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「……俺の復讐は、俺だけのものです。貴女には関係がない」
「そうか? だが……」
言いかけた私の声を遮るように、グランの声が被さってきた。
「貴女に復讐なんて必要ないでしょう。死ぬ時は笑って、いっそすっきりした清々しい顔で逝かれたくせに。置いて行く俺のことなんか考えもせず、すっかり満足して死んだ貴女が、こんな悍ましい復讐を望むはずがない」
歩み寄ってきたグランが、私を見下ろす。長身から落ちる影が、私を威圧するように重苦しく伸びた。
「満足して死んだのは貴女だけだ。俺は何一つ、満足じゃない。ずっと、幸せになれなかった。この百二十年の間、ずっと」
「グラン」
「俺が恨んでいるのは、貴女も含めてです。……そう言ったでしょう」
「……確かに、言っていたな」
私の声が掠れた。
はっきりと同じ言葉ではないが、同じ意味合いの言葉を聞いた。
憎悪の声。冷たく凍った目。いつか、こんな目でじっと睨まれたことがある。
(……そうだ)
あの時は、「私が全部悪いわけじゃない」と結論付けた。悪いのは私だけではないと。実際、考えてみれば悪いのは教皇猊下であったり国王であったり、私を積極的に罠に嵌めた連中で間違いないのだが、そういうことではなく。
今なら分かる。
私は死ぬべきではなかった。
死こそ、圧倒的な悪だから。
どんな別れ方をしようとも、グランを苦しめたことに変わりはないのだが、私はその悪を、あまりにあっさりと引き受けてしまった。
「グラン……」
ひたひたと、どこか寂寥感にも似た、重たい絶望が私の全身に広がっていく。
続ける言葉もなく、私はただ、その場に項垂れた。
何を言えばいいというのか。すまない? かつてそう言って、グランに「どうせすまないなんて思っていないんでしょう」と言われたものだが。今の私は、本当にすまなかったと思っている。本当に思っているのだが、だからこそ謝る言葉が思い付かない。死んで悪かった? それは確かだ。だが……
大事な人を心の底から傷つけた、そのことを今更悟ったところで、もはや過去は変わらないのだ。
もし死に戻ってやり直したとしても、私は何度でもグランを傷つけることだろう。
(ごめんと言ったところで、もう何も……)
その時グランが、ひゅっと、喉を詰まらせたような音を立てた。
「……………ロスベル。どうしたんです」
「ん?」
「気が付いてないんですか……その、泣いておられる、ようですが」
緊張しすぎて敬語が喉に絡まったような新人のような話し方をしている。何をそんなに動揺しているんだ? 泣いている? 私が? そんなはずがないだろう?
「……」
自分の頬に触れてみたら、指先が濡れた。少し熱っぽい。
なんだこれは?
「泣いている? 私が、か?」
にわかには信じがたい。私はしばらく濡れて光る指先を見つめていたが、水の膜が張った視界がぼやけてきたのに気付いて眉を顰めた。
「……嘘だろう? 赤ん坊の頃でさえ、泣いたことがないんだが」
「それは記憶がないだけでしょう」
グランがバッサリとぶった斬った。
何だこいつ。何故、私より私に詳しいような顔をしているんだ。
私はグランを睨んだ。
「私のことだぞ、私が言っていることの方が正しいに決まってる」
「貴女の言ったことです。故郷が滅びる前の記憶があやふやで、時には脱落部分もあると。ロスベル総長記念館出版の回顧録にも記載された事実です」
その記念館、まだあったのか。
かつてグランが語っていた、私が不死者として甦る前の数々の「施策」を思い返して、別の頭痛がぶり返した。何なんだ、もう……私が眉根を寄せていると、グランが何かに怖気付くように一歩後ろに下がった。見上げると、まるで直視したら潰されるかのように目を細めて視線をぼやけさせている。
「……少し自重していただけませんか、ロスベル」
まるで哀願だ。私が酷いことをしているかのような口振りだな?
「そうやって涙目でムッとした顔をされていると、なんというか。その……貴女が想定していない結果になっていると言いますか」
「お前が新たな性癖を開拓しそうなことだけは分かったぞ。そういうことはひっそりと心の中に留めておけ、この変態、むっつり性癖過重野郎」
「そんな滑らかな暴言がすらすらと……切れ味が違う……変わられましたね、ロスベル」
こんな場面で「変わられましたね」と実感するような変化とは何だ?
絶対にろくなことではない。詳しく聞きたくもないが。
それにしても、私の涙一つでこんなに空気が変わるとは、想定外だった。
だったら、ここぞという時には泣けばいいのか? 止めたらこいつの闇落ちは食い止められる? だが、私は泣きたいと思って泣けるような訓練を受けているわけでもなく……ただ悲しくて……いや、さっきから悲しみが悲しみを呼ぶというか、涙が新たな涙を連れて来るとでもいうのか、止めようとしても止まらない。ゆっくりぽた、ぽたと頬を滑り落ちていた涙は、今では大粒となって滴り落ちてくる。
「……なんだこれは。止めようと思ったら、何故か余計に悲しくなってきたぞ。止まらない」
「ロ、ロスベル、総長、その」
おいおい、また総長呼びに戻っているぞ、動揺しすぎでは?
