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一つの結末
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「ああ、空が眩しいな……」
「完全に曇り空ですがね」
元副官の声音が渋い。
というか、深い疲労感を湛えている。
なぜだ。さっきまで、グランは泣いている私を見ているだけで、特に何もしていなかったはずなのだが……(慌ててはいた)。顔色が全体的に青白くなっていて、やや老けた気がするほど疲労感が漂っている。奇妙な話だ。慣れない言動をした私の方が、ぐったりとくたびれ切っていてもおかしくないと思うのだが。
しかし、今の私は疲れていない。あまり泣くと頭が痛くなるというが、不死者であるせいか痛むこともなく、どちらかというとすっきりとして爽快だ。
(たまには泣くのも悪くはないな。ただ、周りに迷惑を掛けるらしいが)
女性騎士たちや下働きの女性たちが、好んで悲恋物語の書物をやり取りしていたことを思い出す。現実に悲劇などありふれているのに、わざわざ何故だ? と思っていたが、あれの意味、効能というものが分かった気がする。今後、私に悲恋物語を貸してくれるような知人が出来るかどうかは分からないが、機会があれば試してみたいものだ。
……そんなことを考えながら、私は階段を登り切って、頭上に広がる空を仰ぎ見た。外気の揺らぎが、肌の表面を冷たく撫でていく。暗い地下から抜け出した後では、久しぶりに飲む水のように感じられた。私は息を吸い込んで、まだ少し腫れぼったい目を細めた。
まだ夜は明け切っていなかったが、淡く雲を透かして、太陽の丸い暈が上がり始めていた。かつての私は、「あんな薄ぼんやりしたものは、太陽などではない」と思っていたものだが。今はまあ、慣れたせいか、これはこれで、それなりの親しみを感じている。酷くぼんやりとはしているが、重たい雲の濃淡を照らし出す光は柔らかで、乱れた気分を落ち着かせる。
「この地が常に曇っているのも、魔力の影響か?」
「そうですね。数千人単位で不死者たちを動かしていますので、その体内から漏れ出る魔力が上空に上って魔力雲を作ります。その魔力を吸着し魔力陣に取り込むには黒化物質というものが必要で更にそれを純度の高い銀魔石というもので中和し」
なるほど分からない。
歩きながら、しばらくグランの説明を聞いていたが、私はすぐに諦めた。
「……すまん。一つだけ言っておくが」
「何ですか」
「かつて、お前が天才を自称したとき、真面目に取り合わなくてすまなかった」
「分かって下さったなら結構です」
そっけなく、偉そうな答えが返ってきた。
だが甘んじて受けよう。私はこいつに対して引け目があるからな。
私は横目で、傍らを歩くグランを眺めた。長身で、表情はどちらかというと無に近く、不機嫌そうな空気が透けて見える。見た目だけなら育ちが良さそうな青年で、鬱屈した闇落ち不死魔術師などには見えない。
そもそもこいつは、不死魔術師などというものになるべきではなかったのだが。
(……こんなことになるはずじゃなかった)
この数十分の間で、何十回も繰り返した言葉を再び繰り返して考える。
後悔などしない、そのはずだった。迷う余地もない、ただ生き抜くためにだけ戦って、生き残ったのが私という人間だ。後ろを振り返る余裕などなかった。だが、グランのあの「魔力装置」を見てから、私はかつてないほど深く重い後悔に襲われている。
犠牲になった教皇だの国王だのはどうでもいい。あんなものを百年以上も見て暮らしたグランを思うと──私が悪かった、というだけでは済まない苦痛を感じる。悪夢の上に成り立つ帝国。孤独と絶望だけを糧に育てられた世界。私がグランを置き去りにしたせいで。
(だが、一つだけうっすらと分かってきたことがある)
ただ親愛のために、グランを庇った。そのせいで私は死んだ。その時のことは記憶が混濁したままで、何一つ明晰なことは思い出せない。
