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14・推しはいいぞ

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「ルーニャ、お前は将来、何をしたいんだ?」

 ナイトフォールの屋敷へ向かう帰り道、ルーニャとジャンはのんびりとおしゃべりしながらバスに揺られていた。一番後ろの席で隣に座り、ほとんどジャンばかりが話していたけれど。

「うーん、……航海士かな」
「へー、俺も似たようなものだよ。宇宙飛行士になりたい、なんてね。今から勉強しても遅いかもしれないけどさ」
「宇宙人を探しに行くの?」
「そうだな、月に行くくらいはしてみたいね。月って、いつも同じ面を地球に向けてるから、ここからだと裏側は観測できないんだ。写真でしか知らない世界を、自分の目で見てみたい気持ちはある」
「写真集は持ってる?」
「ああ、持ってるよ」
「へえ~」

 ジャンは窓の外の景色を見やった。少しずつ建物の密度がまばらになり、薄い雲におおわれた太陽が遠くの緑の丘に沈もうとしている。

 彼がナイトフォールとおしゃべりする内容は、ほぼ世間話や愚痴をこぼしたりすることでほんの一時間が費やされる。それはとても楽しいひとときだった。本を借りることを口実にして先生に逢いに行くのだ。

 バスが信号を曲がったタイミングで、ジャンが再び話しかけた。

「なあ。お前、ルルって作家を知ってるか?」
「ううん。SFの人?」
「なんだ、知らないのか。ナイトフォール先生の推し作家だぞ」
「推し……初めて聞いた」
「ふだんはファンタジーを書いてる人なんだ。俺がさっき言った月の裏側の話、そのルルって人が物語を書いてる。宇宙人もいるよ。先生からもらった短編集に入ってた」
「ああ、それで」

 ブーッ

 屋敷に最寄りの停車場が近づいたので、ジャンがブザーで知らせた。間もなくバスが減速して、二人を地上に降ろす。
 走り去っていくバスを見送りながら、二人の会話は続く。

「そういうわけで、俺はまんまと先生の推しを布教されたってわけ。でもファンタジーはよくわからないから、ルルはあんまり読んでないけどな。あのSFは特別だから、俺も一応ルナーだよ。あ、ルナーって『ルルのファン』て意味な」
「旦那様も、ルナー?」
「そう。……あ……ルーニャ。そうか、」
「?」
「お前が旦那様に選ばれたの、なんとなくわかるような気がするぞ」
「なに、どういうことさ」
「ただの妄想だから言わない。ルーニャはなんか月に関係する本を読んだか?」
「月か……。あっ、そうだ。東の国の本に、かぐや姫っていうのがいるよ。月から来た人なんだけど、五人のニンジャを従えて悪いやつと戦うんだ」
「あー、うん、さっぱりわからん。」
「おもしろいんだってば。読んでみたらわかるから!」
「はいはい」

 見慣れたイチョウ並木をわいわいやりながら歩いていった。同年代の人と本の話をする機会がなかったルーニャは、いつになく熱心に語る。
 本の世界とは一対一で向き合うけれど、感想を誰かと「共有」することもまた楽しいのだとあらためて思うのだった。


「おや、ルーニャとジャンは仲良くなったみたいだね」
『ぜんぜん仲良くありません』

 ナイトフォールの穏やかな笑顔に、二人で一緒に抗議した。

 屋敷へ入ると、ジャンはいつものようにあたたかな居間に通されて、主人のナイトフォールに挨拶あいさつをした。昨日の勝手な訪問についてもびる。
 貴重な一時間のおじゃまにならないようにと、ルーニャは気をつかって距離をとった。

「じゃあ、僕は石榴ざくろの部屋で本を読んでいますから。ごゆっくりどうぞ」

 少年はぺこりとお辞儀じぎして、居間から出ていこうとした。

「ルーニャ、君もこちらへおいで」

 暖炉の火がパチパチとはぜる。ナイトフォールがジャンに目配せすると、彼もうなずいた。

「お前のかぐや姫の話を聞かせてくれよ」
「……うん」


 アリスがれてくれた珈琲コーヒーの深い香りが部屋を満たしていた。

 少年と、若者と、紳士の三人はソファーに腰かけて思い思いにおしゃべりする。

「ルルのこと、ジャンが教えてくれたのか。私としては、無垢むくなルーニャを早くから沼に落とすのは大人げないと思ったのでね。私が押しつけなくても、今はまだ、君は本に呼ばれるまま自由に読んでくれたらいいんだよ」
「知ってしまったら気になります。旦那様のおすすめは何ですか?」
「そうだな、初めて読む本は何がいいか……。ルルは最高だぞ」
「先生、ビョーキですよ」
「はは、ありがとう」
「熱い話をする先生は、きらきらしていて俺は好きですけど」
「あっ、僕の方が旦那様のこと好きなんだからね!」
「わかったよ。なにを張り合っているんだお前は」

 謎の独占欲を発揮する少年に、旦那様はこっそり横を向いて、くすくすと肩を震わせているのだった。

 珈琲のおかわりをいただいて、ジャンは時計を確認した。そろそろ帰る時間だ。会話に一人加わるだけでずいぶんにぎやかになるものだ。
 ナイトフォールはソファーから立ち上がって少年二人を送り出した。

「ジャン、気をつけて行くんだよ」
「はい。今日もありがとうございました」

 次のおしゃべり会はいつにするか決めたあと、廊下に出てからルーニャが声をかける。

「ねえジャン、おもしろい本貸してあげるから、先に玄関へ行ってて」
「おう」

 ルーニャが急いで屋根裏部屋へ走っていき、本棚から抜き取ったのは、一冊の文庫本だ。
『かぐや姫異聞』
 古書店から離れるときに手に入れたものだ。東の国の古典を翻訳するとき、「もしもお姫様がこうだったら」という想像で生まれた物語だと、巻末に書いてあった。
 ファンタジーと縁がなくても、ジャンなら読んでくれると思った。ナイトフォールがお気に入りを押しつけることを控えていたのも、やっとわかった気がした。たしかにこれでは一方的だ。しかし、せめて、この本だけでも……!

「やっぱりこれか。しかたないな、勉強だと思って読んでおくよ」

 めんどくさそうに言いつつ、ジャンはにこにこしているルーニャから本を受け取って、苦笑いしながらバッグに入れた。

 帰りぎわ、ジャンは出口の扉に手をそえて、ルーニャに振り向いた。

「それじゃあな。ルーニャが女の子だったら、ここでお別れのキスでもしてやるところだったぜ」
「僕としてみる?」

 少年は小首をかしげて若者をからかった。

「なんでお前と……。誘ってるのか?」
「挑発してるんだよ」

 ジャンはがっくりと肩を落とした。ルーニャが一癖ひとくせある人物であることを、ようやく理解してきたようだ。

「お前なあ。……よおし、そこまで言うならやってやる! 後悔するなよ」

 ケンカを売られたジャンは腕まくりをする勢いでルーニャの前に立った。少年が目を閉じて準備している。やわらかそうなくちびるに吸い込まれるのを抵抗したが、……意を決して、ジャンは顔を近づけた。

 たかがくちびるをくっつけるだけだ。三秒と経たずパッと放してしまった。

 一瞬で終わった出来事は何も残さなかった。

「へへ。なんだ、簡単なことじゃないか」
「早すぎるよ」

 どや顔で勝利宣言するジャンを見上げて、むっとしたルーニャは、ジャンの首に抱きついて油断している若者の口の中へ舌を押し込んだ。熱いものをからめ合い、トドメにちゅう~っとくちびるを吸ってやった。

「む……う」
「ね。簡単でしょ?」

 不覚にも受け入れてしまったジャンはうつろな目をしていた。感情が麻痺してしまったらしい。

「お前……何者なんだ……」
「ふふん。秘密」

 辿たどってきた道がなんであれ、自分の経験してきたことが武器になる。ルーニャはちょっと得意気に笑ってみせた。


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