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雨に煙る丘
しおりを挟む激しい雨が吹き付ける中、馬に乗り神殿へ向かう。風が強くなり、宰相の嫌がらせじゃないかと思い始めたころ、神殿へ続く階下に辿り着いてようやく雨が小降りになった。土砂降りだったためか、いつもは参拝で賑やかな階段もほとんど人がいない。
「クロエ殿、神殿ではなくどこか遠くに行かれた方が」
「いいえ。宰相閣下は私を逃がすためにこんなことをしたのではないわ」
「と言うと?」
「神殿内に犯人がいると思っているのよ。でも、王家は神殿の捜索をするような権限は持っていない」
ヨハンは目を丸くした。
「宰相閣下はそれをクロエ殿に探れと?」
「そうね。『貴女は貴女のすべき事をするといい』ってね」
「でも……その、随分と回りくどいですね……?」
「ふふっ、同感よ、ヨハン」
はっきりものを言わず私を動かし、手に入れたい答えを得たいのだろう。あの人はそういう人だ。
「都合よく使われているのは分かってるわ。……でも、このまま処刑されるなんてまっぴらよ。逃げたって家にも神殿にも迷惑をかけるだけだわ」
「お変わりありませんねぇ」
ヨハンが薄く、おかしそうに笑った。
「分かりました、行きましょう。牢に魔法で姿を変えた者が入りましたが、衛兵が交代の時間になるとバレるかもしれない」
「あとどのくらい?」
「二時間です」
「分かった。……ここからは」
「お一人では行かせられません」
ヨハンと付いてきた衛兵がじっと私を見つめる。これは何を言っても付いてくるのだろう。仕方なく、衛兵に名を訪ねた。多くの怪我人に対応してきて、申し訳ないけれど全員を覚えている訳ではない。
「……貴方の名前を教えてくれる?」
「ベノです。火傷を負って目が見えにくかった時にクロエ殿に妻からの手紙を読んでいただいた」
「……ベノ、お子さんが生まれたばかりと言っていた?」
「はい、そうです」
「まあ……!」
思わず感嘆の声を上げると、ベノは嬉しそうに顔を綻ばせた。子供が生まれたばかりだと話してくれた、顔にやけどを負った騎士のことを覚えている。奥さんが送ってきてくれた手紙を彼に頼まれ読んだのだ。生まれたばかりの赤ちゃんがいかに可愛いか、早く会わせたいと書かれた手紙を読んで、彼は涙を流していた。
「奥様とお子さんはお元気?」
「はい。娘も先日三歳になりました。妻に似てかわいい子です」
「まあ! それは良かったわ……でもベノ、ご家族がいるならなおさら貴方を巻き込む訳にはいかないわ」
「いいえ。このまま帰っては妻と子供に何を言われるか分かりません」
「……ご家族もご存じなの?」
「もちろんです。貴女を信じる人々のためにも、自分は貴女を護らねばなりません」
「そんなこと……」
グッと息をのみ、潤みそうな眼をパチパチと瞬きをした。そんな私に柔らかく笑うベノの顔を見て、あの頃の私が救われる。
それは、奇跡みたいな時間だ。自分の思うままに進んでいたあの頃、迷ってばかりだった私。でもここにこうして、私に感謝していると言い助けてくれる人がいる。私を信じてくれると言う人がいる。
「それに自分は雷の魔法が使えますし、騎士ですから。必ずお役に立つと思います」
「ありがとう……」
フードを目深に被り直して、そう呟くと、ヨハンとベノはひとつ頷きあった。
そうだ、今は感慨に耽っている場合ではない。ふう、と息を吐き出して、丘の上を見上げる。降り続ける雨の向こうに煙るように見える神殿は、いつもの白く光り輝く神殿ではなく、どんよりとした重たい雲を映し出したかのような灰色をしている。
そうして私たちは、長い階段へ一歩、足を踏み出した。
――ねえ、ライナルト。私のしていたことは間違いではなかったわ。
そう伝えたいのは、この思いを伝えたいのはライ、やっぱり貴方だけなのだ。
