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しおりを挟む「おかえりなさいませ、ユーリ様」
「ただいま、ギルバート」
(え、え……?)
店から五分も歩かず到着したそこは、王都中心部に建つ大きなタウンハウス。
赤レンガに白い窓、玄関ポーチには立派な柱が聳え、ドアフードには繊細な装飾が施されている。
呼び鈴を鳴らすとすぐに玄関の明かりが灯り、中から黒いお仕着せを着た上品な初老の男性が現れた。ユーリは私をエスコートしたままするりと室内に入る。
「すまない、ちょっと客人を泊めたいんだ。客室の準備をしてくれるかな」
「承知いたしました」
男性はそう言うとすぐに奥へと踵を返した。
ちょっと待って、この状況にまだついていけない。
「ま、待って、こんな時間にご迷惑をかけられないわ」
「大丈夫、すぐに使えるようになってるはずだから」
「そういうことじゃ……」
「まあまあまあ、いらっしゃいませ!」
そこへ、玄関の奥から男性と入れ替わるように現れたふくよかな女性が、穏やかな笑顔をこちらに向けやって来た。
「ノラ、こちら俺の知り合いのアリサさん。ちょっとトラブルに巻き込まれて帰宅が難しくなったから、泊めたいんだ」
ユーリは私の戸惑いなど一切気にすることなく淀みなく彼女に私を紹介する。慌てて名を名乗ると、ノラは嬉しそうな優しい笑顔で私を見て、小さく頭を下げた。
この人がさっき言っていた、ノラさん。母親ほどに見える彼女もまた、先ほどの男性と同じようにお仕着せを着ていて侍女のようだ。
(この人、貴族だったのね)
こんな一等地にタウンハウスを持っているのだから、よほどの有力者なのだろう。
田舎から出てきてずっと働いている私は、ユーリの家名を聞いても貴族なのかわからない。
「かしこまりました。それでは朝食もご用意いたしますね」
「え、でも」
なんの疑問も持たない様子に驚き辞退しようとすると、ユーリはそれを遮るように手に持っていた私の上着をノラへ渡した。
「あと、このジャケットをきれいにしておいて」
ノラは手に取り少し目を丸くすると、すぐにまた笑顔になり頷いた。
「汚れてしまったのですね。朝までにはきれいにいたしますね」
「あのでも」
「さあ、もう夜も遅いですわ。お食事はどうなさいます?」
「あの」
「あらでも、とてもお疲れのようですね。今夜はもうお休みになって、明日の朝しっかり召し上がっていただくのがよさそうですわ」
「そ、そう、ですね……?」
「ではお部屋へご案内いたします。どうぞ」
ノラはそう言うと私をこちらへ、と誘導する。どうしていいのかわからずにユーリの顔を見上げると、彼はにこりと笑って片手を上げた。
「それじゃあ、ゆっくりしてね、アリサさん」
「え、あ」
「おやすみ」
「お、おやすみ、なさい……?」
何を言っていいのかわからないまま、私はそのまま階上の客室へと連行されたのだった。
*
分厚い緑のカーテンの隙間から、白い光が一筋伸びているのを目を閉じたまま感じる。
(朝だわ……)
早く起きないと。あれ、でも今日は休みだった?
なんだかいい香りがするし、もう少しのんびりできるかしら。
「おはようございます、アリサ様」
そこへ優しく声がかけられる。こぽこぽと小さく音を立て紅茶を淹れる音、私の好きな紅茶の香りがする。あとは、ベーコンにパン、果物の甘い香りに、これはコンソメの匂い。ああもう、お腹が空いた……。
「昨日は何もお召しになっていないようですから、胃に優しいものをご用意しましたよ」
「ん……、ありがとう、ターニャ……」
……ターニャはもう、引退して田舎に帰ったんじゃなかった……?
「‼」
突然頭が覚醒してガバッと勢いよく起き上がると、室内の応接テーブルに紅茶や朝食を並べているノラと目が合った。
途端、顔が熱くなる。恥ずかしい、完全に実家にいる感じだった……!
「あっ、あの……!」
「おはようございます、アリサ様。よくお休みになれたようですね」
「おはようございます!」
(ままま、待って、そうよ、私!)
昨夜、ユーリに会って屋敷にお邪魔したのだった。忘れていたというか混乱していたというか、昨日はいろいろどうかしていたのでどうしたらいいのかわからなかったから!
「あっ、あの、ユーリ、さんは……?」
「ユーリ様でしたら、今朝は早番だとか言ってもう出られましたよ」
(そういえばそんなこと言ってた気がする!)
確かにここは騎士団のすぐ近くなのでいつもより大分ゆっくりできるけれど、家主より朝遅くまで寝ているなんていったいどういう神経なの、私!
「アリサ様の始業時間はまだですから、ゆっくり休んでくださいと仰っていましたよ。さあ、まずは何かお召し上がりになってください」
テーブルに美しくセッティングされた美味しそうな朝食に、私のお腹が正直にぐうっと鳴った。ノラはクスクスと笑うとお皿に料理を取り分ける。
「あ、ありがとうございます……」
今さらここで断って何になるだろう。そもそも昨夜お世話になった時点で、何もかも今さらなのだから。
すっかり開き直った私は、まだしつこくぐう、と鳴るお腹を押さえてベッドから降りると、テーブルについた。
ノラの淹れてくれた紅茶を手にすうっと香りを吸い込むと、少しずつ落ち着いてくる。そして冷静になり状況を把握できるようになってくると、今度は羞恥が襲ってきた。じわじわと顔が熱くなる。
(昨日の夜のことなんて、絶対に広まってるわね……)
騎士に麦酒をかけて八つ当たりしたうえ、ユーリに連れられて店を出たのだ。裏口から出たとはいえ、二人でいなくなったのだから絶対に口さがない人たちの話題になっている。それじゃなくても注目を浴びているのに、追加で自ら話題を提供してしまった。
けれど、それなら今日もお昼はあの中庭がよさそう。そこならユーリと会えるかもしれない。
(ちゃんとお礼をしなくちゃ)
もう今さら慌てても仕方ないとあきらめた私は、いつ以来かわからないほど、のんびりと朝食を取ることにした。
*
「アリサ~!」
人々の視線を全部無視して事務棟に出勤すると、待ってましたと言わんばかりにセシルが駆け寄ってきた。
「おはようセシル」
「おはようじゃなくて! ちょっとどうなってるの⁉」
「何が」
机に座り、引き出しに鞄をしまう。
今日は、ノラが出がけにお昼にどうぞとお弁当を渡してくれた。本当にありがたい。今もう食べたい。
「何がって昨日よ! すごく噂になってるんだから!」
「それは成り行きで?」
「成り行きで東の砦の騎士に求愛されるの⁉」
「き……、え?」
東の砦の騎士……、求愛?
「なにそれ」
「リバーズよ! アダム・リバーズ!」
「だれそれ」
「ちょっと!」
真っ赤になって興奮するセシルの顔を見て昨夜を思い出す。
あだむ……、リバース。……リバース?
「……ああ」
「ああ、じゃないってば! 今人気のリバーズに求婚されたんでしょう⁉」
いや、嘔吐されたんだけど。
「全然違うし、一体誰がそんなこと言ってるの?」
「みんな!」
「出た、またみんな」
「も~! どうやって知り合ったのよ! 紹介してよ!」
「知らないわよ、求愛なんてされてないし」
「じゃあなんでそんな噂になってるの!」
「本人に聞けば?」
(とりあえず、ユーリに迷惑をかけていないならよかったわ)
なぜだかわからないけれど噂になった相手は違う。昨日、あんなに世話になったのにまた面倒な噂に巻き込むのは申し訳ないから、そこは少し安心した。
ぶうっと口を尖らせるセシルにはい、と机上の書類を手渡す。受け取るのをためらうその手に無理やり押し付けて、今日の業務をお互いに確認する。
「ねえ、どこで会えるの?」
「……酒場?」
「この忙しいのに行ってられるわけないじゃない!」
「本当よね……」
私ももう、しばらくは行きたくない。
まだブツブツと文句を言うセシルを追いやって、今日もまた私は机上の書類に立ち向かう。
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