溺愛恋愛お断り〜秘密の騎士は生真面目事務官を落としたい〜

かほなみり

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9 ユーリ2

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 そして、十年ぶりに顔を合わせた彼女は、当然だが俺を覚えていなかった。

(それもそうだ、あの時は名乗らなかったし)

 あの日、急いで立ち去った彼女の背中に向かって、名乗らなかったことを少しだけ後悔していたことを思い出した。
 ザックが恋焦がれ毎日通い詰め口説き落としたと言われる、経理課の美しい女性。噂は聞いていたが、それがまさかアリサだったとは。
 十年ぶりに会う彼女はあの頃と変わらず意志の強い瞳を持ち、まっすぐで、それでいて、

(綺麗だな)

 美しい人だと思った。
 カフェで見た時は声を掛けずその場を離れたが、そもそも一方的に俺が一度会ったことを覚えていただけで、彼女にとっては騎士団にいる騎士のうちの一人だ。俺のことなど知らないだろうし、覚えていないだろう。それに、あんな修羅場で声を掛けたところで迷惑なだけだ。
 縁があればまたどこかで顔を合わせるかも。
 そんなふうに思っていたら、その縁はすぐにやってきた。

(――まさかこんなふうに並んで昼を取るなんて)

 ザックとの別れ話を拗らせたせいで一躍時の人となった彼女は、庭の片隅にあるベンチで身を隠すように座っていた。
 困り果てた様子でクッキーだけを食べている姿に、話しかけずにいられなかった。いや、話しかけるきっかけが欲しかったのかもしれない。そのまま立ち去るつもりが、結局似た者同士、ベンチに腰掛け一緒に空を見上げ、互いの境遇を共有し合い笑い合った。そうして笑うと少しだけ幼くなる彼女を見て、あの日と変わらないそのままの彼女だと勝手に嬉しくなった。
 こうして彼女と話せるなら、昨日あの場所で女性に振られたことも悪いことではなかった、そんなふうに思う自分に内心苦笑する。

(そんなことを思ってるなんて知られたら、いい加減な男だと思われるだろうな)

 自分に対して、女性関係があまり褒められない噂ばかり立っていることは知っている。
 敢えて訂正もしていないし、別にそれでもいいと思っている。噂を信じる人間がゴシップとして面白がっているだけだ。それが俺の隠れ蓑になるのなら、そのまま面白おかしく言えばいい。
 だが、アリサにもそう思われているのだろうかと、この時少しだけ気になった。
 あれはすべて噂だと訂正する?
 でも、……なぜ?
 
「あんなことがなければ、今ここにいなかったかも」

 アリサのその言葉に思わず動きを止める。

「昨日のあれがきっかけってこと?」
「あれって」

 そう言ってくすくすと笑いながら、彼女はぼんやりと空を見上げた。

「結局、自分の身に起こったことにどう反応するかで、その後の過ごし方とか考え方が変わるのよね。怒ったり悲しんでいたら、今ここにいないだろうし、こんなふうにあなたと穏やかに話すこともなかったかもしれないわ」
「君は、腹立たしいとか悲しいとか、感情を発散したくならない?」
「なるけど、でもいつまでもそんなことをしていたら、悪い感情が集まってくる気がしない? そうしたらその感情は自分の中でさらに大きくなって、常に怒りを抱える人になってしまう気がするの。だから、話すのはいいけど悪い感情を共有したりいつまでもぐちぐち言うのは嫌い」
「……嫌なことは忘れて、こうして穏やかに話していた方がいい?」
「ええ。実際、あなたのおかげで今はとても気持ちが休まっているもの」

 その言葉は、大げさかもしれないが、まるで天啓のように聞こえた。いや、小さな子供が褒められて嬉しくなったような気分かもしれない。でも何か特別で嬉しくて、俺の気持ちもとても救われたような気がした。

(俺と話して、気持ちが休まるなんて初めて言われたな)

 いつも何を考えているのかわからない、もっと真剣に考えて欲しい、などと言われる身としては、くすぐったくて嬉しかった。
 彼女は我に返ったのか、自分の言った言葉を思い返し顔を赤く染めた。お互いほぼ初対面でこんな話をするなんて、確かに恥ずかしくなってしまうかもしれない。
 でも俺は、カチリと小さく音を立てて嵌ったような感性の一致を、十年前と同じように彼女に感じ、小さく感動した。これは、同じとらえ方、同じ見方をする人に出会えた喜びだ。

(いい、な)

 思わずにやけそうになる口許を手で隠す。
 
(――うわ、やばい)

 初めて手に入れたい、欲しいと思った。
 彼女がいい。彼女が欲しい。
 そんなふうに思ったのは初めてだ。
 なぜなのかわからないが、でもきっと、彼女を手に入れたらわかるのかもしれない。
 
「――うん、なんかすっきりした」
「よくわからないけど、よかった、わね?」
「君のおかげ。ありがとう」

 そう言って彼女に笑顔を向けると、一瞬だけきょとんとした表情を見せ、おかしそうに破顔した。

(君とたくさん話したい)