*
長い階段を上り切り、濡れた外套をかぶったまま神殿に足を踏み入れる。あちこちに立つ聖騎士の顔をフードの下から確認し、よく知る人物を見つけた。ヨハンとベノにはここで待つように伝え、そっと聖騎士に近付き、聖騎士の前にある祈りのための長椅子に腰掛けた。
「ノア」
名前を呼ばれたノアは、少しだけ驚いた様子を見せたが、目の前の長椅子に腰掛ける私に気が付き、遠くを見つめたまま口を動かさないように答えた。
「……クロエ殿。案じておりました」
「ありがとう。ルシル様は?」
「いつもより長くお眠りになっておられます」
「そう……どのくらい眠っているの」
「クロエ殿が捕まったと伝えられてからずっと」
「そんなに……」
普段、どんなに長く祈りを捧げても、せいぜい眠るのは半日から一日。それが一日半以上、二日近く眠っている。
「おかしいわね……」
少し整理しなければ。
「今、神殿内はどうなっているの?」
「行動が制限されています。ほとんどの聖女はいつもの通り祈りを捧げていましたが、神官や祈りを捧げた後の聖女たちは全員自室にこもり、全て聖騎士が扉の前に立っています」
「厨房は?」
「今は料理当番が一人」
「分かった。ありがとう」
「クロエ殿」
ノアが小さな声で私を呼び止めた。
「なに?」
「……お一人ですか」
「……」
「貴女を信じる者が一緒ならば、私は信じてここで待ちます」
「……ありがとう」
少しだけフードをずらしノアを見上げると、私を見下ろすノアの表情が固い。ふっと口元を緩め笑顔を見せると、ノアは納得したのか小さく頷き、また視線を上げ周囲に戻した。私は小さく祈りのポーズを取ると、静かにその場を立ち去った。
ノアの言うとおり、神殿内は静かだった。いつもは等間隔に配置されている聖騎士の姿も少なく、皆それぞれの部屋の前を警備しているのだろう。ヨハンとベノを連れて神殿奥へ進み、厨房に辿り着いた。薄暗い廊下に漏れる厨房の明かり、人の話し声。そっと中を窺うと、いつもの料理当番に加え、食材配達のために出入りしている商人がいた。中央のテーブルに広げた箱や籠は調達した食材だろう。
「……これがいつものお茶で、こっちが小麦粉、砂糖、塩な。他の調味料類はこっち。数が合ってるか数えてくれ」
「おい、これは?」
「ああ、それはお嬢さんに頼まれたやつだよ」
「おい、お前いい加減にしろよ、私物は持ち込み禁止だぞ」
「そんなこと言われても俺は頼まれてるだけなんだよ。ただの商人の俺が貴族様の頼みを断れるわけないだろう」
「それじゃなくても目を付けられてんのに」
「まあそう言うなって。ほら、アンタにも報酬あるんだから」
男はそう言うと、他の箱から深い緑のボトルを取り出した。それを見て料理番は目を輝かせる。
「これ、北の方のワインじゃないか!」
「お、知ってんじゃん。レアなんだよな、コレ。今回はこれを渡せってさ」
料理番の神官は嬉しそうにボトルを手に取り、ラベルを読んでいる。
「ただあの聖女に紙袋を渡すだけで貰えるなんて……なかなか手に入らない代物だ、偽物じゃないだろうな」
「貴族様がそんなセコイことするかよ。それだけアンタに感謝してるってことなんじゃねえの」
「まあ……俺は渡してるだけで中身は知らんしな。聞かれても答えられない」
「ということで頼むわ。じゃあ俺はこれで」
「まだ待ってくれる?」
料理番と商人がぎくりと同時に固まった。
大きな身体のベノが私の前に立ち、パリパリと掌に雷を集め男たちを睨んだ。ベノの陰からひょこっと顔だけ出すと、男たちは私を見て顔を青褪めた。
「聞きたい事があるの。……まだ時間いいでしょう?」
にっこりと笑いそう問うと、二人はごくりと喉を鳴らした。
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