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「それに……ショックだったけど、冷めてる自分もいたの」
「冷めてる?」
「ええ。浮気してることがわかって問いただした時に、青くなっておろおろする姿を見て、情けないというか……」
「気持ちが引いていった?」
「そう。それに、色々疑問にも思っちゃって」
「疑問」
「どうして避妊しなかったのかって」
そう言うと男はぐっと口元に拳を当てた。
「そんなに中に出すのが気持ちよかったのかしら」
「ぶふっ!」
堪らないというように、男は顔を逸らして吹き出した。
「笑わないで、真剣なのに! ねえ、男の人ってそんなに中に出したいもの? 中に出すと何か違うの?」
「やめてくれ、それを俺に聞くかなあ!」
「他に誰に聞くのよ」
もういいわ、と隣の男から顔を逸らすと、目の前でグラスを拭くマスターに声を掛けた。
「ねえマスター、男の人って……むうっ」
「マスター、水をくれるかな」
隣で座る男に口を塞がれて勝手に水を頼まれる。面白くなくてじろりと睨むと、男はふっと笑い手を離した。口を塞いだ掌が思いのほか大きくて熱くて、なんだか急にこの男を意識して視線を逸らす。
マスターは私の目の前に水の入ったグラスを置くと、他の客に呼ばれてその場を離れた。
「ほら、一回飲んで」
「いらないわ」
「酔ってるだろ。いいから」
なんだか有無を言わさないその言い方に、何も言えずグラスを煽る。冷たい水がのどを潤し、ふうっと息を吐き出した。
「明日から仕事を休んでどこに行くの?」
「隣国に行こうと思ってるわ。のんびり船旅であちこち見て回ろうと思ってる」
「ああ、あの運河を航行する客船か」
「そうよ。陸路もいいけど、船旅って一度してみたかったの」
「あの船にはいいレストランもあるし、途中下船もできるから観光もできるんだよ」
「詳しいのね」
男の指が私の口端から零れた水をすうっと拭い、そのままそっと唇に触れた。私を見つめるその瞳は熱を帯びていて、逸らすことができない。
「一度乗ったことがあるんだ」
「そう。私も人から聞いて乗ってみたいと思ってたの」
ヴィルツ補佐官が船で隣国へ行った話をしていたことがある。それは本当に素敵な旅で、私もいつか乗ってみたいと思っていたのだ。
「君に教えた人は、旅の素晴らしさを伝えたかったんだね」
「どうかしら。でもそうね、普段はあまり自分の話はしないけど、素敵なことをいろいろ教えてくれる人だわ」
いつも難しい顔をしているけれど、決して冷たい人ではない。恋愛感情などではなくて、ただ私は彼に好感を持っていた。人との距離感がとても居心地のいい人で、妻帯者だとか独身だとか言われているけれど、誰も実際はどうなのか知らなくて、なんだか謎の多い人だ。
「例えばどんな?」
唇に触れていた男の指がそっと頬を擽るように撫で、そのままするすると顎から首筋をなぞり降りていく。
「例えば……隣国の文化とか歴史とか、動植物にも詳しいわ。料理もできるんですって。文官だけど意外と逞しい身体をしていて、聞いてみたら昔は騎士だったって。怪我をしてやめて、それで……」
「それで?」
「それで、」
男の手が太腿に置かれ、そこから熱が伝わってくる。置かれた手はじっと動かないままで、そのことになんだかじれったい気持ちになった。
ふと気がつけばすぐ近くに男の顔があり、私を覗き込むように真っ青な瞳が見つめている。
「……緑色だけど、いろんな色が混ざって複雑な色をしてる。きれいな瞳だ」
男の耳心地のいい声がすぐ近くで囁く。低い声が吹き込まれて、まるで酩酊しているようにふわふわした。じっと目の前の瞳を見ていると、やがてその瞳は焦点が合わないほど近づき、そのままふわりと唇を柔らかいものが掠めた。
「もっと見たい」
そう囁く男の真っ青な瞳には、見つめ返す私の顔が映りこんでいた。
