上 下
7 / 26

7.魔王城のアフタヌーンティー

しおりを挟む
 灰色の空が頭上に広がっていた。

(風が気持ちいいなあ)

 長い髪を揺らして、すうっと風が吹き抜けていく。

 魔界を遠く見晴らす場所に在って、私は薄く目を細めた。

 魔界の風が気持ち良く感じるなんて、自分でも意外だ。人間界の、爽やかな緑の匂いや、生き物の気配がする風とは全然違う。見渡す限りの荒漠とした大地は湿り気もなく乾いていて、どこにも海なんて見えないのに、大気には潮風のような塩気が含まれている。ぴりぴりと皮膚を刺激する瘴気と相まって、じっとしていたらそのうち身体から有毒植物でも生えてきそうな空気だなと思う。

(でも、だからこそお兄様の美しさが際立つというか!)

 テーブルを隔てて、向かいに腰掛けているお兄様を見つめた。陰鬱な曇り空を背景に、美しく整えられたお茶の卓、そして非現実的なぐらい繊細な美貌のお兄様。お前に見せる感情など無い、と言わんばかりの完全な無表情。

 暗がりで輝く結晶みたいだ。今すぐ絵師様をここに! と叫びたいけれど叫べない。ならば心のアルバムに焼き付けておくしかない。

「……」

 私が熱心に見つめ過ぎたせいか、お兄様の眉間の皺が深さを増した。

 凍り付きそうな紫の瞳がギロリと私を睨む。以前なら怯えて竦んでいたところだけれど、今の私はにこにことお兄様を見返した。

 だって、私が嬉しそうにお兄様を見ているだけで、何かのカウントダウンみたいな速度で、お兄様の好感度が1、2、3……と上がり続けているのです!

 …………すごくチョロい。そして愛おしい。

「……何も媚びる必要などない。そんなもので私が心動かされることはない。無駄な事柄に気を割くな」
「はい! お兄様」
「……」

 新種のモンスターを見つけてしまったかのような目つきで私を見た後、お兄様は視線を逸らした。

「……人は飲み食いせねば生きていけぬのだろう。好きに食え」
「はい、お兄様!」

 私は喜々として卓上に手を伸ばした。

 まさか、こうして屋外に連れて来られるとは思わなかった。屋外というか、主塔の屋上なのだけれど。俗に言う「空中庭園」というやつだ、多分。

 平らな石屋根の上は家が何軒も建ちそうなぐらいに広々としていて、翼棟や見張り塔に四方を囲まれている。足元にはもこもこと生い茂る草。黒い葉を茂らせた灌木。多分有毒花だと思う、黒や紫の花も咲いている。

 その中に、白いテーブルクロスを敷いたお茶の席が整えられているという状況。

(お兄様、お茶が好きなの?)

 用意されているのは紅茶だ。硝子の台の上には粉砂糖を振り掛けた焼き菓子。胡椒の効いた肉と葉っぱを挟んで小さく切られたサンドウィッチ。チョコレートクリームの間から赤黒い果実が覗くケーキ。

 お茶会だ。

「美味しい!」

 この状況だけでも美味しいのに、食べ物も飲み物も全部美味しい。

「魔界の生き物は魔素を主食にしてると思ってたんですけど。こんなに美味しいものが存在してるんですね」

 素朴な疑問を口にのぼせてしまった。

 お兄様は黙り込み、少し間を置いてぽつりと言った。

「……魔界に人の食物などあるものか。私が一から導入した。耕作地を作り、魔素に耐えうる作物を用意し、ようやく数年前から輸入に頼らず供給できるようになった」
「お兄様が? それはすごいです」
「すごい? 下らん物狂いだと思われている。魔王らしからぬ習癖の持ち主だとな。だが、魔王が尊ぶべき倫理の模範などではないのは周知のことだ。周囲に何と言われようと痛痒を感じん」

 お兄様はぽつぽつと、ゆっくりと話す。少し古風な言い回しと喋り方は、代々の魔王から引き継ぎでもしたのだろうか。

「私は人間のはらから生まれた。人は愚かで弱きものだと思っていた。その考えは今でも変わらん。人の形を取って、ますますその確信は深くなった」
「……」
「胎児の頃から、私には完全な自我と意識があった。母の体外に意識を飛ばし、人間の世界を観察して回った。予想以上に人は弱く、短命で、死への恐怖に衝き動かされているように見えた」

(……お兄様が大事な話をしている)

