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39・再会
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チリリン、チリリリ
街角の古書店のベルはいつも涼しそうな音がする。空色のペンキで塗ったドアは、ルーニャは海の色だと思っていた。少しすり減ったドアノブの手触りが心地良い。
外の石畳の通りをパンクした自転車をガタンゴトン言わせながら人が通り過ぎていった。
「おや、ルーニャじゃないか。ご注文の品だね。中へお入り」
「こんにちは」
書棚の向こうからひょいと顔を見せた店主は陽気なガラガラ声でルーニャを呼んだ。すっきりした紺色のポロシャツが相変わらずの太鼓腹を引き締めている。ルーニャがパタンとドアを閉じて一歩踏み出すと、店主のおでこが照明を反射してピカリと光った。
「お屋敷に行ってからほとんどこっちに来ないじゃないか。ちゃんと飯食っとるのかい?」
「たくさんいただいてます。すごく料理の上手なお手伝いさんがいるんですよ」
「それならいいがね。たしかに、この間見たときより腹がマヨネーズっぽくなっているな」
「僕、太ったかなあ?」
「いい太り方をしていると言ったんだ。もうちっと身長もほしいがな」
「ちゃんと伸びてますよ」
ルーニャは薄手のトレーナーの上からお腹をさすってこっそり確認した。まだぽっちゃりはしていない。と思う。
少し背も高くなった。屋敷の中でナイトフォールの隣に立ったとき、あるいは腕の中に収まっているとき、自分の顔が少しづつ主人の顔に近づいていると気づくことがある。本当にわずかな差なのだけれど、「あ、伸びている」と知る瞬間が嬉しかった。
ルーニャが古書店に居候していたときから店主は彼を見ると口癖のように「もっと食べろ」と言う。ありがたくおかわりさせてもらった結果、おかげで体力がついて笑うことが増えた。
「頼まれたものを用意しておくから、店の中を見ていていいぞ」
「はーい」
店主はカウンターの裏へ回り事務所へ入っていった。ルーニャは早速くるりと振り返っててくてく歩き始めた。
休日の午後であっても客はまばらで、ルーニャが以前見たことある常連客が一人いた。あまり人気のないお店なのかなと心配ではあったが、店主の人柄の良さが長年営業を続ける秘訣になっているのだと思う。
店内にはゆるやかな弦楽器の音楽が流れていた。懐かしい匂いがする。屋敷にも古い書物はたくさんあるけれど、古書店の紙の匂いはまた特別だった。
書棚をいくつか通り過ぎて店の奥まった所に近づくと、場の雰囲気が変わった。照明の光が届いておらず、どうも薄暗い。それを補うように棚の隙間にランプが置いてある。必要なら手に持って本の山を探検することができた。黄色くなった本がズンズン積み上げられて棚からあふれている。マニアックな読者が目をキラキラさせながら宝探しに訪れる場所だった。
ルーニャが最初に目にしたのは『過去からのメッセージ ~蛸の吸盤に宿る神の目~』という本だ。うーむ……と三秒考えてから、隣のタイトルを読む。『楽ちん! 一日でできる部屋の模様替え』『コミュ障、畑と対話する』『魔法のなくなった街』
……色々な本がある。ルーニャはアンテナをピンと立ててさらにあちこち見回した。
ふと背後に気配を感じて顔を上げた。少年がぽつんと立っていた。本を探したいがルーニャにさえぎられているので順番を待っているようにも見える。
ルーニャは軽くお辞儀をして一歩退いた。少年に場所を譲って去ろうとしたとき、
「~~、~?」
少しかすれた声。ちょうど声変わりの時期なのかもしれない。単語が聞き取れなかったのでルーニャはすぐに反応できなかった。少年がもう一度繰り返してくれた。たぶん違う国の言葉だ。
サーッと緊張が走る。
琥珀色の肌をした少年はルーニャより少し年下だろうか。明るいオレンジ色のTシャツがよく馴染んでいる。くりくりした目でこちらの返事をじっと待っているようだ……。
「えーっ、えーと、コンニチハ?」
ルーニャはおろおろしながら試しに勉強中の第二言語で挨拶をした。
「あっ、コニチハ!」
少年の言葉遣いが変わった。良かった、これなら通じるらしい。
次は何を言えばいいのだろう。古い本は、オールド、ブック……?
