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番外

女王陛下は世直しの旅に出たく……なかった

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 ユリウスは(今はあんなだけれど)我が国の誇る優秀な仕事機械……いや万事に有能な宰相なので、時には演台に立ち、居並ぶ貴族たちに向かって朗々と演説をぶつこともある。

 あれは凄い。中身は狂人なのに、もの凄くまっとうな人間に見えるのだ。ベルベットのように厚みがあって滑らかで、人の悪意や疑念を全て溶かし流してしまうような、説得力ある落ち着いた声。これぞ超越権威者カリスマ! という感じで、敵対者だらけの地点から状況をひっくり返して私を助けてくれたことも一度や二度ではなかった。だから、私はユリウスの余所行きの声が嫌、というわけではないのだ。決して。

(でも……)

 私の知っている彼の声は、大抵私の背後から、低く重たく、たまに物憂げな調子を孕んで囁きかけてくる、どっちかというと悪人ぽい声だ。彼が本当に悪人なのかどうかは判断が難しいけれど(彼が悪人だというのなら、私も同じ部類だと思う)、声だけで言えば間違いなく、例えば物語の最後の場面に現れて主人公たちを絶望の坩堝に叩き落とす悪役に相応しい。そういう声だ。でも、私はその方がいい。

 少なくとも、天の裁きを行うおごそかな聖者みたいな声よりは、よっぽど。

 苦い葉を立て続けに口に突っ込まれたような表情で、唇を一文字に引き結んで耐えながら、私はそんなことを考えていた。

 さっきから、寒気でぞくぞくして、非常に辛い。

「この国に女王陛下のご威光が満ちる限り、似非椅子の存在は許されることがない」

 ただでさえ長身のユリウスだけれど、更に丈が高く見える。威圧感の塊だ。大きな影が茶楼の床に伸びて、少し遠巻きに見守っている人々の間から、緊張に耐えかねて洩らす「はっ」という息の音が立ち昇った。

 ……その芝居がかった台詞と仕草、本当に必要ある?

 観衆の様子にしても、雰囲気に弱すぎない? 何故、固唾を呑んで宰相の罪状言い渡し……じゃなかった、世直し劇場を見守っているの? 宰相の椅子病に自然とむしばまれていることといい、実はそういう国民性だったの?

「私、そこまで椅子の真偽に興味ないのだけど」
「愚かにも椅子の真似事をしたこと、心から悔いるがいい」
「ねえ、聞いて頂戴?」
「跪いて、陛下の足の前に頭を差し出せ」
「まるっきり悪人の台詞」

 こんな世直しは嫌だ。

 追い詰められたように隅の席に座り込んだまま、震え上がって手と手を取り合っている恋人たちを見るたびに、胸にずきずきとした罪悪感が突き刺さる。

(可哀想すぎる……それに、恋人たち(十代)にいちゃもんを付ける宰相(三十代)って)

 ジュリオ公子(十歳)に喧嘩を売っているユリウスを見ていたときと同じ恥ずかしさを感じる。身内がすみません、普段はこんな人じゃないんですけど(恥)……いや、普段からこんな人なんですけど(不条理)……なんで?!(憤怒)、というように思考が変遷した結果、私が自棄を起こすまでがセットだ。

「宰相、そこまでにしなさい」

 私は深く息を吸って、声に強い力を込めた。

「私はこんなことは望んでいないわ。私の椅子だと言うのなら、ちゃんと私の言うことを聞いて、従いなさい」
「……」

 ユリウスがこちらに視線を投げ、しばし沈黙した。一度視線を外したものの、再び首を巡らせて、私の身体の上下にざっと視線を走らせる。

 ……なんで二度見した?

「ユリウス? 聞いてる?」
「……失礼致しました。無論、陛下の言は全てくっきりと聞こえております」

 聞いてたけど無視した、と暗に言われているらしい。

 この野郎、という想いを篭めて私が睨んでいると、宰相の視線が再び私の上に戻ってきた。

「しかし、どうにも。陛下のそのお姿では、普段と違って些か勝手が狂いますな」
「その姿って?」

 問い返してから気付いた。

 今の私は、小間使いの簡素なワンピース姿だ。お仕着せというほどでもないけれど、働く者の服装で、そこに三つ編みと眼鏡とバスケットを合わせると、女王の威厳など無きに等しい。まるっきりその辺の小娘だ。

「その上に赤いケープなど羽織られては? 非常にお似合いだと思いますが」
「私を狼に食わせようとしてるの?」
「この国の兎の被捕食率は常時80%に達するそうですな」
「つまり、私の生存率が20%だとでも言いたいの?」

 視線を合わせ、会話している私にも意味がよく分からないやり取りを交わしていると、周囲のざわめきが耳に入ってきた。

「ねえ、あれ……女王陛下なんだよね? なんであんな格好を……?」
「知ってる、あれ、扮装遊戯コスプレって言うんだよ!」
「女王陛下が下女に扮装して宰相閣下と椅子プレイを……?」
「まあ、斬新なプレイね」

 ……私の国の民が「プレイ」という言葉に馴染みすぎている件。

 私は思わず、宰相の服の前身頃を掴んでぐいぐいと引っ張った。

「貴方のせいで、国民の風紀が乱れているわよ宰相……! どうしてくれるの」
「とんだ言いがかりですな。むしろ私ほど国民の風紀を積極的に引き締めている者はおりません。それもこれも陛下のご威光が行き届かず、ろくな教育を受けない椅子が野放しになっているせいです」

 宰相はごく冷たい目で見返してきた。

 私の手首を掴んでそっと外すと、乱れた服の前を見せ付けるように直す。それから、いかにも不本意な事柄に巻き込まれたとでもいうような口調で、

「致し方ありません、これも陛下の世直しの一環かと。このような事態に陥ったのも何かの奇縁、これより椅子になるための一般向け教養講座を開催いたします」
「はい?」

 止める間もなかった。仕事を投げ出した宰相は仕事機械ではなく暴走機械だ。私が二の句を継げられずにいるうちに、茶楼の主人を呼び付け、二階を借り切って「教養講座」とやらを開催し出したのである。

 突発的な開催ながら、講師は宰相閣下、出演者兼見本に女王陛下(否応なしに巻き込まれ)、参加費は茶楼でお茶の注文を一杯。正誤含めた実例あり歴史解説あり質問コーナーありの充実した内容とあって、露台まで人が詰めかけ、木の床が軋むほどの観衆がひしめき合った。茶楼の主人は別途、多額の金を受け取ったらしくホクホク顔である。皆が喜んでいるようでめでたしめでたし。終わり。

(終わり、にしたい……!)

「女王陛下が来てらっしゃるんですって!」
「本当に? あれが女王陛下なの? お忍び用の格好をなさってるのかしら、なんだか可愛いわ……!」
「いつも通り、威圧感のある宰相閣下の膝の上にちんまり乗ってらっしゃるの、なんだか不思議な感じだな」
「平然としてらっしゃるわ、流石ね」

(平然としてません……!)

 本心は泣き出したいぐらいだ。でも、国民の前でみっともなく取り乱す姿を見せるわけにはいかない。見本というより見世物のように宰相の膝の上に乗せられ、人々の視線が無数に突き刺さるのを感じながら、私は微動だにせず耐えていた。

「受講者たちに手を振ってやっては如何ですか、陛下」
「いつか私に刺されるわよ。覚悟しておきなさい、ユリウス」
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