などと突っ込む余裕は私にも無く、本気で悲しくなってきた私はその後、子供の如く大泣きして、狂った状況をさらに狂わせたのだった。
「そうか? だが……」
言いかけた私の声を遮るように、グランの声が被さってきた。
「貴女に復讐なんて必要ないでしょう。死ぬ時は笑って、いっそすっきりした清々しい顔で逝かれたくせに。置いて行く俺のことなんか考えもせず、すっかり満足して死んだ貴女が、こんな悍ましい復讐を望むはずがない」
歩み寄ってきたグランが、私を見下ろす。長身から落ちる影が、私を威圧するように重苦しく伸びた。
「満足して死んだのは貴女だけだ。俺は何一つ、満足じゃない。ずっと、幸せになれなかった。この百二十年の間、ずっと」
「グラン」
「俺が恨んでいるのは、貴女も含めてです。……そう言ったでしょう」
「……確かに、言っていたな」
私の声が掠れた。
はっきりと同じ言葉ではないが、同じ意味合いの言葉を聞いた。
憎悪の声。冷たく凍った目。いつか、こんな目でじっと睨まれたことがある。
(……そうだ)
あの時は、「私が全部悪いわけじゃない」と結論付けた。悪いのは私だけではないと。実際、考えてみれば悪いのは教皇猊下であったり国王であったり、私を積極的に罠に嵌めた連中で間違いないのだが、そういうことではなく。
今なら分かる。
私は死ぬべきではなかった。
死こそ、圧倒的な悪だから。
どんな別れ方をしようとも、グランを苦しめたことに変わりはないのだが、私はその悪を、あまりにあっさりと引き受けてしまった。
「グラン……」
ひたひたと、どこか寂寥感にも似た、重たい絶望が私の全身に広がっていく。
続ける言葉もなく、私はただ、その場に項垂れた。
何を言えばいいというのか。すまない? かつてそう言って、グランに「どうせすまないなんて思っていないんでしょう」と言われたものだが。今の私は、本当にすまなかったと思っている。本当に思っているのだが、だからこそ謝る言葉が思い付かない。死んで悪かった? それは確かだ。だが……
大事な人を心の底から傷つけた、そのことを今更悟ったところで、もはや過去は変わらないのだ。
もし死に戻ってやり直したとしても、私は何度でもグランを傷つけることだろう。
(ごめんと言ったところで、もう何も……)
その時グランが、ひゅっと、喉を詰まらせたような音を立てた。
「……………ロスベル。どうしたんです」
「ん?」
「気が付いてないんですか……その、泣いておられる、ようですが」
緊張しすぎて敬語が喉に絡まったような新人のような話し方をしている。何をそんなに動揺しているんだ? 泣いている? 私が? そんなはずがないだろう?
「……」
自分の頬に触れてみたら、指先が濡れた。少し熱っぽい。
なんだこれは?
「泣いている? 私が、か?」
にわかには信じがたい。私はしばらく濡れて光る指先を見つめていたが、水の膜が張った視界がぼやけてきたのに気付いて眉を顰めた。
「……嘘だろう? 赤ん坊の頃でさえ、泣いたことがないんだが」
「それは記憶がないだけでしょう」
グランがバッサリとぶった斬った。
何だこいつ。何故、私より私に詳しいような顔をしているんだ。
私はグランを睨んだ。
「私のことだぞ、私が言っていることの方が正しいに決まってる」
「貴女の言ったことです。故郷が滅びる前の記憶があやふやで、時には脱落部分もあると。ロスベル総長記念館出版の回顧録にも記載された事実です」
その記念館、まだあったのか。
かつてグランが語っていた、私が不死者として甦る前の数々の「施策」を思い返して、別の頭痛がぶり返した。何なんだ、もう……私が眉根を寄せていると、グランが何かに怖気付くように一歩後ろに下がった。見上げると、まるで直視したら潰されるかのように目を細めて視線をぼやけさせている。
「……少し自重していただけませんか、ロスベル」
まるで哀願だ。私が酷いことをしているかのような口振りだな?
「そうやって涙目でムッとした顔をされていると、なんというか。その……貴女が想定していない結果になっていると言いますか」
「お前が新たな性癖を開拓しそうなことだけは分かったぞ。そういうことはひっそりと心の中に留めておけ、この変態、むっつり性癖過重野郎」
「そんな滑らかな暴言がすらすらと……切れ味が違う……変わられましたね、ロスベル」
こんな場面で「変わられましたね」と実感するような変化とは何だ?
絶対にろくなことではない。詳しく聞きたくもないが。
それにしても、私の涙一つでこんなに空気が変わるとは、想定外だった。
だったら、ここぞという時には泣けばいいのか? 止めたらこいつの闇落ちは食い止められる? だが、私は泣きたいと思って泣けるような訓練を受けているわけでもなく……ただ悲しくて……いや、さっきから悲しみが悲しみを呼ぶというか、涙が新たな涙を連れて来るとでもいうのか、止めようとしても止まらない。ゆっくりぽた、ぽたと頬を滑り落ちていた涙は、今では大粒となって滴り落ちてくる。
「……なんだこれは。止めようと思ったら、何故か余計に悲しくなってきたぞ。止まらない」
「ロ、ロスベル、総長、その」
おいおい、また総長呼びに戻っているぞ、動揺しすぎでは?
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