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ドレスはマダムオリビアで
しおりを挟む翌日、ルーカス様は本当に約束通り屋敷へやって来た。
馬車から降り立ったルーカス様は黒髪を後ろに流し、ハットを被っているせいか目許の陰影が濃く、普段より一層鋭い目つきのように見える。
その下で光る青灰色の瞳と視線が合った気がするけれど、馬車を降りたルーカス様と玄関ポーチに立つ私との距離。目が合ったのは気のせいかもしれない。
いつもの騎士服ではなく黒のフロックコートを翻し、長い脚であっという間に距離を詰めたルーカス様は、ハットを少し持ち上げて軽く会釈をした。
「ダフネ」
「ルーカス様」
スカートの裾を持ち上げて軽く膝を曲げ顔を上げると、ルーカス様はついっと視線を屋敷に向けた。ハットの下にある耳が赤い。今日も暑いのかしら。
「出迎えはいらない」
「あ、ごめんなさい」
馬車が来るのが見えてつい玄関まで出てきてしまったけれど、ここは大人しく室内で待つべきだったかも。
「申し訳ありません、次からは気を付けます」
「いや……、寒いだろう、から」
「え?」
「……」
聞き取れないまま曖昧にへらっと笑ってしまう。これもいつもの癖だ。なんだか申し訳ない気がして聞き返せない。
こんな振舞いひとつ子供っぽいのだから、ルーカス様は私の子守をしているような気分なのかもしれない。
そうか、だから先日の美しいご令嬢とは気兼ねなくお話が出来るのだ。
私があまりに子供だから、ルーカス様は父親のような気分なのかもしれないわ。そんなの、いつも一緒にいて疲れるに決まってるもの。心が安らげる方と一緒にいた方が、ルーカス様も楽しいわよね。
「ダフネ」
「は、はい」
名前を呼ばれてはっと顔を上げれば、ルーカス様が肘を差し出していた。視線はやっぱり合わない。
今日私がどんな格好をしているのかなんて、どうでもいいのだろう。こうなると、会うために着飾るのがとても恥ずかしくなる。
(だからルーカス様の色なんて付けなくていいって言ったのに……)
ルーカス様と出掛けると聞いた侍女が、目を輝かせて私の支度を手伝ってくれた。ルーカス様の青灰色の瞳に合わせたピアスがちりちりと耳元で音を立てる。
ゆるく巻いてハーフアップにした髪には大人っぽい落ち着いた青のリボン。これは私が十八歳の頃、ルーカス様が贈ってくれた誕生日プレゼントの箱に結ばれていたリボン。
ただの青ではない、くすんだ落ち着いた色味が気に入ってずっと取っておいたのだけれど、今日は街へお出かけだから派手ではなくてちょうどいいだろうと、侍女が髪飾りと一緒に使ってくれた。
(ルーカス様の色をこんな風に髪飾りに使っては、気味悪がられるかもしれないわ)
でもそもそも、プレゼントに使っていたリボンの色なんて覚えている訳がないだろうし、貴族の令嬢がそれを後生大事に取っておいて髪飾りにしてしまうなんて誰も思わないだろう。
……なんだか私がものすごくルーカス様を好きみたいで恥ずかしい。
リボンを隠すようにグッと帽子を目深に被り直して、私はその肘に手袋を嵌めた手を載せた。
*
「今日はどちらへ行かれるのですか?」
「ドレスを作りに」
(え、早速? というか、本当に新しく作るの?)
「でも、私は本当に先日のドレスで満足しています」
「……前回は、俺一人で決めた」
ルーカス様は正面ではなく斜め向かいに座っている。窓の方を見ているその横顔は、やっぱりいつもの無表情。
「どちらのショップへ行かれるのですか?」
「マダムオリビアだ」
「え、そんな人気店に? で、でも予約しないと……」
「予約はしてある」
「え?」
マダムオリビアといえば、貴族のご令嬢が予約枠を目をぎらつかせて狙っている引く手数多の人気店。ドレスを作るのも難しいというのに、昨日の今日で急に行けるものなの? いつ予約したの? ルーカス様はどうしてマダムオリビアを知っているの?
疑問が次から次から湧いてくるけれど、どれから聞いていいのか分からない。何か話さなければとじっと考えているうちに、結局お店に到着してしまった。
(本当にマダムオリビアだわ)
王都の一等地に建つ石造りの建物。入口の両側に大きなウィンドウがあり、ドレスやタキシードが飾られている。シンプルな作りながら入口には重厚な扉が聳え、入り口前に立つドアマンがルーカス様の姿を見ると笑顔で扉を開けてくれた。
「ルーカス様、来たことがあるのですか?」
「君のドレスを作りに」
「え、え? もしかしてあのドレス……」
あの皆に褒められたドレスはここで作ったということ? しかもルーカス様がわざわざ足を運んで?
「フラヴァリ卿、いらっしゃいませ」
「マダム、世話になる」
店に入ると、待ち構えていたのかオレンジ色の髪を高い位置できつく結わえた女性がにこやかに近寄って来た。ルーカス様はさっと手を差し出し挨拶をする。
そして女性は目を輝かせて私を見た。
「まあまあまあ、この方があのドレスの女性ですわね。なんて可愛らしいのかしら、やっとご本人にお会い出来ましたわ!」
「初めまして、ダフネ・ボアネルです」
膝を曲げて挨拶をすると、両手で私の手をぎゅっと握り、眼鏡の奥の瞳を輝かせた。
「オーナーのオリビアですわ、ダフネ様。よろしくどうぞ! 早速ですけれど試着いたしましょう!」
「えっ!? あの何かデザイン画とか生地見本とか……」
「同時進行ですわよ! さあ! さあさあインスピレーションが降りてきましたわ!」
ぐいぐいとマダムに引っ張られ奥へ連れて行かれながら、思わずルーカス様を振り返る。ルーカス様は従業員にソファを案内され腰を下ろすところだった。
(ルーカス様! ここ、本当にマダムオリビアのお店ですよね!?)
なんて言えるわけもなく、私はそのまま奥の部屋へと連行されたのだった。
*
既に一着作っていたこともあって、マダムは私のサイズで何着かドレスを仮縫いしてくれていた。前回ドレスを作った時に、ルーカス様が同時に依頼していたのだとか。
(それで今日突然来ても問題なかったのね)
あまりドレスに詳しくない私にこんな素敵なお店は敷居が高いと思っていたけれど、実際に身に着けてみるととても気分が高揚するし、きれいなものにたくさん触れられて楽しい。
まずは一目見て気に入ったドレスを試着すると、マダムは盛大に、それはもう演劇のような身振りで感嘆の声を上げた。
「まあまあまあ! なんてきれいなんでしょう!」
「で、でも大人っぽ過ぎませんか?」
「いいえ、白い肌がとても妖艶で美しいですわ!」
「妖艶……」
未だかつてそんな事を言われたことがない。まじまじと鏡に映る自分の姿を眺めてみる。
試着したドレスはシャンパンベージュ色のチューブトップ型のアンダードレスの上に、サンドピンクという少し灰色がかった薄いピンク色の、ホルターネックのチュールドレスを重ねて着るようになっている。背中が大胆に開いていて、これではコルセットは着けられない。こういうドレスが流行っているとは聞いていたけれど、実際に着てみると身体が軽くてとても楽。
「凄く着心地がいいです」
「まあ! 嬉しいわ、着心地がいいのも大事なことなんですのよ。無理をして着飾らなくても、皆それぞれ美しさを兼ね備えていますもの」
「に、似合いますか?」
「もちろんですわ。フラヴァリ卿にも感想をお聞きしてみましょう!」
(……多分何も言わないと思うけど)
なんとなく足が向かない私に対していい笑顔で迫ってくるマダムにぐいぐいと押され、気持ちが乗らないままルーカス様の待つ前室に戻る。まるでさっと舞台の幕が開くように緑のカーテンが開けられ、ソファでくつろぐルーカス様の前に立った。
紅茶を持っていたルーカス様が私の姿を見ると、音がしたのではないかと思うほどカチッと固まった。
(あ、目が合ってるわ)
そう、ルーカス様の視線が完全に私に留まっている。カップを持ったまま、この至近距離で(とは言っても二メートル位は離れているけれど)。
「いかがです? フラヴァリ卿! ダフネ様の白く美しい肌を存分に引き立てられるデザインだと思うのです! スカート部分はもっとボリュームを押さえてよりシックにお仕立てしようと思いますの! 腰の細さとそこから続くなだらかなラインがとても妖艶で美しいですわ! チュールの部分に刺しゅうではなく細かい石を縫い付けて女神のようなドレスにいたしましょう!」
固まったまま何も言わないルーカス様。こんなに長い時間目が合ったことなんてあったかしら。慣れてなさすぎて、ものすごく恥ずかしい。
「あ、あの、どうですか? ルーカス様。私とても気に入ったんですけれど」
そう言ってくるりと回って見せると、背後でガチャンと盛大な音が響いた。驚いて振り返ると、ルーカス様は持っていたカップをテーブルに戻し立ち上がっている。ソーサーに少しだけ零れた紅茶のオレンジ色が見えた。
「他のもので」
「え?」
ルーカス様はそれだけ言うとまたソファに座り直した。もう視線は他に向いている。紅茶が熱かったのだろうか、また耳が真っ赤になっている。
(似合わなかったかしら)
なんとなく、褒めてくれるのでは無いかと期待していた自分が恥ずかしくなった。ちくりと胸が痛む。俯いて視界に飛び込んでくるスカートのチュールも、急に痛々しいものに見えてきた。恥ずかしい。
「ご、ごめんなさい、お目汚し失礼しました」
「違う」
慌てたようにルーカス様がごほんと咳払いをした。
「そうではなく…………」
「……」
ルーカス様はうろうろと視線を泳がせ、拳を口元に当てたまま黙ってしまった。
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