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落雷

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 男二人から話を聞き終えると、ヨハンが手持ちの薬鞄から睡眠薬を二人に嗅がせ深く眠らせ、ベノが二人を縛り上げると厨房奥のパントリーに閉じ込めた。暫くは誰も気が付かないだろう。

「ヨハンは医師になったのね」
「はい。あの戦争で途中で通わなくなった医学校にまた通い出して……去年資格を取ったばかりです」
「よかったわ。夢が叶ったのね」
「ありがとうございます。クロエ殿のお陰です」
「私の?」

 薄暗い廊下を進むヨハンの横顔を見る。その瞳は、戦場で見た絶望や疲労、後悔、昏い色を湛えていた瞳ではない。

「クロエ殿が諦めなかったから、僕も諦めなかったんです。治癒魔法が使えなくても人を救えるって、クロエ殿から学びました」
「ヨハン」
「僕は治癒魔法が使えないから、医師になりたいってずっと思っていました。魔法が使えなくても人を救えることに憧れていたんです。でもあの戦争で、治癒魔法がないと命を落としてしまうような日々で、僕は諦めかけていました」
「……」
「でも、出来ることがあった。全てではないけど、僕にもできることがあったんです。それはクロエ殿、貴女から学んだんです」

 廊下の曲がり角に着くと、ベノがそっとその先を確認する。どうやら聖騎士がいるようだ。

「ここで私が出て行っても、多分彼らはすぐに通報するようなことはしないと思うわ」
「でも危険です、身動きが取れなくなるかも」
「では自分がちょっと騒ぎを起こしてきます」
「え?」

 ベノは近くの部屋の扉を開け中に人がいないのを確認すると、私たちを招き入れた。
 
「彼らの気を引きますから、いなくなったら行ってください」
「でも」
「大丈夫、ちょっとボヤを起こすだけですから」

 ベノはぱちりとウィンクをすると、静かに扉を閉めた。息をひそめそのままじっと待っていると、ピカッと窓の外で稲光が走り、庭の方からドン! と大きな音がした。慌てて窓へ近付き外を窺うと、中庭の庭木に雷が落ち、燃えている。

「ベノ、でしょうか」
「多分ね」

 燃えているのはルシル様お気に入りの楡の木だ。
 見ていると、ばらばらと人が集まり出した。雨は降っているけれど、火は消えそうもない。そうこうしているとまた稲光が光り、ゴロゴロと雷鳴が轟く。宰相が知ってか知らずか、まるで手助けをするように空の雲を集めているようだ。
 そしてまた、ドン! と大きな音が響き、庭の木に落雷した。

「ちょっとって言ったわよね……」
「……クロエ殿」

 ヨハンが扉の前で廊下の様子を窺っていると、バタバタと人が走る音が響いた。聖騎士たちが消火活動に向け庭へ集まっているようだ。

「行きましょう」

 私たちはそっと扉を開けると目的の部屋へ向かい、ノックをせず素早く入室した。
 突然の乱入者に住人が驚いた顔でこちらを見る。そして、私の姿を見てさっと顔を青褪めた。

「く、クロエ様⁉︎」
「ごきげんよう、突然ごめんなさいね」

 ヨハンも招き入れ、そっと後ろ手に扉を閉める。窓の外ではまたゴロゴロと雷の音が響いた。

「確認したい事があって。少し時間いいかしら、ケイト?」

 ケイトはそばかすの肌を震わせ、私たちをじっと睨みつけた。一人掛けのソファに腰掛けたまま動かないケイトの向かいに立ち、見下ろす。こんな表情をする子だとは思わなかった。いつもおどおどと、マリエルの後ろに隠れていた子だとは思えない。

「いつから朝のお茶に薬を入れていたの?」
「何のことだか……」
「毎朝私にお茶を淹れてくれたでしょう。あの中に解毒剤を入れたわね? 殿下と同じものを食べても、私が大丈夫なように」
「おかしな言いがかりはよしてください! 大体どうして私がそんな事をする必要があるんですか⁉︎」
「さあ。事情は色々考えられるでしょうけど、少なくともあなたが一人で考えたことではないわね」

 恐らくあの日食べた料理全てに毒が入っていたのだと思う。けれど、なぜ私は平気だったのか。それは、解毒薬を事前に服用していたからとしか思えない。ケイトは視線を逸らし手にしていた刺繍枠をぎゅっと握りしめる。

「だ、大体ここにいてどうやってそんな物を手に入れられると言うのですか!」
「商人よ。マリエルが私物を届けさせていたでしょう」
「それはマリエル様がしていたことです! 私は知りません!」
「受け取っていたのは貴女だわ、ケイト。マリエルが商人と話をするわけがないもの」
「知りません!」
「商人から話は聞いたわ。聞いた人相はマリエルではなく、貴女と同じだった」
「……っ!」

 ケイトは刺していた刺繍をテーブルに置いて視線を外に向けた。

「ケイト、一体誰に頼まれたの? 誰が貴女にこんなことを……」
「私は何も知りません」
「……貴女は、トロワ男爵のご息女、ケイト様ではありませんか?」

 それまで黙っていたヨハンが、そっと前に出てケイトに声を掛けた。ケイトがびくりと身体を揺らす。

「そ、そうだけどそれが何か?」
「ああやっぱり! 僕の両親はトロワ男爵領で牛農家を営んでいるんです」
「……もしかしてヨハン?」
「そうです! ああ、大きくなられましたね! 気が付かなかった」

 ヨハンはにこにこと笑顔でケイトに一歩近づいた。ケイトは驚いた様子でヨハンを見ている。

「ど、どうしてあなたがここに……」
「クロエ殿を助けるためです」
「……」
「ケイト様、貴女も助けたいんです」
「何を……」
「誰に脅されているんですか? 何の理由もなく、貴女がこんな事をするはずがないでしょう?」
「……わ、私は……」

 ケイトはぎゅっと長衣を膝の上で握りしめ俯いた。ヨハンが跪き、ケイトの顔を見上げる。

「ケイト様、お願いです。僕たちに貴女を助けさせてください」
「……」

 ケイトはグッと唇を噛みしめ、ひとつだけ涙を零した。

「……もう遅いわ」
「え?」

 バンッと勢いよく部屋の扉が開けられ、黒い外套を纏った男たちが飛び込んできた。
 
「!」
「クロエ殿!」

 ヨハンの私を呼ぶ声、ケイトの叫び声が響き、身体に大きな衝撃を感じて、私はそのまま意識を失った。

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