最後の十分

つらつらつらら

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6・描くことが好き

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「みなさーん、こんにちは~」

 美術部の部員がそれぞれ自由な姿勢で絵を描いているとき、コンコンと部室のドアがノックされた。のんびりした声の女性が入ってくる。
 部長の野薔薇のばらが顔を上げたので、隅っこでおしゃべりしていた生徒たちも口を閉じて顧問の先生に注目した。

 顧問は紫苑しおんという名前だ。銀杏ぎんなんも美術の授業で一度会ったことがある。野薔薇と同じようにメガネをかけている中年の女性だが、のんびりしたふるまいを見ていると、お日様の下でひらりひらり飛んでいく蝶のようだった。

「せんせー、新入部員ですよ」

 日日草にちにちそうがにこにこしながら銀杏の背を軽く前に押し出した。紫苑はロングスカートをふわりと広げて、室内履きのブーツのかかとをコツコツ鳴らしながら銀杏の近くへ歩いてきた。二人が挨拶を交わしているあいだに、日日草はサッと走っていって机の上に残されていた銀杏のスケッチブックを取ってきた。

「に、日日草、マジで……?」
「部長に言われただろ。いずれ作品発表するんだし、免疫つけといた方がいいぜ」

 銀杏があわあわしているところをかまわず日日草はスケッチブックを先生に渡してしまう。紫苑も素直に受け取ってから、手をつける前に銀杏へ確認した。

「見せてもらっていいかしら?」
「うう……、……はい」

 がっくりと肩を落として、銀杏は承諾した。恥ずかしさでいっぱいだったけれど、ふしぎと嫌な気持ちにはならなかった。

「あら、いいじゃない!」

 わお! と紫苑は表情豊かに感想を言いながらページをめくっていく。さっきも部員たちから色々褒めてもらったけれど、顧問の先生は「雑草の隙間におまけで描いたダンゴムシ」を発見した。それで銀杏は扉を開けることができた。照れくさい気持ちがだんだん落ち着いてきた。春休みに描いたお気に入りの一枚や、赤のグラデーションが上手くいったことなど、絵の説明に加えて少しずつ自己主張を始めるのだった。

「ここの遠景はもう少しぼかしてあげると、『遠くにある』感じが出るわね~」
「ふーむ」

 出来上がりをなんとなく想像しながら銀杏はあいまいに返事をする。あとでやってみよう。

「銀杏君はいいものを持ってるから、よかったらまた見せてね」
「はい。ありがとうございます」

 スケッチブックを戻されて銀杏が浮き足立っているところへ日日草がポンとブレザーの肩を叩いた。

「銀杏、あれ持ってきた? あれ」
「ああ、あれ」

 紫苑は他の部員にも声をかけていき、気になる作品に一言、二言コメントをつけていった。ときおり生徒の筆を借りてちょんちょんと画面を添削する。

 そして登場したときと同じように、紫苑はのんびりとした足取りで部室を出ていった。ブーツのコツコツ響く音が人物を特徴づけている。銀杏は追いかけていって入部届を手渡した。

 先生がいなくなったとたん、さざなみのようにおしゃべりが再開された。部長の野薔薇も席について絵筆を取る。
 真面目な雰囲気から解放された銀杏も一息ついた。日日草についていって部室の隅にある空いた席に座る。日日草は慣れた手つきで色鉛筆の入った箱を開けた。

「日日草の絵も見せてよ」
「いいよ」

 日日草が自分のかばんを探ってハガキサイズの画用紙を入れたファイルを探しているあいだ、銀杏は教卓の周りの広いスペースに目をやった。二つ並べた机の上に新しいモチーフが置かれている。今度は立方体と球体の組み合わせだ。
 イーゼルを立てて新しい木炭紙を広げているのは、先週見たときとほぼ同じメンバーだった。

「今日は巻耳おなもみ先輩、来ないのかな」
「巻耳は顧問の先生が嫌いなんだよ。去年のコンクールでちょっとケンカしてね」
「ケンカ……」

 日日草は色鉛筆を入れた箱から使いやすい色を選んで机に並べながら言った。 

「そのときは一年坊主だったから、ギンギンの自我が先生の『アドバイス』をどうしても受け入れられなかった。あの人がうるさいから賞を逃した、って本人は言い訳してる」
「ふうん……」

 銀杏は先日巻耳が果物デッサンのために座っていた席をぼんやり見つめた。今は別の生徒が場所を取り、新しいモチーフとにらめっこしている。

「先生が嫌いでも、クラブには参加するんだ?」
「絵が好きだからだよ。どーしても描かずにいられないモヤモヤしたものがあるんだろ」

 言葉にできない「何か」にしがみつき、形にしようともがいている巻耳のことを考えた。銀杏は自分が彼の絵を好きになった理由がなんとなくわかった気がした。




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