 私は手にしたフォークを空中で止めた。

 そのままの体勢で、じっとお兄様を見つめて、耳を澄ませる。あのお兄様が、内心と表面の振る舞いが全く一致してないお兄様が、はっきりと自分の内面を語ろうとしている。

 聴かなきゃ。

 お兄様の一挙一動を見逃さないように息をひそめ、耳をそばだてて聞き入った。

「脆さ、弱さに対する恐怖。死への恐怖。恐怖を紛らわすために他人を貶め、少しでも優位に立って心を慰めようとする。そんなものばかりだった。人であることは思った以上の地獄だ。何という惨めな生き物かと、私は人を憐れんだ。だが」

 お兄様は語った。

 その中に、なぜか幸福な者たちが点在していたのだという。それは大抵、小さな輪で、大した力も持たない人々の集まりだった。弱い者がひっそりと、身を寄せ合うように頼り合って暮らしている場所も多かった。

「我々の母からしてもそうだ。人の基準からして、ユグノス家は弱き者とは言えないが、私を宿しているときの母は確かに弱体化していた。だが、その母を中心に、家族や親族どもが夜毎暖炉の傍に座って語らい、労り合うとき、彼らは確かに幸福だった。幸福とは、魔族には存在しない概念であり感覚だ。人の殻を得たとはいえ、私にもまた理解ができなかった。定義づけることができず、ただその場に在ることでのみ感覚として感じられた。以来、考え続けている」
「……」
「弱き者がなぜ、幸福でいられる? 幸福とは何だ? 弱き者だけが理解できるものだとすれば、その殻を被り続ければいずれ、私にも理解できるのだろうか、と」
「……お兄様」

 私は、ごくりと唾を呑み込んだ。

 この人は。

 確かに人に毒されている。

 女神様のもくろみは当たっていたのだ。人として生まれ直すことで、確かにお兄様は純粋な魔ではあり得ない考え方をするようになった。

 でも、やっぱりお兄様はどこまでも魔族なのだ。人の世界の外側から見て、外側から考えている。だからきっと、結局は理解できないまま、人の世界を滅ぼしてしまったのだろう。

 女神様の力で巻き戻ったとはいえ、このままでは同じ結果になる。

(でも、今回は私がいるから)

 お兄様は弱き者である私を傍に置いている。しかも心動かされている。それは多分、今後の物事の流れを変えていくだろう。

 私は宙に止めていた手を下ろし、フォークを皿の上に置いた。

「お兄様。私は魔族からすればとても弱い存在ですけれど、お兄様と一緒にいて幸せです。お兄様はわざわざ人の姿を取らなくても、私を見ていればいずれ、人というものが理解できるはずです」
「……」
「私をここに置いて下さい。できれば一生」
「……………」

 眉根を寄せて、お兄様が私を見た。

 険しい表情だけれど、私は怖くない。にっこりと微笑むと、お兄様の顔が歪むのが見えた。

「お兄様」
「理解ができん。どのみち、私が本来の姿を発現すれば、人であるお前は恐れ慄いて逃げ出すはずだ。人の生存本能がそのように出来ている」
「逃げません。私はお兄様が怖くありません」

 私には自信があった。

 兄妹ものの鉄板である。

 異形化するお兄様、どんな姿であれ兄を受け入れる妹。数百回は反芻したシチュエーションだ。お兄様が巨大な目玉しかない異形に変身しようと、数十本の触手を伸ばそうと問題ない。これでも私は、女神様に認められし筋金入りの兄妹萌えオタクなのだ!!!

(ふっふっふ)

 逆に楽しみでならない。

 怪しい笑いを漏らしてお兄様にドン引かれないよう、崩れそうな顔を必死に抑え込むのを頑張る。

(もっとも、お兄様は大して異様な姿にはならないと思うけれど)

 セージャスと戦っていたときの状況から察するに、お兄様は基本的には人型に近い。触手も無さそうだ。

 そんなことを思いながら、聖母のような微笑みをお兄様に向けた。お兄様好き好き! の想いを全力で込める。

「……」

 お兄様は冷ややかに目を細め、

「ふ。いざとなれば、泣き叫びながら許しを乞うお前を見るのも一興か」

 いかにも魔王様! という台詞を吐いた。

 相変わらず鉄壁の塩対応ですねお兄様!

 けれど、その言動を裏切るように、頭上にあるオレンジ色の線が勢いよくピーッと伸びていく。キュイン! と乙女ゲームにでもありそうな音がして、その色が赤く染まった。

(色が変わった?!)


