上 下
5 / 15

5.聖騎士さまの楽しみ

しおりを挟む
 前回までのあらすじ:私は元婚約者(本人に言わせれば現婚約者)のサフィード様に(魔力的な意味で)弄ばれて、悲鳴を上げて気絶しました。

 ……本当に、最悪だと思います。



 敢えてはっきり言ってしまえば、あれは魔力的な意味での凌辱だった。散々蹂躙された感が凄い。狭い意味での純潔は守られているけれど、精神的な疲労が重たくのしかかっていた。

(このまま結婚したら、毎日あんな感じに……? こ、怖すぎる)

 逃げたい。本当に、心底逃げたい。

「おや、今日も私から逃げることを考えていますね、ディルティーナ。とても可愛いですよ」

(……この人、何を言ってるのかしら)

 言葉の前の部分と後ろの部分が、意味として繋がっていない。怖い。

 だが、私は抗議することも、反発することもしなかった。ただ、彼と目を合わせないように、視線をすっとずらし、瞳の表情を消す。透明人間のように、自分の存在を気付かれず忘れ去られたいのだ。可能ならば、だけど。

「……」

 無言のうちに、ガラガラと車輪がでこぼこ道を走る音が続いた。薄暗い馬車のなかに、閉ざされたカーテンごしの光が篭っている。私と向かい合わせに、ゆったりと足を組んで腰掛けている聖騎士様の方から、再び声が発せられた。

「ともあれ、今、ここで逃げるのはお勧めできませんね。貴方は通行証を持っていないでしょうし。私は聖騎士ゆえに、条約で自由な通行を保証されていますが」
「……通行証? 条約?」

 突然出てきた単語に驚いて、私はサフィード様を見た。
 サフィード様はふふっと、とっておきの悪戯を完成させた子供のような笑みを浮かべて、

「ここは隣国ですよ。つい二十分前ほどに国境を越えましたが、気が付いていませんでしたね」
「隣国……?」
「帝国アスフィーファです。数年前に我が国と和平を結びましたが、まだ何かと不安定な状況です。独り歩きは止めたほうがいいでしょうね」
「……」

 私は真顔になった。

 しばらく黙りこくって、状況を考える。またしても、してやられた。サフィード様に騙された。だが、私はサフィード様に対して怯え切っている上、隙あらば逃げたいとも思っているが、実行に移す気はない。サフィード様が本気になったら、街一つぐらいは焼き払える(※浄化する)のが分かっているのだから。表立って逆らうつもりはない。外側だけ見れば、私はとにかく従順なのだ。そんな私を騙す意味とは……?

(……つまり?)

 私は、完全に能面のような無表情で、サフィード様を見つめた。

「……楽しいですか、サフィード様?」
「そういう返しが来るとは思っていませんでしたね」
「一体何が楽しいのか、純粋に疑問だったんです」
「なるほど」

 サフィード様は楽しげな目で私を見た。水色の目が、薄暗がりでも光を吸ってきらきらと輝いている。気のせいかもしれないが、私の問いかけを聞いて、さらに光が増したように思えた。

「怯えていても、少しはまともに言葉が返せるようになりましたね? 進歩というより、半分自棄になっているようですが、それはそれで。貴方の新しい表情が見られるのは良いですね」
「……」
「その鋼のような無表情もとても愛らしい。今ここで、心から楽しそうに笑いなさい、と私に命じられたら、貴方はどうするのでしょうね?」
「……」

 サフィード様の目。
 笑っているのに、煌めいているのに、底知れない何かを覗き込んだように背筋が寒くなる。硬直したまま、身じろぎもせずに見つめ返したが、思わずひゅっと喉の奥が鳴った。

 怖いのは、この人が私の表情を読んでいるからだ。私の貼り付けた顔の奥にある感情を読んで、まるで病巣を暴く医師のような顔をして分析してみせるからだ。

「……サフィード様は、なぜ」

 なぜ、私を連れて歩く? なぜ、私が婚約破棄するのを許さない? なぜ、私? 特に何も持たない私に、何を求めているの?

 サフィード様が、私に関心を抱いていることは確かだ。そのせいで、今の私はこんな状況に追い込まれているのだから。それなのに、彼が私に抱いている感情の種類が、私には分からない。

「……ふふ」

 私の顔から、私の中でぐるぐると渦巻いている感情を読んだだろうに、サフィード様は薄い唇の端を持ち上げて微笑んだだけだった。

 暗がりの中でも、彼の周りは仄かに輝いているように見える。逆に、闇の魔力を纏う私の周辺は、うっすらと影に覆われているだろう。完全に闇に覆われてしまえば隠れられるのに、サフィード様はそれを許さない。私の隠れを奪う彼の光は、時に暴力的に思える。

「そろそろ、五ヶ月が経ちますね。私が貴方と共に行動するようになってから」
「は、はい」

(……何の話なの?)

「感情が乱高下すればするほど、記憶には色濃く残るものでしょう。貴方にとって、この五ヶ月間は、決して忘れられない日々になったことでしょうね」
「……それは」
「このまま、永遠に忘れられない一年になると良いですね、ディルティーナ?」

 サフィード様はそう言いながら、生まれたばかりの赤児を見守る神の使いのような、柔らかく慈愛に満ちた微笑みを揺蕩たゆたわせた。

 だが、彼が言っている言葉の意味とは。

(……ヒィッ)

 冷たい氷を押し当てられたようだ。私の胸中に悲鳴がこだました。

 怖い。怖すぎる。

(脅迫? 脅迫なの?)

