17 / 55
17・朝
しおりを挟む
ベッドで目覚めると、ルーニャはぼんやりした頭でゆっくりと起き上がった。
屋根裏部屋に朝の光が差し込んでいた。ピュルリリ……とかわいらしい鳥の鳴き声が遠くから聞こえてくる。
「ふわあ……んん」
伸びをしてしばらく外の音に耳をかたむけていると、ふいに夕べのことが思い出された。記憶に刻み込まれたくちびるの感触が、目覚めたばかりのルーニャの鼓動を騒がせた。
「…………」
衝動。ナイトフォールに甘えたいと思った。
契約した主人とのふれあいは、いわゆる「恋人ごっこ」なのだと認識していた。生活の保証をしてもらい、主人の要求に応えるという、仕事なのだと思って受け入れていた。
昨日のナイトフォールのキスは、今までされてきたどれよりも深く、長い時間をかけて歓びを与えてくれた。
「はずかしい……」
ルーニャはくるまっていた毛布をぎゅうとつかんで膝をかかえた。ついカッとなってしがみついたナイトフォールの身体のぬくもりが、余韻となって少年の胸の内にずっととどまっている。
「うう」
思い出すほど体温が上がってしまう。いたたまれなくなって身じろぎすると、固い物に当たった。手に取ると、一冊の本だった。石榴の部屋から借りてきた、表紙に流れ星の絵が描いてあるものだ。
「ああ……結局読めなかったんだ」
頭が爆発していたので、ルルの本は最後の章を開くことなくベッドに潜り込んだのだ。
あと二十ページくらいだ。すぐに終わるだろう。ここで読んでしまおうかとちらりと考えたけれど、本と向き合う心の準備ができていない。
決心すると、ルーニャは顔を洗うために下へ降りることにした。
「旦那様に、どんな顔して会えばいいんだろう……」
悶々《もんもん》と考えながら廊下を曲がり、通り過ぎようとした階段の手前で、屋敷の主人が二階へ上がってくるところに偶然鉢合わせしてしまった。
「!?」
突然現れた主人にびっくりしたルーニャは、つい、身を引いて壁に張りついて、姿を隠してしまった。
「ルーニャ」
少年を見つけたナイトフォールの呼びかける声はやわらかく、とっさに隠れて主人と距離をとった失礼な行動をとがめる様子はなかった。
ルーニャはそおっと壁の向こうから顔を出した。階段を上がりきったナイトフォールの前に、おずおずと身をさらす。ネクタイをきちんと身に付けた主人と対して、少年はまだ寝間着姿だった。
「……っ」
ナイトフォールの顔を見たとたん、ルーニャはぱっと夕べのことを思い出して、頬が赤くなった。嬉しさと、自分のふるまいの恥ずかしさがごっちゃに混ざって、すぐに言葉が出てこなかった。
「おはよう」
穏やかな笑みを浮かべて、主人のナイトフォールから先に挨拶した。ルーニャは真っ赤になりながら声をふりしぼった。
「おはよう、……ございます!」
誰が見ても緊張しているのがわかる。ナイトフォールはさらに目尻を下げて少年を見つめていた。理知的な切れ長の眼がまろやかになっている。
「よく眠れたかね?」
「あっ、……ああ、はい、ええと……!」
「朝食はもうすぐだよ。早く支度しておいで」
少年は頭から湯気を出してこくこくとうなずいた。
ナイトフォールはふと手を伸ばして、ルーニャの頬を軽く撫でた。そしてそのまま身をひるがえして階段を下りていってしまった。主人がここに来たのは、少年の様子を見にくるためだとわかったのはもう少し後になってからだった。
朝の食堂は爽やかな光に満ちていた。席に着けばすぐに食事が始められるようになっている。
「おはようございます」
「おはよう」
着替えてきたルーニャはだいぶ気持ちが落ち着いていた。主人が手に持つマグカップから珈琲のいい香りがする。
使用人のアリスは、ルーニャのために温かなミルクをマグにそそいでくれた。
三人で食卓を囲むのはルーニャの楽しみのひとつだった。アリスも白いエプロンを外してイスを引く。使用人の同席がゆるされていた。この屋敷では身分による待遇の差はあまりないといってよい。
『いただきます』
朝食は玉子とハムのサンドイッチだ。軽くトーストしてあるので、パンがカリッとしていてとても美味しい!