 魔王アイゼイア・リシツィニアン・ユグノス
 状態:メロメロ
 好感度 7889/9999





(……わあ)

 メロメロ。

 ……この好感度測定、女神様の設定によるものだったりするのだろうか。

(メロメロって……)

 陰鬱な表情を崩さないままで、お兄様がゆっくりと紅茶を口にした。伏せた睫毛が被さる瞳は冷たく、氷の結晶のようで、生きているものの熱さえ感じられない。

 その頭上に燦然と輝く「メロメロ」の表示。

 シュールだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~

涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!

悪役令嬢の幸せは新月の晩に

シアノ
恋愛
前世に育児放棄の虐待を受けていた記憶を持つ公爵令嬢エレノア。 その名前も世界も、前世に読んだ古い少女漫画と酷似しており、エレノアの立ち位置はヒロインを虐める悪役令嬢のはずであった。 しかし実際には、今世でも彼女はいてもいなくても変わらない、と家族から空気のような扱いを受けている。 幸せを知らないから不幸であるとも気が付かないエレノアは、かつて助けた吸血鬼の少年ルカーシュと新月の晩に言葉を交わすことだけが彼女の生き甲斐であった。 しかしそんな穏やかな日々も長く続くはずもなく……。 吸血鬼×ドアマット系ヒロインの話です。 最後にはハッピーエンドの予定ですが、ヒロインが辛い描写が多いかと思われます。 ルカーシュは子供なのは最初だけですぐに成長します。

公爵令嬢の立場を捨てたお姫様

羽衣 狐火
恋愛
公爵令嬢は暇なんてないわ 舞踏会 お茶会 正妃になるための勉強 …何もかもうんざりですわ!もう公爵令嬢の立場なんか捨ててやる! 王子なんか知りませんわ! 田舎でのんびり暮らします!

ゲームの序盤に殺されるモブに転生してしまった

白雲八鈴
恋愛
「お前の様な奴が俺に近づくな!身の程を知れ!」 な····なんて、推しが尊いのでしょう。ぐふっ。わが人生に悔いなし! ここは乙女ゲームの世界。学園の七不思議を興味をもった主人公が7人の男子生徒と共に学園の七不思議を調べていたところに学園内で次々と事件が起こっていくのです。 ある女生徒が何者かに襲われることで、本格的に話が始まるゲーム【ラビリンスは人の夢を喰らう】の世界なのです。 その事件の開始の合図かのように襲われる一番目の犠牲者というのが、なんとこの私なのです。 内容的にはホラーゲームなのですが、それよりも私の推しがいる世界で推しを陰ながら愛でることを堪能したいと思います! *ホラーゲームとありますが、全くホラー要素はありません。 *モブ主人のよくあるお話です。さらりと読んでいただけたらと思っております。 *作者の目は節穴のため、誤字脱字は存在します。 *小説家になろう様にも投稿しております。

【完結】子爵令嬢の秘密

りまり
恋愛
私は記憶があるまま転生しました。 転生先は子爵令嬢です。 魔力もそこそこありますので記憶をもとに頑張りたいです。

【完結】なぜか悪役令嬢に転生していたので、推しの攻略対象を溺愛します

楠結衣
恋愛
魔獣に襲われたアリアは、前世の記憶を思い出す。 この世界は、前世でプレイした乙女ゲーム。しかも、私は攻略対象者にトラウマを与える悪役令嬢だと気づいてしまう。 攻略対象者で幼馴染のロベルトは、私の推し。 愛しい推しにひどいことをするなんて無理なので、シナリオを無視してロベルトを愛でまくることに。 その結果、ヒロインの好感度が上がると発生するイベントや、台詞が私に向けられていき── ルートを無視した二人の恋は大暴走! 天才魔術師でチートしまくりの幼馴染ロベルトと、推しに愛情を爆発させるアリアの、一途な恋のハッピーエンドストーリー。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

私の婚約者は6人目の攻略対象者でした

みかん桜(蜜柑桜)
恋愛
王立学園の入学式。主人公のクラウディアは婚約者と共に講堂に向かっていた。 すると「きゃあ!」と、私達の行く手を阻むように、髪色がピンクの女生徒が転けた。『バターン』って効果音が聞こえてきそうな見事な転け方で。 そういえば前世、異世界を舞台にした物語のヒロインはピンク色が定番だった。 確か…入学式の日に学園で迷って攻略対象者に助けられたり、攻略対象者とぶつかって転けてしまったところを手を貸してもらったり…っていうのが定番の出会いイベントよね。 って……えっ!? ここってもしかして乙女ゲームの世界なの!?  ヒロイン登場に驚きつつも、婚約者と共に無意識に攻略対象者のフラグを折っていたクラウディア。 そんなクラウディアが幸せになる話。 ※本編完結済※番外編更新中

処理中です...