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赦し

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 女性の身体にまつわる、残酷な描写が含まれます。苦手な方は回避してください。



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 翌日目が覚めると、私は自分のベッドの上で眠っていた。身体は清められ、新しい服を纏い、そして一人だった。
 重たい身体を起こして天幕から外に出ると、雨はすっかりやみ青空が広がっていた。白い雲が流れ、空気は澄んでいる。私は支度を整え、また日常へ戻った。

 戦闘は激しさを増し、怪我人が運ばれ、誰かが亡くなっていく。
 私に出来ることはないけれど、それでもここにライナルトが運ばれてくることがないようにと、いつも心の片隅で祈っていた。

 戦況が大きく変わり、隣国は固く閉ざしていた門を開け、両国は国境で交渉を開始した。国境では睨み合いが続いていたが、戦いに発展することはなく、私たちは新たな怪我人を迎え入れることなく目の前の患者に集中していた。
 
 *

「クロエはいつ帰国するんだ?」

 ルシル様は目の前のスープをすっかり平らげた後、満足げに椅子の背もたれに背を預け目を細めた。

「この天幕を撤退する時まで残るつもりです」
「まだ動けない者がいるからなぁ」
「彼らに付き添って戻ります」
「そうか。わたしは戻るようお達しがあったからな、悪いが先に行くよ」
「彼方に戻られてもまたお忙しいですよ」
「だろうね。国内にだって苦しんでいる人は大勢いる」
「私が戻るまでちゃんと祈りを捧げてくださいね」
「やるさ! わたしをなんだと思ってるんだ!」

 珍しく手に入った果物を切ってテーブルに置くと、ルシル様は頬を赤らめてすぐに平らげた。

「クロエ、ちゃんと食べているか? 顔色が悪いし、痩せたじゃないか」
「食べてますよ。以前よりは睡眠をとる時間も増えたし、食事も良くなってきたからそのうち顔色も体重も戻ると思います」
「そうか? それならいいけど……」
「ここにいて、健康でいられるはずがありませんから」
「それはそうだな」

 ルシル様は立ち上がると、もうひとつ、とパンを手に取りもぐもぐと食べながら私の肩に手を置いた。

「国に戻ったら神殿に戻るだろう?」
「はい、そのつもりです」
「待ってるからな」
「……はい。ルシル様、どうぞお気をつけて」
「クロエに、幸福が訪れるように祈る」

 そっと私の額に口付けを落とし、ルシル様はついていた護衛の聖騎士と共に去って行った。

 ルシル様を見送り医療用天幕へ戻ると、私を見つけた騎士が駆け寄って来た。手にはたくさん資料を持っている。戦争が終結に向けて進んでいるけれど、私にはまだやらなければならないことがある。私はここで、私のするべきことに向き合うだけだ。
 今まさにライナルトが命を削って向き合っている国の事、政治の事、民を救う事。私に出来ること、ライナルトがすべきこと。

 私たちはあの夜を超えて、それぞれの道を進むのだ。そうして思い出になれば、それでいい。けれどいつかまた、ライナルトに会うことが出来たら、次は美味しいお茶を振舞いたい。
 もし叶うのなら一目だけ、もう一度会いたい。終戦したら、王都で凱旋があるだろうか? 神殿に来るかもしれない。遠くからでいい、無事な姿を確認出来たら。
 そんな希望が、私を前に進めてくれる。


「クロエ殿、こちらはどうしますか」
「それは東の天幕に移動させて。あそこに常駐している神官に必要だから。ああ、それからこの天幕の怪我人の様子を確認して、神官の判断で移動を決めるように」
「分かりました。クロエ殿? 顔色が悪いですよ。お休みになったほうが」
「大丈夫よ、ちょっと今朝変なものを食べたのか、お腹の調子が悪いのよね」
「お薬は飲まれましたか?」
「あとでいただくわ。寝ている暇もないし……」

 戦闘は終わったけれど、人手の足りないここは相変わらず毎日が綱渡りのようだった。あちこちを渡り歩く神官や聖女の派遣に、急変する怪我人の対応。忙殺され、自分の体調など気にしている暇はない。
 動けるならまだ大丈夫、食欲もあるから大丈夫。少し気持ち悪くて吐いてしまったのは痛んだ食材だったからだろう。水分を取れば大丈夫、熱はなさそう……

「クロエ殿!」
「きゃあああ!」

 その叫び声は誰だったのだろう。
 次第に狭まる視界はすぐに真っ暗に閉ざされ、頬に土の感触がした。
 ――私の意識はそこで途切れている。


 *

 
 気が付くと、そこは見慣れた何の変哲もない天幕の天井。
 あのシミは毎晩見つめている、私の天幕にあるものだ。

「……クロエ」

 その声に顔を横に向けると、ルシル様が祈りを捧げるように手を組んだまま私を見下ろしていた。

「……ルシル様……なぜ……」
「陣営を去る時に、クロエが倒れたと連絡が来た。倒れたのは覚えてる?」
「たおれた……?」

 急に痛みが走り、視界がどんどん暗く閉ざされた。耐えられなくて、膝をついた気がする。痛み……何が痛かった? 分からない、全身が痛かった。
 血が出た。足元に血が広がっていた……。血? ――何の血? どこから?

「クロエ」

 混乱する私に、ルシル様は組んでいた手を解き、そっと私の腹部に触れた。そんな表情をするのは初めてではない。その顔は、以前神殿に来た女性に対して見せていたことがある。愛情と労わりと、悲しみの表情。
 ……ああ、やめて。聞きたくない、知りたくない。知らなかった、こんな形で知りたくない。
 やめて、やめてやめてやめて……

「クロエ、すまない……救えなかった」
「…………っ」

 激しく心臓が跳ねた。どくどくと脈打つ心臓が、私を殺そうとしている。苦しい、苦しくて息が止まりそう。

「クロエ。クロエ、君のせいではない、違うよ。違う」
「……っ、ぅ、……っ!」

 私の頭を抱き締めるルシル様の腕の中で、どんなに我慢しても漏れる声を押さえることが出来ない。苦しい、息が出来ない。
 
 ごめんなさい。
 ごめんなさい、気が付かないなんて……ごめんなさい、赦して……ゆるして……。


 *


 それから、体調を崩したという理由で私は強制的に神殿に戻された。ルシル様の祈りを受け、神官の治癒魔法を受け、体調は少しづつ戻って行った。
 その間、ついに長かった戦争が終わりを迎えた。国中が安堵し喜び、涙を流したある晴れた日の朝、王太子ライナルトが王都を凱旋し、人々から熱狂的な歓迎を受けた。

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