2 / 2
闇落ちの吹き溜まりですが幸せです
しおりを挟む
「王子殿下。お願いいたします。……私たちの婚約を、無かったことに出来ないでしょうか」
私は恐る恐る言いました。
セルリアンを私の弟として迎えてから、時は流れ、今は十二年後。私は貴族の女性らしく、義務として、お父様の定められた良縁……この場合は、王子殿下との婚約を結んでいました。
王子殿下ご自身は、十分過ぎる程「出来た」方です。お忙しい方なので、ほとんど交流らしいものはありませんでしたが、月に一度のお茶会を始めとして、婚約者としての義務はきちんと果たして下さいました。
ですから、婚約破棄──この場合は婚約解消でしょうか、それを私が願い出るのは、ひとえに私の側の理由によるものです。
「……そうだね」
王子殿下は痛む頭を押さえるように、額に手を添えられました。
「これは婚約破棄しても仕方がない。そう思うよ」
「ですよね……」
周囲で、この状況がどう転ぶのか見守っている人々も、うんうんと頷いています。
「本当にそうですよね」
ぼそりと、私の耳元に囁く声がひとつ。
まるで「僕は姉様専用のマントです」と言わんばかりに、私の背中にべったりとした軟体生物のように貼り付いて、顎を私の肩に乗せている青年。すっかり成長して、人目を惹く美青年になったものの、別の理由で人目を引いてばかりいるセルリアンです。
「もっと早く、姉様を解放して下されば良かったのに」
王族に対する不敬など露ほども気にしていないようで、のんびりとした口調でうそぶいています。
その手がもぞもぞと動いて、ドレスの上から私のコルセットの筋をなぞったり、腹をそっと撫でたりしているのが気になるのですが……それ以上に慣れ切ってしまって、眉毛ひとつ動かさずに立っていられる自分がいます。
周囲もまた同じでしょう。弟の奇行は、今に始まったことではないので。
「……はあ」
王子殿下が溜息をつかれました。
「こんなことを言うのも今更だが。婚約者としての最初の茶会でも、そこの弟が、君を膝に乗せていたからな」
「お恥ずかしい話ですが、どうしても離れてくれなくて……」
普通に考えてみなくても、どん引き案件です。
「夜会で踊ろうとしても、君の弟がぴったり後ろにくっついて踊るという……珍妙な光景すぎて、誰もが二度見、三度見していたな」
「弟が器用すぎます……」
夜会での名物のようになってしまって、他国から来たお客様にわざわざ見せて欲しいと頼まれたことさえありました。
「この調子ではきっと、結婚式の誓いの場で、真ん中に君の弟が立つだろうと予想されていて、大々的な賭けまで組まれていたんだ」
「まあ、それは存じませんでした」
「私もそちらに賭けたよ」
「まあ」
案外神経が図太くていらっしゃいますね、殿下。
「賭けが無効になったのは残念だが、君とは円満に婚約を解消しよう。どうか幸せに……なってくれるだろうな?」
殿下の語尾があやふやになっておられます。
私は苦笑いしながら、恭しく頭を下げました。
「ふふふ……これでようやく、邪魔者は排除できた」
「セルリアン、そんな風に悪者みたいな笑い方をしては駄目よ。貴方はせっかく綺麗な顔をしているのだから」
「はぁい、姉様」
返事だけはいいのです。
それに、見た目も。
(それが、どうしてこうなってしまったのかしら)
私の部屋の窓辺を占領して、優雅に頬杖をつき、広げた書物に視線を落としている弟。子供の頃はくるくると巻いた金髪が本当に仔犬のようでしたが、今はなだらかにうねって、金糸に光の筋を通したように煌めいています。
長い睫毛、高く削ぎ落とされたような頬骨はすっかり大人の男性のもので、黙っていればこの王国でも最高の美形と言われるほどです。今は眼鏡を掛けているので、より知性と品格が加わって……
「ねえ姉様、かっこいい? 知的な雰囲気で見惚れてしまう?」
「そうね」
その眼鏡、私が「眼鏡を掛けている男性って知的で素敵ね」と言ったから、たまに掛けているのです。完全な伊達眼鏡です。
広げた書物も、さっきから一ページも進んでいません。定期的に「かっこいい?」と聞くのに忙しいので。
(なんてウザい……いや、ウザ可愛いのかしら)
私ももう、慣れてしまいました。
この弟はウザくて可愛くて、中身は「監禁しちゃうぞおじさん」です。あれから人形遊びをするたびに、弟が持ち出してきた黒髭のおじさん人形を、私はそう呼んでいるのですが……定期的に私が浮気をする妄想をしては、定期的に発狂するおじさんです。
(この子、我が家に来る前に、よほど深い闇を目撃してしまったのかしら)
そう思って、セルリアンが我が家に来る前の家庭環境を調査してみたこともあるのですが、ごく普通でした。全く変わったところのない、ごく普通に仲の良い一家で、今でも揃ってセルリアンに会いに来るほどです。
では、なんで……と悩んでいたら、「姉様が僕を狂わせる天才なんだよ……どれだけ自分が罪深いか分かってる?」などと呟きながら、ぐるぐると闇が渦巻いた目で押し倒してきたので、私はそれ以上考えることを放棄しました。監禁しちゃうぞおじさんの思考など、常人には分かりません。実力行使が一番です。何かあれば、蹴りを入れて部屋から追い出しておけば良いのです。
「かっこいい? 姉様がかっこいいって言ってくれない……なんで……どうして」
「とってもかっこいいわよ、セルリアン」
私はセルリアンの方を見向きもせず、朗らかに言いました。
明らかに茶番ですが、セルリアンがぱあっと顔を輝かせたのが分かります。
(うん、可愛い)
否定できないレベルでウザいですが。
なんといっても、あと五分もしたら、「かっこいいって、誰と比べて? 姉様には僕だけだよね? 僕だけがかっこいいんだよね?」とか言い出すに決まっているのです。
そして私は、「当然でしょう、セルリアン。ちゃんと十二年前に約束したし、だから殿下との婚約も解消したでしょ? 私にはセルリアンだけよ?」と答えるのです。それはもう、すらすらと。
(そう思っていないわけではないもの)
これが愛と呼べるものなのかは分かりませんが。
こんなに闇深い弟を何とか抑えていられるのが私だけだと思うと、自然と微笑んでしまう私がいるのです。
だから多分、私たちはこのまま二人でいて、それでずっと幸せなのでしょう。
私は恐る恐る言いました。
セルリアンを私の弟として迎えてから、時は流れ、今は十二年後。私は貴族の女性らしく、義務として、お父様の定められた良縁……この場合は、王子殿下との婚約を結んでいました。
王子殿下ご自身は、十分過ぎる程「出来た」方です。お忙しい方なので、ほとんど交流らしいものはありませんでしたが、月に一度のお茶会を始めとして、婚約者としての義務はきちんと果たして下さいました。
ですから、婚約破棄──この場合は婚約解消でしょうか、それを私が願い出るのは、ひとえに私の側の理由によるものです。
「……そうだね」
王子殿下は痛む頭を押さえるように、額に手を添えられました。
「これは婚約破棄しても仕方がない。そう思うよ」
「ですよね……」
周囲で、この状況がどう転ぶのか見守っている人々も、うんうんと頷いています。
「本当にそうですよね」
ぼそりと、私の耳元に囁く声がひとつ。
まるで「僕は姉様専用のマントです」と言わんばかりに、私の背中にべったりとした軟体生物のように貼り付いて、顎を私の肩に乗せている青年。すっかり成長して、人目を惹く美青年になったものの、別の理由で人目を引いてばかりいるセルリアンです。
「もっと早く、姉様を解放して下されば良かったのに」
王族に対する不敬など露ほども気にしていないようで、のんびりとした口調でうそぶいています。
その手がもぞもぞと動いて、ドレスの上から私のコルセットの筋をなぞったり、腹をそっと撫でたりしているのが気になるのですが……それ以上に慣れ切ってしまって、眉毛ひとつ動かさずに立っていられる自分がいます。
周囲もまた同じでしょう。弟の奇行は、今に始まったことではないので。
「……はあ」
王子殿下が溜息をつかれました。
「こんなことを言うのも今更だが。婚約者としての最初の茶会でも、そこの弟が、君を膝に乗せていたからな」
「お恥ずかしい話ですが、どうしても離れてくれなくて……」
普通に考えてみなくても、どん引き案件です。
