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5-1 雪
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雲行きが変わったのは、その三ヶ月後のことだった。
三ヶ月間、一体何をしていたのか?
というと、実は、語れることがほとんど無いのだが……(「何が起きても、戦争以外は貴女にとって大事件の枠に入らないでしょうしね」とグランに、事実確認をするかのような淡々とした声音で言われたが、そこまでではない、と私は思っている。だが、わざわざ認識を塗り替える必要もないことだ)
日々、鍛錬は重ねていた。これ自体は、際立って特筆すべきことでもないだろう。習慣のようなものだ。毎日剣を振るい、身体を動かさねば落ち着かない。だが、しばらくして私は悟った。
(全く意味がない……)
この身は不死者だ。言い換えれば、魔力によって動かされている死者に過ぎない。幾ら剣を振おうと、過酷な特訓を重ねようと、死んだ時の状態のまま、肉体的に固定されてしまっているのだ。
摩耗した筋肉が魔力によって修復されるだけで、新たな筋力が身に付いたりはしない。つまり、修練などというものは、私にとっては単なる魔力の浪費なのである。
それに気が付いた時は、愕然とした。
(虚しすぎる……!)
私の身体に流れているのは、グランの魔力だ。彼の魔力を無駄にするだけ、というのなら、精いっぱい大人しくしているほかない。生きている時に身に付いた戦闘技術だけをもって、今後の人生(不死者生)を生き抜いて行けということか? 理屈は分かるが、受け入れるにはいささか辛い結論だ。己の武力だけが生きる足掛かりだった、私のような人間には特にそうだ。身に染み付いた鍛錬の時間を封じられて、腹の底から焦燥感が立ち昇ってくる。だが、これもいずれは馴染んでいかねばならないな……と、私は唇を噛みながら考えたのだが。
今にして思えば。
もっと他に、考えるべきことがあったような気がする。
そもそも、もっと基本的なことを見逃していたのでは?
何故、この時点で気付かなかったのか?
こういう時こそ、(元)副官が進言すべきだろう。だが、頼りになるべき彼が黙っていたせいで、私はその時、非常に基本的で重大な事実に全く気が付かず、その後の三ヶ月もそのままやり過ごしてしまったのである。
──後になって、そのせいで、私は倍以上も深刻に頭を抱える羽目になるのだが。
その夜は、雪が降った。
しばらくは、それが雪だとは気付かなかった。何しろ、いつだってある意味砂漠のように荒漠とした、掴みどころのない曇り空ばかり見せられていたのだ。春のそよ風、夏の熱射などといったものとも無縁だ。
数日前から、やたら冷え込むようになったな、と思ってはいた。だが、季節が巡っていたことにすら気付かなかった。
(元から、風流などというものからは縁が遠いが……)
雪と聞いて思い出すものは、紐が凍り付いて脱げない籠手、戦場で、一列に並んだ馬の息が白くもうもうと立ち昇るさま、その年に報告される凍死者数、追い詰められた蛮族どもの襲来、その他もろもろ──といったところで、風流どころか心の安心すらどこを探しても無い。今のように何の構えもなく、思い詰める必要もなく、ただ「あ、雪だ」と思えるのは初めての体験ではなかろうか。いや、まだ故郷が滅びる前の、半ば忘れかけた子供時代であったなら、そんなこともあったかもしれないのだが。
取り留めもなく、そんなことを考えながら、毛布の合間から頭を突き出して、まるで巣穴から外を窺う獣の仔の如く、私は部屋の窓を眺めやった。
暖炉の火も絶えて、部屋は暗く静かだ。カーテンの一部が開いて、空に散らつく白い羽毛のようなものが見えていた。微かな風に舞うように、ふんわりと落ちていく。
体温が低い不死者ゆえ、ほぼ半裸で寝台を抜け出しても、寒さに震えることはない。動けば体熱が生じ、時には汗を掻くこともあるが、それは魔力が循環する作用によるものだ。薄い下衣姿のまま、私は窓の前に立って、爪先立ちで覗き見た。
うっすらと白い雪に覆われていく城の中庭が見下ろせた。人の気配はない。
(そういえば、グランはどこへ行った?)
