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三日目 午後の美術館と黄金色のふわふわ1
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翌日、本当にマリウスはお昼前にタウンハウスへ私を迎えに来た。
「今日もお美しいですね、アメリア」
恥ずかしそうにふにゃりと笑うマリウスは、ライトグレーのスタイリッシュなジャケットを着ている。すっきりと着こなし、とても大人びていて素敵だ。
「貴方も、とても素敵な装いね」
そう褒めると、マリウスの顔が途端に真っ赤になった。
「そ、そんなことは……! あの、アメリアに少しでも相応しくしたくて……」
「私なんて気にしなくても、貴方は十分に素敵よ」
スタイルのいい彼が着こなせば服も本望というもの。デザイナーも喜ばしいでしょうね!
「じゃあ行きましょうか」
笑顔でそう促せば、マリウスは頬を赤らめたまま私に手を差し出した。
*
美術館に着いてすぐ、そのコレクションの素晴らしさに感動した。
これまで画集などで目にしたことのあった絵が、本のような手の中に収まるサイズではなく目の前に、私を圧倒する大きさで描かれ飾られている。
飲み込むような力強い筆致のものもあれば、優しく穏やかな、柔らかさが溢れる筆致のものもあり、全てが私の心を掴み離さない。
ずっと隣にいるマリウスが、時々一言二言、絵の説明を入れてくれて、それ以外はただずっと、静かに寄り添うように私について来てくれた。
「これをどうぞ」
絵に当てられ放心したような私を美術館の回廊にあるベンチに座らせたマリウスは、隣に腰掛けて一冊の本を手渡してきた。
「これは?」
「今回のコレクションをまとめた画集です。限定で発売しているんです。よかったら受け取ってください」
「……素敵だわ、ありがとう」
「この後行くレストランにもたくさん画集が置いてあるんです。販売はしていませんが、料理を待つ間に見ることも出来るんですよ」
「よく知ってるわね」
「美術館が好きで子供の頃よく通っていたんですけど、観覧後にそのレストランへ行くのが恒例だったんです」
「素敵ね。こんな風に普段から芸術に触れられる環境がうらやましいわ」
そしてそれを許される環境で育ったマリウスが、こんな風に優しく柔らかい人に育つのはなんだか納得がいく。
それは、とても素晴らしいことだと思う。
「本物を目にすることはとても贅沢なことですけど、この静かな空間も全て含めて、僕は昔から好きなんです」
「そうね。美術も音楽も、先人たちの作ったものがこうして何百年もの時を経てまだ人々に愛されているなんて、とても素敵だわ」
「ふふ、よかった、アメリアに喜んでもらえて嬉しいです」
隣に腰掛けるマリウスを見ると、またあの優しい柔らかい眼差しで微笑んでいる。
顔が熱くなった気がしてパッと視線を逸らした。
いい年をして恥ずかしいわ。
「あ、貴方にはお世話になってばかりだわ。なんとお礼を言っていいのか」
「お礼なんて! 僕が勝手にしていることなので」
「でも、本当に貴方がいてくれてとても助かっているもの。私も何かお返しがしたいの」
領地の名産品もいいけれど、そうじゃなくマリウスの喜ぶものを。
心を込めた何かを贈ることができたらいいのに。
「……それじゃあ、ひとつお願いが」
「お願い?」
マリウスが自分の膝に肘をついて、前屈みに私を覗き込んでくる。その上目遣いはいつものマーロウのようではなく、真剣な眼差し。
天窓から差し込む陽の光が金髪を優しく煌めかせて、湖のような瞳が私をまっすぐに捉えた。
「アメリア、僕は」
「カイネル卿」
突然、凛とした声が回廊に響いた。
ビクッと背筋を伸ばし声がした方を見ると、若い令嬢を連れたご婦人がこちらを見ていた。
見るからに高位貴族のその二人を見て、マリウスはサッと立ち上がった。私もその後に続く。
「ブラウアー公爵夫人、公爵令嬢」
「お久しぶりね、マリウス。こんなところでお会いするとは」
公爵家の人とこんなところで遭遇するなんて、マリウスの顔の広さはあまりにもあまりだわ!
