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 ずっとストレスが溜まっていたのだから、一気に泣いてすっきりした、と言いたい。

 でも正直に言って、泣くのは疲れる。

 頭も痛くなるし、目と鼻は腫れ上がるし、人前で泣いたことが恥ずかしさに拍車をかけて、ますます居たたまれなくなる。

 私が泣いている間、頬を舐めて慰めてくれていた狼たちのことは、ますます好きになってしまったけれど。そんな風にされて落ちないはずがない。

「……みっともないところを見せたわね、次期当主さま」

 照れ隠しにふいっと横を向いて、私はぼそぼそと呟いた。

 とてもではないが、ジェスエルと顔を合わせられない。

 そこに、

「みっともない? いや、そんな風には全く思わないが。君はいつもきちんとしている」

 生真面目そのもの、冗談を飛ばすことなど思いも付かないような返事が返ってきたとき、あまりに彼らしくて私は思わず笑ってしまった。

「貴方、フローズニクとしては善良すぎるわ」
「善良?」

 怪訝そうな呟きが聞こえた。

「俺が、善良? 初めて言われたな」
「一族の悪評が災いして、貴方まで危険人物だと思われているんじゃないの?」

 泣いた跡の残る顔を見せたくなくて、手で隠すようにしながら見上げると、ジェスエルは何かを考え込むように私を見ていた。

「君は、見た目だけならどこまでもフローズニクらしいな。華やかで、黄金の光のようで、ぱっと目を惹く花のような美人で。なのに初心らしくて、多くの男を惹き付ける」
「え、ええと……ありがとう?」
「君は一族の間に立ち交じる時間が比較的少なかったから、実感が足りないんだろう。善良なフローズニクなどこの世にいない。なんなら、君が一番善良だ」
「……ジェスエル?」

 話の展開についていけない。

 突然、その場の空気が冷え込んだような気がした。

 いや、実際に温度が下がったのだろう。沈み始めた太陽は速度を増し、ぐんぐんと水平線下に下りつつある。吹き抜ける風は、すでに夜風の色合いを増している。

 ジェスエルの指が、私の頬に触れた。

「君を見るのが好きだった。フローズニクで最も美しい人だと思っていたから。狼のように獲物が疲れるまで追いかけて、追い詰めて、喉笛に喰らいついたら捕まえられるのではないか、と思ったこともあった」

(え? 何?)

 私が咄嗟に身じろぎもできず、じっと見つめていると、ジェスエルが黒い目を細めた。

 感情の読めなかった目に、はっきりと光が浮かぶ。愉悦の色だ。

「ジェスエル……」
「はは! すまない。何でもない、それっぽいことを言ってみただけだよ」

 笑い声を上げて、彼の指が離れる。私はますます混乱した。

「……貴方、それが素なの? フローズニクはもっと分かりやすい邪悪が専門で、貴方みたいなのは規格外だと思うのだけど」
「次期当主は陰湿の塊だと?」
「そこまでは言っていないわ。貴方は……」

 本当に邪悪で陰湿なら、獣たちが懐いたりはしないだろう。

「懐に入れた者には甘い。それ以外はどうでもいい。そういうものだろう?」
「……そういうものかしらね」
「君を俺の懐に入れたい」
「?!」

 私がぎょっとしたのが分かったのだろう。落ちていく陽光の最後の光の破片を受けて、ジェスエルが微笑った。

「俺は君を裏切らない。俺の持つものは全て捧げる」
「それは……誘惑的な申し出だけれど」

 頭がくらくらする。

 この人の前で泣くのではなかった。弱みを見せてはいけなかった。狼は獲物が疲れるまで待って、それから食らいつく。そしてこの人は、じっくり刻を待つことが出来る人だと、私の本能が言っている。

 同時に、

(……この人を信じたい)

 獣のように信じ切って、この人の懐でぐっすりと眠りたい。

 誰も信じられずに切り離されるのは、もう疲れた。

 それでも、身に染み付いた警戒心は、保身のために私に一歩退かせた。

「……少し、考えさせて欲しいわ」

 海から上がって、濡れた足をハンカチで無造作に拭く。白いストッキングを履いて、ガーターベルトで止める間、ジェスエルは遠慮も何もなくじっと見ていた。その視線に気付いて、カッと火がついたように頬が赤くなったけれど、私は何でもないような振りをした。

「勿論、待つとも」

 彼の声には愉しげな色が滲み出るにも程があって、私は(誰なの、この人を「優等生」とか「真面目人間」とか言ったのは!)(どうせならもっと隠しなさい、本性を!)(ずっと隠し通されたら、それはそれで困るけれど!)と声高に(内心で)叫び立てていた。

 とりあえず、この調子だと、フローズニクの次代は安泰そうだ。

 フローズニク以外の人間にとっては、とんだ悪夢になりかねないけれど。
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