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前編
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※念の為の注意書き
・R15ですが、エロ要素は薄め(無いわけではない)。メインディッシュはギャグと変態です。
・前編はシリアスですが、後編で思い切りぶち壊すための仕様です。つまり前編は罠。温度差が凄いのでお気を付け下さい。
・とても気持ち悪いキャラが出てきます。
・ヒロインは口が悪いです。
---------------------
新月の夜に出歩くのは悪しき者、咎人、愚かな企てを抱く者だと、司祭様は言った。
私も概ねそれに賛成だ。
(良くない。……どころか、最悪だ)
しゃり、と踏み締めた靴の裏で雪の破片が砕ける。ごく薄く、山野を白く覆う程度に舞い落ちる雪は、明日の朝には溶けて泥濘と化しているだろう。つまり、明日の帰路は冷たい泥水を引きずって、実に不愉快な道程となる。無事に帰れればの話だが。
(私はどうあっても帰るつもりだが)
こいつらはどうなるんだ。
傍らを往く、大きな灰色の軍馬を見上げる。こんな森の中を進むのに、なぜこの馬を選んだ? 適した乗獣とはとても言えない。この堂々たる獣は、こんなところで低くしなだれた枝を避けながらのろのろと進むのではなくて、広々と見張るかす戦場を駆けていた方がよほど相応しかっただろう。
シュルゲンゾルドの代々の当主は、戦に生き、戦に死んできた。当代の主がこの軍馬を末の息子に与えたときも、「これに乗って戦場で死ね」という意味だったはずだ。
(それが、なんでこんなことになったんだか)
私は溜息を押し殺した。私は最近この地にやってきて仕え始めたばかりの新参者だ。ご主人様にハッキリ文句を言えるような立場ではない。
ご主人様は、まだ13歳だ。
もう13歳、と本人は思っているだろう。大柄な馬の上にあってもそれほど見劣りしない体躯で、歳の割には落ち着き払って、冷たく威圧的な空気を纏っている。その見た目だけでも、ゴブリンの20体ぐらいは怯えて逃げ去りそうな雰囲気だ。
けれどもそれは、8割方、身につけている衣服の力だ。羊毛を詰めた絹地キルティングの胴着の上に部分鎧を重ね、その上に銀狐の毛皮で飾ったマントを羽織り、見たことがないほど繊細な刺繍を施された長靴を履いている。ご丁寧にも尖晶石の装飾つきだ。マントは東方エルフに作らせた黒い防刃革で出来ていて、軽く風を孕み、普段は脹脛を覆う長さまで落ちる。
(金だな。金の力だ)
私がこの場にいる理由もそれだ。
それだけでは問題にならない。問題は、この金に物を言わせたご主人様が、結局のところただのクソガキである、というところにある。
「なかなか進まんな」
馬上のクソガキ様が、苛立ったような声を洩らした。
「バドゥル? もっと早く案内できんのか」
彼が声を掛けたのは、灯りを持って前方を行く男に対してだ。
バドゥルと呼ばれた男は、ひょこひょこと奇妙な歩き方をしながら振り返った。日に焼けた顔が、へつらうような笑みに歪む。
「申し訳ありませんね、イグナエル様。足元が見えづらくてですね」
「ならば灯りを足すか」
イグナエル様が呪文を唱えると、その手の中にふんわりと金色の光が生まれた。宙に浮かび上がって、ふよふよと漂いながら一定間隔を置いて付いて来る。
神聖魔法だ。この新月の夜にも簡単に発動できるあたり、確かに凄いと思う。
だが、偉そうに唇を歪めて笑いながらこちらを見下ろすのはやめて貰えないか。
「お前は『魔法無し』だったな、女騎士」
「はっ」
事実である。私は魔法を使えない。
だが、そんな人間は平民には山ほどいるし、魔法を使えなくても私はさして困ったことがない。
「辛くはないか。神の恩寵に見放されているというのは」
「恩寵などなくても、戦には勝てますし、十分な名声も得られます」
私は平たい声で言った。
このクソガキ様は、事あるごとにこちらを憐れもうとする。誰に対してもそうなので、一族の中での人気は非常に低いのだが、本人は無駄に自信に溢れているせいか気付いていないようだ。
……いや、物事は公平に言わねばならない。この坊ちゃんは、女性人気はある。まだ若すぎるので周りが沸き立つほどではないのだが、血筋の良さと、金と、将来それなりに美形になりそうな顔立ちが相まって、熱い視線を向けられているのをたまに見かける。
(顔、ね……)
色白の、線の細い顔貌を見上げた。
何よりも目を引くのはその銀髪だ。シュルゲンゾルドの高貴な血とやらを引いていることが一目で分かる髪。それに、その薄緑の目……いや、私はご主人様の顔の美醜には全く興味がないのですぐに目を逸らし、
「新月の夜には、どのような恩寵もただの形骸となります。絶対的な力などありません」
「だからこうして我々が赴いてきたのだ。この森の奥に巣食う魔物どもも、今夜はやや凶暴な野獣に過ぎない。容易く討伐できるだろう」
自信たっぷりな言葉に、私は深く眉根を寄せた。
「……本当にそう上手くいきますかね」
魔獣に力を与えているものがなんなのか、未だに原理は解明されていない。人が新月に失うものは神の恩寵だが、魔獣はまた別の次元で動いているのではないのか。敢えて新月に突撃しようとするのはこの自信過剰な坊ちゃんぐらいなものだから、なかなか解き明かされることもないのだが。
「なんだ、恐ろしいのか」
クソガキ様が嗤う。
「身一つで名を挙げてきた歴戦の女戦士というが、勝てる戦を選んできただけの臆病者だったか」
「勝てる戦を選ぶのは当たり前では?」
私は無愛想に返した。
当然の事だと思うし、なぜ蔑まれているのか分からない。そう考えていると、ハッと鼻で嘲笑された。
「だから所詮は流れ者なのだ。我々一族は劣勢にあっても戦い抜き、血と汗で勝利を贖って来た。だからこその一族の栄華であり、栄光だ。お前には生涯得られぬものだろうがな」
「はあ」
(過去の栄華はともかく、このままだと、この坊ちゃんの首と身体が分かれることになりそうなんだが)
そのとき、私はこの坊ちゃんを守るのか?
(守るしかないだろうな)
そのために雇われているのだから。
だが、いかにも気が乗らない仕事ではあった。
「バドゥル! バドゥル! ……立て! 顔を上げろ!」
その半刻後。
私は半狂乱で叫び立てる坊ちゃんの首根を掴まえて、勢い良く森の中に放り投げていた。
彼がまだ13歳で、見た目の重厚さの割には身体が軽くて助かった。重さに耐え切れず、共に雪の中に倒れ込んででもいたら、今ごろ私も首と胴体が分かたれていただろう。
「な、何をする! ……ぶっ」
顔面から落ちた坊ちゃんが、くぐもった音を立てる。
その首根を再び掴んで、私は低い声で告げた。
「乱暴にしてすみませんね、坊ちゃ……イグナエル様。今は逃げる時です。貴方まで無駄死したいんですか?」
「だが、バドゥルが……」
抗議の声を上げようとして、それどころではないのを思い出したのだろう。イグナエル様は顔を赤く歪めて頷いた。
「立てますか。私に背負って欲しいですか?」
「ば、馬鹿にするな……!」
歯軋りの間から白い息を吐き出しながら、イグナエル様は立ち上がった。その両手と両足に金色の光が宿る。身体強化の神聖魔法だ。
だが、弱体化したそれでは、魔獣に対して手も足も出なかった。即死させられなかっただけ幸運だっただろう。
「私が魔物の気を逸らします。イグナエル様は川沿いに北上して逃げて下さい。途中に小屋があるはずですから、その中に」