 たくさん話して、知りたい。彼女のこと、考え方、感じ方。好きなもの、苦手なもの、――俺をどう思うか。

(君になら、俺のことを話せるかな)

 君がどんな反応をするか、見てみたい。

 *
 
「ユーリ様」
「ギルバート、遅い時間にすまないね」

 酒場でトラブルに巻き込まれ困惑するアリサを、理由をつけて強引に屋敷へ連れてきた。まさかこんな展開になるとは思わなかったが、リバーズのおかげだ。とんでもないきっかけではあるが、後で酒でも奢ってやろう。
 俺が初めて女性を屋敷につれてきたのを見たギルバートは、扉を開けて目を見開いていた。普段あまり物事に動じないギルバートのそんな顔を見られたことも、なんだか嬉しくて思わず笑ってしまった。 
 
「このようなことは初めてです」
「うん、そうだね」

 思わず視線が階上へと向く。この上に、彼女がいる。そう思うだけでなんだか心が軽くなった。

「本当はカッコよく助けるつもりだったんだけど、彼女の方がカッコよかったよ。ギルバートにも見せたかったな」

 クスクスと思い出し笑う俺を見て、ギルバートは薄く眉を寄せた。

「かの方にはどうご説明されるおつもりですか」
「別に。ただ」

 説明を求められることはないだろう。
 どこかで見ている彼らが、俺のアリサに対する扱いを報告し、それを聞いた彼は俺がどういうつもりなのか理解するはずだ。

「――護衛を増やすよう伝えて」
「承知しました」

 ギルバートは頭を下げると、奥へ静かに下がっていった。

「ユーリ様」

 階上からノラがアリサの制服を手に降りてきた。

「悪いね、ノラ」
「いいえ、ちゃんときれいにして明日にはお召しになれるようにいたしますわ」
「ありがとう、助かるよ」
「アリサ様は貴族のご令嬢ですわね。慣れてらっしゃるし振る舞いも美しいですわ」
「はは、御名答」
「私は、とても素敵な方だと思います」
「うん、俺もそう思う」
「まあ! ほほ、喜ばしいことですわ」

 俺の言葉に、ノラは声を上げて笑った。

「俺はちょっと仕事があるから出るけど、彼女には時間いっぱい眠らせてあげて。疲れているだろうし、ゆっくりしてほしいから」
「かしこまりました。では、明日の朝食をお気に召していただけるよう、料理人に気合を入れてもらいますわね。まずは胃袋から掴む、と言いますでしょう?」

 嬉しそうに「忙しくなるわ」と笑うと、ノラは階下へと降りていった。

「……さて」

 カーテンの隙間からそっと外を見る。
 街灯の陰に二人、身を隠すように立っているが、酒場からずっと後をつけていた男たちだ。

(確認が必要だな)

 室内の明かりを消し、ふと階段の上を見る。
 この屋敷に彼女がいる。
 そのことだけでこんなにも心が軽くなるなんて。
 緩む口元を引き締めてフードを目深に被り、裏口から静かに、俺は夜の闇へと潜り込んだ。

 *

「ユーリ、どういうつもりだ」

 アリサと「形だけ」の交際を約束してすぐ、どこで聞きつけたのか訓練場から出るとザックが立っていた。俺たちの姿をちらちらと見ながら他の騎士たちが素通りしていく。
 
「どういうつもりって?」
「アリサのことだ」

 そうだろうな。何か言いに来ると思っていたが、思ったより早かった。

「アンタには関係ないことだろ」
「ふざけるな!」
「そうやって凄めば思いどおりになると思っているのか?」
「なんだと?」

 怒りを露わにし俺を睨みつけるザックを正面から見つめ返し、一歩近づく。上背は俺よりも少し高いくらいか。体格はパワータイプの騎士らしく筋骨隆々としていてとにかく大きい。

(こんなに大きな身体で女性を威圧するなど)

 毅然としていたが、アリサだって怖い思いをしたのだ。

(なぜそれが分からないのか)
 
 好きな女性に対する態度とは到底思えない。

「アリサとアンタはもうすでに終わった関係だ。彼女が誰を選ぼうと口を出す権利はない」
「俺はまだ」
「しつこいぞザック」

 俺の言葉にザックが奥歯を噛みしめた。額には青筋が立っている。

「……俺はお前であることが許せない」

 噛みしめた口から洩れるように低くザックが唸る。

「アンタに俺の何がわかる」
「アリサを幸せにできないことだけはわかる」

 その言葉に、胸にジリッと何かが焼けつくような感覚が沸き上がった。手にしていた模造剣をぐっと握りしめる。

「……ザック、気安く彼女の名前を呼ぶな」
「必ず取り返す」
「それは俺が許さない」
 
 久しぶりに腹の底がグラグラと煮え滾る気がした。目の前の男を消してしまいたい衝動に駆られる。

「選ぶのは彼女だ。アンタじゃない」

 ザックはしばらくじっと俺を睨むと、何も言わず踵を返しその場を立ち去った。
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