最後の十分

つらつらつらら

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3・鳥兜

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鳥兜とりかぶと先輩、こちら入部希望の銀杏ぎんなんです」

 日日草にちにちそうは先輩に対してかしこまった様子もなく、ほがらかな声で銀杏を紹介してくれた。

 三年生の鳥兜は、身体つきががっしりとしていて、一見すると運動部に所属しているのではないかと思わせる人だ。隣にいる小柄な巻耳おなもみと並ぶとまるで兄弟のようである。

 そして新入生の銀杏は、三年生をさしおいて他人の絵に夢中になっていたことを今さらながら申し訳ないと思った。

「よろしくお願いします」

 少し身をちぢこませて丁寧にお辞儀をする。

「ほら、せんぱいが怖い顔してるから銀杏くんが緊張してるじゃないですか」
「む……そんなつもりじゃないんだが」

 二年生の巻耳がからかうように鳥兜へ話しかけた。くすくす笑っている巻耳を見ていると、友達である日日草と一緒にいるときとはなんだか雰囲気が違う気がする。目をきらきらさせて、じっと鳥兜を見つめている。いかつい鳥兜も後輩である巻耳の視線を真正面から受け止めて、穏やかな表情になっている……ように銀杏には思われた。

 巻耳と鳥兜。二人の先輩は同時にうなずいた。巻耳が部室に残った数人の美術部員に顔を向ける。

「それじゃ、今日の特別練習は僕がモデルになるよ。新入生の銀杏くんのために、一肌脱いであげましょう」

 パチパチとまばらな拍手が送られる。巻耳は声援を受けて手をひらひらさせた。

 巻耳と鳥兜は手を洗いに廊下へ出て行った。ザー、と蛇口から水の流れる音が聞こえる。ときどき二人のおしゃべりが混じる。

 先輩たちを待っているあいだ、手持ち無沙汰な銀杏はそっと日日草に声をかけた。

「日日草……、最初に三年の先輩へ声をかけなかったの、失礼なことしちゃったよね?」
「ああ、そんなに気にしないで。鳥兜先輩は集中してるときに話しかけられるのあまり好きじゃないんだよ」

 日日草が言うとおり、鳥兜は銀杏に対して嫌悪の表情も見せず(気難しそうではあったが)、まったく気にしていないようだった。
 銀杏は鳥兜の静物デッサンをあらためて眺めてみた。巻耳の作品とは微妙に違っていて、明暗のはっきりした力強い印象がある。

「そういえば先輩が言ってた特別練習って何?」

 残り三十分で巻耳が絵のモデルになるという。これが日日草の言っていた人物画の練習かな? 銀杏がぼんやり思い出しているとき、隣の日日草が軽く腕を小突いてきた。

「それなんだけどさ、この三十分は絵描きにとってかなり収穫があると思う。でも銀杏が合わないと思ったらすぐ帰っていいからな」
「え、うん……? 人物画の練習、だよね」
「そう。先輩が脱いでくれる」
「ぬ。…………ヌード?」
「そ。さすがに全裸は恥ずかしいけどね。これは有志によるさらなる高みへ目指す会」

 美術部員の中で真剣に技術を極めたい者が、お互いに協力するのだという。モデルは日によって変わるのだとか。
 風景画が趣味の銀杏は、ヌードを練習するのは初めてだ。どんなものなのか見学してみるのも有りだと、気楽に考えていた。

 部室に戻ってきた巻耳がイーゼルにぶつからないように避けながら教壇の隅に立った。人ひとり寝転ぶくらいなら十分のスペースがある。一方、鳥兜は部屋の後ろまで行って自分の荷物からジャムのビンのようなものを取り出していた。巻耳の近くに戻ってくると、彼は教壇の端に座る。
 他の生徒もめいめいにスケッチブックやノートを開いて床に座った。日日草と銀杏も同じように近くに腰を下ろす。

 巻耳の心の準備ができたころ、日日草が銀杏へもうひとつ説明を加える。

「銀杏、これふつーの練習と違って、モデルに魔法を使っていいんだぜ」
「魔法??」
「意識が飛ぶような魔法。でも、モデルは動いちゃいけないんだ」

 巻耳はみんなに背を向けた。おもむろに自分の学生ズボンのベルトに手をかける。

「ぇ……」

 ここで脱ぐの? 銀杏の頭の奥で危険信号が鳴った。未知の世界に引きずりこまれたときにはすでに遅く、少年のやわらかなお尻が目の前にあった。

 ズボンを半分だけ下ろした巻耳は慎重に姿勢を低くしていくと、教壇の端に座る鳥兜の腕に寄りかかった。膝をつき、腰を高く上げて、銀杏たちによく見えるように調整する。かろうじて抜き身は隠されているが、ピンク色の窪みが惜しげもなくさらされている。
 そこを……

「……あっ、」

 巻耳の細い声が聞こえた。鳥兜の骨太の手が伸びてきて、巻耳の繊細な部分を指で軽く引っ張った。粘膜の内側が少し見える。秘所がヒク、とわずかに震える。銀杏には刺激が強すぎた。

 巻耳も鳥兜もそれ以上動かない。巻耳はときどき無意識に腰を揺らしながら、鳥兜の身体にしがみついていた。
 体格差のある二人が絡み合う姿を、銀杏の近くに座る生徒たちが素早くスケッチする。許された時間は短い。無心で手を動かしていた。

 銀杏はしばらく思考が止まっていた。日日草は何も言わない。鉛筆以外の雑音は聞こえない。巻耳の熱い吐息が耳に刺さる。外のグラウンドから、ポーンとテニスボールの打ち返される音がやけに響く。
 たしかにただの人物画練習ではない。スケッチをしている生徒の一人が立ち上がって場所を移動した。角度を変えて再びモデルに目を向ける。

 巻耳のなめらかな肌に釘付くぎづけになっていた銀杏は、時間がどれだけ過ぎたのかわからなかった。
 
「先輩、あと十分です」
「うん」

 日日草が壁の時計を見て鳥兜に声をかける。
 鳥兜は巻耳のお尻から手を離すと、かたわらに置いてあったビンのふたを回した。ラベルが貼ってあるので中身はわからない。
 彼がビンに指を入れて、そっと持ち上げたのはピンク色の細長い触手だった。他にも数本うねうねしているようだが、外に出てきたのは一本だけだ。あやしい生物は、いったい何メートル収納されていたのだろうとふしぎに思うほどするすると伸びていく。タコの脚のようにうねるそれは巻耳の腰を這っていき、迷わずにある一点を目指していた。

 銀杏が息を飲んで衝撃的な瞬間を目の当たりにしたとき、日日草がこそっと教えてくれる。

「鳥兜先輩は魔法生物を操るんだ。こういう刺激的なエサがあれば、みんな喜んで真剣に絵の練習するだろ?」
「刺激……強すぎじゃない?」
「銀杏も入部したらこれやるんだぜ。あくまで自由参加だけど」
「ええー……いや俺はさっきの人たちと一緒に帰るよ」
「くすくす。大丈夫だよ。僕が一緒にいてやさしくしてあげるから」
「なにそのイケメンなセリフ……?」

 結局正常な思考は戻ってこなかった。日日草いわく「さらなる高みへ目指す会」最後の十分で、銀杏の心には忘れられない記憶が刻まれたのだった。




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