「んん!」
ルーニャの分にはマヨネーズが多めに入っている。食欲が刺激された。
「アリスさん、この玉子すごく美味しいです」
「ふふ、わかりますか? いつもと違う銘柄なんですよ。今日のおやつも楽しみにしていてくださいね」
パッと頭が冴えてきた。テーブルにはアリスが庭で摘んできたばかりの花が彩りを添えている。少年の混乱した心は満足な食事によってどこかへ吹き飛んでしまった。
ナイトフォールは、言葉少なに食事を終えると、すぐに仕事部屋に直行した。今日は大学の講義があるから、昼まで集中して取りかからなければならなかった。ルーニャはちょっと寂しいなと思ったけれど、主人は今忙しいのだと自分に言い聞かせる。
主人が食堂から出ていくときに、ルーニャの肩にぽんと手を置いてくれた。ルーニャは背の高い紳士の後ろ姿を見送った。さりげない仕草で、気持ちがあたたかくなる。
皿洗いは最近ルーニャが手伝うようになった。アリスが洗濯部屋に行ってしまうと、少年は厨房に一人残された。主人が口をつけたカップも丁寧に洗う。
「ふんふん♪」
すりガラスの窓からやわらかな光が入ってきていた。一息ついたルーニャが片手を上げると、肌目のととのった指先から水がしたたる。
光にかざした雫の表面には世界の景色がぎゅっと凝縮されて写っていた。一粒、二粒、ぽたり、ぽたりとシンクに落ちていくところを、ルーニャはいつまでも見守っていた。
何度思い出しても、幸福感で満たされる。
夕べのキスは、やっぱり嬉しかったのだ。
屋根裏部屋に朝の光が差し込んでいた。ピュルリリ……とかわいらしい鳥の鳴き声が遠くから聞こえてくる。
「ふわあ……んん」
伸びをしてしばらく外の音に耳をかたむけていると、ふいに夕べのことが思い出された。記憶に刻み込まれたくちびるの感触が、目覚めたばかりのルーニャの鼓動を騒がせた。
「…………」
衝動。ナイトフォールに甘えたいと思った。
契約した主人とのふれあいは、いわゆる「恋人ごっこ」なのだと認識していた。生活の保証をしてもらい、主人の要求に応えるという、仕事なのだと思って受け入れていた。
昨日のナイトフォールのキスは、今までされてきたどれよりも深く、長い時間をかけて歓びを与えてくれた。
「はずかしい……」
ルーニャはくるまっていた毛布をぎゅうとつかんで膝をかかえた。ついカッとなってしがみついたナイトフォールの身体のぬくもりが、余韻となって少年の胸の内にずっととどまっている。
「うう」
思い出すほど体温が上がってしまう。いたたまれなくなって身じろぎすると、固い物に当たった。手に取ると、一冊の本だった。石榴の部屋から借りてきた、表紙に流れ星の絵が描いてあるものだ。
「ああ……結局読めなかったんだ」
頭が爆発していたので、ルルの本は最後の章を開くことなくベッドに潜り込んだのだ。
あと二十ページくらいだ。すぐに終わるだろう。ここで読んでしまおうかとちらりと考えたけれど、本と向き合う心の準備ができていない。
決心すると、ルーニャは顔を洗うために下へ降りることにした。
「旦那様に、どんな顔して会えばいいんだろう……」
悶々《もんもん》と考えながら廊下を曲がり、通り過ぎようとした階段の手前で、屋敷の主人が二階へ上がってくるところに偶然鉢合わせしてしまった。
「!?」
突然現れた主人にびっくりしたルーニャは、つい、身を引いて壁に張りついて、姿を隠してしまった。
「ルーニャ」
少年を見つけたナイトフォールの呼びかける声はやわらかく、とっさに隠れて主人と距離をとった失礼な行動をとがめる様子はなかった。
