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25・星渡り

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 からすの部屋に入ったとき、そこは名前の通り暗闇だった。パチンと壁のスイッチを押して明かりをつけると、息をひそめていた本棚が姿を現す。宇宙や自然科学の知識がナイトフォールとルーニャを待っていた。

 ナイトフォールは仕事で使っていた本を戻しにここへやって来た。
 ルーニャは壁に貼られた写真に目を向けた。月の満ち欠けを順々に追ったものが並んでいる。今夜窓から見える月は半月。その形と合うのは……

「今日は上弦じょうげんだね。来週は満月になる」

 後ろから声がかかる。背の高い紳士は分厚い本を一冊、本棚に収めながら教えてくれた。
 ルーニャは主人を振り向いてなにげなくたずねてみた。

「この写真、誰が撮ったものなんですか?」
「……私の父だよ」

 一拍遅れて、静かな声が返ってきた。人の機微きびに敏感な少年はそれ以上を求めなかった。先日アリスが話してくれたことを思い出したのだ。亡くなった父親の書斎にいるナイトフォールを見つけたとき、彼はさびしそうな雰囲気をしていた……。

 ルーニャは壁の写真から離れて、主人の近くへ寄った。二冊目の本を戻しているナイトフォールの横顔をそっと見上げる。一瞬目に入った陰のある表情。それは年齢を経た大人の顔とは違うもののように思えた。いつかジャンが言っていた、地上からは観察できない月の裏側を垣間かいま見たような気がした。

 ナイトフォールが三冊目の本を戻すためにいくらか横へ移動したので、ルーニャも彼にについていった。たくさん並んだ本の背表紙をながめているとき、ふと一冊、目に留まる。
 外国語のようで、タイトルの文字は読めなかった。小さな星の光を散らした飾り文字にかれた。最近、気になった本に出逢うと考える前に手が伸びるクセがついている。

「わあ……」

 白い表紙に黒いペン一本で描かれた緻密ちみつな星空の絵に心を奪われた。黒い絵具でペタペタ塗っていけばすぐ終わりそうな広い面を、細い線で一本一本重ねて暗くしているのだ。

「『星渡り』かい?」
「ほしわたり……。ピンと来たので見てみたら、すごく綺麗な絵ですね」
「これは画家の詩画集だ。たしか翻訳版が下の石榴ざくろの部屋にあったはずだから、そちらも見てごらん」
「はい」

 パラリ

 ページをめくると、まず真っ白な画面に黒い点がひとつ。その横にたった一単語で何か書かれていた。

「いのち」

 ナイトフォールの穏やかな声が耳に心地よかった。

「ルーニャ、おいで」

 主人は窓辺に置かれたソファへ座った。ルーニャも本を抱えて隣に落ち着く。石榴の部屋に置いてあるものとは座り心地が少し違っている。ルーニャはどちらかというと石榴の深々と沈み込む感じが好きだった。一度座ると立ち上がれなくなるような……。

 貸してごらん、と主人にうながされて本を手渡した。ナイトフォールはルーニャにも見えるように本をひざに乗せて、再び最初のページをめくった。


「いのち」

 パラ

「はじまりの音」

 グレーの階調で薄いもやがかかっている。黒い点は成長して円になっていた。そして次のページへ。

「過去の記憶と魂の舟」

 画面が暗くなっていく。ところどころ白い光がかがやいていた。だんだん星空のように見えてくる。黒い円は背景に溶け込むことはなく、周囲を淡い光に包まれている。

 ルーニャはナイトフォールの肩に頭をもたせかけた。何も言わずに主人に触れることができる特別な時間だ。腕をからませてもっとくっつきたいと思ったけれど、主人がページをめくる邪魔にならないようにと、グッとこらえた。

 物語は進み、黒い円を包む光が強くなる。周りに散らばる星の光はグループをつくったり一列に並んだりして、それぞれコミュニケーションをとっているようにも見える。
 画面は真っ黒で、これもペン一本で作り込まれたものだ。長い長い時間をかけて物語がつむがれていく。絵に添えられた文も長くなり、ルーニャはナイトフォールの静かな声をうっとり聞いていた。

「星のかがやきは天に満ち、舟の道しるべになる」

 黒い円を包む光がまばゆいほどいっぱいにあふれていた。画面は白く、ほとんど何も描かれていなかった。

「寄る辺無き魂は舟に導かれ、永遠を渡る。光の海に新しいいのちが生まれる」

 最後のページは真っ白だった。中央に黒い点が描かれてある。一ページ目と同じだ。本の始めに戻って、物語は永遠に続くのだ。


 ナイトフォールはゆっくりと、音を立てずに本を閉じた。ルーニャは主人の肩にほおを寄せて、ふしぎな読後感にひたっていた。

「面白いものを見つけたね。君は本に呼ばれたのだろう」
「うん」

 直観した。絶対面白いやつだと。

 ルーニャはナイトフォールの腕に抱きついた。屋敷を歩き回ってたくさんの本を眺めているうち、自分に必要なものがわかるようになってきた。物語が向こうから来てくれるのだ。

「本に呼ばれる」なんて、読書人への褒め言葉だ。


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