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29・浮かれた猫
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「できたぁ」
ルーニャは水色の便箋三枚を両手に持って万歳した。早朝の柔らかな光が紙に透けて、重なった文字が暗号のように見える。緊張して震えた文字。相手はちゃんと解読できるのだろうか?
宛先は『かぐや姫』の出版社の住所を書いた。切手をペタリと貼る。
便箋を丁寧に折りたたんで、ドキドキしながら封筒に滑りこませた。紙の厚さでふっくらした封筒を両手に挟む。この中に「ありがとう」がつまっているのだ。
手紙を書き終えたころにはちょうど朝食の時間だった。
「おはようございます!」
猫耳を装備したルーニャは元気よく食堂へ向かった。
「おはよう」
「おはようございます」
主人のナイトフォールはいつものように穏やかな笑顔で迎えてくれた。しわのないシャツを着こなした主人はお気に入りのマグカップで珈琲をいただいている。顔色が良いので、夕べはきちんと眠れたのだろう。ルーニャは、昨日無理して「おねだり」しなくてよかったと思った。
使用人のアリスも挨拶を返しながら、猫耳少年を見てぱあ~っと頬がゆるんだ。可愛いものに弱いアリスを喜ばせるのはルーニャの趣味のひとつになっている。
ルーニャもにこにこしながら空いている席についた。
「ルーニャ、今日はずいぶんご機嫌だね」
「はい。手紙を書き終わったので、あとでポストに入れてきます」
「先生もきっと喜ぶよ」
初めて作家に感想を贈る緊張と不安は、ナイトフォールのあたたかな一言でやわらいだ。終わってしまえば、気持ちのよい達成感で庭を駆け回りたくなった。
朝食はドライフルーツたっぷりのシリアルだ。甘いものは人を幸せにしてくれる。
食事のあと図書館へ行く支度をして、主人からこれも一緒に頼むと渡された郵便物を預かり、ルーニャは明るい光の中へ出かけていった。
初夏の陽気が暖かい。ルーニャは歩きながらカーディガンの袖をまくった。
イチョウ並木の緑が鮮やかだった。扇形の葉を見上げながら道の角を曲がり、信号の手前で立ち止まる。
赤いポストは少年が来るのを待っていたように静かに佇んでいた。ルーニャは背中のリュックから封筒を取り出すと、別れを告げるようにじっと表書きを見つめる。やがて顔を上げて、ポストに手紙を投函した。パサッ。他の郵便物にかぶさる音。
ポストの横に貼ってある時刻表を確かめる。次の回収まであと30分は先だ。
「わあー」
ルーニャはふしぎな解放感で身体がふわふわ浮かんでいく気持ちがした。
楽しい物語を読んだときの、強い火力で心が燃える感覚とはちがう。
『かぐや姫』は、ずっとルーニャの心の中で生きていた物語だった。少年の孤独を慰め、ひとときの安らぎを与えてくれる。自分の中で完結していた喜びを作者に伝えようとするのは、なかなか勇気のいることだった。
少年は一歩ずつ前に進んでいた。
図書館は開館したばかりで人がほとんどいなかった。
ルーニャは小説のコーナーだけでなくあちこち探検して回るので、哲学やスポーツなど大まかな分野の位置を把握している。おかげであまり人が寄らず過疎になっているコーナーを避難場所として、じっくり読書にふけることができた。
発見した秘密のゾーンは、子どもには刺激の強い本をこっそり読むのにちょうどいいのである。
ルーニャは書棚の陰に潜むようにして壁に寄りかかると、先ほど見つけた本を開いた。
ルーニャと同じ十六歳くらいの少年が、年上のお姉さんの魅力に目覚める物語だ。じつはお姉さんは女神の化身であり、少年と一緒に古代神殿を探検する。
五ページに一回は男の子の心をくすぐる色っぽいシーンがあり、ルーニャは「ちょっと立ち読みする」どころではなくなってしまった。
夢中でページをめくっているうちに時間はお昼近くになっていた。お腹が鳴る音でハッと現実に返ってきたルーニャは、目をきらきらさせながら上の空で本を閉じた。
「……やばいものを見てしまった」
本来の女神の姿を現したお姉さんが魔物に肌を舐められている。
この世界には、気が狂っている作家がたくさんいるんだなと、ルーニャは天井を仰いで彼らに感謝した。
ファンタジーにあまり興味がないジャンはきっと読んでいないだろう。人が知らないことを知っている優越感は心地良い。
それからルーニャはいそいそと他のコーナーを回り、「これは絶対面白いやつだ」と目星をつけていた本を二、三冊抜き取った。
手に取るときにチラッと近くを見ると、先週は見かけなかった真新しい本が棚に収まっているではないか。
「あっ、鳥の詩シリーズの新刊……!?」
カッとなって中身も確かめずに我がものにした。信頼している本ならハズレはほとんどない。
貸出できるギリギリの数まで本を抱えて、少年はほくほくしながらカウンターへ持っていった。
平日の昼間に子どもが外をうろうろしているのはあまりいい目で見られない。けれども図書館という場所は、大人でも子どもでも、すべての人に平等だ。
今日は戦利品が多い。背負ったリュックがずっしりと重かった。
ルーニャは水色の便箋三枚を両手に持って万歳した。早朝の柔らかな光が紙に透けて、重なった文字が暗号のように見える。緊張して震えた文字。相手はちゃんと解読できるのだろうか?
