝していた。  クールな長女の月森千夜、おっとり系な二女の月森日和、ポジティブ三女の月森華凛。  明莉は遠くからその姿を見守ることが出来れば満足だった。  しかし、その情熱を恋愛感情と捉えられたクラスメイトによって、明莉は月森三姉妹に告白を強いられてしまう。結果フラれて、クラスの居場所すらも失うことに。  そんな絶望に拍車をかけるように、親の再婚により明莉は月森三姉妹と一つ屋根の下で暮らす事になってしまう。義妹としてスタートした新生活は最悪な展開になると思われたが、徐々に明莉は三姉妹との距離を縮めていく。  三姉妹に溺愛されていく共同生活が始まろうとしていた。 ※他サイトでも掲載中です。

ぼっち陰キャはモテ属性らしいぞ

みずがめ
恋愛
 俺、室井和也。高校二年生。ぼっちで陰キャだけど、自由な一人暮らしで高校生活を穏やかに過ごしていた。  そんなある日、何気なく訪れた深夜のコンビニでクラスの美少女二人に目をつけられてしまう。  渡会アスカ。金髪にピアスというギャル系美少女。そして巨乳。  桐生紗良。黒髪に色白の清楚系美少女。こちらも巨乳。  俺が一人暮らしをしていると知った二人は、ちょっと甘えれば家を自由に使えるとでも考えたのだろう。過激なアプローチをしてくるが、紳士な俺は美少女の誘惑に屈しなかった。  ……でも、アスカさんも紗良さんも、ただ遊び場所が欲しいだけで俺を頼ってくるわけではなかった。  これは問題を抱えた俺達三人が、互いを支えたくてしょうがなくなった関係の話。

アザーズ~四つの異本の物語~

埋群のどか
ファンタジー
 「異本」とは、同じ骨格を持ちながらも伝写などの過程で文字やストーリーに異なった部分のある物語のこと。これは童話・昔話の登場人物たちが物語の結末に納得せず、より良い結末を目指して進んでいく物語正史から外れた異本の「アナザーストーリー」なのです。

僕が美少女になったせいで幼馴染が百合に目覚めた

楠富 つかさ
恋愛
ある朝、目覚めたら女の子になっていた主人公と主人公に恋をしていたが、女の子になって主人公を見て百合に目覚めたヒロインのドタバタした日常。 この作品はハーメルン様でも掲載しています。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈 
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...