白い結婚が貴女のためだと言う旦那様にそれは嫌だとお伝えしたところ

かほなみり

文字の大きさ
上 下
1 / 5

1

しおりを挟む

「まあ、なんて広いのかしら……!」

 侍女長に案内され足を踏み入れた湯殿は、まるで舞踏会のホールのように広かった。
 天井は湯気でよく見えないほど高く、その天井を支える柱の凝った意匠がぼんやりと湯気に見え隠れする。大理石の床は滑らないよう表面が加工され、浴槽は艶々と手触りよく光っている。
 手すりに捕まりゆっくりと湯に身体を沈めると、自然とほおっとため息が漏れた。白く濁った湯は柔らかく、美肌の効果があるらしい。
 湯浴みを手伝うと言ってくれた侍女たちの申し出を断り、一人で入ったのは正解だったかもしれない。一人になり、張り詰めていた緊張から開放されたような気がした。

 ――馬車に揺られこの地に一人やって来て、今日で一月ひとつきが経った。
 私たちは既に夫婦の契りを交わしているけれど、それは書面にそれぞれが署名しただけ。私はまだ、夫となるこの城の主、旦那様に会えていない。
 管理する領地で事故が起き、そちらの処理に追われているらしい。夏を迎える頃には領地の教会で結婚式を挙げるのだけれど、それまでには会えると信じ、今は一人で旦那様のお帰りを待っていた。

「奥様をおもてなしするよう仰せつかっております」

 そう言った侍女たちは言葉どおり、とても良くしてくれている。
 快適に過ごせるようにと私の好きな花を部屋に活けてくれたり、食事も美味しく、案内してくれる庭もとても素晴らしいものばかり。旦那様に会えないことに寂しさや不安はあるけれど、大切にしてくれる侍女たちのお陰でなんとか挫けることなく過ごしてきた。
 けれどやはり、時間が経てば経つほど不安が募るもの。

「旦那様にいつお会いできるかしら」
 
 先日、ついそんなことを呟いてしまい、侍女たちを困らせてしまった。「すぐに会えます」「もうすぐお戻りになりますから」そんな言葉を何度も聞いて、でも私の気持ちは落ち込んでいった。
 もしかしたら、こんな歳の離れた幼い私では駄目なのではないか、このまま結婚式までお会いできないのではないか、その後またどこかへ行かれてしまうのではないか。
 そんな思いに時々囚われ、気分がふさぐようになってしまった。
 そんな私の気持ちを慮ってか、今日は侍女長が気分転換にと、城の離れにあるこの湯殿に案内してくれたのだ。普段は旦那様が一人で使用するらしい。

「独り占めなんて、すごく贅沢ね」

 広く大きな浴槽は階段状になり、腰を下ろすのがとても楽だ。湯気で奥まで確認できないけれど、浴槽にこんこんと湧き出る温泉が流れ込む音が聞こえる。

「……どのくらい広いのかしら」

 身体に巻いた浴布を押さえながら、この浴槽を端まで歩いてみることにした。

 ゆっくりと前に進めば、脚の周りを湯が絡みつくように流れていく。周囲を見渡しながら進んでいると、ふわりと風が流れた。

(窓があるのかしら)

 見ると、湯気が少しだけ流れていく。真っ白な湯気に覆われていた視界が段々と晴れていき、浴槽の奥に黒い影が見えた。

「……? 何かしら、石像……?」

 その黒い影は突然、ザバン! と水音を立てて立ち上がった。

「きゃ……っ!?」
「ま、待ってくれ! サーシャ!」

 その人影は慌てて叫びそうになる私の名を呼んだ。
 浴布を巻いているとはいえ裸も同然。私は慌てて湯に顎まで浸かり、人影に背を向ける。

「だ、誰ですか!?」
「す、すまない! 貴女がいるとは知らず……!」

 焦燥を滲ませたその声は、低いけれど優しい響きを持っている。聞いたことのある声、記憶の底に埋もれている、声。

「待っていてくれ、すぐに出て侍女を呼んでこよう」
「お、お待ちください!」

 出ていこうとするのを振り返り引き止めると、その人影はぐっと呻き動きを止めた。
 ここは、旦那様が普段利用していると侍女たちが言っていた。そして、そして私の名前を呼ぶ、唯一の人は。

「……旦那様、ですか……?」

 恐る恐る声を掛けるとその人影はまたひとつ呻き、白い湯気の向こうで項垂れた。

「……こんな場所で顔を合わせるとは。すまない、サーシャ」

 どこかから風が吹き、白い湯気がふわりと流れていく。段々と開けていく視界の先に、湯船に腰まで浸かる旦那様が気まずそうな表情で立っていた。

「お、お帰りなさいませ……?」
「……ああ、ただいま……」
「「…………」」
(やっとお会いできたのがお風呂だなんて……!)
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤンデレ、始められました。

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
ごくごく平凡な女性と、彼女に執着する騎士団副隊長の恋愛話。Rシーンは超あっさりです。

【完結】私の推しはしなやかな筋肉の美しいイケメンなので、ムキムキマッチョには興味ありません!

かほなみり
恋愛
私の最推し、それは美しく儚げな物語に出てくる王子様のような騎士、イヴァンさま! 幼馴染のライみたいな、ごつくてムキムキで暑苦しい熊みたいな騎士なんか興味ない! 興奮すると早口で推しの魅力について語り出すユイは、今日も騎士団へ行って推しを遠くから観察して満足する。そんなユイが、少しだけ周囲に視線を向けて新しい性癖に目覚めるお話…です?

悪役令嬢はオッサンフェチ。

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
 侯爵令嬢であるクラリッサは、よく読んでいた小説で悪役令嬢であった前世を突然思い出す。  何故自分がクラリッサになったかどうかは今はどうでも良い。  ただ婚約者であるキース王子は、いわゆる細身の優男系美男子であり、万人受けするかも知れないが正直自分の好みではない。  ヒロイン的立場である伯爵令嬢アンナリリーが王子と結ばれるため、私がいじめて婚約破棄されるのは全く問題もないのだが、意地悪するのも気分が悪いし、家から追い出されるのは困るのだ。  だって私が好きなのは執事のヒューバートなのだから。  それならさっさと婚約破棄して貰おう、どうせ二人が結ばれるなら、揉め事もなく王子がバカを晒すこともなく、早い方が良いものね。私はヒューバートを落とすことに全力を尽くせるし。  ……というところから始まるラブコメです。  悪役令嬢といいつつも小説の設定だけで、計算高いですが悪さもしませんしざまあもありません。単にオッサン好きな令嬢が、防御力高めなマッチョ系執事を落とすためにあれこれ頑張るというシンプルなお話です。

女公爵になるはずが、なぜこうなった?

薄荷ニキ
恋愛
「ご挨拶申し上げます。わたくしフェルマー公爵の長女、アメリアと申します」 男性優位が常識のラッセル王国で、女でありながら次期当主になる為に日々頑張るアメリア。 最近は可愛い妹カトレアを思い、彼女と王太子の仲を取り持とうと奮闘するが…… あれ? 夢に見た恋愛ゲームと何か違う? ーーーーーーーーーーーーーー ※主人公は転生者ではありません。

密室に二人閉じ込められたら?

水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?

優しい紳士はもう牙を隠さない

なかな悠桃
恋愛
密かに想いを寄せていた同僚の先輩にある出来事がきっかけで襲われてしまうヒロインの話です。

親友の断罪回避に奔走したら断罪されました~悪女の友人は旦那様の溺愛ルートに入ったようで~

二階堂まや
恋愛
王女フランチェスカは、幼少期に助けられたことをきっかけに令嬢エリザのことを慕っていた。しかしエリザは大国ドラフィアに 嫁いだ後、人々から冷遇されたことにより精神的なバランスを崩してしまう。そしてフランチェスカはエリザを支えるため、ドラフィアの隣国バルティデルの王ゴードンの元へ嫁いだのだった。 その後フランチェスカは、とある夜会でエリザのために嘘をついてゴードンの元へ嫁いだことを糾弾される。 万事休すと思いきや、彼女を庇ったのはその場に居合わせたゴードンであった。 +関連作「騎士団長との淫らな秘めごと~箱入り王女は性的に目覚めてしまった~」 +本作単体でも楽しめる仕様になっております。

責任を取らなくていいので溺愛しないでください

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
漆黒騎士団の女騎士であるシャンテルは任務の途中で一人の男にまんまと美味しくいただかれてしまった。どうやらその男は以前から彼女を狙っていたらしい。 だが任務のため、そんなことにはお構いなしのシャンテル。むしろ邪魔。その男から逃げながら任務をこなす日々。だが、その男の正体に気づいたとき――。 ※2023.6.14:アルファポリスノーチェブックスより書籍化されました。 ※ノーチェ作品の何かをレンタルしますと特別番外編(鍵付き)がお読みいただけます。

処理中です...