宛先は『かぐや姫』の出版社の住所を書いた。切手をペタリと貼る。
便箋を丁寧に折りたたんで、ドキドキしながら封筒に滑りこませた。紙の厚さでふっくらした封筒を両手に挟む。この中に「ありがとう」がつまっているのだ。
手紙を書き終えたころにはちょうど朝食の時間だった。
「おはようございます!」
猫耳を装備したルーニャは元気よく食堂へ向かった。
「おはよう」
「おはようございます」
主人のナイトフォールはいつものように穏やかな笑顔で迎えてくれた。しわのないシャツを着こなした主人はお気に入りのマグカップで珈琲をいただいている。顔色が良いので、夕べはきちんと眠れたのだろう。ルーニャは、昨日無理して「おねだり」しなくてよかったと思った。
使用人のアリスも挨拶を返しながら、猫耳少年を見てぱあ~っと頬がゆるんだ。可愛いものに弱いアリスを喜ばせるのはルーニャの趣味のひとつになっている。
ルーニャもにこにこしながら空いている席についた。
「ルーニャ、今日はずいぶんご機嫌だね」
「はい。手紙を書き終わったので、あとでポストに入れてきます」
「先生もきっと喜ぶよ」
初めて作家に感想を贈る緊張と不安は、ナイトフォールのあたたかな一言でやわらいだ。終わってしまえば、気持ちのよい達成感で庭を駆け回りたくなった。
朝食はドライフルーツたっぷりのシリアルだ。甘いものは人を幸せにしてくれる。
食事のあと図書館へ行く支度をして、主人からこれも一緒に頼むと渡された郵便物を預かり、ルーニャは明るい光の中へ出かけていった。
初夏の陽気が暖かい。ルーニャは歩きながらカーディガンの袖をまくった。
イチョウ並木の緑が鮮やかだった。扇形の葉を見上げながら道の角を曲がり、信号の手前で立ち止まる。
赤いポストは少年が来るのを待っていたように静かに佇んでいた。ルーニャは背中のリュックから封筒を取り出すと、別れを告げるようにじっと表書きを見つめる。やがて顔を上げて、ポストに手紙を投函した。パサッ。他の郵便物にかぶさる音。
ポストの横に貼ってある時刻表を確かめる。次の回収まであと30分は先だ。
「わあー」
ルーニャはふしぎな解放感で身体がふわふわ浮かんでいく気持ちがした。
楽しい物語を読んだときの、強い火力で心が燃える感覚とはちがう。
『かぐや姫』は、ずっとルーニャの心の中で生きていた物語だった。少年の孤独を慰め、ひとときの安らぎを与えてくれる。自分の中で完結していた喜びを作者に伝えようとするのは、なかなか勇気のいることだった。
少年は一歩ずつ前に進んでいた。
図書館は開館したばかりで人がほとんどいなかった。
ルーニャは小説のコーナーだけでなくあちこち探検して回るので、哲学やスポーツなど大まかな分野の位置を把握している。おかげであまり人が寄らず過疎になっているコーナーを避難場所として、じっくり読書にふけることができた。
発見した秘密のゾーンは、子どもには刺激の強い本をこっそり読むのにちょうどいいのである。
ルーニャは書棚の陰に潜むようにして壁に寄りかかると、先ほど見つけた本を開いた。
ルーニャと同じ十六歳くらいの少年が、年上のお姉さんの魅力に目覚める物語だ。じつはお姉さんは女神の化身であり、少年と一緒に古代神殿を探検する。
五ページに一回は男の子の心をくすぐる色っぽいシーンがあり、ルーニャは「ちょっと立ち読みする」どころではなくなってしまった。
夢中でページをめくっているうちに時間はお昼近くになっていた。お腹が鳴る音でハッと現実に返ってきたルーニャは、目をきらきらさせながら上の空で本を閉じた。
「……やばいものを見てしまった」
本来の女神の姿を現したお姉さんが魔物に肌を舐められている。
この世界には、気が狂っている作家がたくさんいるんだなと、ルーニャは天井を仰いで彼らに感謝した。
ファンタジーにあまり興味がないジャンはきっと読んでいないだろう。人が知らないことを知っている優越感は心地良い。
それからルーニャはいそいそと他のコーナーを回り、「これは絶対面白いやつだ」と目星をつけていた本を二、三冊抜き取った。
手に取るときにチラッと近くを見ると、先週は見かけなかった真新しい本が棚に収まっているではないか。
「あっ、鳥の詩シリーズの新刊……!?」
カッとなって中身も確かめずに我がものにした。信頼している本ならハズレはほとんどない。
貸出できるギリギリの数まで本を抱えて、少年はほくほくしながらカウンターへ持っていった。
平日の昼間に子どもが外をうろうろしているのはあまりいい目で見られない。けれども図書館という場所は、大人でも子どもでも、すべての人に平等だ。
今日は戦利品が多い。背負ったリュックがずっしりと重かった。
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