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35・読書の隙間に本を読む
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『女神』シリーズの第二作を図書館にある端末で検索した結果、無事に書棚へ収められていることがわかった。ルーニャは読み終えた第一作『女神の聖域』をカウンターに返却して、目的の場所へ直行した。発行したレシートを見ながら、ずらりと並んだ本の背表紙を目で追っていく。作家の名前を順にたどり、前作を発見した場所へ近づいていくにつれ、「もうすぐ会える!」期待で視力が高まる。見逃すつもりはない。
『女神の吐息』
本の厚さ、色、さまざまある中、例の本のタイトルが少年の目に飛び込んできた。見覚えのある凛々しい明朝体。わかりやすいように文字が光っているのかと思った。ビリッとくる電気刺激で脳が活性化される。
「あった!」
ナイトフォールの友人であるレオンのオススメだ。第一作を手にしたときここには無かった。誰かが先に読んでいたのだろう。感想を聞いてみたい。シリーズものを追いかけるとき、貸出で抜けた巻があると、それを読んでいる人のことを想像する。顔も知らない「誰か」と作品の魅力を共有していることが楽しく感じられるのだ。同じ沼にハマっている仲間へ、勝手に信頼を寄せている。
太陽は真上に昇る少し前。図書館は明るく、開放的だった。近くの窓の外で鳩が飛んでいった。巣作りをしているのか、くちばしに小枝を咥えている。ルーニャは両手に持った本をじーっと見つめている。宝物を得た勝利の余韻にしばらく浸っていた。
ページをパラパラめくる。まだ新しい本だ。白い紙にはっきりと黒く印刷された文字。それは見ただけならただの黒い模様なのに、読み始めると登場人物が動き出す。声が聞こえてくる。
周りを見ると面白そうな本を発見してしまうので、ルーニャはなるべくよそ見をしないように早歩きでカウンターへ向かった。途中、少し背の曲がった老人の後ろを避けて通る。
(僕もおじいちゃんになるまでずっと本を読んでいたいなあ)
シワシワの手で本を開く、老人の真っ直ぐな視線が記憶に残る。
今日は、いつも使っているリュックには本が一冊しか入っていない。肩や首が痛くない。身体が軽いという感覚を久しぶりに思い出して、ルーニャの足取りは半分浮かれていた。
浮かれていたので何かを忘れていることに気がつかなかった。
午後になり、屋敷の庭に出て早速女神シリーズの続きを読んでみようと足を運んだとき、お気に入りのリンゴの木のそばに先客がいた。
「今日は暖かいね」
小さなガーデンテーブルのそばに腰掛けたナイトフォールはルーニャの姿を見つけると口の端をゆるめた。
「ご一緒してもいいですか?」
「もちろん」
ルーニャは自分で持ってきた折り畳みイスを主人の近くに置いた。ナイトフォールはテーブルの上に数冊の本とノートを並べている。仕事、もしくは読書の邪魔にならないように、とルーニャが無言でイスに座ったとき、ナイトフォールが穏やかな声で話しかけてきた。
「ルーニャ、その本が終わったら、あとで宿題を見せてごらん」
「え」
宿題
その言葉を聞いて、少年はスンッと現実に返ってきた。
ナイトフォールはルーニャのキョトンとした目を見て、事情を察する。交わす言葉がなく、しばらくお互いに見つめ合ってしまった。
「……」
古典の翻訳をするように言われていた。気がする。ナイトフォールは大学で非常勤講師をしているので、ときどきルーニャの勉強の面倒も見てくれる。ルーニャは屋敷にいながら読書の隙間に一般教養を学んでいた。
しかし昨日から読書の隙間に本を読むような感じで女神シリーズに夢中になっていたため、勉強がおろそかになっていたのだ……。宿題は毎日出されるわけではなかったから、ルーニャは勉強への義務感が薄い。
真面目な少年には珍しいことなのだが、レオンとの新しい出会いが「日常」に少しのスパイスを振りかけていたせいかもしれなかった。
「ルーニャ、こちらへ来なさい」
ナイトフォールはルーニャをイスから立たせて自分のそばへ来るように促した。紳士の表情はいつもの通り穏やかであるが、少年は不安になって心臓の鼓動が速くなった。主人の言いつけを忘れたことは昔世話になっていた家でもあった。そのときは寝不足だったり、お腹が空いていたり、なにかしらやむを得ない理由を述べることができたが、今回は完全にルーニャの落ち度である。
「宿題は何だったかね?」
「……古典の、翻訳です」
「私の選んだ本より、君の好きな本の方が重要だったかな」
「いいえ。旦那様……すみません」
主人はルーニャの顔を静かに見つめている。責めている様子はない。ナイトフォールはルーニャを蔑ろにするような人物ではないのだ。
これは、主人が飼い猫に触れるための口実に過ぎなかった。
「ふむ、君には自由な読書を許していたが、ほどほどを覚えなければいけないよ」
「はい、旦那様」
「私の言いつけを守らないわるい子には、躾をしなくてはね」