「お前が? いや、しかし」
「いいから」
私は礼儀をかなぐり捨てることにした。
「足手まといはとっとと逃げろ! つべこべ言ってないで生き残ることだけ考えろ、生き残ってくれたほうが有り難い。こっちはそれで俸禄を貰ってるんでね!」
怒鳴られたことなどないのだろう、坊ちゃんの顔が色を失って真っ白になった。しかしクソガキであっても愚鈍ではなかったらしい、雪を踏み締めて全力で駆け出した。
同時に私もイグナエル様に背を向けて、暗い森の中を歩き始めた。懐から聖水と魔石を取り出し(恩寵に見放された者でも、魔法を扱うことは出来るのだ)、慎重に魔獣の気配を辿る。濃厚な血の匂い。黒く林立する木々の向こうで、何か大きなものが蠢いている。
獣というより、巨人のような姿。ぼんやりと金色に輝いている。ゆらゆらと霞んだ輪郭が、音もなく森の中を移動していく。
(もう一体、近くに居たはずだが)
息を殺して待っていると、木々の間から金粉をまぶしたような光が広がった。新たな個体がうっそりと頭をもたげる。私の匂いを嗅ぎ付けたようで、巨大な首を伸ばしてこちらを覗き込んでいるようだ。
ひゅ、と息を吸い込んで、私は身構えた。
長い夜になりそうだと思っていたが、その通りだった。
それからは、ただ体力を費やし神経を削る追いかけっこばかりで、華々しく語れることなど何一つない。ぐるぐると山中を巡って連中を撒き終え、イグナエル様が待っているはずの山小屋に辿り着いたとき、私は骨の髄まで疲労困憊していた。
だがとにかく、死んではいない。大事なことだ。
「イグナエル様、いますか?」
強張った手で戸を押し開け、小屋の中に踏み込む。みじめったらしく片隅で小さくなって、膝を抱えて座り込んでいたイグナエル様が、弾かれたように顔を上げた。
「なっ……お前、ノックぐらいしろ!」
「なんだ、元気そうですね」
泣いているのかと思ったのに、と続けようとしたが止めた。
彼の顔に涙の痕跡が見えたからだ。私に悟られたくないのだろう、誤魔化すようにごしごしと顔を擦っている。
あまりにも年相応の少年らしい仕草だった。
「後ニ刻ほどで夜が明けます。それまでここで待ちましょう」
「……」
イグナエル様は頷き、仮眠の支度を整える私をやや虚ろな視線で見ていたが、
「……なあ、父上は捜索隊を送って下さると思うか?」
「何の為に?」
「バドゥルと、リナージュのためだ」
リナージュって誰だ? と思ったが、どうやら灰色の軍馬の名前らしい。
私は肩を竦めた。
「どうでしょうね。お偉方の考えることは分かりませんが……送られたとしても無駄でしょうね」
「なっ……」
イグナエル様の顔が、一瞬で憤激の赤に染まった。
「む……無駄だと?! お前……お前に何が分かる! バドゥルは8年、リナージュは5年間、私の側で仕えてきた。たとえ絶望的だろうと、このまま捨て置くわけにはいかない」
「そうですか」
壁に背中を預け、私は欠伸をした。
イグナエル様は口を開き、私に怒りの声を浴びせようとしたが、途中で固まった。表情が引き攣り、強張って、薄緑の瞳の縁にじわりと涙の粒が滲む。
迷いと痛み、怒り、羞恥、絶望。泣き叫ぶ子供とそう変わりない歪んだ顔で、縋るように私を見た。
「私は……私は、どうしたらいい。こんなことを……こんなことを仕出かして、償うことも報いることもできない……」
「言っておきますが、大変なのはこれからだと思いますよ。悩み苦しんでいる暇もなくなるんじゃないですか?」
「それは、どういうことだ」
「貴方のご家族が、一度躓いた者を許すような甘い方々とも思えません。貴方の評価は地に落ちるでしょうし、いろいろ無理難題も言われるんじゃないですか。それでも本当に償いたいと? 今だけの自己憐憫に溺れてるんじゃなくて?」
「……お前は、厳しいな」