私が眠っているうちに寝台を抜け出して、どこかへ行ったのだろうか。
今の私は全面的にグランを信用しているのだが、何故か妙に、彼の不在が引っ掛かった。何か、無意識に感じ取るものがあったのか。
さっとマントを羽織り、靴だけはしっかりと履いて、私は部屋の外に彷徨い出た。すぐに見つかると思ったのだが、グランの姿はどこにもなく、間もなく私は城の外にまで出る羽目になった。あと少し探したら諦めよう、戻って温かい卵入りの酒でも飲むぞ、そう自分に言い聞かせながら、フードを目深に被って、散らつく雪の中を歩く。
足跡があった。
しっかりと、一定の間隔をもって、男のものらしき靴跡が薄い雪の上に刻まれている。その後を辿って、城の中央棟の裏手、伸び放題の木々の間に伸びる細い道を歩く。
自我のない低級アンデッドの使用人たちに「庭の美観を考えろ」と言ったところで無理な話で、更に言えばグランも私もそういうことには疎い。その結果、城を囲む敷地の大半は鬱蒼とした木々に覆われ、そのまま放置されている。今までそこに、わざわざ足を踏み入れてみる気も起きなかった。だが、そこに用事がある者がいたらしい。
(こんなところで、何をしているんだ、グランは)
踏み荒らされた雪と土が混じり合って、私の靴底でクチャリと音を立てた。やはり薄く雪をかぶった煉瓦作りの建物が現れ、その中央に重たげな鉄扉があった。特に理由もなく、背筋に走る悪寒が強まった。引き返したい、私らしくもなくそう思う。一つ、深く息を吸い込むと、私は冷たく濡れた鉄環に手を掛けて引き開けた。
その先に、地下に続く階段があった。
(地下?)
悪い予感しかしない。
どんな秘密が隠されているのだとしても、地上に持って行ってはいけないものだろう。
私は努めて、心を無にした。この先に何があっても、取り乱す訳にはいかない。そうして心構えをした甲斐はあった、と思う。念入りに、足音を立てずに階段を下りていくと、最初に見えたのは人の姿らしきものだった。
三ヶ月間、一体何をしていたのか?
というと、実は、語れることがほとんど無いのだが……(「何が起きても、戦争以外は貴女にとって大事件の枠に入らないでしょうしね」とグランに、事実確認をするかのような淡々とした声音で言われたが、そこまでではない、と私は思っている。だが、わざわざ認識を塗り替える必要もないことだ)
日々、鍛錬は重ねていた。これ自体は、際立って特筆すべきことでもないだろう。習慣のようなものだ。毎日剣を振るい、身体を動かさねば落ち着かない。だが、しばらくして私は悟った。
(全く意味がない……)
この身は不死者だ。言い換えれば、魔力によって動かされている死者に過ぎない。幾ら剣を振おうと、過酷な特訓を重ねようと、死んだ時の状態のまま、肉体的に固定されてしまっているのだ。
摩耗した筋肉が魔力によって修復されるだけで、新たな筋力が身に付いたりはしない。つまり、修練などというものは、私にとっては単なる魔力の浪費なのである。
それに気が付いた時は、愕然とした。
(虚しすぎる……!)
私の身体に流れているのは、グランの魔力だ。彼の魔力を無駄にするだけ、というのなら、精いっぱい大人しくしているほかない。生きている時に身に付いた戦闘技術だけをもって、今後の人生(不死者生)を生き抜いて行けということか? 理屈は分かるが、受け入れるにはいささか辛い結論だ。己の武力だけが生きる足掛かりだった、私のような人間には特にそうだ。身に染み付いた鍛錬の時間を封じられて、腹の底から焦燥感が立ち昇ってくる。だが、これもいずれは馴染んでいかねばならないな……と、私は唇を噛みながら考えたのだが。
今にして思えば。
もっと他に、考えるべきことがあったような気がする。
そもそも、もっと基本的なことを見逃していたのでは?
何故、この時点で気付かなかったのか?