 かろうじて、身を縮こめて蹲りたい衝動を堪えて、彼の方を凝視する。視線を逸らすのも恐ろしいからだが、そうなると、相変わらずくっきり、はっきりと彼の魂に刻まれた名が見えてしまう。「聖なる死の執行者」……しかも、僅かだけれど、以前よりも色濃くなっている?
 それはそうだ。私と一緒に辺境の浄化に当たった数ヶ月のうちに、彼は数万の単位で生命を血祭り……浄化を終えている。

「ディルティーナ?」
「は、はぃっ」
「そろそろ、着きますよ」
「え?」

 天国に、それとも地獄にですか?

 混乱しきった頭がそんな呆けた問いを発していたが、サフィード様はただ、優しく微笑んだ。

「目的の街ですよ。観光がてら、街を歩いてデートでも楽しみましょうか」

 そして、いかにも清廉な聖騎士らしい優雅な仕草で、私に向かって手を差し出した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】悪役令嬢の反撃の日々

アイアイ
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。 「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。 お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。 「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。

私だけが赤の他人

有沢真尋
恋愛
 私は母の不倫により、愛人との間に生まれた不義の子だ。  この家で、私だけが赤の他人。そんな私に、家族は優しくしてくれるけれど……。 (他サイトにも公開しています)

【短編】悪役令嬢と蔑まれた私は史上最高の遺書を書く

とによ
恋愛
婚約破棄され、悪役令嬢と呼ばれ、いじめを受け。 まさに不幸の役満を食らった私――ハンナ・オスカリウスは、自殺することを決意する。 しかし、このままただで死ぬのは嫌だ。なにか私が生きていたという爪痕を残したい。 なら、史上最高に素晴らしい出来の遺書を書いて、自殺してやろう! そう思った私は全身全霊で遺書を書いて、私の通っている魔法学園へと自殺しに向かった。 しかし、そこで謎の美男子に見つかってしまい、しまいには遺書すら読まれてしまう。 すると彼に 「こんな遺書じゃダメだね」 「こんなものじゃ、誰の記憶にも残らないよ」 と思いっきりダメ出しをされてしまった。 それにショックを受けていると、彼はこう提案してくる。 「君の遺書を最高のものにしてみせる。その代わり、僕の研究を手伝ってほしいんだ」 これは頭のネジが飛んでいる彼について行った結果、彼と共に歴史に名を残してしまう。 そんなお話。

【完結】強制力なんて怖くない!

櫻野くるみ
恋愛
公爵令嬢のエラリアは、十歳の時に唐突に前世の記憶を取り戻した。 どうやら自分は以前読んだ小説の、第三王子と結婚するも浮気され、妻の座を奪われた挙句、幽閉される「エラリア」に転生してしまったらしい。 そんな人生は真っ平だと、なんとか未来を変えようとするエラリアだが、物語の強制力が邪魔をして思うように行かず……? 強制力がエグい……と思っていたら、実は強制力では無かったお話。 短編です。 完結しました。 なんだか最後が長くなりましたが、楽しんでいただけたら嬉しいです。

逆行転生した侯爵令嬢は、自分を裏切る予定の弱々婚約者を思う存分イジメます

黄札
恋愛
侯爵令嬢のルーチャが目覚めると、死ぬひと月前に戻っていた。 ひと月前、婚約者に近づこうとするぶりっ子を撃退するも……中傷だ!と断罪され、婚約破棄されてしまう。婚約者の公爵令息をぶりっ子に奪われてしまうのだ。くわえて、不貞疑惑まででっち上げられ、暗殺される運命。 目覚めたルーチャは暗殺を回避しようと自分から婚約を解消しようとする。弱々婚約者に無理難題を押しつけるのだが…… つよつよ令嬢ルーチャが冷静沈着、鋼の精神を持つ侍女マルタと運命を変えるために頑張ります。よわよわ婚約者も成長するかも? 短いお話を三話に分割してお届けします。 この小説は「小説家になろう」でも掲載しています。

【完結】婚約者なんて眼中にありません

らんか
恋愛
 あー、気が抜ける。  婚約者とのお茶会なのにときめかない……  私は若いお子様には興味ないんだってば。  やだ、あの騎士団長様、素敵! 確か、お子さんはもう成人してるし、奥様が亡くなってからずっと、独り身だったような?    大人の哀愁が滲み出ているわぁ。  それに強くて守ってもらえそう。  男はやっぱり包容力よね!  私も守ってもらいたいわぁ!    これは、そんな事を考えているおじ様好きの婚約者と、その婚約者を何とか振り向かせたい王子が奮闘する物語…… 短めのお話です。 サクッと、読み終えてしまえます。

少し先の未来が見える侯爵令嬢〜婚約破棄されたはずなのに、いつの間にか王太子様に溺愛されてしまいました。

ウマノホネ
恋愛
侯爵令嬢ユリア・ローレンツは、まさに婚約破棄されようとしていた。しかし、彼女はすでにわかっていた。自分がこれから婚約破棄を宣告されることを。 なぜなら、彼女は少し先の未来をみることができるから。 妹が仕掛けた冤罪により皆から嫌われ、婚約破棄されてしまったユリア。 しかし、全てを諦めて無気力になっていた彼女は、王国一の美青年レオンハルト王太子の命を助けることによって、運命が激変してしまう。 この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。 *小説家になろう様からの転載です。

私の婚約者を狙ってる令嬢から男をとっかえひっかえしてる売女と罵られました

ゆの
恋愛
「ユーリ様!!そこの女は色んな男をとっかえひっかえしてる売女ですのよ!!騙されないでくださいましっ!!」 国王の誕生日を祝う盛大なパーティの最中に、私の婚約者を狙ってる令嬢に思いっきり罵られました。 なにやら証拠があるようで…? ※投稿前に何度か読み直し、確認してはいるのですが誤字脱字がある場合がございます。その時は優しく教えて頂けると助かります(´˘`*) ※勢いで書き始めましたが。完結まで書き終えてあります。

処理中です...