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三日目 夜の湖と柔らかな口付け2
しおりを挟む「素敵なお店ね」
通されたのは店内の奥にある大きな窓のある席。窓の向こうには明かりが灯された中庭が広がり、幻想的な景色が広がっている。
「個室なのね」
「はい。その方が気兼ねないかと思って。正解でしたけど」
「まだ言ってる」
クスクスと笑うとマリウスはムッと眉根を寄せた。
「アメリアはご自分が人にどう映っているか分かっていないんです」
「そうかしら。私はあくまでドレスを引き立てる側よ。私よりドレスに目が行く人がほとんどなんだから」
「では僕はそのほとんどから外れた人間です」
ウェイターがワインを持ってきてくれたのをマリウスが手で制し下がらせ、私のグラスにワインを注いでくれる。はちみつ色の液体がふわりと甘い香りを放つ。
「……アメリアはとても美しいんです。どうか分かってください」
「ええ!?」
「では、乾杯」
「か、かんぱい……」
チン、と小さな音を立てグラスを合わせる。お酒が苦手なマリウスは、やはり果実水を飲んでいる。
(何だって言うの突然! なんかデートみたいじゃない!?)
ただの親切で今日一日付き合ってくれているのだと間抜けにも思っていたけれど、もしかしなくても立派なデートになっていない?
でもただ共通の知り合いがいないからこうして二人で食事をしているだけかもしれないし、でも婚約者もいない二人がこんな個室で会っていたら他の人には絶対そう言う仲だって思われるし、でも年の差もあるし相手は伯爵家の人間だし私なんてただの田舎者だし?
釣り合う訳がないのは一目瞭然よ!
「アメリア? どうしました?」
「い、いいえ! 美味しいワインね」
(味なんて全然分からないけど)
取り繕って笑っても、何だかぎこちない気がする。マリウスは不思議そうに少しだけ首を傾げて私を見た。
「食事で苦手なものはありますか?」
「ないわ、大丈夫」
にっこりと微笑めばマリウスはふにゃりと笑う。
ああ、この笑顔がかわいいと初めから思っていた。弟のようだと思っていたのに。
店内の照明が薄暗いせいか、髪を上げているからか、マリウスがとても大人の男性に見えてしまう。
ふにゃりと笑う表情も、時々見せる大人の男性の表情も、可愛らしくて格好よくて素敵で、全て魅力的だ。
(……どうしちゃったのかしらね、私)
あと二日で領地に帰る。
今夜くらい、この時間を楽しんでもいいだろうか。
美味しい食事に楽しい会話、魅力的な相手。もう暫くは王都に来ることもないのだから、こうして楽しむのも悪くはないだろう。今のこの時間を楽しんで、良い思い出を作って領地に帰ればいい。
――マリウスは、私とは違う世界の人なのだから。
「あ、ほら曲が変わりました」
「……本当だわ。それにしても凄いのね、個室なのにとてもきれいに聞こえるわ」
「音響にこだわっているらしいですよ。個室でもホールでも、音楽がずっと聞こえるような造りにしたかったそうです」
「ふふ、マリウスは本当に色々知ってるのね」
「知っているところをご案内していますから」
恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻くマリウスは、ふと視線をテーブルに落とした。長い睫が目許に影を落とす。
「せっかくなので踊りませんか?」
「え?」
「舞踏会で踊るようなものじゃなくて、こういう音楽に合わせて踊るのが流行っているんですよ。さあ」
マリウスが立ち上がり、手を差し出した。手を乗せ立ち上がると、少し広いスペースに移動して向かい合う。
「どうやるの? 私は分からないわ」
「こちらの手は僕の肩辺りに。後はこうして身体をゆっくり……」
ゆったりと流れる音楽に合わせ、向かい合いまるで抱き合うように身体を揺らせば自然と足もステップを踏む。
マリウスからふわりと森のような落ち着いた香りが香った。掌から熱が伝わってくる。
なんとなく顔を上げるのが恥ずかしくて、ずっとマリウスの胸元に視線を落としていた。
私、今どんな顔をしているのかしら。少しくらい赤くても、きっとそれはワインのせいだと言えるかしら。
「アメリア、領地へはいつ帰られるんですか?」
「二日後の予定よ。マリウスはまだお仕事が続くんでしょう?」
「はい。この期間はずっと警備が入っていて……まだご案内したい場所がたくさんあるのに」
「十分よ、ありがとう。貴重な休みを使ってくれてとても感謝してるわ」
「……感謝だけですか?」
「え?」
その言葉にふと顔を上げると、マリウスの湖のような瞳が私をじっと見下ろしている。
「昼間、お願いがあると言ったのを覚えていますか」
「ええ。話が途中だったわね。私に出来ること?」
見上げてマリウスの瞳を見返すと、いつもとは違う真剣な表情で見つめられる。
「……僕は、貴女が好きです。アメリア」
「!」
思わず身体を仰け反ると、マリウスの手がぐっと腰を抑え強く引き寄せられた。密着する身体から、どちらのものか分からない心臓の音が響く。顔が熱い。絶対に赤くなっている。
「僕は、貴女からすると頼りない年下かもしれないし、出会ったばかりでこんなことを言うのは信用置けないかもしれないけど」
「あ、貴方は伯爵家の人なのよ?」
「僕は僕の力で生きていくんです。家は関係ない」
「そんな訳にはいかないわ!」
「アメリア」
ぎゅっと抱き締められいつの間にか足が止まっていた。音楽がやけに遠くに聞こえる。
「お願いです、僕に時間をください。どうか待っていて欲しい」
耳元で少しだけ震えるマリウスの声が、私の心を揺さぶる。
こんな事、私の人生に起こるはずがない。私なんかに、こんな若くて人気があって、人懐っこい笑顔を見せる魅力的な人が……
「アメリア……」
少しだけ身体を離したマリウスが、私の顎に指をかけ上を向かせる。
湖のような瞳がゆっくりと近付いてくるのをじっと見つめ、いつの間にこの湖に溺れてしまったのかと思い返しながら、私はその柔らかな口付けを、静かに唇で受け止めた。
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