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尽きる想い
しおりを挟む「そうか、エイター子爵領の管理をしているのか」
あれから、ライナルトは食事を持参して私の天幕を訪れるようになった。
あの日の翌日、貰った食事を返すと言って訪れたライナルトは多すぎるほどの食事を持参した。こんなにもらえないと断ると、それでは一緒に食べようと私の天幕で自分も食事をするようになったのだ。殿下と呼ぶと嫌がり、名前で呼ぶことを許された。戦地で少しの間だけでも個人でありたいのだと言うライナルトの気持ちは、私にも痛いほどよく分かる。
「そうです。湖の東側の領地を委託されて両親が管理しています」
「あの湖は俺も訪れたことがあるな。夏に水に入って涼んだりもした」
「そう、浅瀬が続く場所があって地元の子供たちもよく泳いでいるんですよ」
「俺が行った時も子供が多くいた」
「じゃあ私とすれ違っていたかもしれませんね」
「はは、そうだな」
今日は固い食べ飽きた乾パンを軽く炙り、温かなスープに加えた。最近配給された豆や塩肉も入れて、少し豪勢だ。
「やっぱりクロエが作る料理は魔力の回復が早いな。それに美味い」
「治癒魔法も祈りも出来ないんですけど、なぜか作ったものは効果や効能が倍になるんですよね」
「めずらしいね。子供の頃から?」
「多分。誰も気が付かなくて、神殿でルシル様にお茶を出した時に言われたんです」
「あの人か。それはもう運命なのかもな」
「運命?」
「ルシル様に会う運命。クロエは自分に力がないって嘆くけど、それでも神殿でルシル様に会い能力に気が付き、俺にこうして料理を振舞ってくれる。クロエが聖女だったらこんな事は起こらなかっただろう?」
運命。
何もできない私が神殿に行ったことには、何か理由があったのだろうか。こうして昔からの友人のように互いの話をする私たちが、身分差からは考えられない関係を築いているのも何か理由があることなのだろうか。
「少なくとも、王太子殿下の事を名前で呼ぶことはなかったと思います」
「ははっ、確かに!」
ライナルトは楽しそうに笑うとまた薬湯をお代わりした。ごくごくと喉を鳴らして飲むその姿は、初めて会った時よりも大分顔色がいい。
「はあ、ご馳走様。いつもありがとう、クロエ」
「いいえ。でも次は今日みたいにご馳走が出るとは限りませんよ」
「分かってる。じゃあまた、おやすみ、クロエ」
「おやすみなさい、ライナルト様」
天幕の外で控えている護衛騎士と共に、ライナルトは笑顔で天幕を去った。
戦況は日々変化した。
隣国との戦闘が激しさを増す日もあれば、じりじりと膠着状態が続くこともある。ライナルトは戦線と陣営を何度も往復し、そして魔力が枯渇しそうになるほど消耗して私の天幕を訪れる。
私のお茶の効果を知ったライナルトの側近が、遠く離れたライナルトへ持って行きたいと天幕を訪れることもあった。私は薬草や簡単に口にできる保存食を作り、ライナルトの無事を祈り側近に託すこともあった。
「ああ、やっぱり生き返るなぁ」
ある日、久しぶりに姿を現したライナルトが、薬湯を飲み干して椅子に背を預け深く息を吐きだした。
「ご無事で何よりです」
「うん、クロエも」
ライナルトは身体を起こし、自分でポットから薬湯を注ぎ、また飲み干した。
「回復できていますか?」
「もちろん。君が側近に持たせてくれた茶葉でも回復はするけど、やっぱり違うんだよ」
「そうなんですね……。私は自分では分からないので」
「自分の魔力は回復しない?」
ライナルトは不思議そうに瞳を見開いた。
「ええ。そもそも魔力はありますが、消費するような魔法を使えないので、魔力を消耗する感覚がよく分からないんです」
「へえ、それは興味深いな。薬草や料理で魔力を注いでいる訳ではない?」
「全く。ただ普通に料理をしたり薬草を煎じているだけです。何ならさっきまで読んでいた本のことを考えていたり、おしゃべりをしている事もあるので」
ライナルトはおかしそうに私の話を聞き、また薬湯を一息に飲み干した。取り留めもなく世間話をするこの時間はライナルトの唯一の自分の時間だ。私は天幕の外にいる側近の騎士にも薬湯のお代わりを追加して、またライナルトの向かいに腰を下ろす。
「クロエは治癒の魔力があるから神殿に行ったんだろう? 神殿で苦労したんじゃないのか」
ライナルトは少し窺うような表情で私をじっと見つめた。その言葉にフフッと思わず笑い声を漏らす。
「いいえ、特には。これで修練などせずに領地に帰れると喜んでいたくらいですから」
「ははっ、それは頼もしいなあ!」
「領地に戻って、家を出て薬屋を開きたかったんです。いつまでも実家にいるわけにもいかないですし」
「婚約者が?」
「いいえ! 田舎の男爵家の魔法が使えない娘など、どこにも貰い手はありませんよ」
「そうかな? 君なら引く手数多だと思うけど」
「それは私のことを知らなすぎです、ライナルト様」
「ではもっと教えてくれる?」
「え?」
「クロエのことをもっと知りたい」
ライナルトの言葉に、特に深い意味はないのに顔が熱くなった。