「貴方は選ぶことが出来たんです。バドゥルもリナージュも選べなかった。だから、貴方にはあんまり間違った道を選んで欲しくないんですよ。今後はね」
私は突き放した言い方をした。
心から彼に冷たくしようと思ったわけではない。むしろ、何の怒りも感慨もなかった。
ただの新参者の護衛、ただの即席の主従だ。そこに深い繋がりなどあるわけがない。今後、なるべく良き主になって貰いたいと思っているのは本当のことだが。
だから、無責任に励ますことができる。私は口調を緩めて、ことさらに明るい声で言った。
「本当に償いたいなら、頑張るしかないでしょう」
「そうだな。その通りだ……」
「まだニ刻あります。今は泣いて過ごしてもいいんじゃないですか。朝になったら、ゆっくり泣いている暇なんか無くなるんですから」
「……」
まるで野良猫のような、戸惑う眼差しが私に向けられた。
いや、野良猫よりも余程無防備だ。身を護る矜持も怒りも失って、ただ途方に暮れているように見える。
「誰も見てませんよ。私も気にしませんし、ここでの事は完全に忘れます。今は、どんな選択をしても傷付く相手なんていないんですから。泣いておいた方がいいですよ」
「……ああ」
掠れた声で呟くと、彼は抱えた膝をぎゅっと引き寄せ、
「……ありがとう」
伏せた顔の下から言った。
礼を言われるようなことはしていない。そうは思ったが、別に異議を唱えるほどのことでもない。私も疲れている。壁に寄り掛かって、朝が来るまで浅い眠りに落ちた。切れ切れに聞こえてくる嗚咽の声がまるで聴こえていない振りをするのは、私にとってはごく容易いことだった。
・R15ですが、エロ要素は薄め(無いわけではない)。メインディッシュはギャグと変態です。
・前編はシリアスですが、後編で思い切りぶち壊すための仕様です。つまり前編は罠。温度差が凄いのでお気を付け下さい。
・とても気持ち悪いキャラが出てきます。
・ヒロインは口が悪いです。
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新月の夜に出歩くのは悪しき者、咎人、愚かな企てを抱く者だと、司祭様は言った。
私も概ねそれに賛成だ。
(良くない。……どころか、最悪だ)
しゃり、と踏み締めた靴の裏で雪の破片が砕ける。ごく薄く、山野を白く覆う程度に舞い落ちる雪は、明日の朝には溶けて泥濘と化しているだろう。つまり、明日の帰路は冷たい泥水を引きずって、実に不愉快な道程となる。無事に帰れればの話だが。
(私はどうあっても帰るつもりだが)
こいつらはどうなるんだ。
傍らを往く、大きな灰色の軍馬を見上げる。こんな森の中を進むのに、なぜこの馬を選んだ? 適した乗獣とはとても言えない。この堂々たる獣は、こんなところで低くしなだれた枝を避けながらのろのろと進むのではなくて、広々と見張るかす戦場を駆けていた方がよほど相応しかっただろう。
シュルゲンゾルドの代々の当主は、戦に生き、戦に死んできた。当代の主がこの軍馬を末の息子に与えたときも、「これに乗って戦場で死ね」という意味だったはずだ。
(それが、なんでこんなことになったんだか)
私は溜息を押し殺した。私は最近この地にやってきて仕え始めたばかりの新参者だ。ご主人様にハッキリ文句を言えるような立場ではない。
ご主人様は、まだ13歳だ。
もう13歳、と本人は思っているだろう。大柄な馬の上にあってもそれほど見劣りしない体躯で、歳の割には落ち着き払って、冷たく威圧的な空気を纏っている。その見た目だけでも、ゴブリンの20体ぐらいは怯えて逃げ去りそうな雰囲気だ。
