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9・金曜日
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銀杏は月曜日の美術部に参加してからからすでに週末の放課後が気になっていた。あくびが出るほど長い時間は、新しい学園生活にあたふたしているうちにあっという間に過ぎていった。
クラスで隣の席の日日草は留年の経験を活かして授業ごとに教師の特徴を教えてくれた。彼の噂は次々とクラスメイトの耳に入っていったものの、陽気な性格が幸いして陰でひそひそ言う者は少ない。
留年、というからにはさぞ成績が危ないのだろうと周りには思われていたようだが、日日草は「わざと」進級を拒んだのだと銀杏は知っていた。
数学の授業など、教師に当てられて席を立つ日日草の後ろ姿をくすくす笑う生徒もいる。しかし彼は気にせず黒板に解答を書きつける。それで笑っていた生徒は押し黙る。
美術部は週三回やっているが、顧問か部長に話をしておけば空いている日でも部室で作品を制作してよいことになっていた。
「巻耳はほぼ毎日部室に通ってるよ。最近鳥兜先輩と仲良くなってからだけどね」
「へえ~。俺、先輩の絵を見に行きたいんだけど、それって頻繁に顔出したらじゃまにならないかな」
「まさか。ガンガン行って二人をからかってやれよ。他にもただだべってたりなんかしら描いてる人もいるし」
水曜日のクラブもふつうの内容だった。巻耳はモデルになったことなど忘れたかのようにあっけらかんとしていたし、特別練習に参加した部員も調子に乗って練習の内容を口に出さなかった。「秘密」にしておくこと。暗黙の了解ができている。
銀杏も自分のスケッチブックを持ってきて部室のあちこちに置いてあるモチーフを観察し始めた。窓の外を見れば緑の葉をつけた桜の木が風に揺れている。これを描くのも良いな。
木曜日には自主練習へおもむき、銀杏は部室のベランダに出て校庭に並ぶ桜をスケッチした。絵具を出したところで、何をやっているのかのぞきに来た巻耳先輩に画材のアドバイスを受ける。
「今〇〇堂で筆のセールやってるよ。銀杏君はも少し大きな筆使ってもいんでない? ちまちま塗ってるとムラができるっしょ」
「俺、そのムラで木の葉っぱ描くの好きなんですよ」
「へーえ、なるほどね」
そして金曜日。野薔薇部長がクラブ終了三十分前を告げたとき、銀杏はハッと顔を上げてドキドキしながら日日草と一緒に部室に残っていた。
特別練習は、もっと絵が上手くなりたいという意志と、自分がモデルとして指名されることを受け入れるのが参加の条件である。
早く帰りたい生徒がわいわい言いながら部室を飛び出していったあと、野薔薇は残ったメンバーを確認して、「さて」と口を開いた。
「新入生もいるから、公平のために今月は俺がモデルを指名するが、もし希望があるなら立候補してもらいたい」
部長の言葉を聞いて、銀杏は隣の日日草にこっそりたずねた。
「モデルってじゃんけんで決めるとかじゃないの?」
「ああ、この特別練習はね、成績上位者にモデルの指名権が与えられるんだよ」
「絵が上手い人?」
「いやいや、勉強ができる人。それぞれの学年で十位以内に入ってる人がモデルとポーズを指定できる」
「ま……マジで」
「部員全員脱がすために死ぬほど努力してる人もいる」
メンバーはお互いをチラチラと見るだけで誰も立候補しない。巻耳と鳥兜は先日参加したので今日は見学だ。野薔薇が二、三年生の顔を見て何がしか考え始めたとき、軽く手を挙げた者がいた。銀杏の隣で。
日日草だった。
「先輩。僕、銀杏と一緒ならモデルやってもいいですよ」
「ぇっっっっ…………!!!??」
思わず低い声が出てしまった。銀杏は驚いて振り返り、友達の正気を疑った。日日草はあわてている銀杏をなだめるようにちょっと笑って言った。
「部長の指名ならそう悪いことにはならないから。今のうちに経験しておくと自信がついていいと思うよ」
「ええ、ええと、俺、まだそういうの考えたことなくて……その……」
「大丈夫。僕が一緒にいてあげるって言っただろ」
「本気か???」
銀杏はまだ一年生でクラブに入ったばかりだし、しばらくのうちは恥ずかしい思いをすることはないだろうと安心しきっていたのだ。それなのに……
「日日草。いいのか? もう少し休んでいてもいいんだぞ」
野薔薇が問う。彼も少し驚いているようだった。
「もう平気です。新学期になったし、そろそろ僕も前に進まないと」
日日草は先輩に向かって明るい声で答えた。けれど少しだけ声のトーンが下がっていたことを、隣で聞いていた銀杏だけが感じとった。気のせいかと思ったし、それよりもこれから自分の身に何が起こるのかという未知への不安が勝っていたので、友達に声をかけてやる余裕がなかった。
銀杏は黒板の下の教壇に目をやった。あそこで半裸になっていた巻耳のことを思い出す。
