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そんなに舌なめずりして

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「はは! 見なさい、ニアナ! 何もしていないのにマーグレグの城砦都市が落ちたよ!」

 こんなに臆面もなく、人の不幸を喜べる人間っている?

 それは沢山いるだろうけれど、そんな人間の吹き溜まり、と言ってもいいのがフローズニクだ。

 私もフローズニクの端くれなので、笑顔を見せてくる父の側に寄って、展開された立体地図を覗き込んだ。

 魔術師たちが組み上げた地図は王国の土地だけを宙に浮かせて見せていて、虫眼鏡を通して眺めたいぐらい緻密に出来ている。父の言う、マーグレグの城砦都市は焼けたように黒く表示されていて、崩れ落ちた砦の痕跡が生々しく残されていた。

 父の背後に影のように付き従う爺やが、にこやかな表情を一ミリも崩さないまま、真面目くさって報告する。

「それはもう、非常に哀れな状況でございました。『英雄らしく敵に立ち向かえば聖女が降臨する、聖女は自分を見捨てない』と信じ切って出陣した王子は戦に不慣れで、虚栄心だけは強く、なんと黄金の鎧甲冑を身に着けていたとか。テカテカと輝く鎧は遠目にも良い標的で、攻め込んできた隣国の兵士たちは笑いながら弓の遠当ての的にしたそうです。城砦が落ちてからも上手く逃げられず、ほうほうのていで逃げ出した先で落ち武者狩りに遭い、必死に命乞いなさるも、身ぐるみ剥がされた上でその辺のドブに捨てられたそうで。王国軍は王子を見捨てて引き上げたため、死体も拾われず、我々の斥候が探索して、王子の死亡を確認致しました」
「見てきたように語るわね、爺や……」

 いや、実際に見ていたのかもしれない。最初から最後まで、明確な悪意を持って、舌なめずりするように。

「聖女降臨を信じて、のこのこと現れるなんて。愚かに過ぎるが、そんな噂を流す方も悪いと思わないかい? 全く、どこのどいつだろうねえ? 王子を殺したのは確実にそいつだよ」
「誰でしょうね、お父様」

 茶番だ。茶番にも程がある。

 悪意のある噂、情報、煽動。あちこちにお金を落としてみたり、人を配置してみたり。

 それだけで、あまりにもあっけなく、一つの国が滅びかけている。

 そして、滅びゆく王国を眺めながらその上でタップダンスを踊って楽しんでいたようなフローズニクたちは、もはや悲劇も喜劇もどうでも良くなってしまったみたいで、

「お前、すでに軍港を三つも押さえているだろう。今度こそこっちが貰うからな!」
「東の山脈沿いは思ったより使い途があるぞ。誰か要らないか? 代わりに低山地帯は私が」
「西側の街を押さえたのはどこのフローズニクだ? 街道を繋げたいんだが。費用について話し合いたい」

(ケーキの取り分を巡って争ってるみたいだわ。王子の死なんて、本当にどうでも良くて)

 海上の城は、今日も賑やかに一族が群れ集っている。その輪に入る気にもなれず、遠巻きに眺めていると、

「王子の死はどうでもいいが、崩壊の起点はあいつだ。王国がお前を手放さなければ、せめて30年は平和を保ってやり過ごせただろうに。なあ、そう思わないか?」

 まるで私の考えを読んだかのように、父が囁いてきた。

「……」

 私はふるっと身を震わせた。

 私を切り捨てたから、王国は滅ぶ。

 私を切り捨てたから、王子は死んだ。

 そう思うと、確かに心が満たされるものがあるのだ。

「……人を大事にしない者が惨めに死ぬ、というのは御伽噺の定番ね、お父様。何故語り継がれてきたか分かるわ」
「御伽噺を現実にするため、フローズニクは頑張っているんだよ。きちんと因果が巡る世界の方が、生きやすいだろう?」
「そうなの? 単に楽しんでいるだけではなく?」
「否定はできないなあ」

 父がくつくつと笑う。

 私は半目になった。

 その視線の先に、またしても別の頭痛の種が飛び込んできた。次期当主さまだ。あからさまに邪悪を剥き出しにしたフローズニクたちの間に立って、黙って、まるで禁欲的な司祭のように佇んでいる。

(何が禁欲的よ。外見も中身も「狼飼い」のくせに)

 「いかにも邪悪」よりも、「分かりにくく邪悪」の方が罪が重いと思う。私がじっとりと睨んでいる間も、彼の手は下におりて、纏わり付く狼たちの頭を撫でている。

 羨ましい。撫でたいし撫でられたい。認めたくないけど、あの手付きには中毒性があるのだ。

「どうした、ニアナ? 最近ずっと、彼のことばかり見ているじゃないか。恋にでも落ちたのかい?」

 にやにやして、父が私の肩を抱き寄せてくる。

「……どうかしら」

 冷たく答えると、その言葉が耳に届いたのか、ジェスエルがこちらを見た。

 その目元が緩んで、薄く微笑む。かつて、「何を考えているかさっぱり分からない」と思っていたのだけれど、今では私にも、その些細な変化が読み取れる。

 一度分かってしまえば、実はとても分かりやすかった。

「次期当主の妻か。いいんじゃないのか。ここで聖女の力を顕現させて、王国を更なる絶望に叩き込んでやりなさい」
「ふふ、お父様ったら」

 私はそらぞらしい演技を続けた。

 ジェスエルが、問いかけるように眉を少し動かした。ゆっくりと、こちらに向かって歩み寄ってくる。父に向かって、年長者に対する礼を取った。

 父が、喉の奥で弾けるような笑い声を鳴らした。

「ジェスエル君、君はいつの間にうちの娘をたらし込んだのかね」
「それはもう、随分と前から標的にはしていましたよ。それで」

 ジェスエルは私を見て、

「そろそろ、君の父上の前で、結婚の申し込みをしてもいいのかな」
「やってみて頂戴。確実とは言えないけれど」

(この演技、いつまで続けるのかしら)

 全てが遊びで、何一つ真剣なことなど無いかのような振りを続けている。それはつまり──実際にはもの凄く緊張しているからだ。

(心臓が弾け飛びそう)

 ドレスの下の脚も震えている。この人に丸め込まれて全て奪われたくなんかないし、同時に連れ去られたくて息が苦しい。訳が分からない。

 ジェスエルはふわりと、ごく優しく、安心させるような笑みを私に向けてから(待って、その笑い方、使い魔に対して向けるのと同じよね?)、父に向き直った。落ち着いた態度で口を開く。

「では、お許しが出たので。貴方の娘御殿に、婚姻を申し込みたいのですが……」






 そして、それから二ヶ月後。私は聖女の力を解放した。

 解放して分かった。

(あ、やっぱり、王子が死んだのは私のせいだわ)

 王国もまた滅んだ。ただ歴史書に名前が残るばかりで、運が良ければ王子の名も、「聖女を得られず野垂れ死んだ王子」という形で書き記されている。

 聖女の力は、生命を生み出し育て上げる全ての存在と結び付いている。王子は私を放り捨てたつもりで、逆にそこから放り出されたのだ。誰が聖女だったのか、それすら一生知らないままで。

 そう思っても、二度と心は動かされなかった。

 もう、私と夫と使い魔たちにとっては関係がないことだ。古びて忘れ去られた昔話のようにどうでもいい話としか感じられない。
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