14 / 55
14・推しはいいぞ
しおりを挟む
「ルーニャ、お前は将来、何をしたいんだ?」
ナイトフォールの屋敷へ向かう帰り道、ルーニャとジャンはのんびりとおしゃべりしながらバスに揺られていた。一番後ろの席で隣に座り、ほとんどジャンばかりが話していたけれど。
「うーん、……航海士かな」
「へー、俺も似たようなものだよ。宇宙飛行士になりたい、なんてね。今から勉強しても遅いかもしれないけどさ」
「宇宙人を探しに行くの?」
「そうだな、月に行くくらいはしてみたいね。月って、いつも同じ面を地球に向けてるから、ここからだと裏側は観測できないんだ。写真でしか知らない世界を、自分の目で見てみたい気持ちはある」
「写真集は持ってる?」
「ああ、持ってるよ」
「へえ~」
ジャンは窓の外の景色を見やった。少しずつ建物の密度がまばらになり、薄い雲におおわれた太陽が遠くの緑の丘に沈もうとしている。
彼がナイトフォールとおしゃべりする内容は、ほぼ世間話や愚痴をこぼしたりすることでほんの一時間が費やされる。それはとても楽しいひとときだった。本を借りることを口実にして先生に逢いに行くのだ。
バスが信号を曲がったタイミングで、ジャンが再び話しかけた。
「なあ。お前、ルルって作家を知ってるか?」
「ううん。SFの人?」
「なんだ、知らないのか。ナイトフォール先生の推し作家だぞ」
「推し……初めて聞いた」
「ふだんはファンタジーを書いてる人なんだ。俺がさっき言った月の裏側の話、そのルルって人が物語を書いてる。宇宙人もいるよ。先生からもらった短編集に入ってた」
「ああ、それで」
ブーッ
屋敷に最寄りの停車場が近づいたので、ジャンがブザーで知らせた。間もなくバスが減速して、二人を地上に降ろす。
走り去っていくバスを見送りながら、二人の会話は続く。
「そういうわけで、俺はまんまと先生の推しを布教されたってわけ。でもファンタジーはよくわからないから、ルルはあんまり読んでないけどな。あのSFは特別だから、俺も一応ルナーだよ。あ、ルナーって『ルルのファン』て意味な」
「旦那様も、ルナー?」
「そう。……あ……ルーニャ。そうか、」
「?」
「お前が旦那様に選ばれたの、なんとなくわかるような気がするぞ」
「なに、どういうことさ」
「ただの妄想だから言わない。ルーニャはなんか月に関係する本を読んだか?」
「月か……。あっ、そうだ。東の国の本に、かぐや姫っていうのがいるよ。月から来た人なんだけど、五人のニンジャを従えて悪いやつと戦うんだ」
「あー、うん、さっぱりわからん。」
「おもしろいんだってば。読んでみたらわかるから!」
「はいはい」
見慣れたイチョウ並木をわいわいやりながら歩いていった。同年代の人と本の話をする機会がなかったルーニャは、いつになく熱心に語る。
本の世界とは一対一で向き合うけれど、感想を誰かと「共有」することもまた楽しいのだとあらためて思うのだった。
「おや、ルーニャとジャンは仲良くなったみたいだね」
『ぜんぜん仲良くありません』
ナイトフォールの穏やかな笑顔に、二人で一緒に抗議した。
屋敷へ入ると、ジャンはいつものようにあたたかな居間に通されて、主人のナイトフォールに挨拶をした。昨日の勝手な訪問についても詫びる。
貴重な一時間のおじゃまにならないようにと、ルーニャは気をつかって距離をとった。
「じゃあ、僕は石榴の部屋で本を読んでいますから。ごゆっくりどうぞ」
少年はぺこりとお辞儀して、居間から出ていこうとした。
「ルーニャ、君もこちらへおいで」
暖炉の火がパチパチとはぜる。ナイトフォールがジャンに目配せすると、彼もうなずいた。
「お前のかぐや姫の話を聞かせてくれよ」
「……うん」
アリスが淹れてくれた珈琲の深い香りが部屋を満たしていた。
少年と、若者と、紳士の三人はソファーに腰かけて思い思いにおしゃべりする。
「ルルのこと、ジャンが教えてくれたのか。私としては、無垢なルーニャを早くから沼に落とすのは大人げないと思ったのでね。私が押しつけなくても、今はまだ、君は本に呼ばれるまま自由に読んでくれたらいいんだよ」
「知ってしまったら気になります。旦那様のおすすめは何ですか?」
「そうだな、初めて読む本は何がいいか……。ルルは最高だぞ」
「先生、ビョーキですよ」
「はは、ありがとう」
「熱い話をする先生は、きらきらしていて俺は好きですけど」
「あっ、僕の方が旦那様のこと好きなんだからね!」
「わかったよ。なにを張り合っているんだお前は」
謎の独占欲を発揮する少年に、旦那様はこっそり横を向いて、くすくすと肩を震わせているのだった。
珈琲のおかわりをいただいて、ジャンは時計を確認した。そろそろ帰る時間だ。会話に一人加わるだけでずいぶんにぎやかになるものだ。
ナイトフォールはソファーから立ち上がって少年二人を送り出した。
「ジャン、気をつけて行くんだよ」
「はい。今日もありがとうございました」
次のおしゃべり会はいつにするか決めたあと、廊下に出てからルーニャが声をかける。
「ねえジャン、おもしろい本貸してあげるから、先に玄関へ行ってて」
「おう」
ルーニャが急いで屋根裏部屋へ走っていき、本棚から抜き取ったのは、一冊の文庫本だ。
『かぐや姫異聞』
古書店から離れるときに手に入れたものだ。東の国の古典を翻訳するとき、「もしもお姫様がこうだったら」という想像で生まれた物語だと、巻末に書いてあった。
ファンタジーと縁がなくても、ジャンなら読んでくれると思った。ナイトフォールがお気に入りを押しつけることを控えていたのも、やっとわかった気がした。たしかにこれでは一方的だ。しかし、せめて、この本だけでも……!
「やっぱりこれか。しかたないな、勉強だと思って読んでおくよ」
めんどくさそうに言いつつ、ジャンはにこにこしているルーニャから本を受け取って、苦笑いしながらバッグに入れた。
帰りぎわ、ジャンは出口の扉に手をそえて、ルーニャに振り向いた。
「それじゃあな。ルーニャが女の子だったら、ここでお別れのキスでもしてやるところだったぜ」
「僕としてみる?」
少年は小首をかしげて若者をからかった。
「なんでお前と……。誘ってるのか?」
「挑発してるんだよ」
ジャンはがっくりと肩を落とした。ルーニャが一癖ある人物であることを、ようやく理解してきたようだ。
「お前なあ。……よおし、そこまで言うならやってやる! 後悔するなよ」
ケンカを売られたジャンは腕まくりをする勢いでルーニャの前に立った。少年が目を閉じて準備している。やわらかそうなくちびるに吸い込まれるのを抵抗したが、……意を決して、ジャンは顔を近づけた。
たかがくちびるをくっつけるだけだ。三秒と経たずパッと放してしまった。
一瞬で終わった出来事は何も残さなかった。
「へへ。なんだ、簡単なことじゃないか」
「早すぎるよ」
どや顔で勝利宣言するジャンを見上げて、むっとしたルーニャは、ジャンの首に抱きついて油断している若者の口の中へ舌を押し込んだ。熱いものを絡め合い、トドメにちゅう~っとくちびるを吸ってやった。
「む……う」
「ね。簡単でしょ?」
不覚にも受け入れてしまったジャンはうつろな目をしていた。感情が麻痺してしまったらしい。
「お前……何者なんだ……」
「ふふん。秘密」
辿ってきた道がなんであれ、自分の経験してきたことが武器になる。ルーニャはちょっと得意気に笑ってみせた。
ナイトフォールの屋敷へ向かう帰り道、ルーニャとジャンはのんびりとおしゃべりしながらバスに揺られていた。一番後ろの席で隣に座り、ほとんどジャンばかりが話していたけれど。
「うーん、……航海士かな」
「へー、俺も似たようなものだよ。宇宙飛行士になりたい、なんてね。今から勉強しても遅いかもしれないけどさ」
「宇宙人を探しに行くの?」
「そうだな、月に行くくらいはしてみたいね。月って、いつも同じ面を地球に向けてるから、ここからだと裏側は観測できないんだ。写真でしか知らない世界を、自分の目で見てみたい気持ちはある」
「写真集は持ってる?」
「ああ、持ってるよ」
「へえ~」
ジャンは窓の外の景色を見やった。少しずつ建物の密度がまばらになり、薄い雲におおわれた太陽が遠くの緑の丘に沈もうとしている。
彼がナイトフォールとおしゃべりする内容は、ほぼ世間話や愚痴をこぼしたりすることでほんの一時間が費やされる。それはとても楽しいひとときだった。本を借りることを口実にして先生に逢いに行くのだ。
バスが信号を曲がったタイミングで、ジャンが再び話しかけた。
「なあ。お前、ルルって作家を知ってるか?」
「ううん。SFの人?」
「なんだ、知らないのか。ナイトフォール先生の推し作家だぞ」
「推し……初めて聞いた」
「ふだんはファンタジーを書いてる人なんだ。俺がさっき言った月の裏側の話、そのルルって人が物語を書いてる。宇宙人もいるよ。先生からもらった短編集に入ってた」
「ああ、それで」
ブーッ
屋敷に最寄りの停車場が近づいたので、ジャンがブザーで知らせた。間もなくバスが減速して、二人を地上に降ろす。
走り去っていくバスを見送りながら、二人の会話は続く。
「そういうわけで、俺はまんまと先生の推しを布教されたってわけ。でもファンタジーはよくわからないから、ルルはあんまり読んでないけどな。あのSFは特別だから、俺も一応ルナーだよ。あ、ルナーって『ルルのファン』て意味な」
「旦那様も、ルナー?」
「そう。……あ……ルーニャ。そうか、」
「?」
「お前が旦那様に選ばれたの、なんとなくわかるような気がするぞ」
「なに、どういうことさ」
「ただの妄想だから言わない。ルーニャはなんか月に関係する本を読んだか?」
「月か……。あっ、そうだ。東の国の本に、かぐや姫っていうのがいるよ。月から来た人なんだけど、五人のニンジャを従えて悪いやつと戦うんだ」
「あー、うん、さっぱりわからん。」
「おもしろいんだってば。読んでみたらわかるから!」
「はいはい」
見慣れたイチョウ並木をわいわいやりながら歩いていった。同年代の人と本の話をする機会がなかったルーニャは、いつになく熱心に語る。
本の世界とは一対一で向き合うけれど、感想を誰かと「共有」することもまた楽しいのだとあらためて思うのだった。
「おや、ルーニャとジャンは仲良くなったみたいだね」
『ぜんぜん仲良くありません』
ナイトフォールの穏やかな笑顔に、二人で一緒に抗議した。
屋敷へ入ると、ジャンはいつものようにあたたかな居間に通されて、主人のナイトフォールに挨拶をした。昨日の勝手な訪問についても詫びる。
貴重な一時間のおじゃまにならないようにと、ルーニャは気をつかって距離をとった。
「じゃあ、僕は石榴の部屋で本を読んでいますから。ごゆっくりどうぞ」
少年はぺこりとお辞儀して、居間から出ていこうとした。
「ルーニャ、君もこちらへおいで」
暖炉の火がパチパチとはぜる。ナイトフォールがジャンに目配せすると、彼もうなずいた。
「お前のかぐや姫の話を聞かせてくれよ」
「……うん」
アリスが淹れてくれた珈琲の深い香りが部屋を満たしていた。
少年と、若者と、紳士の三人はソファーに腰かけて思い思いにおしゃべりする。
「ルルのこと、ジャンが教えてくれたのか。私としては、無垢なルーニャを早くから沼に落とすのは大人げないと思ったのでね。私が押しつけなくても、今はまだ、君は本に呼ばれるまま自由に読んでくれたらいいんだよ」
「知ってしまったら気になります。旦那様のおすすめは何ですか?」
「そうだな、初めて読む本は何がいいか……。ルルは最高だぞ」
「先生、ビョーキですよ」
「はは、ありがとう」
「熱い話をする先生は、きらきらしていて俺は好きですけど」
「あっ、僕の方が旦那様のこと好きなんだからね!」
「わかったよ。なにを張り合っているんだお前は」
謎の独占欲を発揮する少年に、旦那様はこっそり横を向いて、くすくすと肩を震わせているのだった。
珈琲のおかわりをいただいて、ジャンは時計を確認した。そろそろ帰る時間だ。会話に一人加わるだけでずいぶんにぎやかになるものだ。
ナイトフォールはソファーから立ち上がって少年二人を送り出した。
「ジャン、気をつけて行くんだよ」
「はい。今日もありがとうございました」
次のおしゃべり会はいつにするか決めたあと、廊下に出てからルーニャが声をかける。
「ねえジャン、おもしろい本貸してあげるから、先に玄関へ行ってて」
「おう」
ルーニャが急いで屋根裏部屋へ走っていき、本棚から抜き取ったのは、一冊の文庫本だ。
『かぐや姫異聞』
古書店から離れるときに手に入れたものだ。東の国の古典を翻訳するとき、「もしもお姫様がこうだったら」という想像で生まれた物語だと、巻末に書いてあった。
ファンタジーと縁がなくても、ジャンなら読んでくれると思った。ナイトフォールがお気に入りを押しつけることを控えていたのも、やっとわかった気がした。たしかにこれでは一方的だ。しかし、せめて、この本だけでも……!
「やっぱりこれか。しかたないな、勉強だと思って読んでおくよ」
めんどくさそうに言いつつ、ジャンはにこにこしているルーニャから本を受け取って、苦笑いしながらバッグに入れた。
帰りぎわ、ジャンは出口の扉に手をそえて、ルーニャに振り向いた。
「それじゃあな。ルーニャが女の子だったら、ここでお別れのキスでもしてやるところだったぜ」
「僕としてみる?」
少年は小首をかしげて若者をからかった。
「なんでお前と……。誘ってるのか?」
「挑発してるんだよ」
ジャンはがっくりと肩を落とした。ルーニャが一癖ある人物であることを、ようやく理解してきたようだ。
「お前なあ。……よおし、そこまで言うならやってやる! 後悔するなよ」
ケンカを売られたジャンは腕まくりをする勢いでルーニャの前に立った。少年が目を閉じて準備している。やわらかそうなくちびるに吸い込まれるのを抵抗したが、……意を決して、ジャンは顔を近づけた。
たかがくちびるをくっつけるだけだ。三秒と経たずパッと放してしまった。
一瞬で終わった出来事は何も残さなかった。
「へへ。なんだ、簡単なことじゃないか」
「早すぎるよ」
どや顔で勝利宣言するジャンを見上げて、むっとしたルーニャは、ジャンの首に抱きついて油断している若者の口の中へ舌を押し込んだ。熱いものを絡め合い、トドメにちゅう~っとくちびるを吸ってやった。
「む……う」
「ね。簡単でしょ?」
不覚にも受け入れてしまったジャンはうつろな目をしていた。感情が麻痺してしまったらしい。
「お前……何者なんだ……」
「ふふん。秘密」
辿ってきた道がなんであれ、自分の経験してきたことが武器になる。ルーニャはちょっと得意気に笑ってみせた。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
こども病院の日常
moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。
18歳以下の子供が通う病院、
診療科はたくさんあります。
内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc…
ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。
恋愛要素などは一切ありません。
密着病院24時!的な感じです。
人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。
※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。
歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる