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12・図書館にて
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ルーニャは屋敷のあちこちで本を読む。落ち着く場所を求めてうろうろ歩き回り、座り込んで時を過ごす。
屋敷を探検するついでに来客用の応接間のソファーに座らせてもらったこともあるが、部屋が堅い雰囲気のせいであまりくつろいだ気分になれなかった。しかたなく立ち上がって、本を片手によく足を運ぶ石榴の部屋へ、ときどき厨房の隅っこへ……。
今日は洗濯室で。石鹸のいい匂いに囲まれているのは好きだった。
「ルーニャ、こんなところにいたのかい」
「旦那様」
壁にもたれてしゃがんだ姿勢で本を開いていたルーニャは屋敷の主人に声をかけられて、パッと起き上がろうとした。ナイトフォールは片手を上げて「そのままでいい」と少年に合図する。
「電話があったよ。君が図書館で予約した本が届いたそうだ」
「あっ。ありがとうございます! すみません、お手間をとらせてしまいました」
「かまわないよ」
共に一夜を明かした主人は、きれいに身支度をととのえて何事もなかったように朝食の席に姿を現した。渋い臙脂色のセーターがあたたかそうだ。ルーニャも濃いグリーンのカーディガンを羽織って、やはり何でもない顔をして昼食もたっぷりいただいた。
ルーニャはジャンが屋敷に訪れるまで自由時間を与えられていた。まだずいぶん余裕がある。
使用人のアリスが洗濯物を干しに行ったのと入れ替わりにルーニャはこの洗濯室を使わせてもらっていた。ナイトフォールは姿勢よく歩いてくると、少年の隣に来て同じように腰を下ろした。
「なかなかいい場所を見つけたね」
「はい。集中できるところならどこでもいいんです。あ、廊下の端っこなら窓から夕日が入る時間帯も好きです」
「金の光が壁に映るのがきれいだろう。私は狭い場所が好きでね。本をばらまいて積み重ねた論文の真ん中で、ランプひとつで読んだりするよ」
「外の世界を遮断してしまうんですか」
「そう。一人で本を読むときは、現実は不要だから」
ナイトフォールはルーニャの持っている小さな本に目をとめた。
彼が今読んでいるのは、主人が昨日仕事帰りに大学図書館へ寄り道してさっと手に取ったポストカードブックだった。宇宙望遠鏡で撮影した深淵の写真を、手軽に郵送できるものだ。ジャンが見せてくれた写真集とは違う景色が収められている。土星の輪、月の海、かがやく大星団……
「手頃な本が見つけられなくてね。これ一冊になってしまった。もう少し時間をかければよかったんだが……」
「いいえ、初めて読む本は楽しいです。世界には色々なものがあるんですね……」
ルーニャは大事そうに本を静かに閉じた。
「旦那様、素敵な本をありがとうございました」
「もういいのかい」
「はい。また新しい本を探しに行きます」
「では、それは私が預かろう」
「このような場所でいいんですか? 僕があとでお部屋に持っていきますから」
「新しい本を探すのだろう? 行っておいで。ジャンがやって来るまでに帰ってきなさい」
行っておいで、と言われて、ルーニャは自分がどんな場所にでも行けることを思い出した。屋敷の中で小さくなっていることはないのだ。外を歩こう。
「じゃあ、図書館へ行ってきます」
「うん。カードを忘れないようにね」
「はい」
ルーニャは小さなポストカードブックを両手で持って主人の元に返した。ナイトフォールはうなずいて受け取ると、いつものようにルーニャのナッツ色の髪をぽんぽんと撫でてくれた。洗濯室から出ていく前に、ルーニャへ振り返って声をかける。
「ルーニャ、ジャンには親切にしてあげなさい」
「親切に…………。……努力、します……」
「いい子だ」
苦手な人でも、我慢をしろということだろうか。弱い立場である、ルーニャが。なんだか身体の中がむずむずした。心の声に耳をかたむけるなら、「いやだ」の一言だ。
でも、旦那様の指示ならばやってみるしかないのだろう。大人にならなければ。
街の図書館は歩いていける距離にあった。三十分以上はかかるものの、ルーニャは新しく買ったリュックを背負って気晴らしに寄り道することにした。橋を渡り川辺をてくてく歩き、散歩中の老人や飼い犬とすれ違い、通りかかる家並みの庭をながめながら、そろそろ咲くだろう花の蕾を愛でていった。
今日は灰色の雲が広がっているが、天気がよければ街の景色は光にかがやく。夏になればなおさらまぶしいだろう。暖かくなるのが楽しみだった。
ナイトフォールにはやさしくしてもらった。それに外の空気を吸っていたら、ルーニャ少年はだんだん心が穏やかになってきた。
「おもしろい本に逢えるといいな」
歩いていく道路が太くなり、車や人の往来が多くなったころ、青信号の向こうに白くて四角い建物の屋根が見えてきた。
図書館の正面玄関のポーチには古代の神殿のような円柱が並んでいた。訪れた者をここから知識の宝物庫へと導いていく。
ルーニャは円柱のなめらかな曲面をそっと撫でた。固い石で造られた柱のさわり心地はなかなか好きだった。
三階建ての図書館は二階まで吹き抜けになっていて、上階は学習室などが設けられている。
明るい館内に一歩踏み入れ、ずら~~っ!! と広がる色とりどりの本の表紙が目に飛び込んできたルーニャは、やっと不安な気持ちが吹き飛んで心が躍り出した。
「~~~~っっ!」
最初に「読書」と出逢った古書店の蔵書は、この図書館の何分の一くらいだろうか。ナイトフォールの屋敷を本の森と呼ぶなら、図書館は本の海だ。
「あ……」
ひらめいた。
僕は、本の海を泳ぐ航海士になら、なれるんじゃないだろうか。
我ながらうまいことを考えたかも。ルーニャは書棚を回って知らないタイトルを流して見ていった。気になるものがあればすぐに手に取り、目次を確認する。今日は神話の棚をチェックしてみよう。読書量が増えてくると、ときどき物語の根っこに神話の構図が横たわっていることを発見したので、ちょっと興味がわいたのだ。
しかし本に集中して間もなく、ルーニャの背後で聞き覚えのある声がした。
「ルーニャ」
「ぇ……。ジャンさん、?」
静かな声で呼ばれたのに、ルーニャはドキッとして肩を震わせた。
ジャンだ。ジャンがいる。ゆるくクセのついた飴色の髪に、ファー付きのコート。自信のある若者の顔がルーニャ少年の目の前にあった。
屋敷を探検するついでに来客用の応接間のソファーに座らせてもらったこともあるが、部屋が堅い雰囲気のせいであまりくつろいだ気分になれなかった。しかたなく立ち上がって、本を片手によく足を運ぶ石榴の部屋へ、ときどき厨房の隅っこへ……。
今日は洗濯室で。石鹸のいい匂いに囲まれているのは好きだった。
「ルーニャ、こんなところにいたのかい」
「旦那様」
壁にもたれてしゃがんだ姿勢で本を開いていたルーニャは屋敷の主人に声をかけられて、パッと起き上がろうとした。ナイトフォールは片手を上げて「そのままでいい」と少年に合図する。
「電話があったよ。君が図書館で予約した本が届いたそうだ」
「あっ。ありがとうございます! すみません、お手間をとらせてしまいました」
「かまわないよ」
共に一夜を明かした主人は、きれいに身支度をととのえて何事もなかったように朝食の席に姿を現した。渋い臙脂色のセーターがあたたかそうだ。ルーニャも濃いグリーンのカーディガンを羽織って、やはり何でもない顔をして昼食もたっぷりいただいた。
ルーニャはジャンが屋敷に訪れるまで自由時間を与えられていた。まだずいぶん余裕がある。
使用人のアリスが洗濯物を干しに行ったのと入れ替わりにルーニャはこの洗濯室を使わせてもらっていた。ナイトフォールは姿勢よく歩いてくると、少年の隣に来て同じように腰を下ろした。
「なかなかいい場所を見つけたね」
「はい。集中できるところならどこでもいいんです。あ、廊下の端っこなら窓から夕日が入る時間帯も好きです」
「金の光が壁に映るのがきれいだろう。私は狭い場所が好きでね。本をばらまいて積み重ねた論文の真ん中で、ランプひとつで読んだりするよ」
「外の世界を遮断してしまうんですか」
「そう。一人で本を読むときは、現実は不要だから」
ナイトフォールはルーニャの持っている小さな本に目をとめた。
彼が今読んでいるのは、主人が昨日仕事帰りに大学図書館へ寄り道してさっと手に取ったポストカードブックだった。宇宙望遠鏡で撮影した深淵の写真を、手軽に郵送できるものだ。ジャンが見せてくれた写真集とは違う景色が収められている。土星の輪、月の海、かがやく大星団……
「手頃な本が見つけられなくてね。これ一冊になってしまった。もう少し時間をかければよかったんだが……」
「いいえ、初めて読む本は楽しいです。世界には色々なものがあるんですね……」
ルーニャは大事そうに本を静かに閉じた。
「旦那様、素敵な本をありがとうございました」
「もういいのかい」
「はい。また新しい本を探しに行きます」
「では、それは私が預かろう」
「このような場所でいいんですか? 僕があとでお部屋に持っていきますから」
「新しい本を探すのだろう? 行っておいで。ジャンがやって来るまでに帰ってきなさい」
行っておいで、と言われて、ルーニャは自分がどんな場所にでも行けることを思い出した。屋敷の中で小さくなっていることはないのだ。外を歩こう。
「じゃあ、図書館へ行ってきます」
「うん。カードを忘れないようにね」
「はい」
ルーニャは小さなポストカードブックを両手で持って主人の元に返した。ナイトフォールはうなずいて受け取ると、いつものようにルーニャのナッツ色の髪をぽんぽんと撫でてくれた。洗濯室から出ていく前に、ルーニャへ振り返って声をかける。
「ルーニャ、ジャンには親切にしてあげなさい」
「親切に…………。……努力、します……」
「いい子だ」
苦手な人でも、我慢をしろということだろうか。弱い立場である、ルーニャが。なんだか身体の中がむずむずした。心の声に耳をかたむけるなら、「いやだ」の一言だ。
でも、旦那様の指示ならばやってみるしかないのだろう。大人にならなければ。
街の図書館は歩いていける距離にあった。三十分以上はかかるものの、ルーニャは新しく買ったリュックを背負って気晴らしに寄り道することにした。橋を渡り川辺をてくてく歩き、散歩中の老人や飼い犬とすれ違い、通りかかる家並みの庭をながめながら、そろそろ咲くだろう花の蕾を愛でていった。
今日は灰色の雲が広がっているが、天気がよければ街の景色は光にかがやく。夏になればなおさらまぶしいだろう。暖かくなるのが楽しみだった。
ナイトフォールにはやさしくしてもらった。それに外の空気を吸っていたら、ルーニャ少年はだんだん心が穏やかになってきた。
「おもしろい本に逢えるといいな」
歩いていく道路が太くなり、車や人の往来が多くなったころ、青信号の向こうに白くて四角い建物の屋根が見えてきた。
図書館の正面玄関のポーチには古代の神殿のような円柱が並んでいた。訪れた者をここから知識の宝物庫へと導いていく。
ルーニャは円柱のなめらかな曲面をそっと撫でた。固い石で造られた柱のさわり心地はなかなか好きだった。
三階建ての図書館は二階まで吹き抜けになっていて、上階は学習室などが設けられている。
明るい館内に一歩踏み入れ、ずら~~っ!! と広がる色とりどりの本の表紙が目に飛び込んできたルーニャは、やっと不安な気持ちが吹き飛んで心が躍り出した。
「~~~~っっ!」
最初に「読書」と出逢った古書店の蔵書は、この図書館の何分の一くらいだろうか。ナイトフォールの屋敷を本の森と呼ぶなら、図書館は本の海だ。
「あ……」
ひらめいた。
僕は、本の海を泳ぐ航海士になら、なれるんじゃないだろうか。
我ながらうまいことを考えたかも。ルーニャは書棚を回って知らないタイトルを流して見ていった。気になるものがあればすぐに手に取り、目次を確認する。今日は神話の棚をチェックしてみよう。読書量が増えてくると、ときどき物語の根っこに神話の構図が横たわっていることを発見したので、ちょっと興味がわいたのだ。
しかし本に集中して間もなく、ルーニャの背後で聞き覚えのある声がした。
「ルーニャ」
「ぇ……。ジャンさん、?」
静かな声で呼ばれたのに、ルーニャはドキッとして肩を震わせた。
ジャンだ。ジャンがいる。ゆるくクセのついた飴色の髪に、ファー付きのコート。自信のある若者の顔がルーニャ少年の目の前にあった。
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