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5.聖女なるもの、結末
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「魔物だ!」
その声が耳に届いたとき、瞬時にフィオルゼルは走り出していた。
走りながら、帯剣を引き抜く。傍らで、同じようにカイルが武器を構えた。
カタカタカタ……
洞窟の壁に添うように、手足の長い蜘蛛めいた影が下りてきた。素早い。地上に下り切るまでが勝負だろう。そいつが節くれだった脚を伸ばす前に切り払い、さらに多くの影が同じように壁を伝って下りてくるのを目の端で捉えながら、フィオルゼルは走った。
少し遅れて、王子の背後を守りながらカイルがついてくる。洞窟の向こうに剣戟と魔法の光が見え、辿り着いた先では聖女の護衛兵士たちが陣を組んで戦っていた。その中で、最も背が高い男がこちらを振り向く。プレートメイルを纏った、やや顔色の悪い男だ。
「フィオルゼル殿下!」
「聖女様はご無事かい、ロクセル隊長?」
「はい、この奥で結界師たちに守られています」
ロクセル隊長は四十代半ばの生真面目な男で、痩せて無骨な顔立ちのせいか、聖女の毒牙に掛かることもなく、今日までただ黙々と愚直に職務を遂行していた。フィオルゼルにとっては、カイルとその弟たちを除けば、現在もっとも信頼の置ける、まっとうに話せる相手だ。
「これまで魔物の群に出くわさなかったことの方が不自然だと思うんだが。いきなり現れたね?」
「ええ……」
ロクセル隊長の横に陣取り、彼の配下の兵士たちに入り混じって、フィオルゼルは剣を振るった。
彼の剣が魔物を引き裂く瞬間、刀身がブン……と震え、仄かな青い光を帯びる。その光は魔物を切り離した後でもしばらく続いて、洞窟の壁に火花のような燐光を飛び散らせた。魔剣による強化の光だ。
この光は戦場以外でも、彼の身に危険が迫ればそのつど生じる。呪いや暗殺毒を打ち消し、敵に対抗できるよう彼の身体を強化したりもする。魑魅魍魎にまみれた王宮の中で、フィオルゼルが大きな傷を負うこともなく生きて来られたのは、なんだかんだ言ってこの剣の力が一番大きい。
(どこで手に入れたか、まるで覚えていないんだが。気が付いたときには身近に置かれていたから、恐らく母上の血筋から継承したものだろう)
彼の母は無口なせいか、それとも息子に深い関心が持てなかったせいなのか、ほとんどフィオルゼルと会話することもなかったので、彼はこの剣の由来を訊きそびれてしまった。これほど強力な魔剣であれば、さぞかしそれに相応しい名も付いていただろうが、それも分からないままだ。
「……ああ、それが件の魔剣ですか」
ロクセル隊長が呟くように言う。
青い光に照らされた彼の頬はこけて、ポツポツと無精髭が生えていた。元々痩せた男だが、この旅が始まってから更に痩せたように感じられる。
「件の?」
「一部では有名ですよ。第十八王子の魔剣、というのは」
「良い剣だからね」
「そうですね」
フィオルゼルは兵士としての訓練を受けていないので、一兵卒としてはカイルに大きく劣る。だが、この剣がある限り、フィオルゼルは並みの大将格より上の戦力となる。
(ありがとう、助かるよ)
青い燐光を発する剣に向かって、無言で感謝を捧げる。
微かな振動が、まるで剣からの返答のように感じられた。
誰にも言ったことがない事だが。この世で彼が心許せるものといったら、本当に数が少ないが、その数少ないものを上から順に並べてみれば、この魔剣、カイル、乳母のセレスタ、という並びになる。人間よりも剣の方が上なのだ。
常に身に添う、心の寄りどころとなってくれる存在。それだけではなくて、フィオルゼルはたまに、この剣が意思を持って彼を護ってくれているように感じることがある。彼が感じる愛着を、剣もまた彼に対して感じてくれているような。そんなことを口にしたら、人間嫌いが極まり過ぎてモノしか愛せない体になってしまったのか、と言われそうで黙っているのだが……
「あ、聖女様!」
先行していた兵士の叫び声が響いた。
「せ、聖女様……?」
その声が、奇妙に捩じ曲がった。
場がざわついた。
不穏な気が周囲に満ちる。実際に、目に見える形で、黒い瘴気がこちらに向かって広がってくるのだ。浮足立つ兵たちを抑えて、剣に護られたフィオルゼルが数歩先に出る。その足が、その先にあるものを目にして止まった。
聖女がいた。
一人ではない。その周囲に倒れ伏している結界師たちは別にしても、彼女の身体には黒い木の根のようなものが絡み付いていた。肥えた肉が埋もれるように、その根と一体化している。大きく禍々しく育ったそれは、植物が花を付けるように、人間の顔を一つ付けていた。
(魔王……?)