ナイトフォールから「躾をされる」というシチュエーションは初めてかもしれない。主人に詫びて赦しを乞う悪い子を演じるのは半年以上ぶりだ。ナイトフォールの手が伸びてルーニャのシャツのボタンに触れたとき、少年は今日二度目のビリッとくる電気刺激に襲われた。
『女神の吐息』
本の厚さ、色、さまざまある中、例の本のタイトルが少年の目に飛び込んできた。見覚えのある凛々しい明朝体。わかりやすいように文字が光っているのかと思った。ビリッとくる電気刺激で脳が活性化される。
「あった!」
ナイトフォールの友人であるレオンのオススメだ。第一作を手にしたときここには無かった。誰かが先に読んでいたのだろう。感想を聞いてみたい。シリーズものを追いかけるとき、貸出で抜けた巻があると、それを読んでいる人のことを想像する。顔も知らない「誰か」と作品の魅力を共有していることが楽しく感じられるのだ。同じ沼にハマっている仲間へ、勝手に信頼を寄せている。
太陽は真上に昇る少し前。図書館は明るく、開放的だった。近くの窓の外で鳩が飛んでいった。巣作りをしているのか、くちばしに小枝を咥えている。ルーニャは両手に持った本をじーっと見つめている。宝物を得た勝利の余韻にしばらく浸っていた。
ページをパラパラめくる。まだ新しい本だ。白い紙にはっきりと黒く印刷された文字。それは見ただけならただの黒い模様なのに、読み始めると登場人物が動き出す。声が聞こえてくる。
周りを見ると面白そうな本を発見してしまうので、ルーニャはなるべくよそ見をしないように早歩きでカウンターへ向かった。途中、少し背の曲がった老人の後ろを避けて通る。
(僕もおじいちゃんになるまでずっと本を読んでいたいなあ)
シワシワの手で本を開く、老人の真っ直ぐな視線が記憶に残る。
今日は、いつも使っているリュックには本が一冊しか入っていない。肩や首が痛くない。身体が軽いという感覚を久しぶりに思い出して、ルーニャの足取りは半分浮かれていた。
浮かれていたので何かを忘れていることに気がつかなかった。
午後になり、屋敷の庭に出て早速女神シリーズの続きを読んでみようと足を運んだとき、お気に入りのリンゴの木のそばに先客がいた。
「今日は暖かいね」
小さなガーデンテーブルのそばに腰掛けたナイトフォールはルーニャの姿を見つけると口の端をゆるめた。
「ご一緒してもいいですか?」
「もちろん」
ルーニャは自分で持ってきた折り畳みイスを主人の近くに置いた。ナイトフォールはテーブルの上に数冊の本とノートを並べている。仕事、もしくは読書の邪魔にならないように、とルーニャが無言でイスに座ったとき、ナイトフォールが穏やかな声で話しかけてきた。
「ルーニャ、その本が終わったら、あとで宿題を見せてごらん」
「え」
宿題
その言葉を聞いて、少年はスンッと現実に返ってきた。
ナイトフォールはルーニャのキョトンとした目を見て、事情を察する。交わす言葉がなく、しばらくお互いに見つめ合ってしまった。
「……」
古典の翻訳をするように言われていた。気がする。ナイトフォールは大学で非常勤講師をしているので、ときどきルーニャの勉強の面倒も見てくれる。ルーニャは屋敷にいながら読書の隙間に一般教養を学んでいた。
しかし昨日から読書の隙間に本を読むような感じで女神シリーズに夢中になっていたため、勉強がおろそかになっていたのだ……。宿題は毎日出されるわけではなかったから、ルーニャは勉強への義務感が薄い。
真面目な少年には珍しいことなのだが、レオンとの新しい出会いが「日常」に少しのスパイスを振りかけていたせいかもしれなかった。
「ルーニャ、こちらへ来なさい」
ナイトフォールはルーニャをイスから立たせて自分のそばへ来るように促した。紳士の表情はいつもの通り穏やかであるが、少年は不安になって心臓の鼓動が速くなった。主人の言いつけを忘れたことは昔世話になっていた家でもあった。そのときは寝不足だったり、お腹が空いていたり、なにかしらやむを得ない理由を述べることができたが、今回は完全にルーニャの落ち度である。
「宿題は何だったかね?」
「……古典の、翻訳です」
「私の選んだ本より、君の好きな本の方が重要だったかな」
「いいえ。旦那様……すみません」
主人はルーニャの顔を静かに見つめている。責めている様子はない。ナイトフォールはルーニャを蔑ろにするような人物ではないのだ。
これは、主人が飼い猫に触れるための口実に過ぎなかった。
「ふむ、君には自由な読書を許していたが、ほどほどを覚えなければいけないよ」
「はい、旦那様」
「私の言いつけを守らないわるい子には、躾をしなくてはね」
ナイトフォールから「躾をされる」というシチュエーションは初めてかもしれない。主人に詫びて赦しを乞う悪い子を演じるのは半年以上ぶりだ。ナイトフォールの手が伸びてルーニャのシャツのボタンに触れたとき、少年は今日二度目のビリッとくる電気刺激に襲われた。
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