逆行子役の下克上戦記

寿もと

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るるか

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(デブのユミ…今日も遅刻してきた…)
 幼稚園の教室の中からは門が見えて、そこにデブのユミとユミのお母さんがいた。

(…ずるい)
 眠そうに欠伸するユミの頭を優しく撫でるユミのお母さん

 なんで、遅刻してるのに怒られないの?るるか、前にお寝坊した時、お母さんに前の日のお風呂の冷たくなった水かけられたよ?
 なんでユミは濡れてないの?かけられてないの?

(なんであんなに幸せそうなの?)
                                ずるい…ずるい
                                「…ムカつく」 
                                あんなやつ、大嫌い
                                ギュッと唇を噛み締めると、昨日お兄ちゃんにフライパンで叩かれたほっぺが痛くなった
                                朝、鏡で顔を見てみると紫色に晴れがっていて、すごく気持ち悪かった…。
                                でも、るるかが悪いんだ…お兄ちゃんに静かにしろって言われてたのに、お皿洗いしてる時にコップを割っちゃったから…

                              
                                るるかが煩くしたから悪いって、お母さんも言ってたし…                               
(るるか…悪い子だから、しょうがないよね)
                                お兄ちゃんがるるかを叩くのも、お母さんがるるかに冷たいのも、ぜんぶぜんぶ…るるかが悪いんだもん…

「先生、おはようございます!」

                               悪びれもせず、ユミが教室まで入ってくる
 るるか達の先生、綺麗なお姉さんのあすみ先生がおはよう、と声をかけるとユミは教室後ろのロッカーに荷物をいれようと歩いてくる

 悪びれもせず、飄々とした態度で…歩いてくる

(ムカつく)

 ユミが、るるかの隣を通り過ぎる直前、つい勝手に体が動いていた…

 歩いてくるユミの足元に、サッとるるかの足を差し出して引っ掛けると、ユミは面白いくらい大きく転んだ

 ズドン!って大きな音が鳴って、ユミが顔面から転けていく

「ユミちゃん!?大丈夫!?」

 先生が、心配そうに駆け寄り泣き叫ぶユミを介抱する
 溢れ出るニヤニヤ顔を押し込めようと左手で口を覆うが堪えきれない、でもるるかは優しいから、ユミに向けて心配そうな声を作って口を開く
「ごめんね!ユミちゃん!るるかのお足が引っかかっちゃったんだよね?」

 わざとじゃないのよ?と念を押しながら言うと、先生も、るるかちゃんは悪くないわ、これは事故だものね。と優しそうに笑う

「せんせい…そうなの!わざとじゃないわ!」

 あすみ先生は優しくて良い匂いがするから大好き
 るるかが、前に給食の牛乳を溢した時も、怒って叩いたりしなかったし、一緒に雑巾で拭いてくれた

 こんなに優しい人、あすみ先生だけだもん

 ニコニコと笑うと、あすみ先生は苦い顔をしながら頭を撫でてくれた。

 一昨日、酔っぱらったお母さんに切ってもらってさっぱりした髪が視界でチラつく

 初めてお母さんに切ってもらったからすごく嬉しい!
 少し、ハサミがカスって耳から血が出たけど、それはるるかが少し動いちゃったから悪いの!

「うえーん」

 未だに赤ちゃんみたいにギャン泣きするユミを、るるかから遠ざけるみたいに、抱っこした。
 そしたら、ユミのこと保健室に連れてくと、副担任のシンゴ先生に伝えて教室から出て行っちゃった…

(あーあ、あすみ先生と遊びたかったのに…デブのユミのせいで)

 ギュッと拳を握ると、肩がピリってした

 この間、お兄ちゃんから階段から突き飛ばされてから、なんだか右の肩がうまく動かないんだよね…

「るるかちゃん?どうしたの?」

 隣の席の子が、るるかを見て不思議そうな顔をしていた

「え?ううん、なんでもないよ!」

 あまり仲良くはないのに、急に話しかけてきた隣の子に驚いたけれど、ユミみたいに嫌いな訳じゃないから笑顔で返しておいた

「今日は何して遊ぶんだろうね!」

 幼稚園は楽しい、だって誰もるるかを無視したりしないもん

 
 るるか、幼稚園だいすき!