「あ、あんたたち。もう要らないから」
聖女の顔はまだ、完全に木の根に飲み込まれてはいなかった。その茶色い目がきょろりと動いて、フィオルゼルを見る。
「もう嫌になっちゃったの。遊び飽きたし。王子だか何だか知らないけど、いつもお高く止まってて腹立つし。考えてみたら、異世界転移して魔王と恋に落ちるってのもテッパンじゃない? ほら、こんなにイケメンだしさぁ」
テッパン。イケメン。聖女の言葉の意味はところどころ不明だが、魔王を次なる男として選んだことだけは分かる。
だが……
(その魔王の顔とやら、どう見ても偽物だろう)
花が虫を惹き付けるために擬態した模様をつけるように。
魔物が、人の女を誘惑するために顔を付けたのだろう。
木の根の先にくっつけられた顔は白く、人形めいた男の顔だったが、動かし方がよく分かっていないのか、両眼の動きがたまにズレる。閉め忘れた口から黒い木の根が覗いて、ちらちらと強欲そうに動いた。
「聖女と魔王が恋に落ちて、お馬鹿な王子たちにざまあする! ふふふ、一度やってみたかったのよねえ」
聖女は元気いっぱいだ。
魔王に半ば喰われているのに元気そうで何より……と、言っていいのだろうか。
何はともあれ。
これはもはや、魔王ごと討伐する以外にないだろう。
(第五王子が確実に怒り狂うな)
だが、仕方がない。
フィオルゼルは剣の柄を握り締めた。
その声が耳に届いたとき、瞬時にフィオルゼルは走り出していた。
走りながら、帯剣を引き抜く。傍らで、同じようにカイルが武器を構えた。
カタカタカタ……
洞窟の壁に添うように、手足の長い蜘蛛めいた影が下りてきた。素早い。地上に下り切るまでが勝負だろう。そいつが節くれだった脚を伸ばす前に切り払い、さらに多くの影が同じように壁を伝って下りてくるのを目の端で捉えながら、フィオルゼルは走った。
少し遅れて、王子の背後を守りながらカイルがついてくる。洞窟の向こうに剣戟と魔法の光が見え、辿り着いた先では聖女の護衛兵士たちが陣を組んで戦っていた。その中で、最も背が高い男がこちらを振り向く。プレートメイルを纏った、やや顔色の悪い男だ。
「フィオルゼル殿下!」
「聖女様はご無事かい、ロクセル隊長?」
「はい、この奥で結界師たちに守られています」
ロクセル隊長は四十代半ばの生真面目な男で、痩せて無骨な顔立ちのせいか、聖女の毒牙に掛かることもなく、今日までただ黙々と愚直に職務を遂行していた。フィオルゼルにとっては、カイルとその弟たちを除けば、現在もっとも信頼の置ける、まっとうに話せる相手だ。
「これまで魔物の群に出くわさなかったことの方が不自然だと思うんだが。いきなり現れたね?」
「ええ……」
ロクセル隊長の横に陣取り、彼の配下の兵士たちに入り混じって、フィオルゼルは剣を振るった。
彼の剣が魔物を引き裂く瞬間、刀身がブン……と震え、仄かな青い光を帯びる。その光は魔物を切り離した後でもしばらく続いて、洞窟の壁に火花のような燐光を飛び散らせた。魔剣による強化の光だ。
この光は戦場以外でも、彼の身に危険が迫ればそのつど生じる。呪いや暗殺毒を打ち消し、敵に対抗できるよう彼の身体を強化したりもする。魑魅魍魎にまみれた王宮の中で、フィオルゼルが大きな傷を負うこともなく生きて来られたのは、なんだかんだ言ってこの剣の力が一番大きい。
(どこで手に入れたか、まるで覚えていないんだが。気が付いたときには身近に置かれていたから、恐らく母上の血筋から継承したものだろう)
彼の母は無口なせいか、それとも息子に深い関心が持てなかったせいなのか、ほとんどフィオルゼルと会話することもなかったので、彼はこの剣の由来を訊きそびれてしまった。これほど強力な魔剣であれば、さぞかしそれに相応しい名も付いていただろうが、それも分からないままだ。