「小さい、本、探す」
少年が身振り手振りでたどたどしい単語を伝えてきた。彼もまだ勉強中のようだ。指で空中をなぞり、欲しい本の大きさを示す。手のひらサイズだろうか。
「……、あ、豆本?」
小さい本と聞いて豆本が思い浮かんだ。それなら会計カウンターの近くに設置されたワゴンの中だ。
「小さい、本、あっち」
ルーニャは指さして少年をあちら側へ振り向かせた。先に歩き出して誘導する。少年はニコリとして素直についてきた。
さて、ワゴンへ辿り着いたら何て声をかけたらいいのだろう? ルーニャは頭を沸騰させて意味のありそうな単語を探していく。同時に、もう少し勉強していたら、もっとちゃんとした会話ができたのかもしれないと反省もしていた。
街角の古書店のベルはいつも涼しそうな音がする。空色のペンキで塗ったドアは、ルーニャは海の色だと思っていた。少しすり減ったドアノブの手触りが心地良い。
外の石畳の通りをパンクした自転車をガタンゴトン言わせながら人が通り過ぎていった。
「おや、ルーニャじゃないか。ご注文の品だね。中へお入り」
「こんにちは」
書棚の向こうからひょいと顔を見せた店主は陽気なガラガラ声でルーニャを呼んだ。すっきりした紺色のポロシャツが相変わらずの太鼓腹を引き締めている。ルーニャがパタンとドアを閉じて一歩踏み出すと、店主のおでこが照明を反射してピカリと光った。
「お屋敷に行ってからほとんどこっちに来ないじゃないか。ちゃんと飯食っとるのかい?」
「たくさんいただいてます。すごく料理の上手なお手伝いさんがいるんですよ」
「それならいいがね。たしかに、この間見たときより腹がマヨネーズっぽくなっているな」
「僕、太ったかなあ?」
「いい太り方をしていると言ったんだ。もうちっと身長もほしいがな」
「ちゃんと伸びてますよ」
ルーニャは薄手のトレーナーの上からお腹をさすってこっそり確認した。まだぽっちゃりはしていない。と思う。
少し背も高くなった。屋敷の中でナイトフォールの隣に立ったとき、あるいは腕の中に収まっているとき、自分の顔が少しづつ主人の顔に近づいていると気づくことがある。本当にわずかな差なのだけれど、「あ、伸びている」と知る瞬間が嬉しかった。
ルーニャが古書店に居候していたときから店主は彼を見ると口癖のように「もっと食べろ」と言う。ありがたくおかわりさせてもらった結果、おかげで体力がついて笑うことが増えた。
「頼まれたものを用意しておくから、店の中を見ていていいぞ」
「はーい」
店主はカウンターの裏へ回り事務所へ入っていった。ルーニャは早速くるりと振り返っててくてく歩き始めた。
休日の午後であっても客はまばらで、ルーニャが以前見たことある常連客が一人いた。あまり人気のないお店なのかなと心配ではあったが、店主の人柄の良さが長年営業を続ける秘訣になっているのだと思う。
店内にはゆるやかな弦楽器の音楽が流れていた。懐かしい匂いがする。屋敷にも古い書物はたくさんあるけれど、古書店の紙の匂いはまた特別だった。
書棚をいくつか通り過ぎて店の奥まった所に近づくと、場の雰囲気が変わった。照明の光が届いておらず、どうも薄暗い。それを補うように棚の隙間にランプが置いてある。必要なら手に持って本の山を探検することができた。黄色くなった本がズンズン積み上げられて棚からあふれている。マニアックな読者が目をキラキラさせながら宝探しに訪れる場所だった。
ルーニャが最初に目にしたのは『過去からのメッセージ ~蛸の吸盤に宿る神の目~』という本だ。うーむ……と三秒考えてから、隣のタイトルを読む。『楽ちん! 一日でできる部屋の模様替え』『コミュ障、畑と対話する』『魔法のなくなった街』
……色々な本がある。ルーニャはアンテナをピンと立ててさらにあちこち見回した。
ふと背後に気配を感じて顔を上げた。少年がぽつんと立っていた。本を探したいがルーニャにさえぎられているので順番を待っているようにも見える。
ルーニャは軽くお辞儀をして一歩退いた。少年に場所を譲って去ろうとしたとき、
「~~、~?」
少しかすれた声。ちょうど声変わりの時期なのかもしれない。単語が聞き取れなかったのでルーニャはすぐに反応できなかった。少年がもう一度繰り返してくれた。たぶん違う国の言葉だ。
サーッと緊張が走る。
琥珀色の肌をした少年はルーニャより少し年下だろうか。明るいオレンジ色のTシャツがよく馴染んでいる。くりくりした目でこちらの返事をじっと待っているようだ……。
「えーっ、えーと、コンニチハ?」
ルーニャはおろおろしながら試しに勉強中の第二言語で挨拶をした。
「あっ、コニチハ!」
少年の言葉遣いが変わった。良かった、これなら通じるらしい。
次は何を言えばいいのだろう。古い本は、オールド、ブック……?
「小さい、本、探す」
少年が身振り手振りでたどたどしい単語を伝えてきた。彼もまだ勉強中のようだ。指で空中をなぞり、欲しい本の大きさを示す。手のひらサイズだろうか。
「……、あ、豆本?」
小さい本と聞いて豆本が思い浮かんだ。それなら会計カウンターの近くに設置されたワゴンの中だ。
「小さい、本、あっち」
ルーニャは指さして少年をあちら側へ振り向かせた。先に歩き出して誘導する。少年はニコリとして素直についてきた。
さて、ワゴンへ辿り着いたら何て声をかけたらいいのだろう? ルーニャは頭を沸騰させて意味のありそうな単語を探していく。同時に、もう少し勉強していたら、もっとちゃんとした会話ができたのかもしれないと反省もしていた。
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