けれどもそれは、8割方、身につけている衣服の力だ。羊毛を詰めた絹地キルティングの胴着の上に部分鎧を重ね、その上に銀狐の毛皮で飾ったマントを羽織り、見たことがないほど繊細な刺繍を施された長靴を履いている。ご丁寧にも尖晶石の装飾つきだ。マントは東方エルフに作らせた黒い防刃革で出来ていて、軽く風を孕み、普段は脹脛を覆う長さまで落ちる。
(金だな。金の力だ)
私がこの場にいる理由もそれだ。
それだけでは問題にならない。問題は、この金に物を言わせたご主人様が、結局のところただのクソガキである、というところにある。
「なかなか進まんな」
馬上のクソガキ様が、苛立ったような声を洩らした。
「バドゥル? もっと早く案内できんのか」
彼が声を掛けたのは、灯りを持って前方を行く男に対してだ。
バドゥルと呼ばれた男は、ひょこひょこと奇妙な歩き方をしながら振り返った。日に焼けた顔が、へつらうような笑みに歪む。
「申し訳ありませんね、イグナエル様。足元が見えづらくてですね」
「ならば灯りを足すか」
イグナエル様が呪文を唱えると、その手の中にふんわりと金色の光が生まれた。宙に浮かび上がって、ふよふよと漂いながら一定間隔を置いて付いて来る。
神聖魔法だ。この新月の夜にも簡単に発動できるあたり、確かに凄いと思う。
だが、偉そうに唇を歪めて笑いながらこちらを見下ろすのはやめて貰えないか。
「お前は『魔法無し』だったな、女騎士」
「はっ」
事実である。私は魔法を使えない。
だが、そんな人間は平民には山ほどいるし、魔法を使えなくても私はさして困ったことがない。
「辛くはないか。神の恩寵に見放されているというのは」
「恩寵などなくても、戦には勝てますし、十分な名声も得られます」
私は平たい声で言った。
このクソガキ様は、事あるごとにこちらを憐れもうとする。誰に対してもそうなので、一族の中での人気は非常に低いのだが、本人は無駄に自信に溢れているせいか気付いていないようだ。
……いや、物事は公平に言わねばならない。この坊ちゃんは、女性人気はある。まだ若すぎるので周りが沸き立つほどではないのだが、血筋の良さと、金と、将来それなりに美形になりそうな顔立ちが相まって、熱い視線を向けられているのをたまに見かける。
(顔、ね……)
色白の、線の細い顔貌を見上げた。
何よりも目を引くのはその銀髪だ。シュルゲンゾルドの高貴な血とやらを引いていることが一目で分かる髪。それに、その薄緑の目……いや、私はご主人様の顔の美醜には全く興味がないのですぐに目を逸らし、
「新月の夜には、どのような恩寵もただの形骸となります。絶対的な力などありません」
「だからこうして我々が赴いてきたのだ。この森の奥に巣食う魔物どもも、今夜はやや凶暴な野獣に過ぎない。容易く討伐できるだろう」
自信たっぷりな言葉に、私は深く眉根を寄せた。
「……本当にそう上手くいきますかね」
魔獣に力を与えているものがなんなのか、未だに原理は解明されていない。人が新月に失うものは神の恩寵だが、魔獣はまた別の次元で動いているのではないのか。敢えて新月に突撃しようとするのはこの自信過剰な坊ちゃんぐらいなものだから、なかなか解き明かされることもないのだが。
「なんだ、恐ろしいのか」
クソガキ様が嗤う。
「身一つで名を挙げてきた歴戦の女戦士というが、勝てる戦を選んできただけの臆病者だったか」
「勝てる戦を選ぶのは当たり前では?」
私は無愛想に返した。
当然の事だと思うし、なぜ蔑まれているのか分からない。そう考えていると、ハッと鼻で嘲笑された。
「だから所詮は流れ者なのだ。我々一族は劣勢にあっても戦い抜き、血と汗で勝利を贖って来た。だからこその一族の栄華であり、栄光だ。お前には生涯得られぬものだろうがな」
「はあ」
(過去の栄華はともかく、このままだと、この坊ちゃんの首と身体が分かれることになりそうなんだが)
そのとき、私はこの坊ちゃんを守るのか?