 にいっと、歯茎を晒して大きく笑うと、隣の子も笑ってくれた 

 カチン

 

 
(…最悪だ)

 
 ガラガラと積み立ててきたものが崩れ落ちるような錯覚

 長年のキャリアで培ってきた、努力も地位も全て嘲笑ってないものにするかのように翻弄する残酷なまでの才能の前に膝が震える

「入山副監督?」

 新人カメラマンのエース、アフロがトレードマークの染谷が心配そうに声をかけてきた

「あ、あぁ、ごめんな…なんでもない」

 ふらふらとする足取りで、なんとか近くのパイプ椅子に腰を下ろす

(…子生意気なガキの演技も録に出来ないのか…あの『化け物』)

 『るるか』の存在感が撮るたびに増す

 その度に駄作に近づく、この作品…

 たった今、撮影された映像がパソコンに映し出される

 他の園児に比べ、明らかに小さくガリガリな体躯、ヨレた服、短くザンバラに切られた髪、頬を覆い隠す悍しい色のアザ。

 るるかに人物設定はないはずなのに、見えてくるのは残酷な、るるかの『家庭環境』

 幸せな一般家庭のユミを恨む、ボロボロのるるか

 担任の先生に、頭を撫でられただけで、嬉しそうに幸せそうに泣きそうな顔をしながら微笑む『るるか』

「…」

 ボロのパーカーの首元から覗く、黒紫色に変色した皮膚と、動く度に、かすかに顔を引きつらせる表情

(…演技なんかじゃ出来ないだろ、あんなの)

 本当にあんな怪我をしないと、あんな細かい演技なんて出来ないだろ…。

 未だに、ボーッと席に座る『るるか』を観察しながら、その小ささに胸が痛む

(…どうなってんだ、『るるか』の事務所は)

 こんなの、警察沙汰になるだろ…演技の為とはいえ、あんな怪我をさせるなんて…あんな小さな子に…
 カットがかかり、『るるか』に近寄る、彼女の付き添い人の新崎くんの姿を意図的に睨みつける
 周囲も、僕と同じ考えの者がいるのか新崎くんを睨む者は少なくない。
 新崎くんは、それを察しているのか、居心地悪そうに俯き、『るるか』に水の入ったペットボトルを差し出す

 るるかは、『右手』でそれを受け取ると、ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲んでいる
 その光景に、違和感を感じながらも目が離せない

「新崎さん、クレヨン」

 顎で新崎くんを使うように、新崎くんから渡された鏡を眺める『るるか』の声がよく響く…
 現場が異様にも静かなせいか、るるかの声がよく通るせいか

「え、此処でかい?はなちゃん」

 焦ったように周囲を見渡す新崎くん

「…このままじゃ、新崎さん誤解されちゃうよ?」

 しょうがない、とでも言うように『るるか』がらしくもなく大人っぽく言うものだから、それすらも違和感しかない

 新崎くんは、少し戸惑いながらも『るるか』にクレヨンを差し出す

 パカっと、開けたクレヨンのケースの中には、綺麗なピンクや鮮やかなグリーン、眩しいイエローなど、綺麗な色は新品同様に鎮座しているのに、黒や、紫…赤、その色だけ使い潰したかのように半分もなかった

『るるか』は、紫色のクレヨンを右手で掴むと、反対の手で前髪をかき上げた

 そのまま、紫色のクレヨンを眉の近くに押しつけた

「え…?」

 隣にいたアフロの染谷くんが、声を漏らしていた

「嘘だ…」

 黒、赤…とクレヨンを押しつける慣れた手つきの『るるか』

 最後の仕上げとでも言うように、手の甲で汗を拭うように擦り上げた…

「…あざ」

 自分の口から出たとは思えないほど、力ない声

 るるかの顔には、新しく『痛々しい傷が出来ていた』

「…特殊メイク」

 こんな子供に、そんな技術あるわけないのに…きっと新崎くんが教えたんだろう…
 なあ、そうだろ?そんな悲痛そうな顔をしないで、そうだと言えよ…。
 なぁ?

