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41・傷

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 ルーニャはナイトフォールから頼まれた本を無事に受け取った。

「ありがとうございます」
「大事に使っとくれ」

 会計は事前に済ませてある。少年はほくほくしながら紙袋をリュックに詰め込んだ。ルーニャが迷いなく店の出入口へ顔を向けたので、店主は意外そうに大きく目を開いた。

「おや、もう帰るのかい。他の本は見ていかないのか?」
「うん、友達と約束してるんです」
「ほおお、仲良くやってるようだね。よかったじゃないか」
「でも、いじわるなやつなんですよ。僕のこと手下にしたいみたいだし」

 手下? 不穏な言葉を聞いて店主はわずかに眉をひそめた。

「やられっぱなしじゃないだろうね。お前さんのことだから、我慢して相手のいいように扱われちまいそうだな」
「前の旦那様とは違うから、ときどき反撃してますよ」
「んん、……うむ。そんならいいがね」

 店主はごにょごにょ、と言葉をにごしてそれ以上は言わなかった。ルーニャは小さな気づかいに自然とほほ笑みが浮かんだ。

「へへ、また来ます」
「風邪引くんじゃないよ」

 チリリン……


 静かになった古書店。店内にはゆるやかな音楽が流れている。店主はふうと一息ついて、少年が出ていった空色のドアをしばらく見つめていた。

「いじわるしてくるやつを友達と呼んでもいいものかねえ……」

 古書店に来る前に世話になっていたという家では、あの少年はだいぶ痛い目にっていたらしい。閉じこもりがちな性格ゆえに、自分にちょっかいを出す人間をみずから引き寄せていやしないかと、店主は少し心配していた。
 本を読んだり、勉強に興味を持ったりしたことでだいぶ健康になったと思う。それでもまだ苦労は絶えないだろう。人生は長い。この世のすべての本を読むには短すぎるが。

「ナイトフォールさんがいい人でよかったな」

 ぼやいたところへ一人の客がカウンターへやって来た。店主はすぐに顔を上げて対応する。

「いらっしゃいまし」


 古書店から海へはバスで行く。
 ルーニャは窓際の席から外の景色を楽しんだ。慣れ親しんだ人とのおしゃべりは楽しい。しかし一人になると、ふいに今朝泥沼にハマりそうになった本の感想を思い出してしまう。

(あ、また思い出しちゃった)

『女神の吐息』
 大好きな作品なのに、物語の展開がどうしても腑に落ちないこと。幸せになるはずだった少年と女神、二人は離ればなれになってしまう。

「ぐぬぬ」

 読んでいる自分の心が救われなかったので、誰かに愚痴ぐちを言いたかった。それでも古書店の店主には黙っていたのだ。だだをこねているようで子どもっぽいかなと思ったから。別の本の話をすればよかった。

「…………」

 ルーニャはぼんやり遠くを見つめた。

 たぶん、オトナという人に遠慮をしているのかもしれない。
 線を引いている? 近づきたいけれど、なんとなくけてしまう。

 大人ニ近ヅイタラ痛イコトヲサレル。

 かつてその身に受けた傷が、少年の心に警鐘を鳴らしている。

 でも、店長はいい人だ。たぶんああいう人をお父さんと呼ぶのだろう。

 ガタガタとバスに揺られている。くもり空を見上げながら、ルーニャはガラス窓に頭をもたせかけた。

(ナイトフォール様も……いい人だ)

 あの人は優しい。あのオトナの人は、もっと近づきたいとさえ思う。

「あれはたしか……」

 屋敷に来てから間もないころ。ナイトフォールに頼まれた本を探しに部屋を歩き回った。

『さまよえる海の騎士』について二人で話していたときだ。海が好きなルーニャのお気に入りのひとつ。
 ナイトフォールの語りは耳に心地良く、さびしさをなぐさめてくれるようなあたたかさを感じた。自分と同じ、物語に没頭する人の顔だった。

 彼はルーニャにとってもっとも特別な人だ。


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