(守るしかないだろうな)
そのために雇われているのだから。
だが、いかにも気が乗らない仕事ではあった。
「バドゥル! バドゥル! ……立て! 顔を上げろ!」
その半刻後。
私は半狂乱で叫び立てる坊ちゃんの首根を掴まえて、勢い良く森の中に放り投げていた。
彼がまだ13歳で、見た目の重厚さの割には身体が軽くて助かった。重さに耐え切れず、共に雪の中に倒れ込んででもいたら、今ごろ私も首と胴体が分かたれていただろう。
「な、何をする! ……ぶっ」
顔面から落ちた坊ちゃんが、くぐもった音を立てる。
その首根を再び掴んで、私は低い声で告げた。
「乱暴にしてすみませんね、坊ちゃ……イグナエル様。今は逃げる時です。貴方まで無駄死したいんですか?」
「だが、バドゥルが……」
抗議の声を上げようとして、それどころではないのを思い出したのだろう。イグナエル様は顔を赤く歪めて頷いた。
「立てますか。私に背負って欲しいですか?」
「ば、馬鹿にするな……!」
歯軋りの間から白い息を吐き出しながら、イグナエル様は立ち上がった。その両手と両足に金色の光が宿る。身体強化の神聖魔法だ。
だが、弱体化したそれでは、魔獣に対して手も足も出なかった。即死させられなかっただけ幸運だっただろう。
「私が魔物の気を逸らします。イグナエル様は川沿いに北上して逃げて下さい。途中に小屋があるはずですから、その中に」
「お前が? いや、しかし」
「いいから」
私は礼儀をかなぐり捨てることにした。
「足手まといはとっとと逃げろ! つべこべ言ってないで生き残ることだけ考えろ、生き残ってくれたほうが有り難い。こっちはそれで俸禄を貰ってるんでね!」
怒鳴られたことなどないのだろう、坊ちゃんの顔が色を失って真っ白になった。しかしクソガキであっても愚鈍ではなかったらしい、雪を踏み締めて全力で駆け出した。
同時に私もイグナエル様に背を向けて、暗い森の中を歩き始めた。懐から聖水と魔石を取り出し(恩寵に見放された者でも、魔法を扱うことは出来るのだ)、慎重に魔獣の気配を辿る。濃厚な血の匂い。黒く林立する木々の向こうで、何か大きなものが蠢いている。
獣というより、巨人のような姿。ぼんやりと金色に輝いている。ゆらゆらと霞んだ輪郭が、音もなく森の中を移動していく。
(もう一体、近くに居たはずだが)
息を殺して待っていると、木々の間から金粉をまぶしたような光が広がった。新たな個体がうっそりと頭をもたげる。私の匂いを嗅ぎ付けたようで、巨大な首を伸ばしてこちらを覗き込んでいるようだ。
ひゅ、と息を吸い込んで、私は身構えた。
長い夜になりそうだと思っていたが、その通りだった。
それからは、ただ体力を費やし神経を削る追いかけっこばかりで、華々しく語れることなど何一つない。ぐるぐると山中を巡って連中を撒き終え、イグナエル様が待っているはずの山小屋に辿り着いたとき、私は骨の髄まで疲労困憊していた。
だがとにかく、死んではいない。大事なことだ。
「イグナエル様、いますか?」
強張った手で戸を押し開け、小屋の中に踏み込む。みじめったらしく片隅で小さくなって、膝を抱えて座り込んでいたイグナエル様が、弾かれたように顔を上げた。
「なっ……お前、ノックぐらいしろ!」
「なんだ、元気そうですね」
泣いているのかと思ったのに、と続けようとしたが止めた。
彼の顔に涙の痕跡が見えたからだ。私に悟られたくないのだろう、誤魔化すようにごしごしと顔を擦っている。
