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侯爵子息のままならない恋
しおりを挟む翌日、朝早くにルーカス様からカードと花束が届いた。
カードには、今日の午後訪ねても良いかと書かれており、もちろん断る理由なんてないんだけれど。
(昨日のことかしら……)
帰りの馬車では、いつものとおり特に会話が弾むことはなかったけれど、なんと言うか、空気が重かった。普段にも増してルーカス様の雰囲気が暗いように感じたのだ。
(ご令嬢と何かあったのかもしれないわ)
それに、どうやらノア様と知り合いのような雰囲気だった。そのことも何か関係があるのかもしれない。お気に入りのカードに返事を書いて家令に渡し、ルーカス様と会うために着る服を選びに部屋へ急いで戻った。
「え、来客?」
ルーカス様にお出しするお菓子やお茶を侍女と選んでいると、家令が来客を告げた。
「私に? 訪問カードは頂いていないけれど……」
「突然のことなので、難しいようでしたらお帰りになると仰っていますが……」
年老いた家令は困ったように眉尻を下げた。
「どなたがいらっしゃったの?」
「ランブルック小侯爵様です」
「ええ!?」
慌てて立ち上がり、侍女に急いでお茶の用意を頼み大急ぎで玄関へ向かった。
玄関ホールでは、後ろ手に手を組みホールに飾られた絵画を熱心に見つめているノア様の姿があった。
「の、ノア様」
「やあ、ダフネ!」
声を掛けるとノア様は嬉しそうに破顔した。朝から美丈夫の笑顔が眩しい。
「ごめんね、早い時間から。ちょっといてもたってもいられなくてね、無礼を承知で訪問カードも出さずに来てしまったんだ」
「いえ、大丈夫ですわ。でも、どうされたんです? 何かありましたか?」
「うん、まずはこれ」
そう言ってノア様は懐から一通の封筒を取り出した。
「これは?」
受け取り中を見ると、ランブルック侯爵家で催される舞踏会の案内状だった。
「え、え? これを……私に?」
「うん。折角友人になったんだからね、ぜひ君にも来てほしくて」
「まあ……! 嬉しいわ!」
「本当に? 迷惑じゃない?」
「いいえ! ランブルック侯爵家の舞踏会に参加してみたかったの! とっても華やかで楽団もとても素敵な演奏をするって聞いていたから!」
「よかった! 君が来てくれるなら僕も嬉しいな」
ノア様は柔らかく笑うと、ほっと息を吐きだした。わざわざ直接持ってきてくれるなんて、嬉しいわ。私がダンスを好きなこと、ちゃんと覚えていてくれたのね。
「ノア様、もし宜しかったらコンサバトリーでお茶でもいかがですか?」
「え、いいの?」
「もちろんです。どうぞ」
そう言って、ノア様をお気に入りのコンサバトリーへ案内した。
「これは見事だね」
ノア様はコンサバトリーの花々を見て感嘆の声を上げた。コンサバトリーには庭師が美しく整えた花々が活けられ、窓の向こうに植えられた木々が木陰を作る。大きく開け放たれた扉から気持ちのいい風が吹き込み、白いレースのカーテンが柔らかく弧を描いている。
ノア様を一人掛けのソファに案内して、ガラスの丸いテーブルを挟み向かい合う。
「お気に入りの場所なんです。今日みたいに天気のいい日は気持ちよくて、よくここでお茶をするの」
「そんな場所に足を踏み入れて良かったかな」
「もちろん。だってお友達でしょう?」
「そうか、そうだね。ありがとうダフネ」
昼前の柔らかな日差しと風を受けて、ふわりと柔らかく笑うノア様は一枚の絵画のようにそこに座っている。美しい所作で侍女の淹れたお茶を飲む姿は、きっとご令嬢たちが見たら悲鳴を上げるのだろう。
「ノア様は婚約者はおられないのですか?」
「え?」
ふと無意識に、疑問が口を突いて出てしまった。ノア様が驚いた顔でわたしを見る。
「あ、ご、ごめんなさい! 無作法でした」
「ああ、いや、いいんだよ。いつもその辺を気を使われてね、そんな風にまっすぐ聞かれることがなくて」
声を上げて笑うノア様は、決して不愉快なそぶりを見せない。
「そっか、ダフネはあまり社交界の噂話とか気にしないタイプかな?」