「……ああ、それが件の魔剣ですか」
ロクセル隊長が呟くように言う。
青い光に照らされた彼の頬はこけて、ポツポツと無精髭が生えていた。元々痩せた男だが、この旅が始まってから更に痩せたように感じられる。
「件の?」
「一部では有名ですよ。第十八王子の魔剣、というのは」
「良い剣だからね」
「そうですね」
フィオルゼルは兵士としての訓練を受けていないので、一兵卒としてはカイルに大きく劣る。だが、この剣がある限り、フィオルゼルは並みの大将格より上の戦力となる。
(ありがとう、助かるよ)
青い燐光を発する剣に向かって、無言で感謝を捧げる。
微かな振動が、まるで剣からの返答のように感じられた。
誰にも言ったことがない事だが。この世で彼が心許せるものといったら、本当に数が少ないが、その数少ないものを上から順に並べてみれば、この魔剣、カイル、乳母のセレスタ、という並びになる。人間よりも剣の方が上なのだ。
常に身に添う、心の寄りどころとなってくれる存在。それだけではなくて、フィオルゼルはたまに、この剣が意思を持って彼を護ってくれているように感じることがある。彼が感じる愛着を、剣もまた彼に対して感じてくれているような。そんなことを口にしたら、人間嫌いが極まり過ぎてモノしか愛せない体になってしまったのか、と言われそうで黙っているのだが……
「あ、聖女様!」
先行していた兵士の叫び声が響いた。
「せ、聖女様……?」
その声が、奇妙に捩じ曲がった。
場がざわついた。
不穏な気が周囲に満ちる。実際に、目に見える形で、黒い瘴気がこちらに向かって広がってくるのだ。浮足立つ兵たちを抑えて、剣に護られたフィオルゼルが数歩先に出る。その足が、その先にあるものを目にして止まった。
聖女がいた。
一人ではない。その周囲に倒れ伏している結界師たちは別にしても、彼女の身体には黒い木の根のようなものが絡み付いていた。肥えた肉が埋もれるように、その根と一体化している。大きく禍々しく育ったそれは、植物が花を付けるように、人間の顔を一つ付けていた。
(魔王……?)
「あ、あんたたち。もう要らないから」
聖女の顔はまだ、完全に木の根に飲み込まれてはいなかった。その茶色い目がきょろりと動いて、フィオルゼルを見る。
「もう嫌になっちゃったの。遊び飽きたし。王子だか何だか知らないけど、いつもお高く止まってて腹立つし。考えてみたら、異世界転移して魔王と恋に落ちるってのもテッパンじゃない? ほら、こんなにイケメンだしさぁ」
テッパン。イケメン。聖女の言葉の意味はところどころ不明だが、魔王を次なる男として選んだことだけは分かる。
だが……
(その魔王の顔とやら、どう見ても偽物だろう)
花が虫を惹き付けるために擬態した模様をつけるように。
魔物が、人の女を誘惑するために顔を付けたのだろう。
木の根の先にくっつけられた顔は白く、人形めいた男の顔だったが、動かし方がよく分かっていないのか、両眼の動きがたまにズレる。閉め忘れた口から黒い木の根が覗いて、ちらちらと強欲そうに動いた。
「聖女と魔王が恋に落ちて、お馬鹿な王子たちにざまあする! ふふふ、一度やってみたかったのよねえ」
聖女は元気いっぱいだ。
魔王に半ば喰われているのに元気そうで何より……と、言っていいのだろうか。
何はともあれ。
これはもはや、魔王ごと討伐する以外にないだろう。
(第五王子が確実に怒り狂うな)
だが、仕方がない。
フィオルゼルは剣の柄を握り締めた。
応援ありがとうございます!
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