あまりにも年相応の少年らしい仕草だった。
「後ニ刻ほどで夜が明けます。それまでここで待ちましょう」
「……」
イグナエル様は頷き、仮眠の支度を整える私をやや虚ろな視線で見ていたが、
「……なあ、父上は捜索隊を送って下さると思うか?」
「何の為に?」
「バドゥルと、リナージュのためだ」
リナージュって誰だ? と思ったが、どうやら灰色の軍馬の名前らしい。
私は肩を竦めた。
「どうでしょうね。お偉方の考えることは分かりませんが……送られたとしても無駄でしょうね」
「なっ……」
イグナエル様の顔が、一瞬で憤激の赤に染まった。
「む……無駄だと?! お前……お前に何が分かる! バドゥルは8年、リナージュは5年間、私の側で仕えてきた。たとえ絶望的だろうと、このまま捨て置くわけにはいかない」
「そうですか」
壁に背中を預け、私は欠伸をした。
イグナエル様は口を開き、私に怒りの声を浴びせようとしたが、途中で固まった。表情が引き攣り、強張って、薄緑の瞳の縁にじわりと涙の粒が滲む。
迷いと痛み、怒り、羞恥、絶望。泣き叫ぶ子供とそう変わりない歪んだ顔で、縋るように私を見た。
「私は……私は、どうしたらいい。こんなことを……こんなことを仕出かして、償うことも報いることもできない……」
「言っておきますが、大変なのはこれからだと思いますよ。悩み苦しんでいる暇もなくなるんじゃないですか?」
「それは、どういうことだ」
「貴方のご家族が、一度躓いた者を許すような甘い方々とも思えません。貴方の評価は地に落ちるでしょうし、いろいろ無理難題も言われるんじゃないですか。それでも本当に償いたいと? 今だけの自己憐憫に溺れてるんじゃなくて?」
「……お前は、厳しいな」
「貴方は選ぶことが出来たんです。バドゥルもリナージュも選べなかった。だから、貴方にはあんまり間違った道を選んで欲しくないんですよ。今後はね」
私は突き放した言い方をした。
心から彼に冷たくしようと思ったわけではない。むしろ、何の怒りも感慨もなかった。
ただの新参者の護衛、ただの即席の主従だ。そこに深い繋がりなどあるわけがない。今後、なるべく良き主になって貰いたいと思っているのは本当のことだが。
だから、無責任に励ますことができる。私は口調を緩めて、ことさらに明るい声で言った。
「本当に償いたいなら、頑張るしかないでしょう」
「そうだな。その通りだ……」
「まだニ刻あります。今は泣いて過ごしてもいいんじゃないですか。朝になったら、ゆっくり泣いている暇なんか無くなるんですから」
「……」
まるで野良猫のような、戸惑う眼差しが私に向けられた。
いや、野良猫よりも余程無防備だ。身を護る矜持も怒りも失って、ただ途方に暮れているように見える。
「誰も見てませんよ。私も気にしませんし、ここでの事は完全に忘れます。今は、どんな選択をしても傷付く相手なんていないんですから。泣いておいた方がいいですよ」
「……ああ」
掠れた声で呟くと、彼は抱えた膝をぎゅっと引き寄せ、
「……ありがとう」
伏せた顔の下から言った。
礼を言われるようなことはしていない。そうは思ったが、別に異議を唱えるほどのことでもない。私も疲れている。壁に寄り掛かって、朝が来るまで浅い眠りに落ちた。切れ切れに聞こえてくる嗚咽の声がまるで聴こえていない振りをするのは、私にとってはごく容易いことだった。
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