ルーニャはそおっと壁の向こうから顔を出した。階段を上がりきったナイトフォールの前に、おずおずと身をさらす。ネクタイをきちんと身に付けた主人と対して、少年はまだ寝間着姿だった。
「……っ」
ナイトフォールの顔を見たとたん、ルーニャはぱっと夕べのことを思い出して、頬が赤くなった。嬉しさと、自分のふるまいの恥ずかしさがごっちゃに混ざって、すぐに言葉が出てこなかった。
「おはよう」
穏やかな笑みを浮かべて、主人のナイトフォールから先に挨拶した。ルーニャは真っ赤になりながら声をふりしぼった。
「おはよう、……ございます!」
誰が見ても緊張しているのがわかる。ナイトフォールはさらに目尻を下げて少年を見つめていた。理知的な切れ長の眼がまろやかになっている。
「よく眠れたかね?」
「あっ、……ああ、はい、ええと……!」
「朝食はもうすぐだよ。早く支度しておいで」
少年は頭から湯気を出してこくこくとうなずいた。
ナイトフォールはふと手を伸ばして、ルーニャの頬を軽く撫でた。そしてそのまま身をひるがえして階段を下りていってしまった。主人がここに来たのは、少年の様子を見にくるためだとわかったのはもう少し後になってからだった。
朝の食堂は爽やかな光に満ちていた。席に着けばすぐに食事が始められるようになっている。
「おはようございます」
「おはよう」
着替えてきたルーニャはだいぶ気持ちが落ち着いていた。主人が手に持つマグカップから珈琲のいい香りがする。
使用人のアリスは、ルーニャのために温かなミルクをマグにそそいでくれた。
三人で食卓を囲むのはルーニャの楽しみのひとつだった。アリスも白いエプロンを外してイスを引く。使用人の同席がゆるされていた。この屋敷では身分による待遇の差はあまりないといってよい。
『いただきます』
朝食は玉子とハムのサンドイッチだ。軽くトーストしてあるので、パンがカリッとしていてとても美味しい!
「んん!」
ルーニャの分にはマヨネーズが多めに入っている。食欲が刺激された。
「アリスさん、この玉子すごく美味しいです」
「ふふ、わかりますか? いつもと違う銘柄なんですよ。今日のおやつも楽しみにしていてくださいね」
パッと頭が冴えてきた。テーブルにはアリスが庭で摘んできたばかりの花が彩りを添えている。少年の混乱した心は満足な食事によってどこかへ吹き飛んでしまった。
ナイトフォールは、言葉少なに食事を終えると、すぐに仕事部屋に直行した。今日は大学の講義があるから、昼まで集中して取りかからなければならなかった。ルーニャはちょっと寂しいなと思ったけれど、主人は今忙しいのだと自分に言い聞かせる。
主人が食堂から出ていくときに、ルーニャの肩にぽんと手を置いてくれた。ルーニャは背の高い紳士の後ろ姿を見送った。さりげない仕草で、気持ちがあたたかくなる。
皿洗いは最近ルーニャが手伝うようになった。アリスが洗濯部屋に行ってしまうと、少年は厨房に一人残された。主人が口をつけたカップも丁寧に洗う。
「ふんふん♪」
すりガラスの窓からやわらかな光が入ってきていた。一息ついたルーニャが片手を上げると、肌目のととのった指先から水がしたたる。
光にかざした雫の表面には世界の景色がぎゅっと凝縮されて写っていた。一粒、二粒、ぽたり、ぽたりとシンクに落ちていくところを、ルーニャはいつまでも見守っていた。
何度思い出しても、幸福感で満たされる。
夕べのキスは、やっぱり嬉しかったのだ。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる