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相応しい人

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 新たな聖女たちが神殿にやってきてひと月ほどが経った。中々しぶとい彼女たちは、ひとつひとつ全てに文句をつけてくる。大したものだと感心してしまうが、それでも祈祷やルシル様の教えの時間には顔を出すのだから可愛いものだと思う。根は真面目なのだろう。

 この日もいつものように朝の祈りが終わる時間に合わせて朝食の用意をしていると、困った顔の神官が厨房へやって来た。


「クロエ殿」
「おはようございます神官様」
「おはよう。クロエ殿、今日もありがとう」
「いいえ、これも私の務めですから。どうかしましたか?」
「ああ、いや……」

 下がり切った眉尻をさらに下げて、神官がため息をついた。

「マリエルなんだがね」
「脱走ですか?」
「いや! まだそこまででは……!」
「まだって」
「いやね、どうやったのかまた外から色々持ち込んでいるんだよ」
「懲りないですねぇ。その根性を他に向けてくれないかしら」
「同感だよ……」

 がっくりと肩を落とす神官を見て、思わず笑ってしまった。相当振り回されているのだろう。
 
「分かりました、私からお話をしますね」
「いつもすまないね……」
「いいえ。神官様、これどうぞ。お疲れのようだから」
「おお、これは有難い! ありがとうクロエ殿」

 朝食用に準備していた焼き立てのパンをひとつ神官に手渡すと、嬉しそうにいそいそと戻って行った。彼も気苦労が絶えないのだろうな。
 自分でも一つパンを口にして、よし、と気合を入れてマリエルたちのいる談話室へと向かった。

 *

「それはお父様からいただいたのよ!」

 談話室でマリエルが得意げに広げていたレースのショールを取り上げると、マリエルが真っ赤になって抗議をしに私の執務室へやって来た。いつも引き連れているケイトがおどおどとした表情で後ろに立っている。

「誰からのものでも駄目です。私物は持ち込まないようあれほど注意したのに、どうして守れないの」
「お前に関係ないわ! 返しなさいよ!」
「はあ……、口の利き方もなってないわね」

 このマリエルはとにかく私が嫌いだ。爵位の優劣を重んじる彼女にとって、自分よりも格下の私が彼女を指導する立場であること、そして先日のようにライナルトに擁護されているのがとにかく気に食わないのだ。
 それでもマリエルは、ケイトのように自分より格下の貴族令嬢をいいように使い、まるで自分がここでの中心人物だと言わんばかりに振舞っていた。

「ここは神殿よ。爵位の優劣など関係ありません。貴女は学びに来ているのだから、そのような居丈高では何も吸収できないわ」
「お前から学ぶものは何もないわ」
「マリエル」

 どうしたものか。ここまで来ると年若いからなどとは言っていられない。ケイトもさすがに居心地が悪いのか、小さな声でマリエルにもう戻ろうと声を掛けている。
 その時、コンコンとノックの音が響いた。いつもと違う、急かすような速さだ。

「どうぞ」

 促すと同時に扉が開けられ、青い顔をした神官が入室してきた。

「どうしたの?」
「クロエ殿、意識のない子供が運び込まれて……」
「ルシル様は?」
「他の病人のお祈りをしておられます」
「分かったわ。マリエル、ケイト、貴女たちも来なさい」

 呆然と立ち尽くす二人に声を掛け、私たちは子供が運び込まれた部屋へと向かった。

 
 部屋へ着くと、室内の中央に置かれたベッドに、子供が苦しそうに横たわっていた。その脇では、母親らしき人物が子供の手を握り背中を懸命に摩っている。私たちの姿を見てホッと息を吐いた。
 
「いつからこういう状態ですか?」
「昨晩からです、お腹が痛いと食べたものを全部吐き出して……熱もあったから風邪だろうと思ってそれで……」
「大丈夫ですよ、さあそちらに腰掛けて」

 一睡もしていないであろう母親を近くのソファに座らせて、用意された水を手渡す。私たちが来たことで少しだけ緊張がほぐれたのだろう、母親は一息に水を飲み干した。
 聞くと、神官が治癒魔法を施しても何も変わらないらしい。汗を浮かべきつく目を閉じた五歳くらいの子供から、痛みがひどいのか時折唸り声のような小さな声が漏れる。

「ちょっと見せてね」

 お腹を抱えるように蹲り横になる子供の手を取り、かけていたシーツをめくり観察する。手足が浮腫みパンパンに腫れ、赤くなっている。

「発疹はないようだけれど浮腫みが酷いわね……マリエル」

 名前を呼ばれ、マリエルがビクリと身体を揺らした。

「ここへ」

 子供が横になるベッドの脇にラグをひき、そこに膝立ちするよう指示をする。

「ルシル様から教わっているでしょう。集中して、この子の魔力を見てちょうだい」
「ど、どうして私が」
「急いで」

 青い顔をして動かないマリエルの手を引いてベッド脇に膝をつかせると、マリエルの視線がちょうど子供の顔の位置に来た。マリエルはしばらくじっと子供の顔を見つめ、やがて手を組み額に押し当て目を瞑る。
 ぼんやりと身の内から光が漏れ、マリエルの身体が光に包まれる。けれど不安定に揺らぎ、点滅するように光っては消えまた光る、を繰り返す。
 そっとマリエルの背に手を当てる。