「あ、その、あまり好きではないと言うか……」
「ははは! 好きじゃない、そうか、それはいいね。うん、僕も好きじゃない」
ノア様はおかしそうに口元を隠してクツクツと笑う。気分を害した訳ではないみたい。
「僕はね、この間まで他国で仕事をしていて、先週戻ったばかりなんだ」
「まあ、そうだったのね。それで今まであまりお見かけしなかったのね」
「うん。君の婚約者のルーカスとは学園が一緒でね、同級生なんだ」
知らなかった。そう言えば、ルーカス様のご学友とはあまり話をしたことがない。
「学園卒業後に他国に渡ったんだけどね。むこうに三年くらいいて……。そこで、すごく好きな人が出来てね」
「え」
「凄く好きだったんだ。脇目も振らず、ずっと追いかけていた。全然相手にしてくれなかったけど、一緒に過ごすのが凄く楽しくて」
ノア様はふふっと微笑むと手元のカップに視線を落とした。その視線の先にはきっとその想い人がいるのだろう。そう思うと、なんだか胸が苦しくなった。
(こんなに美しい人でも、ままならない恋があるのね)
「でもねえ、振られちゃったんだ。まあ、僕もいけなかったんだけど」
「そんなこと……」
「いや、僕の落ち度なんだ。どうしてもね、振り向いて欲しくて……、気を引こうと馬鹿な事をした。そうしたらちょっと、相手を怒らせちゃってね」
カップをソーサーに戻し、ノア様は視線を外に向ける。ふわりと風に髪が舞い、その美しい顔を日の元に晒す。
「こじれたまま、僕は帰国してきたんだ。社交界では僕の失恋が面白おかしく広がっててね、その隙を狙うご令嬢たちに追い掛けまわされているってわけ」
「それで昨日の舞踏会では……」
「うん、君に会えて助かったよ、ダフネ」
ありがとう、と寂しげにほほ笑むノア様を見て、キュッと胸が苦しくなった。余計なお世話かもしれないけれど、ノア様の切ない恋が少しでも報われるように出来ないかしら。
「その方とは、その、もうお会いできないのですか?」
「ああ、いや……実は、会える」
「え?」
ノア様はもじもじと指をいじり目許を赤く染めた。
「君に渡したその招待状……その舞踏会に、来ることになっていて……、その、国交を祝した舞踏会なんだ」
「ちゃ、チャンスではありませんか!」
思わず大きな声を出すと、ノア様が驚いた表情で私を見た。
「え?」
「だって、ノア様はまだその方がお好きなんですよね? 誤解を与えてしまうような行動をとったことを後悔してらっしゃるのでしょう?」
「あ、うん、そうだけど……」
「ではまずは誤解を解きましょう。たとえ思いを受け止めてくれなかったとしても、ノア様の誠実な気持ちはお伝えするべきです」
「でももう、迷惑になるかもしれないし……」
「私が、お手伝いします!」
「え、ええ?」
「ノア様には……ノア様には幸せになって欲しいもの。だって私たち、友人でしょう? 助けたいわ」
「ダフネ、君は……」
ノア様は、ははっと声を上げて笑うと、少しだけ泣きそうな顔をした。
「ありがとう……そうだな、君なら……君になら、話してもいいのかもしれない」
「なんです?」
「うん……聞いてくれる?」
ノア様はソファから立ち上がると私の横に跪いて、耳打ちする仕草を取った。私は身体を傾けてその口許に耳を傾ける。
「…………まあ、素敵なお名前ね」
そっと囁くように言うノア様の言葉を拾って、私は大いに納得した。
「……君は、なんとも思わないの?」
「え、何をです?」
首を傾げてノア様の顔を見ると、目線がほぼ同じ位置にあるノア様と至近距離で目が合った。
「いや、……うん、そうか。……そうか」
何やら一人納得したノア様は、嬉しそうに笑顔を見せた。
「やっぱり、君と友人になれてうれしいよ、ダフネ」
「私もです、ノア様」
「何をしている」
ふふ、と笑い合っていると、コンサバトリーの入口から抑揚のない声が降って来た。
見ると、大きな花束を持ったルーカス様が入口で私たちを見下ろしていた。
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