「冷めてる?」
「ええ。浮気してることがわかって問いただした時に、青くなっておろおろする姿を見て、情けないというか……」
「気持ちが引いていった?」
「そう。それに、色々疑問にも思っちゃって」
「疑問」
「どうして避妊しなかったのかって」
そう言うと男はぐっと口元に拳を当てた。
「そんなに中に出すのが気持ちよかったのかしら」
「ぶふっ!」
堪らないというように、男は顔を逸らして吹き出した。
「笑わないで、真剣なのに! ねえ、男の人ってそんなに中に出したいもの? 中に出すと何か違うの?」
「やめてくれ、それを俺に聞くかなあ!」
「他に誰に聞くのよ」
もういいわ、と隣の男から顔を逸らすと、目の前でグラスを拭くマスターに声を掛けた。
「ねえマスター、男の人って……むうっ」
「マスター、水をくれるかな」
隣で座る男に口を塞がれて勝手に水を頼まれる。面白くなくてじろりと睨むと、男はふっと笑い手を離した。口を塞いだ掌が思いのほか大きくて熱くて、なんだか急にこの男を意識して視線を逸らす。
マスターは私の目の前に水の入ったグラスを置くと、他の客に呼ばれてその場を離れた。
「ほら、一回飲んで」
「いらないわ」
「酔ってるだろ。いいから」
なんだか有無を言わさないその言い方に、何も言えずグラスを煽る。冷たい水がのどを潤し、ふうっと息を吐き出した。
「明日から仕事を休んでどこに行くの?」
「隣国に行こうと思ってるわ。のんびり船旅であちこち見て回ろうと思ってる」
「ああ、あの運河を航行する客船か」
「そうよ。陸路もいいけど、船旅って一度してみたかったの」
「あの船にはいいレストランもあるし、途中下船もできるから観光もできるんだよ」
「詳しいのね」
男の指が私の口端から零れた水をすうっと拭い、そのままそっと唇に触れた。私を見つめるその瞳は熱を帯びていて、逸らすことができない。
「一度乗ったことがあるんだ」
「そう。私も人から聞いて乗ってみたいと思ってたの」
ヴィルツ補佐官が船で隣国へ行った話をしていたことがある。それは本当に素敵な旅で、私もいつか乗ってみたいと思っていたのだ。
「君に教えた人は、旅の素晴らしさを伝えたかったんだね」
「どうかしら。でもそうね、普段はあまり自分の話はしないけど、素敵なことをいろいろ教えてくれる人だわ」
いつも難しい顔をしているけれど、決して冷たい人ではない。恋愛感情などではなくて、ただ私は彼に好感を持っていた。人との距離感がとても居心地のいい人で、妻帯者だとか独身だとか言われているけれど、誰も実際はどうなのか知らなくて、なんだか謎の多い人だ。
「例えばどんな?」
唇に触れていた男の指がそっと頬を擽るように撫で、そのままするすると顎から首筋をなぞり降りていく。
「例えば……隣国の文化とか歴史とか、動植物にも詳しいわ。料理もできるんですって。文官だけど意外と逞しい身体をしていて、聞いてみたら昔は騎士だったって。怪我をしてやめて、それで……」
「それで?」
「それで、」
男の手が太腿に置かれ、そこから熱が伝わってくる。置かれた手はじっと動かないままで、そのことになんだかじれったい気持ちになった。
ふと気がつけばすぐ近くに男の顔があり、私を覗き込むように真っ青な瞳が見つめている。
「……緑色だけど、いろんな色が混ざって複雑な色をしてる。きれいな瞳だ」
男の耳心地のいい声がすぐ近くで囁く。低い声が吹き込まれて、まるで酩酊しているようにふわふわした。じっと目の前の瞳を見ていると、やがてその瞳は焦点が合わないほど近づき、そのままふわりと唇を柔らかいものが掠めた。
「もっと見たい」
そう囁く男の真っ青な瞳には、見つめ返す私の顔が映りこんでいた。
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