「俺も、脱がなきゃいけないの?」
「いや、初心者ならシャツのボタン外すくらいだろ」
そして、野薔薇部長からえっちなポーズ初級を指定された銀杏は、断頭台に登っていくような気持ちで練習の準備に取りかかったのだった。
クラスで隣の席の日日草は留年の経験を活かして授業ごとに教師の特徴を教えてくれた。彼の噂は次々とクラスメイトの耳に入っていったものの、陽気な性格が幸いして陰でひそひそ言う者は少ない。
留年、というからにはさぞ成績が危ないのだろうと周りには思われていたようだが、日日草は「わざと」進級を拒んだのだと銀杏は知っていた。
数学の授業など、教師に当てられて席を立つ日日草の後ろ姿をくすくす笑う生徒もいる。しかし彼は気にせず黒板に解答を書きつける。それで笑っていた生徒は押し黙る。
美術部は週三回やっているが、顧問か部長に話をしておけば空いている日でも部室で作品を制作してよいことになっていた。
「巻耳はほぼ毎日部室に通ってるよ。最近鳥兜先輩と仲良くなってからだけどね」
「へえ~。俺、先輩の絵を見に行きたいんだけど、それって頻繁に顔出したらじゃまにならないかな」
「まさか。ガンガン行って二人をからかってやれよ。他にもただだべってたりなんかしら描いてる人もいるし」
水曜日のクラブもふつうの内容だった。巻耳はモデルになったことなど忘れたかのようにあっけらかんとしていたし、特別練習に参加した部員も調子に乗って練習の内容を口に出さなかった。「秘密」にしておくこと。暗黙の了解ができている。
銀杏も自分のスケッチブックを持ってきて部室のあちこちに置いてあるモチーフを観察し始めた。窓の外を見れば緑の葉をつけた桜の木が風に揺れている。これを描くのも良いな。
木曜日には自主練習へおもむき、銀杏は部室のベランダに出て校庭に並ぶ桜をスケッチした。絵具を出したところで、何をやっているのかのぞきに来た巻耳先輩に画材のアドバイスを受ける。
「今〇〇堂で筆のセールやってるよ。銀杏君はも少し大きな筆使ってもいんでない? ちまちま塗ってるとムラができるっしょ」
「俺、そのムラで木の葉っぱ描くの好きなんですよ」
「へーえ、なるほどね」
そして金曜日。野薔薇部長がクラブ終了三十分前を告げたとき、銀杏はハッと顔を上げてドキドキしながら日日草と一緒に部室に残っていた。
特別練習は、もっと絵が上手くなりたいという意志と、自分がモデルとして指名されることを受け入れるのが参加の条件である。
早く帰りたい生徒がわいわい言いながら部室を飛び出していったあと、野薔薇は残ったメンバーを確認して、「さて」と口を開いた。
「新入生もいるから、公平のために今月は俺がモデルを指名するが、もし希望があるなら立候補してもらいたい」
部長の言葉を聞いて、銀杏は隣の日日草にこっそりたずねた。
「モデルってじゃんけんで決めるとかじゃないの?」
「ああ、この特別練習はね、成績上位者にモデルの指名権が与えられるんだよ」
「絵が上手い人?」
「いやいや、勉強ができる人。それぞれの学年で十位以内に入ってる人がモデルとポーズを指定できる」
「ま……マジで」
「部員全員脱がすために死ぬほど努力してる人もいる」
メンバーはお互いをチラチラと見るだけで誰も立候補しない。巻耳と鳥兜は先日参加したので今日は見学だ。野薔薇が二、三年生の顔を見て何がしか考え始めたとき、軽く手を挙げた者がいた。銀杏の隣で。
日日草だった。
「先輩。僕、銀杏と一緒ならモデルやってもいいですよ」
「ぇっっっっ…………!!!??」
思わず低い声が出てしまった。銀杏は驚いて振り返り、友達の正気を疑った。日日草はあわてている銀杏をなだめるようにちょっと笑って言った。
「部長の指名ならそう悪いことにはならないから。今のうちに経験しておくと自信がついていいと思うよ」
「ええ、ええと、俺、まだそういうの考えたことなくて……その……」
「大丈夫。僕が一緒にいてあげるって言っただろ」
「本気か???」
銀杏はまだ一年生でクラブに入ったばかりだし、しばらくのうちは恥ずかしい思いをすることはないだろうと安心しきっていたのだ。それなのに……
「日日草。いいのか? もう少し休んでいてもいいんだぞ」
野薔薇が問う。彼も少し驚いているようだった。
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日日草は先輩に向かって明るい声で答えた。けれど少しだけ声のトーンが下がっていたことを、隣で聞いていた銀杏だけが感じとった。気のせいかと思ったし、それよりもこれから自分の身に何が起こるのかという未知への不安が勝っていたので、友達に声をかけてやる余裕がなかった。
銀杏は黒板の下の教壇に目をやった。あそこで半裸になっていた巻耳のことを思い出す。
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