いつ死んでもおかしくないと思っていたから、命を投げ出せた、と、グランには冗談めかして言ったものだが、あれは嘘だ。嘘だと思っていなかったのだが、改めて自分を見詰め直すと、こんなに命というものに執着している私が、ただの部下のために命を投げ出せるはずがない。たとえ、どんなに近しくしていた部下であってもだ。
客観的に、冷静になって考えてみれば、どうしてもグランを庇わなければならない理由というものが、私にはあったのだ。それが恋愛や性愛というものでなくても。ただの親愛でも、重みが普通ではなかった。ただの上官と副官ではなかった。ただ大切な部下というだけではなかったのだ。あの時にすでに。
(……まあ、本人に言うつもりはないが)
親愛でも何でも、愛していたんだ、と言うのは悪くない結果をもたらしそうだが、過去を思い起こさせて、グランの心的外傷を刺激したくはない。私は過去を眠らせたいのだ。グランが悪夢を地下に封じているように、私もそこに地獄が横たわっていることを知りながら、知らぬ顔をしてその上を歩いていこうと思う。
「あれだけ涙を流すと、身体中の水分が全部流れ出てしまったようで不安になるな。戻って水分補給するとしよう」
「お手伝いしましょうか。下の口からの水分補給で宜しいですか」
「久しぶりに、しかもやけに下品で直接的な性的妄言を聞いたな」
「何か問題でも?」
「問題が無ければそれでいい、という話じゃないんだぞ、グラン。まあ、どうでもいいが」
「投げやりなのか寛容なのか、判断に迷うところですね」
「寛容だろうな」
そうでなければ、愛情と言うべきか。
結局、どこまでも生きなくてはならないのだ。限界まで。もうすでに死んでいる私が言うのも妙な話だが。
魔力が尽きるまでこの地上を動き回って、尽きれば静かに土泥に沈んで眠ればいい。
「お前の魔力が尽きるまで生きている、というのは、本当に我々は一蓮托生ということだな」
先に死んですまなかった。置き去りにして、お前を苦しめてすまなかった。
そう言いたいのだが言えないので、私はそうとだけ言った。
次は置き去りにしない、という意味なのだが、グランはきちんと汲み取ってくれただろうか?
「……そうですか」
ちらりと、私を横目で見てから返ってきた答えはぶっきらぼうだったが、なんとなく伝わったような気はした。
「完全に曇り空ですがね」
元副官の声音が渋い。
というか、深い疲労感を湛えている。
なぜだ。さっきまで、グランは泣いている私を見ているだけで、特に何もしていなかったはずなのだが……(慌ててはいた)。顔色が全体的に青白くなっていて、やや老けた気がするほど疲労感が漂っている。奇妙な話だ。慣れない言動をした私の方が、ぐったりとくたびれ切っていてもおかしくないと思うのだが。
しかし、今の私は疲れていない。あまり泣くと頭が痛くなるというが、不死者であるせいか痛むこともなく、どちらかというとすっきりとして爽快だ。
(たまには泣くのも悪くはないな。ただ、周りに迷惑を掛けるらしいが)
女性騎士たちや下働きの女性たちが、好んで悲恋物語の書物をやり取りしていたことを思い出す。現実に悲劇などありふれているのに、わざわざ何故だ? と思っていたが、あれの意味、効能というものが分かった気がする。今後、私に悲恋物語を貸してくれるような知人が出来るかどうかは分からないが、機会があれば試してみたいものだ。
……そんなことを考えながら、私は階段を登り切って、頭上に広がる空を仰ぎ見た。外気の揺らぎが、肌の表面を冷たく撫でていく。暗い地下から抜け出した後では、久しぶりに飲む水のように感じられた。私は息を吸い込んで、まだ少し腫れぼったい目を細めた。
まだ夜は明け切っていなかったが、淡く雲を透かして、太陽の丸い暈が上がり始めていた。かつての私は、「あんな薄ぼんやりしたものは、太陽などではない」と思っていたものだが。今はまあ、慣れたせいか、これはこれで、それなりの親しみを感じている。酷くぼんやりとはしているが、重たい雲の濃淡を照らし出す光は柔らかで、乱れた気分を落ち着かせる。
「この地が常に曇っているのも、魔力の影響か?」
「そうですね。数千人単位で不死者たちを動かしていますので、その体内から漏れ出る魔力が上空に上って魔力雲を作ります。その魔力を吸着し魔力陣に取り込むには黒化物質というものが必要で更にそれを純度の高い銀魔石というもので中和し」