こういう時こそ、(元)副官が進言すべきだろう。だが、頼りになるべき彼が黙っていたせいで、私はその時、非常に基本的で重大な事実に全く気が付かず、その後の三ヶ月もそのままやり過ごしてしまったのである。
──後になって、そのせいで、私は倍以上も深刻に頭を抱える羽目になるのだが。
その夜は、雪が降った。
しばらくは、それが雪だとは気付かなかった。何しろ、いつだってある意味砂漠のように荒漠とした、掴みどころのない曇り空ばかり見せられていたのだ。春のそよ風、夏の熱射などといったものとも無縁だ。
数日前から、やたら冷え込むようになったな、と思ってはいた。だが、季節が巡っていたことにすら気付かなかった。
(元から、風流などというものからは縁が遠いが……)
雪と聞いて思い出すものは、紐が凍り付いて脱げない籠手、戦場で、一列に並んだ馬の息が白くもうもうと立ち昇るさま、その年に報告される凍死者数、追い詰められた蛮族どもの襲来、その他もろもろ──といったところで、風流どころか心の安心すらどこを探しても無い。今のように何の構えもなく、思い詰める必要もなく、ただ「あ、雪だ」と思えるのは初めての体験ではなかろうか。いや、まだ故郷が滅びる前の、半ば忘れかけた子供時代であったなら、そんなこともあったかもしれないのだが。
取り留めもなく、そんなことを考えながら、毛布の合間から頭を突き出して、まるで巣穴から外を窺う獣の仔の如く、私は部屋の窓を眺めやった。
暖炉の火も絶えて、部屋は暗く静かだ。カーテンの一部が開いて、空に散らつく白い羽毛のようなものが見えていた。微かな風に舞うように、ふんわりと落ちていく。
体温が低い不死者ゆえ、ほぼ半裸で寝台を抜け出しても、寒さに震えることはない。動けば体熱が生じ、時には汗を掻くこともあるが、それは魔力が循環する作用によるものだ。薄い下衣姿のまま、私は窓の前に立って、爪先立ちで覗き見た。
うっすらと白い雪に覆われていく城の中庭が見下ろせた。人の気配はない。
(そういえば、グランはどこへ行った?)
私が眠っているうちに寝台を抜け出して、どこかへ行ったのだろうか。
今の私は全面的にグランを信用しているのだが、何故か妙に、彼の不在が引っ掛かった。何か、無意識に感じ取るものがあったのか。
さっとマントを羽織り、靴だけはしっかりと履いて、私は部屋の外に彷徨い出た。すぐに見つかると思ったのだが、グランの姿はどこにもなく、間もなく私は城の外にまで出る羽目になった。あと少し探したら諦めよう、戻って温かい卵入りの酒でも飲むぞ、そう自分に言い聞かせながら、フードを目深に被って、散らつく雪の中を歩く。
足跡があった。
しっかりと、一定の間隔をもって、男のものらしき靴跡が薄い雪の上に刻まれている。その後を辿って、城の中央棟の裏手、伸び放題の木々の間に伸びる細い道を歩く。
自我のない低級アンデッドの使用人たちに「庭の美観を考えろ」と言ったところで無理な話で、更に言えばグランも私もそういうことには疎い。その結果、城を囲む敷地の大半は鬱蒼とした木々に覆われ、そのまま放置されている。今までそこに、わざわざ足を踏み入れてみる気も起きなかった。だが、そこに用事がある者がいたらしい。
(こんなところで、何をしているんだ、グランは)
踏み荒らされた雪と土が混じり合って、私の靴底でクチャリと音を立てた。やはり薄く雪をかぶった煉瓦作りの建物が現れ、その中央に重たげな鉄扉があった。特に理由もなく、背筋に走る悪寒が強まった。引き返したい、私らしくもなくそう思う。一つ、深く息を吸い込むと、私は冷たく濡れた鉄環に手を掛けて引き開けた。
その先に、地下に続く階段があった。
(地下?)
悪い予感しかしない。
どんな秘密が隠されているのだとしても、地上に持って行ってはいけないものだろう。
私は努めて、心を無にした。この先に何があっても、取り乱す訳にはいかない。そうして心構えをした甲斐はあった、と思う。念入りに、足音を立てずに階段を下りていくと、最初に見えたのは人の姿らしきものだった。
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