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番外

椅子を自由にしてはならない

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 恋する相手と、結婚する相手は違う。

 女王として即位したとき、即座に気付いたことだ。

 誰に教えられたわけでもなく、「あ、これだけでは駄目だな」と。即位式の日、身の丈に合わない玉座の上から、跪いたユリウスを見下ろしていると、彼が顔を上げた。全ての感情がしんと凪いだその藍色の目と視線を合わせた、その瞬間に悟った。

 この人が好き、それだけでは足りない。

 私が女王として立ったのは、周囲の王族が全滅してしまったせいだ。それはもう、冗談のような痴情の縺れ×痴情の縺れ×痴情の縺れが重なって、歌劇場ですら馬鹿馬鹿しすぎて上演できないようなメロドラマ劇が各所で繰り広げられた末、竜巻が王城を直撃して生きている人間を全て攫っていってしまったかのような結果となった。後宮の端っこで、ひっそり息を殺して暮らしていた私しか残らなかったのだ。

 そのせいで、私は即位した直後から、「まだ六歳といえどもあの王族の血筋、将来は男狂いになるのではないか」「またこの国で、愛欲劇場を開催されてはたまらない」という周囲からの不信の目にさいなまれまくっていた。

 疑う気持ちも分かる。

 そしてこの状況で、王婿となる男が派手に女性を侍らせていたらまず認められない。ユリウスが愛人を囲っていたり、隠し子がいたりしたら、その時点でアウトだった。

 でも、どういうわけか、ユリウスは驚くほどに清廉だった。手を汚すような仕事も平然とこなしていたし、後継者争いを勝ち抜いて十代で公爵位を得た経緯については、とてもアレだったが──控えめにいっても暗黒小説ノワールみたいだったのだけれど、女性関係の醜聞がない。調査しても何一つ出てこない。

 かといって、男色でもなければ幼女趣味ロリコンというわけでもないらしい。さらに言えば修行僧でもない。たまに女性の影がちらつくことはあるのだけれど、あまりに淡白すぎ、固執しなさすぎて表面化せずに消えていくらしい。正直、何を考えているのかさっぱり分からない……と私は頭を捻っていたけれど、彼が私に全く性的な目を向けず、色めいたことも言わない、そのこと自体は本当に有難かった。彼がほんの子供である私を食い物にせず、きちんと正しい距離を保って尊重してくれたからこそ、十年間かけて強い信頼を育てられたのだ。だから、私は真っ向から彼に求婚して、断られて、それでも彼との信頼関係は崩れないと信じていて……

(いや、崩れてはいないかもしれないけれど、大分色褪せたわよね)

 からくりが解けてしまえば、もはや無の境地だ。全ては椅子。椅子。椅子。椅子のためなら何でも出来る男。つまりはそういうことだ。何なのそれ。

「……」

 私は死んだような目で、熱い眼差しで私を見つめる聴衆たちを見返していた。

 背後からは、滔々と流れ続ける「理想の椅子とは何か」「椅子がしてならないこととは何か」「世界は元々二種類の人種で成り立っている──椅子と主」「椅子の歴史」……

(狂人の頭の中身がそのまま垂れ流されているわ)

 感嘆の色を浮かべたり、熱心な目で聴き入っている聴衆は何なのだろう。狂人を理解できる人間多すぎない? あの中に混じる若い娘を新たな主に選んだ方が、宰相としても真の理解者が得られて良いのでは?

(本当に……私は何でこの人に求婚なんてしていたのかしら)

 やさぐれた気持ちで思う。

 結局は政略的に彼と婚姻を結ぶことになりそうだけれど、彼だって散々私の申し出を断っていたのだから、お互い不本意極まりない結果に……と、そこまで考えて、

(ん?)

 私はひそかに眉を顰めた。

 何かが引っかかる。違和感を覚えた。

 何が引っかかったのか……少しずつその源を手繰り寄せて考えてみて、

(……そういえば、はっきり断られた記憶がないかもしれない)

 もはやどうでもいいといえば、どうでもいいことなのだけれど。ふと、それだけのことが妙に気になった。

 四回、声に出して求婚してみて(完全に黒歴史だ)、最後に言われたのは「書面にしてご提出下さい」だ。そして提出した書面は、三日後に返送されてきた。三日後?