「夜会で踊ろうとしても、君の弟がぴったり後ろにくっついて踊るという……珍妙な光景すぎて、誰もが二度見、三度見していたな」
「弟が器用すぎます……」
夜会での名物のようになってしまって、他国から来たお客様にわざわざ見せて欲しいと頼まれたことさえありました。
「この調子ではきっと、結婚式の誓いの場で、真ん中に君の弟が立つだろうと予想されていて、大々的な賭けまで組まれていたんだ」
「まあ、それは存じませんでした」
「私もそちらに賭けたよ」
「まあ」
案外神経が図太くていらっしゃいますね、殿下。
「賭けが無効になったのは残念だが、君とは円満に婚約を解消しよう。どうか幸せに……なってくれるだろうな?」
殿下の語尾があやふやになっておられます。
私は苦笑いしながら、恭しく頭を下げました。
「ふふふ……これでようやく、邪魔者は排除できた」
「セルリアン、そんな風に悪者みたいな笑い方をしては駄目よ。貴方はせっかく綺麗な顔をしているのだから」
「はぁい、姉様」
返事だけはいいのです。
それに、見た目も。
(それが、どうしてこうなってしまったのかしら)
私の部屋の窓辺を占領して、優雅に頬杖をつき、広げた書物に視線を落としている弟。子供の頃はくるくると巻いた金髪が本当に仔犬のようでしたが、今はなだらかにうねって、金糸に光の筋を通したように煌めいています。
長い睫毛、高く削ぎ落とされたような頬骨はすっかり大人の男性のもので、黙っていればこの王国でも最高の美形と言われるほどです。今は眼鏡を掛けているので、より知性と品格が加わって……
「ねえ姉様、かっこいい? 知的な雰囲気で見惚れてしまう?」
「そうね」
その眼鏡、私が「眼鏡を掛けている男性って知的で素敵ね」と言ったから、たまに掛けているのです。完全な伊達眼鏡です。
広げた書物も、さっきから一ページも進んでいません。定期的に「かっこいい?」と聞くのに忙しいので。
(なんてウザい……いや、ウザ可愛いのかしら)
私ももう、慣れてしまいました。
この弟はウザくて可愛くて、中身は「監禁しちゃうぞおじさん」です。あれから人形遊びをするたびに、弟が持ち出してきた黒髭のおじさん人形を、私はそう呼んでいるのですが……定期的に私が浮気をする妄想をしては、定期的に発狂するおじさんです。
(この子、我が家に来る前に、よほど深い闇を目撃してしまったのかしら)
そう思って、セルリアンが我が家に来る前の家庭環境を調査してみたこともあるのですが、ごく普通でした。全く変わったところのない、ごく普通に仲の良い一家で、今でも揃ってセルリアンに会いに来るほどです。
では、なんで……と悩んでいたら、「姉様が僕を狂わせる天才なんだよ……どれだけ自分が罪深いか分かってる?」などと呟きながら、ぐるぐると闇が渦巻いた目で押し倒してきたので、私はそれ以上考えることを放棄しました。監禁しちゃうぞおじさんの思考など、常人には分かりません。実力行使が一番です。何かあれば、蹴りを入れて部屋から追い出しておけば良いのです。
「かっこいい? 姉様がかっこいいって言ってくれない……なんで……どうして」
「とってもかっこいいわよ、セルリアン」
私はセルリアンの方を見向きもせず、朗らかに言いました。
明らかに茶番ですが、セルリアンがぱあっと顔を輝かせたのが分かります。
(うん、可愛い)
否定できないレベルでウザいですが。
なんといっても、あと五分もしたら、「かっこいいって、誰と比べて? 姉様には僕だけだよね? 僕だけがかっこいいんだよね?」とか言い出すに決まっているのです。
そして私は、「当然でしょう、セルリアン。ちゃんと十二年前に約束したし、だから殿下との婚約も解消したでしょ? 私にはセルリアンだけよ?」と答えるのです。それはもう、すらすらと。
(そう思っていないわけではないもの)
これが愛と呼べるものなのかは分かりませんが。
こんなに闇深い弟を何とか抑えていられるのが私だけだと思うと、自然と微笑んでしまう私がいるのです。
だから多分、私たちはこのまま二人でいて、それでずっと幸せなのでしょう。
48
お気に入りに追加
69