余計な勘繰りをされないよう、身じろぎせず存在を消す。
「騎士団のお仕事がお忙しいと聞いていたけれど」
「本日は公休をいただいております」
「……そう。この時期の夜通しの警備も毎年の事とは言え大変ね。貴重なお休みを美術館で過ごすなんて珍しいこともあるわね」
「……友人を案内しておりました」
「それじゃあ娘にも解説をお願いできるかしら」
公爵夫人はすっと視線を後ろに立つ若いご令嬢へ向けた。頬をほんのりと染めた金髪の若いご令嬢は、じっとマリウスを見つめている。
「しかし」
「貴方は昔から美術に造詣が深いでしょう。私はこれから絵の寄贈の立ち会いに行かなければならないの」
「……夫人、僕は」
グッと、マリウスのグレーのジャケットを公爵夫人から見えないように後ろから引っ張った。
(それ以上は駄目、ここは言うことを聞いて)
公爵夫人は明らかにマリウスとご令嬢を二人にしようとしている。今、私は邪魔者でしかない。
田舎の名の知れない男爵家の女よりも、公爵家のご令嬢との交流の方がマリウスにとって大事に決まっている。
「カイネル卿、本日は貴重なお時間をありがとうございました」
声を掛けるとマリウスがぱっと振り返った。
私の姿を婦人たちから隠すよう私の前に立ち、眉根を寄せて私を見下ろしている。なんだか金色の耳がペタッとしおれているかのような風情だ。
(そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫なのに)
その表情に思わずくすりと笑うと、マリウスは益々眉尻を下げた。ここまで十分彼には世話になったのだ。邪魔はしたくない。
マリウスは私の言いたいことが分かったのだろう、何も言わずぐっと喉を鳴らした。そんな風に捨てられた子犬のような顔をされては、なんだか頭を撫でたくなる。
「……この近くには有名なレストランもあります。お時間があるようでしたら、ぜひ足を運んでみてください」
「ご親切にありがとうございます」
律儀な人だ。私はマリウスの顔を見てにっこりと微笑むと膝を曲げた。
「それでは御前、失礼いたします」
視線を落としたままマリウスの後ろにいる公爵夫人にも挨拶をして、私は踵を返し回廊を静かに後にした。
長い回廊を真っすぐに進み、曲がる丁度その時、ふと後ろを振り返る。
天窓から降り注ぐ陽の光を浴びて回廊を肩を並べて歩く二人の後ろ姿に、私には手の届かない世界の人たちなのだと、少しだけ寂しさが込み上げた気がした。
「今日もお美しいですね、アメリア」
恥ずかしそうにふにゃりと笑うマリウスは、ライトグレーのスタイリッシュなジャケットを着ている。すっきりと着こなし、とても大人びていて素敵だ。
「貴方も、とても素敵な装いね」
そう褒めると、マリウスの顔が途端に真っ赤になった。
「そ、そんなことは……! あの、アメリアに少しでも相応しくしたくて……」
「私なんて気にしなくても、貴方は十分に素敵よ」
スタイルのいい彼が着こなせば服も本望というもの。デザイナーも喜ばしいでしょうね!
「じゃあ行きましょうか」
笑顔でそう促せば、マリウスは頬を赤らめたまま私に手を差し出した。
*
美術館に着いてすぐ、そのコレクションの素晴らしさに感動した。
これまで画集などで目にしたことのあった絵が、本のような手の中に収まるサイズではなく目の前に、私を圧倒する大きさで描かれ飾られている。
飲み込むような力強い筆致のものもあれば、優しく穏やかな、柔らかさが溢れる筆致のものもあり、全てが私の心を掴み離さない。
ずっと隣にいるマリウスが、時々一言二言、絵の説明を入れてくれて、それ以外はただずっと、静かに寄り添うように私について来てくれた。
「これをどうぞ」
絵に当てられ放心したような私を美術館の回廊にあるベンチに座らせたマリウスは、隣に腰掛けて一冊の本を手渡してきた。
「これは?」
「今回のコレクションをまとめた画集です。限定で発売しているんです。よかったら受け取ってください」
「……素敵だわ、ありがとう」
「この後行くレストランにもたくさん画集が置いてあるんです。販売はしていませんが、料理を待つ間に見ることも出来るんですよ」
「よく知ってるわね」
「美術館が好きで子供の頃よく通っていたんですけど、観覧後にそのレストランへ行くのが恒例だったんです」
「素敵ね。こんな風に普段から芸術に触れられる環境がうらやましいわ」
そしてそれを許される環境で育ったマリウスが、こんな風に優しく柔らかい人に育つのはなんだか納得がいく。
それは、とても素晴らしいことだと思う。
「本物を目にすることはとても贅沢なことですけど、この静かな空間も全て含めて、僕は昔から好きなんです」
「そうね。美術も音楽も、先人たちの作ったものがこうして何百年もの時を経てまだ人々に愛されているなんて、とても素敵だわ」
「ふふ、よかった、アメリアに喜んでもらえて嬉しいです」
隣に腰掛けるマリウスを見ると、またあの優しい柔らかい眼差しで微笑んでいる。
顔が熱くなった気がしてパッと視線を逸らした。
いい年をして恥ずかしいわ。
「あ、貴方にはお世話になってばかりだわ。なんとお礼を言っていいのか」
「お礼なんて! 僕が勝手にしていることなので」
「でも、本当に貴方がいてくれてとても助かっているもの。私も何かお返しがしたいの」
領地の名産品もいいけれど、そうじゃなくマリウスの喜ぶものを。
心を込めた何かを贈ることができたらいいのに。
「……それじゃあ、ひとつお願いが」
「お願い?」
マリウスが自分の膝に肘をついて、前屈みに私を覗き込んでくる。その上目遣いはいつものマーロウのようではなく、真剣な眼差し。
天窓から差し込む陽の光が金髪を優しく煌めかせて、湖のような瞳が私をまっすぐに捉えた。
「アメリア、僕は」
「カイネル卿」
突然、凛とした声が回廊に響いた。
ビクッと背筋を伸ばし声がした方を見ると、若い令嬢を連れたご婦人がこちらを見ていた。
見るからに高位貴族のその二人を見て、マリウスはサッと立ち上がった。私もその後に続く。
「ブラウアー公爵夫人、公爵令嬢」
「お久しぶりね、マリウス。こんなところでお会いするとは」
公爵家の人とこんなところで遭遇するなんて、マリウスの顔の広さはあまりにもあまりだわ!
余計な勘繰りをされないよう、身じろぎせず存在を消す。
「騎士団のお仕事がお忙しいと聞いていたけれど」
「本日は公休をいただいております」
「……そう。この時期の夜通しの警備も毎年の事とは言え大変ね。貴重なお休みを美術館で過ごすなんて珍しいこともあるわね」
「……友人を案内しておりました」
「それじゃあ娘にも解説をお願いできるかしら」
公爵夫人はすっと視線を後ろに立つ若いご令嬢へ向けた。頬をほんのりと染めた金髪の若いご令嬢は、じっとマリウスを見つめている。
「しかし」
「貴方は昔から美術に造詣が深いでしょう。私はこれから絵の寄贈の立ち会いに行かなければならないの」
「……夫人、僕は」
グッと、マリウスのグレーのジャケットを公爵夫人から見えないように後ろから引っ張った。
(それ以上は駄目、ここは言うことを聞いて)
公爵夫人は明らかにマリウスとご令嬢を二人にしようとしている。今、私は邪魔者でしかない。
田舎の名の知れない男爵家の女よりも、公爵家のご令嬢との交流の方がマリウスにとって大事に決まっている。
「カイネル卿、本日は貴重なお時間をありがとうございました」
声を掛けるとマリウスがぱっと振り返った。
私の姿を婦人たちから隠すよう私の前に立ち、眉根を寄せて私を見下ろしている。なんだか金色の耳がペタッとしおれているかのような風情だ。
(そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫なのに)
その表情に思わずくすりと笑うと、マリウスは益々眉尻を下げた。ここまで十分彼には世話になったのだ。邪魔はしたくない。
マリウスは私の言いたいことが分かったのだろう、何も言わずぐっと喉を鳴らした。そんな風に捨てられた子犬のような顔をされては、なんだか頭を撫でたくなる。
「……この近くには有名なレストランもあります。お時間があるようでしたら、ぜひ足を運んでみてください」
「ご親切にありがとうございます」
律儀な人だ。私はマリウスの顔を見てにっこりと微笑むと膝を曲げた。
「それでは御前、失礼いたします」
視線を落としたままマリウスの後ろにいる公爵夫人にも挨拶をして、私は踵を返し回廊を静かに後にした。
長い回廊を真っすぐに進み、曲がる丁度その時、ふと後ろを振り返る。
天窓から降り注ぐ陽の光を浴びて回廊を肩を並べて歩く二人の後ろ姿に、私には手の届かない世界の人たちなのだと、少しだけ寂しさが込み上げた気がした。
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