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番外

翌朝、朝食の悪夢

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 磨き抜かれた金色の給茶器サモワールの中で、沸騰した湯がコポコポと音を立てている。

 食卓の端に控えていた小間使いが近付いてきて、サモワールの蓋を開け、燃料の松ぼっくりを放り込む。それを眺めながら、私は手元の皿にナイフとフォークを添え、優雅な手付きで薄焼きのパンケーキを切り分けた。

 パンケーキの厚みは、全部で十一層。およそ慎ましさというものがない、主張たっぷりの分厚さだ。

 その上に甘ったるい琥珀色のシロップを回し掛け、軽く焦げ色をつけた果物を添える。黒砂糖とニワトコの花を混ぜた牛酪バターもつける。正直に言って、朝から胸焼けしそうな献立である。

(私は胸焼けしないけど)

 私は生粋の甘党だ。幼少期は、女王就任の重圧や緊張を、大量の甘味を摂ることで誤魔化していた。その割に太らなかったのは、当時はひたすら慌ただしく仕事に追われていたせいだと思う。

 今はゆったりとした朝食の時間を過ごせるようになって、紅茶に角砂糖を六つ放り込むようなこともなくなった。薄焼きパンケーキは大体三枚。それに目玉焼きと、王国名物の豆サイズの極小赤カブのサラダをつける。それがここ数年来の私の朝食の献立だったのだけれど。

「陛下、砂糖は幾つお入れになりますか」

 私の椅子が、背後から訊ねてくる。

「五つ」

 私はそっけなく答えた。

 六つは流石に多い。私が次に六つも砂糖を放り込むとしたら、王国滅亡の危機か、宰相があまりにもどうしようもなさすぎて、私の手に負えなくなったときだろう。

 五つ入れている時点で、大分手に負えなくなってはいるのだけれど。

(この食卓を見て、せいぜい胸焼けしていればいいんだわ)

 背後で見ているユリウスの心境を想像して、暗い喜びに浸る。

 彼は甘いものを摂らないわけではないけれど、甘党ではない。「糖質は脳の働きに必要ですので」と、何かの粉薬のように砂糖を飲み下しているのを見たときは我が目を疑ったけれど、とにかく甘いものを味わうという発想がないのだ。

 私のギトギトした甘みたっぷりの朝食を見て、内心で眉を顰めていればいい。

 私の抱えている精神的苦痛ストレスの程度を思い知ればいいのだ。

 いささか自爆的な思考に浸っていると、ユリウスが慣れた手付きでサモワールの茶器から紅茶を注ぎ、砂糖をきっちり五つ入れて差し出してきた。頷いて受け取り、何気なく「貴方は?」と問うと……

「私は結構です。本日の献立に合いませんので」
「ん?」

 コトリと音を立ててテーブルに置かれた、平たい小皿を見て、私は目を瞬かせた。

 ねっとりとした桃色と濃緑色の混ざり合った、ペースト状のもの。うっすらと、しかし主張の激しい、ツンと鼻を衝くような香りが漂う。

「ユリウス。それって、まさか……」
「昨日の夜会にて、隣国大使から受け取りまして。魚肉と青葉の漬物ですな」

 彼は大幅に説明を省略している。

 魚肉というのはサメの一種で、漬け込み期間は最低でも五年間。その上、塩分濃度が恐ろしく高く、これまでに酒のツマミとして食した人間を何人も再起不能(脳の血管が切れて)に追い込んだという、悪い意味で伝説上の食べ物だ。

 そんなものを、爽やかな朝の献立として食そうという人間がいる?

 ギトギトしいパンケーキを食べようとしていた私が言うのも何だけれど、パンケーキにはまだ可愛げがあると思うのだ。しかし、宰相は……やっぱりこの男、私とは狂人レベルが比較にならないのでは……?

「……」

 私が怯えた目で見ていると、次の皿が目の前に置かれた。今度は黒々とした海藻……昆布? の上に生々しい白い何かが乗せられたもの。

「宰相……それは何?」
「陛下はご存知ありませんでしたかな? ユイビトスの肝です」
「肝って……」
「ルシェール湖の中に生息する凶暴な魚の一種を、一つの桶の中に入れ、三週間ほど共食いさせた後に……」
「もういいわ宰相」

 私は早口で遮った。

 悪夢だ。

 力なく目の前のパンケーキの皿を見下ろす私の背後で、ユリウスは眉一つ動かさず、給仕に向かって「セス山峰の雪解け水」を所望している。この世で最も悪夢に近いような朝食を摂ろうとしている男が、爽やかな水を欲しがるとは。妙に腹が立つ。

「明日からは、パンケーキは三枚でいいわ……」
「そう申し付けておきます」






 朝食を終えて、皿があらかた片付けられたところで、私と宰相は簡単な打ち合わせに入った。

 主な議題は、昨夜の蒼湖宮での夜会についてだ。何だか、いろいろと思い出したくない事件が起きていた気がするが、その反省会をするつもりはない。大体、ユリウスは何かを殊勝に反省するような男でもないし。

 私たちは、夜会で言葉を交わした要人たちの動向や、貴顕紳士淑女たちについて気付いたこと、耳にした情報などを交換した。

「そういえば、ジュリオ公子からお土産として、何かの箱を受け取っていたわね」

 甘ったるいお茶を口の中で持て余しながら、私はふと思い出した。女官を呼んで箱を取って来させる。

 届けられた箱は、驚くほど厳重に閉ざされていた。

「鉄製の箱?」
「注意書きがついておりますな」

 家庭教師の指導の元に書かれたというような、たどたどしくも四角四面にきっちりとした字で書かれた手紙だった。ジュリオ公子の署名がついている。



「女王陛下へ
 我が国の商人が見つけてきた、『中型竜ジラントの卵』です。膝に乗せて一週間温めると孵化して、温めた人に懐くのだそうです。僕もひとつ買いました。孵る日がたのしみです」



「竜の卵?」

 我が国には竜はいない。羽の生えた蛇とか、一角獣(この国の国章にもなっている)ならいるのだけれど。竜という生き物は、神話時代に全て狩り尽くされてしまったと言われているのだ。

「本当に竜だというのなら凄いわね」

 多分、偽物だろう。本物だというのなら、ジュリオ公子が二つも買えるような値段ではないはずだ。私は箱を開いて、詰められた綿の中から少し青みがかった卵を取り出した。

 普通の鶏卵よりもよほど硬い。簡単に割れることはなさそうだけれど、慎重な手付きで、そっと膝の上に置いてみる。その私の腕を、宰相の大きな手が掴んだ。

「……宰相?」

 驚いて見上げると、宰相が暗い眼差しで私を見ていた。顰めた眉の下で深く沈んだ目が、嵐の夜のような色になっている。

「まさか、陛下は、その卵のために我が身を椅子となさるおつもりで?」
「……は?」

 強い語調で問い掛けられて、私の反応は遅れた。

「陛下は椅子となられる方ではございません。あくまで椅子とは主に奉仕するもの、奉仕されるべき陛下が気軽に足を踏み入れられる領域ではない」
「う……うん?」
「どうしてもその卵を膝に乗せられるというのなら、私を踏み付けてからにして頂きたい。いやむしろ、今すぐ私をむごたらしく踏んで頂き」
「落ち着きなさい、宰相。取り乱し過ぎだわ」

 今度は、一体何が始まったというの。
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