なるほど分からない。
歩きながら、しばらくグランの説明を聞いていたが、私はすぐに諦めた。
「……すまん。一つだけ言っておくが」
「何ですか」
「かつて、お前が天才を自称したとき、真面目に取り合わなくてすまなかった」
「分かって下さったなら結構です」
そっけなく、偉そうな答えが返ってきた。
だが甘んじて受けよう。私はこいつに対して引け目があるからな。
私は横目で、傍らを歩くグランを眺めた。長身で、表情はどちらかというと無に近く、不機嫌そうな空気が透けて見える。見た目だけなら育ちが良さそうな青年で、鬱屈した闇落ち不死魔術師などには見えない。
そもそもこいつは、不死魔術師などというものになるべきではなかったのだが。
(……こんなことになるはずじゃなかった)
この数十分の間で、何十回も繰り返した言葉を再び繰り返して考える。
後悔などしない、そのはずだった。迷う余地もない、ただ生き抜くためにだけ戦って、生き残ったのが私という人間だ。後ろを振り返る余裕などなかった。だが、グランのあの「魔力装置」を見てから、私はかつてないほど深く重い後悔に襲われている。
犠牲になった教皇だの国王だのはどうでもいい。あんなものを百年以上も見て暮らしたグランを思うと──私が悪かった、というだけでは済まない苦痛を感じる。悪夢の上に成り立つ帝国。孤独と絶望だけを糧に育てられた世界。私がグランを置き去りにしたせいで。
(だが、一つだけうっすらと分かってきたことがある)
ただ親愛のために、グランを庇った。そのせいで私は死んだ。その時のことは記憶が混濁したままで、何一つ明晰なことは思い出せない。
いつ死んでもおかしくないと思っていたから、命を投げ出せた、と、グランには冗談めかして言ったものだが、あれは嘘だ。嘘だと思っていなかったのだが、改めて自分を見詰め直すと、こんなに命というものに執着している私が、ただの部下のために命を投げ出せるはずがない。たとえ、どんなに近しくしていた部下であってもだ。
客観的に、冷静になって考えてみれば、どうしてもグランを庇わなければならない理由というものが、私にはあったのだ。それが恋愛や性愛というものでなくても。ただの親愛でも、重みが普通ではなかった。ただの上官と副官ではなかった。ただ大切な部下というだけではなかったのだ。あの時にすでに。
(……まあ、本人に言うつもりはないが)
親愛でも何でも、愛していたんだ、と言うのは悪くない結果をもたらしそうだが、過去を思い起こさせて、グランの心的外傷を刺激したくはない。私は過去を眠らせたいのだ。グランが悪夢を地下に封じているように、私もそこに地獄が横たわっていることを知りながら、知らぬ顔をしてその上を歩いていこうと思う。
「あれだけ涙を流すと、身体中の水分が全部流れ出てしまったようで不安になるな。戻って水分補給するとしよう」
「お手伝いしましょうか。下の口からの水分補給で宜しいですか」
「久しぶりに、しかもやけに下品で直接的な性的妄言を聞いたな」
「何か問題でも?」
「問題が無ければそれでいい、という話じゃないんだぞ、グラン。まあ、どうでもいいが」
「投げやりなのか寛容なのか、判断に迷うところですね」
「寛容だろうな」
そうでなければ、愛情と言うべきか。
結局、どこまでも生きなくてはならないのだ。限界まで。もうすでに死んでいる私が言うのも妙な話だが。
魔力が尽きるまでこの地上を動き回って、尽きれば静かに土泥に沈んで眠ればいい。
「お前の魔力が尽きるまで生きている、というのは、本当に我々は一蓮托生ということだな」
先に死んですまなかった。置き去りにして、お前を苦しめてすまなかった。
そう言いたいのだが言えないので、私はそうとだけ言った。
次は置き去りにしない、という意味なのだが、グランはきちんと汲み取ってくれただろうか?
「……そうですか」
ちらりと、私を横目で見てから返ってきた答えはぶっきらぼうだったが、なんとなく伝わったような気はした。
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