「で、ではお答えしますから、何でも質問して下さい」
誤魔化すように薬湯を飲みながらそう言うと、とライナルトは首を傾げ視線を上に向けて考えるような仕草をした。その姿の美しさに、今更ながら見入ってしまう。
改めて考えると、国民から絶大な人気を誇るこの美貌の王太子が私の目の前で私の淹れたさほど美味しくない薬湯を飲んでいるなんて、おかしな状況なのだ。
「……じゃあ、クロエの初恋が聞きたい」
「は?」
「どんな男が好きだったのかなって。ホラ、領地の男の子たちと遊びまわってたんだろう? そんな勝気な子の心を射止めたやつが知りたいな」
「え、まさかのコイバナ⁉」
思わず声を大きくすると、天幕の外にいる側近が噴き出す声が聞こえた。
*
「王太子殿下が隣国に入ったらしいよ」
「いよいよ隣国も陥落かな」
「これでこの戦も終わるんだろうか」
そんな話が出始めたのは、ライナルトに最後に会ってからふた月ほど経ってのことだった。
激戦区だった戦線から毎日のように怪我人が送られ、医療物資も不足し始めていた。国からの物資は中々届かず、生死をさまよう人々が天幕から溢れる。毎日、この中に知った顔がないかと恐れ、治療し、聖女と神官たちをどこの天幕へ派遣するかどこから始めるか検討する。
いつだって、間違っていなかったか、先に派遣すべきはここではなかったのではないかと、増えていく棺の数を数え届かないと分かっていても手を組み祈る。
私にできることは何か。
私に足りないものが多すぎる。どうしてこんな事に、どうしてここにいるのか。
死を目の当たりにする日々は、運命と呼ぶには残酷すぎる。
「怪我人だ、早く診てくれ!」
西の空に陽が沈むころ、一個小隊が営巣地へ戻って来た。多くの怪我人が出たと聞いていた私たちは、簡易ベッドや天幕を増やし対応する。
「クロエ殿、……もう、間に合わない人が多いです」
ヨハンが白い顔で声を掛けてきた。間に合わないと言われた重症の彼らは違う天幕に集められ、最低限の痛み止めだけを施されている。それでも痛みは完全に消せるわけではなく、痛みに呻く声や誰かを呼ぶ声、もがき苦しんでいる。
腕がない者、腹が裂け内臓が飛び出ている者、顔が半分潰れている者。
けれど、虫の息だとしても、彼等はまだ生きている。
「泣き言を言っている暇があるなら集中しなさい!」
包帯や毛布、衣料品は助かる見込みのある者たちに届けている。ここには何もない。
「清潔な水を! 私が薬湯を淹れるわ、吸い口の付いた水差しを消毒して持ってきて!」
一人ひとりの顔を拭い、名前を聞く。話せる者、話せない者。涙する者、諦める者。
私はどうしたらいいのか。何ができるのか分からない。
分からないからこそ、彼らを諦めることが出来ないのだ。
*
「全部で、十二名です」
「……そう、ありがとう。後は司令部に名簿を報告して、埋葬をどうするか指示を仰ぎましょう。高位貴族もいるかもしれないし」
「分かりました。……クロエ殿、少し休まれた方が。酷い顔色です」
「ヨハンもよ」
「休んでください。もう三日も働き詰めだ」
「……ありがとう」
医療班の騎士に名簿を渡し、また視線を目の前の棺に戻す。
白い布で包まれた棺は全部で十二。この数の命が、ここで終わってしまった。棺の上にはそれぞれの遺品が置かれ、小さな花が置かれている棺もある。彼らも、大切な人、大切に思っている人がいたのだ。あの夜のベイリーのように。
息を吐きだし、重い身体を引きずって私は自分の天幕へと戻ることにした。
天幕に戻り明かりをつける。
季節が進み日が短くなってきた。暖を取るために支給された魔石を灯すと、ぼんやりとした温かさが天幕を覆う。もらってきた火種で火を熾し、金盥を置いて湯を沸かす。布を湯に沈め、ぶくぶくと浮かぶ小さな気泡をぼんやりと見つめた。ゆるく絞り上半身だけ衣服を脱いで身体を清めると、布があっという間に黒くなった。
「汚いわね……」
もう何日風呂に入っていないのか。こうして身体を清められるだけでもまだマシだ。
もう一度布を盥に沈め身体を拭き、同様に手足も清めた。服を着替え、椅子に座ると張りつめていた緊張が解けたのか、身体が重くなる。
――ライナルトは無事だろうか。
戦線で指揮を執っているのは王太子だと言っていた。今日運ばれてきた彼らも王太子の傍にいたはず。彼らの怪我を見て、あの人は何を思っただろう。また大事な人を失ってしまっただろうか。私はまた何もできなかった。彼らを助けることは出来なかった。
私のいる意味、私の運命。
気が付くと、テーブルでまた凝りもせず無意識に手を組んでいる自分がいる。私は一体何を祈っているんだろう。誰に、どんな祈りを捧げているのか……。
カチャ、と天幕の外で小さな音がした。意識が現実に引き戻される。いつの間に降り出したのか、パタパタと天幕を打つ雨の音がする。
「……誰かいるの?」
立ち上がり、天幕の入口に視線を向けると、静かに天幕の入口が開けられる。
そこに立つのは、甲冑姿のまま雨に濡れたライナルトの姿だった。
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