「集中して」

 その一言で、マリエルの光が強く輝いた。

「……この子の魔力はまだ沢山あるわ」
「なら大丈夫、助かるわ。貴女の治癒魔法でこの子の治癒力を高めてあげて」
「……だめ、届かない」
「続けなさい、集中するのよ」
「……早く違う聖女を連れて来て、私じゃ無理よ!」
「貴女がこの子を見るの」
「……っ、ダメ、無理だわ……!」
「はいはーい、こうたーい」

 そこへ扉が大きく開け放たれ、あのお気楽な声が部屋に響いた。

「ルシル様!」
「全然なってないね、マリエル。日和ってるんじゃないよ」

 ルシル様はズカズカとベッドまで来るとマリエルを押し退けて自分がその位置に跪き、すぐに手を組み祈りを始めた。
 あっという間に強く身体が光り、子供の体も包み込んでいく。

 押しのけられ尻もちをついたまま、マリエルはじっとルシル様の祈りを見つめていた。

 *

「じゃあ明日から少し修練を増やそうか」
「え⁉︎」
「今日の不甲斐ない祈りでは人は救えないって分かっただろう」
「……!」
「自分に自信がないんだろう、だったらもっと修練を続ければいい。やることやれば自信もつくさ」
「あ、あの子供は死んでいたかもしれないのよ⁉︎」

 晩餐の席でルシル様の修練を増やすという発言に、他の聖女よりもひときわ強くマリエルが反応した。

「死ななかっただろう」
「ルシル様だったからよ! もし死んでしまったら私のせいになっていたかもしれないのよ!」

 その言葉に、周囲の聖女たちも口を噤んだ。
 誰しもが、人の命に責任を持つなど出来るわけがないと思う。それはそうだろう。自らが選んで得た能力ではないのに、ただそれがあると言うだけでここに連れてこられ、人の生死を目の当たりにする日々に身を置かねばならないのだ。

「それが聖女の役割よ」

 私が割って入ると、マリエルはすぐに私を睨みつけ忌々しげに口元を歪めた。
 
「お前には関係のない話よ」
「能力がありながら努力せず、それじゃあ貴女は何になりたいの?」
「能力のないお前には分からないわ」
「そうね、じゃあその能力を私に頂戴。私なら、貴女よりももっと能力を使いこなして人々のために走り回るわよ」

 スープを一口飲みマリエルを見ると、額に青筋を浮かべ私を睨んでいる。

「ふん、好きに言えばいいわ。何を言っても、所詮お前は聖女でも何でもない、ただの田舎者なのだから」
「その田舎者に指摘されるほど貴女は力を使いこなせていない」
「なんですって⁉︎」

 私の言葉にマリエルが顔を赤くして睨みつけてきた。
 
「初めから自分には無理だと線を引いて努力せず、あの子が死んでしまったら自分には初めから出来ないことだったと家族に言うの? 貴女はそうやって言い訳をして逃げ道を作ってるのよ」
「聖女でもないお前に何が分かるというの⁉︎」

 興奮したマリエルが立ち上がり、ガシャン! と大きな音を立ててお皿がひっくり返った。他の聖女たちが小さく悲鳴を上げる。

「自分の保身を考える暇があるのなら、もっと目の前の人に目を向けて必死になりなさい。あの程度で逃げてどうするの」
「こ、この……っ!」

 マリエルは目の前にあった葡萄ジュースの木杯を思いっきり私に向けて投げつけた。杯は当たることなく、そのまま後ろの聖騎士の鎧にガシャンと音を立てて当たり床に落ちた。けれど、中身は私の左半分を紫色に染め、真っ白な法衣を見るも無惨に染め上げた。

「はいはい、やめやめー!」

 ルシル様が手にしていたフォークでカンカンと銀のボウルを叩いた。マリエルがグッと喉を鳴らしドスンと着席する。腕を組みプイッと横を向く姿を子供みたいだと口にしたら、もっと怒るだろうな。見たい気もするけど。

「クロエ」
「着替えて参ります。どうぞお食事を続けて下さい」

 ルシル様が何か言いたげに私の顔を見たけれど、それには答えず、私は静かに食堂を後にした。

 *

「クロエ殿」
「宰相閣下、ごきげんよう」

 食堂を出て私室へ戻ろうと回廊に出ると、向かいから灰色の髪を後ろに撫で付け眼鏡をした宰相が歩いてきた。

「これはまた、派手にやりましたなぁ」
「お陰様で」

 腕を広げ戯けたように肩をすくめると、宰相は困ったように小さく笑った。

「まだ貴女に歯向かう元気があるとは」
「中々芯が強い子です」
「なるほど?」

 宰相は顎髭をツイッと撫でると、人を覗き見るようにジッと見つめて来た。

「それで、どうですかな? クロエ殿のお見立ては」
「ええ、問題ないと思います。まだちょっと、子供なだけですから」
「貴女も十分お若いが」

 宰相の言葉にふふっと声が漏れた。

「私はもう貰い手もいない年齢ですから」
「そんなことはないでしょう。貴女が神殿を出れば是非妻にと名乗り出る者は多い」
「私が黙って貴族の妻に納まるような女ではないことはご存知でしょう?」
「確かに、貴女が社交を行う姿など想像出来ない」

 宰相は声をあげて笑うと、眼鏡を持ち上げもう一度私の顔を覗き込んだ。

「それでは、マリエル嬢で問題ないと?」
「ええ」

 あの子ならば強かに社交界を渡り、堂々と隣に立つことができるだろう。
 私は真っ直ぐ宰相の顔を見つめ返した。

「殿下の婚約者は、マリエルが相応しいと思います」

 神殿の中庭を吹き抜ける一陣の風が回廊を渡り、私の元へ花の香りを運んできた。
 私の大好きな、花の香りを。
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