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約者に改めてプロポーズしたら、「生理的に無理です」と泣かれた。俺の方が泣きたい……
月白ヤトヒコ
恋愛
良好な関係を築いていた婚約者の彼女へ、
「どうか、俺と結婚してください!」
と自分のデザインした渾身の指輪を渡して、正式にプロポーズをした。
しかし、彼女は悲しそうな顔をして――――
「とても、素敵な指輪だと思います、が……ごめん、なさい……わたくしは……が……生理的に無理、なんですっ……」
そう絞り出すような泣きそうな声で言った。
「わたくし達のこの婚約が、政略だということは十二分に判っております。つきましては、親族の中よりこの婚約に相応しい女性を複数名お選び致しますので、あなた様がお決めになってください。この数年間、とても楽しく過ごさせて頂きました。あなた様のご健勝を、心よりお祈り致しております。それでは」
そう言うと彼女は、ぽかんとする俺を置いて、悲壮な顔で去って行った。
俺は、真っ白になった。
あぁ・・・泣きたい・・・
そして――――彼女の家から、正式に婚約者の交代を申し入れられたと両親に告げられた。
俺は、絶対に嫌だと、ごねにごねた。
だって、数年間一緒に過ごして、いい感じだと思っていた相手に、「生理的に無理なんです」と涙目で言われて振られた男だ。
そんな男が、嬉々として新しい婚約者を探せると思うか? そんなの、俺には無理だ。
俺は今、ハートブレイク……というか、絶賛ハートクラッシュ中だっ!!
それに、俺はまだ――――彼女のことが好きなんだ。
という感じのラブコメ。ハッピーエンドで終わります。(笑)
設定はふわっと。
表紙と挿し絵はキャラメーカーで作成。
婚約破棄された悪役令嬢は聖女の力を解放して自由に生きます!
白雪みなと
恋愛
王子に婚約破棄され、没落してしまった元公爵令嬢のリタ・ホーリィ。
その瞬間、自分が乙女ゲームの世界にいて、なおかつ悪役令嬢であることを思い出すリタ。
でも、リタにはゲームにはないはずの聖女の能力を宿しており――?
婚約破棄された悪役令嬢は王子様に溺愛される
白雪みなと
恋愛
「彼女ができたから婚約破棄させてくれ」正式な結婚まであと二年というある日、婚約破棄から告げられたのは婚約破棄だった。だけど、なぜか数時間後に王子から溺愛されて!?
私、女王にならなくてもいいの?
gacchi
恋愛
他国との戦争が続く中、女王になるために頑張っていたシルヴィア。16歳になる直前に父親である国王に告げられます。「お前の結婚相手が決まったよ。」「王配を決めたのですか?」「お前は女王にならないよ。」え?じゃあ、停戦のための政略結婚?え?どうしてあなたが結婚相手なの?5/9完結しました。ありがとうございました。
幼馴染と結婚したけれど幸せじゃありません。逃げてもいいですか?
鍋
恋愛
私の夫オーウェンは勇者。
おとぎ話のような話だけれど、この世界にある日突然魔王が現れた。
予言者のお告げにより勇者として、パン屋の息子オーウェンが魔王討伐の旅に出た。
幾多の苦難を乗り越え、魔王討伐を果たした勇者オーウェンは生まれ育った国へ帰ってきて、幼馴染の私と結婚をした。
それは夢のようなハッピーエンド。
世間の人たちから見れば、私は幸せな花嫁だった。
けれど、私は幸せだと思えず、結婚生活の中で孤独を募らせていって……?
※ゆるゆる設定のご都合主義です。
【短編完結】記憶なしで婚約破棄、常識的にざまあです。だってそれまずいって
鏑木 うりこ
恋愛
お慕いしておりましたのにーーー
残った記憶は強烈な悲しみだけだったけれど、私が目を開けると婚約破棄の真っ最中?!
待って待って何にも分からない!目の前の人の顔も名前も、私の腕をつかみ上げている人のことも!
うわーーうわーーどうしたらいいんだ!
メンタルつよつよ女子がふわ~り、さっくりかる~い感じの婚約破棄でざまぁしてしまった。でもメンタルつよつよなので、ザクザク切り捨てて行きます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる