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11・かなしみの子

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「アリスには感謝しているよ。授業を少し短くして、去年旅した西の国の話でもしてみようかと思っていたんだ。あちらには戦争の傷痕きずあとが残る遺跡がいくつかあるからね。今教えているところと関連しているんだ」
「私が大学に着いたときには授業が半分過ぎていたと聞いて、ひやりとしました」
「すまなかったね。朝の身支度をしているうちに、ちょっと思い出したことがあったのでそちらに気が回ってしまったようだ」

 屋敷の主人が帰ってくると、助手と使用人がそろって出迎えた。
 ナイトフォールはいつもの穏やかな表情をひかえめに、苦笑いしながら脱いだコートをアリスへとあずけた。

 アリスが夕食の準備に戻る前にジャンが訪問したことを伝えると、ナイトフォールはうんとうなずいた。

「はは、あの子も本ばかり読むようになってしまったな。受験勉強がそろそろ始まるだろうに」
「ジャンさんの成績でしたら、旦那様の大学も手が届く範囲にあると思うのですが……」
「私の仕事がそのときまで続いていればいいのだけどね。ジャンの興味は、文学とは少し違うところにあるのではないかな」

 宇宙とか、科学のことだろうか。ルーニャは大人が二人で話しているのをそばで聞きながら、昼間やって来た若者のことを思い出していた。

 自分はジャンにとても失礼な応対をしてしまった。が、ルーニャの秘密を知ったジャンの報復もまた遠慮がなかった。最悪な出逢い方をしてしまった少年たちは、これからうまくつきあっていけるかルーニャにはわからなかった。表面ではにこりと笑っていられるような大人のふるまいはできそうにないと思っている。
 そういえば、ジャンは明日も来ると言っていなかったか……?

「はあ~…………」

 思わずため息がもれた。気がついた紳士は遠くを見つめる少年を見て、ふと口を閉じた。


 その夜、ルーニャは湯たんぽを抱えて寝床にもぐり込んでいた。ランプの明かりを頼りに読みかけの本をながめている。今日はさっさと寝てしまおうと思っていたので、文字がぎっしり詰め込まれた読みにくい本を子守歌代わりに選んだ。

「……ふわ……」

 うまい具合にあくびが出てきたので、ルーニャがよしよしと思いページをめくったとき、

 ココン、ココン

 独特の節回しで壁をノックする音が聞こえた。

「はい!」

 ルーニャはハッとして読みかけの本をパタンと閉じてわきに置いた。しおりをはさむ余裕はなかった。
 主人のおとないである。

「そちらに行ってもいいかね?」
「どうぞ」

 ルーニャは寝間着のままくるまっていた毛布から飛び出した。ナイトフォールは屋根裏へ上がるはしごをかけて、ひょこっと顔をのぞかせた。まだ仕事の途中なのか、終わったところなのかはわからないが、あたたかそうなセーターを着ていて、ちょっとほほえんだ。

「ずいぶんと眠たそうだ。おじゃましてしまったかな」
「いいえ、むずかしい本を読んでいたので、うーんとうなっていたんです」

 ルーニャは気のいた言葉を探しながら、部屋の入口で主人を迎えた。ぺこりと丁寧なお辞儀じぎをする。
 紳士はルーニャの髪をぽんぽんとでて、その手を軽くこすり合わせながら奥へ進んだ。

「おおさむい! 今夜は冷えるね。君は湯たんぽをもうひとつ使ってもいいんだよ」
「ありがとうございます。冬になったらそうさせていただきます。必要でしたら、旦那様の分をお持ちしましょうか」
「いや、私にはルーニャがいる。君が一番あたたかい」

 ナイトフォールはくつを脱いでルーニャと一緒に寝床に入った。もう一枚毛布を足してやらなければと明日の予定に追加する。
 ルーニャがさりげなく湯たんぽを主人のひざに乗せようとしたので、ナイトフォールはそれをやんわり押しとどめて少年の手元に戻してやった。

 二人で寄り添いながら座り、さっきまでルーニャが読んでいた本についていくらか話を交わした。なかなか内容が理解できないと思っていたけれど、どうやら専門家の読み物だったようで、ルーニャに安らかな眠りをもたらしてくれる効果があることはたしかだった。

 ひとしきり穏やかな時間を過ごし、一呼吸の間があいた。しかし主人は「そぶり」を見せなかったので、ルーニャは少しふしぎに思った。それでもみずから誘ったりはせず、主人の望むまで待つことにした。
 やがてナイトフォールが静かに口を開いた。

「ジャンはなかなか、クセのある子だったろう」
「あ、……ええと、はい。一筋縄ではいかない人、でした……」

 ナイトフォールはジャンのことで自分を気にかけてくれたのだとわかって、ルーニャはありがたい気持ちでいっぱいになった。

「彼もむずかしい事情を抱えていてね。破裂しそうな感情を武器にして身を守っている。理解してやってくれとは言わないが、ジャンの行動には理由があるのだと、知っておいてくれないか」
「……あまり、自信がありません……。あの人と、明日はちゃんと話ができるのか……。ジャンさんはどうしてお屋敷に本を読みに来るんですか?」
「本を読むのはついでなんだよ。あの子は私の大学を志望しているから、ときどきここにやって来て一緒に話をするんだ」
「本の感想を語るんですか?」
「それもあるが、彼は哲学的な話を好む。宇宙が終わるとき、最期に何が残っているのか、とか」

 ルーニャにはよくわからなかった。首をかしげて考えてみたが、最期に残るものは新しい宇宙の種であるといい。そうナイトフォールに話すと、主人はやさしく目を細めた。

「いい意見だ。ルーニャは希望を語るんだね」

 いつくしむようにナイトフォールは少年の髪を撫でた。

 繊細で内省的なルーニャと、ナイフの切っ先のようなジャンは、相性がよろしくないと思われる。ナイトフォールは今日ルーニャの身に起きたことを知らないが、紙の端で指を切るような思いをしたのだろうという想像はできた。

「ルーニャ。おいで」

 主人が動き、少年の肩に手を置いた。ルーニャはうながされるままに主人の胸へ身をあずけた。

 ルーニャは、最初はちょっとだけ、やがてぎゅうっとナイトフォールのセーターの端をつかんだ。紳士がゆっくりと腕を回してルーニャを抱き寄せると、少年は保護を求める幼い子のようにさらにしがみついた。大人の固い背中には何度も抱きついてきたけれど、ナイトフォールの身体が一番あたたかかった。

 しばらくの間、お互いの体温を分かち合っていた。ルーニャはナイトフォールの胸に顔を押し当てて、ずっと心臓の鼓動を聴いていた。穏やかで、力強く、ルーニャを安心させてくれる者の存在感。

 脚に乗せた湯たんぽもルーニャの身体をぽかぽかにしてくれた。ついうとうとしてしまった。でも、今はナイトフォールから離れたくないと思った。

 いつまでも押し倒される気配がしないので、ルーニャはずっと待っていたのだが、時計の代わりに主人の心音が時の流れを伝えてくれる。規則正しい鼓動は、海の波の音に似ているなと思いながら、少年はやがて眠気に負けて、ゆっくりとまぶたを閉じた。

 紳士はしばらく少年を腕に抱いていたが、窓の外の白い月を見上げ、また少年を見下ろすと、彼のナッツ色の髪を撫でて、すやすや眠る心地よい呼吸を聞きながらゆっくりと枕に寝かせてやった。そっとやわらかな髪にキスを落とす。

「おやすみ、かなしみの子よ」



 朝、目が覚めると腕にやわらかいものが当たった。ルーニャはぼんやり目を開けながら、なんだろうと思って振り向くと、黒い髪が視界に入った。ぎょっとして眠気が一瞬で吹き飛んだ。
 思考がおぼつかないまま、隣で眠る主人の顔を見て、少年はゆうべのことを思い出した。

 主人の腕の中でいつの間にか寝てしまったらしい。ルーニャを毛布にくるんでくれたナイトフォールも、自分の部屋には戻らずにここで一緒に夜を明かしたようだ。

 窓から朝の光が入ってくる。屋根裏部屋はやわらかな明かりで満たされていた。今日はくもり空のようだ。吸い込む空気が冷えている。

 もしかしたら、ルーニャが目を覚ますのを待っているうちに自分も眠ってしまったのではないかと、主人の肩へ多めに毛布をかぶせてやりながら少年は考えた。

 ルーニャは主人の求めを果たせなかったことを申し訳なく思った。罰は受け入れるつもりだった。

 でも。疑問があった。

 この主人は、自分に屈辱を与えることをするだろうか、と。これからの屋敷での生活を萎縮いしゅくさせるような行為を、ルーニャにするだろうか? 

 そういえば、ナイトフォールと契約してから十数日、まだ挿入を望まれたことがなかった。玩具おもちゃや指を入れてルーニャの身体をとろとろにすることはあっても、自分の服に手をかけることがあっただろうか?

 ルーニャはすやすやと眠っているナイトフォールの健康な寝顔をのぞきこんだ。目の下の皮膚ひふがわずかにゆるんでいる。それだけでは容姿に影響を与えることはなく、少しだけひらかれた朱い唇がルーニャを誘う。

 少年はそおっと身じろぎして、顔を近づけた。

 唇を求められたことは数あれど、自分から誰かに口づけをするなんて、はじめてのことだった。
 そのはじめての人が、ナイトフォールでよかったと、ルーニャは思った。


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