 これ以上、あの子を『化け物』にしないでくれ…

 冷たい汗が背筋を撫でて、吐き気すらを催す


 冷たく重い空気

 気持ちが悪いこの空間から早く逃げ出したい

(あぁ、家に帰りたい…こんな仕事、もう辞めたい)

 
「ねぇ、あの子…やばくない?」

「なんか、気持ち悪いよな」

 スタッフたちが畏怖の視線でコソコソと『るるか』を見ながら喋り始める

 同意見で、つい頷きそうになるが、先ほどから体がぴくりとも動かない。

 陰鬱な心情に、全て投げ出したくなって仕方がない

 
(…本当に、全て投げ出してしまおうか…)

 化け物みたいな才能を前にすると、この20年間のキャリアすら全部ムダに思えてきて馬鹿みたいだ…
 僕の人生に意味は…価値はあったのか…

 この子の15倍近く生きてきて、すでにこの子は人生の全てを知っているかのようだ…

 あぁ、なんてチンケなんだ、僕の人生は…

 僕の人生が、なんだか情けなくて…

 自分を嘲笑うかのように口角が上がった時だった


 室内なのに、頬を冷たくするどい風が吹いた気がした
 入り口から引き戸の音が聞こえて、背中の重みが軽くなり、聞き慣れた冷たい声が聞こえた

「誰だ、『るるか』に潰されているのは」

 掠れた、威圧感のある重音…憧れてきた声の凄み模様

 勢いよく振り返ると、視界の端で『彼』を捉えた瞬間、無意識に涙が溢れた

 良いおっさんが、泣くなんてみっともないが、なんでか無性に誰かに助けを求めたくなったんだ

「っ、ニノマエ…監督」

 見慣れたボサボサの髪、長い前髪から覗く切れ長の目は、どんな時でも優しく細められた事はない…

「入山…お前か」

 威圧感のある視線は、ずっと憧れてきたからわかる

(ニノマエ監督は優しい人だ)

 どんなに冷たい雰囲気でも、そこには優しさがあるのを知っている。

「潰されるな…お前は」

 ニノマエ監督の方が一つ年下なのに、こんな偉そうなのに、どうしてか嬉しくなってしまう…

 僕が、一番尊敬し、一番の『天才』だと思っているのは彼だ

 彼にとって、僕なんて道端の石ころ同然なんだろうと何度も思い、影から応援していた…
 今までも、話すのは仕事関係で少しだけ…
 それだけの間柄なのに、彼は僕を知っていた…

 一つ下の彼は、昔から『天才』だった

 嫉妬すら湧くこともおこがましいくらい、彼に憧れた

 
 彼が僕の名前くらい知っていて、仕事仲間なんだから当たり前だろうとは思うが、それでも嬉しいんだ…

 
 震える口元をなんとか動かす

「あとは、あとは頼みますっ、ニノマエ監督!」

 僕に出来るのは、これだけだから

 少しでも、役に立てていたらよかった、迷惑だけはかけたくなかった…。
 こんな、作品を汚すような真似になってしまい、本当に頭が上がらない…。

 いっそのこと、怒鳴りつけて軽蔑された方が気持ち的には楽なのに…

 それなのに、どうして…

「助かったよ…、お前を助監督に任せてよかった」

 ボサボサの、長い前髪から覗く、切れ長の瞳は…優しく細められることはないけれど、確かに…優しかったんだ…

(あぁ…)

 ずるいなぁ…

 本当にずるい…

 声が出ない…目が熱くて喉が痛くてしょうがない

 声が出ないから、頭を下げた

 斜め四十五度の綺麗なお辞儀を意識して頭を下げた

 
(ニノマエ監督…お願いです…

 
 どうか…どうか、『るるか』と言う化け物を…打ち破ってください)

 

 
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