(宰相の仕事にしては遅いわ)

 女王の印がある以上、最優先で処理されたはずだ。手順としては、同じ王城内の机から机へと送り返すだけ。それなのに三日間。そして言われたのは「喫緊の問題ではない」──今にして思うと、あれは断り文句だったのかしら?

(この人の性格からして、断るなら歯に衣着せずはっきり言い渡してくると思うのだけど)

「椅子には人権など必要ありません。無論、独自の人格など認められない。自己はただの物であり、物として扱われる、その自覚から真の椅子への道は始まります」

 考え込んでいる私の後ろで、落ち着いた声で、私の椅子が何か言っている。

(酷い。新たな奴隷制か何かかしら)

「これは主の身を守るためでもあります。椅子が自由意志を持って振る舞うようになれば、最初に犠牲になるのは主です」
「え?」

 宰相の主は私よね? 私が犠牲になる?

 それまでの思考が頭から吹っ飛んで、私は間抜けな声を上げた。

「椅子欲の行き着く先は、大抵は主の監禁です。生涯自分の上に座っていればいいという願望が、最短の道を通って発露されてしまえばそうなってしまうわけですな。主となる者が監禁されてしまえば、国としても大きく労働人口を損ない、経済的損失は計り知れない。そのような事態を防ぐためにも、椅子が自由意志を持つことは極力禁じられているわけです」

 この男は何を言っているの?

 聴衆も大きく頷いている場合じゃないわよね?

 労働人口を大きく損なうって……この国にどれだけ監禁椅子予備軍がいるの?

(恐ろしすぎる)

 女王の矜持で耐えてはいるものの、思わず身体がぶるりと震えてしまう。

「……陛下。少し宜しいですかな、これを」

 それを敏感に感じ取ったのか、宰相が耳元で囁き掛けてきた。

 目の前に大きな掌が差し出される。見覚えのある青みがかった卵が鎮座していた。

「……その卵って」
「保温係を任命して温めさせておりましたが、陛下がご自分で温めたいと仰るかと思い、先ほど回収して参りました」
「……そう。それは有り難う」
「これも陛下の御為と思えばこそでございます」

 謙遜しているのか、恩に着せているのか分からない言葉が返ってきて、私はあやふやな気分のまま、卵に被せるように手を置いた。片手では心許ない気がしたので、両手で、そっと。

 未だに謎なのだけれど、宰相は私がこうやって手を置くたびに満足するようだ。聴衆を見回して、説明する宰相の声には、うっすらと、しかし私にはくっきりと感じ取れるほど自慢たらしい響きが宿っていた。
 
「このように、椅子は主の望みを定期的に叶えて差し上げる努力をすべきです。主の幸福度や好感度が上がります」
「上がってないわよ?!」
「主と椅子の関係が良好に保たれ、いつでも座りたいと思って頂ける椅子になることが肝要です」
「私、貴方に座りたいって言ったことないわよね?」
「主の側は、責任を持って自分の椅子の手入れ、メンテナンスを行い、時には給餌なども行うと良いでしょう」
「給餌って」

 さっき、椅子カップルが「あーん」しているのを見て、全力で怒り狂っていた男が何か言っている。まさか、自分はやらないけど私にはして欲しいとか……?

「質問です!」

 考え始めたら新たな寒気が生じたので、ひしめく聴衆の間から声が飛んだとき、私はほっとした。

「どうぞ」
「椅子から主に給餌するのは許されないのに、主が椅子に給餌するのは許されるんですか?」
「無論です。主は椅子に対してどのような無理難題を言おうが許されます。陛下も私に、呼吸を止めるな、食事を摂れ、勝手に自分を置いて死ぬなと常々仰っておられます」

 それは無理難題なのだろうか。

 本当に?

 むしろいつも無理難題を言われているのは私では?

 それに、三つ目の命令は確かに言ったかもしれないけど(座っている椅子が気付いたら死んでいたりしたら、恐怖体験のあまり立ち直れそうにないとか、そういう意味で)、そんな風に言われると、何か違ったニュアンスに感じられるのだけれど……

「まあ……陛下はやはり、心から宰相閣下を想っておいでなのね」
「熱烈だわ……素敵……」

 ほら! やっぱり誤解されてる!
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