【完結】夢見る転生令嬢は前世の彼に恋をする

かほなみり

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アレク5

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「フューリッヒ卿」

 王城の近衛隊で用務を済ませ、帰宅しようと回廊に出たところで、あまり聞き覚えのない声に名を呼ばれた。
 振り返ると、恰幅のいい男が笑顔でこちらに片手を挙げている。

「ボルド伯爵」
「この度の卒業おめでとうございます。いやあ、父君も鼻が高いですな、卒業生代表とは」
「恐れ入ります」

 ボルド伯爵は他国との貿易に力を入れている新興貴族だ。領地を持たず、商いで現在の地位を保ち王都にも屋敷を構えられるほどの資産を築いたが、黒い噂も絶えない。その爵位の心許なさからか、単なる爵位への執着か、僕が幼いころから自分の娘を何とか婚約者にしようとずいぶん執拗に両親に迫っていたらしい。

「私の息子も貴殿ほどの実力があれば安心なのですが、どうも争いごとは苦手のようだ」
「ご子息はとても優秀だと聞き及んでおります」
「商いの勉強など家でもできますからな! 私としては騎士学園に入学させたかったのですが、いかんせん身体が小さいもので」

 どうせ、騎士学園に入学させて僕とかかわりを持つよう仕向けたかったのだろう。僕はにこりと笑みを作り、だが身体は対峙しないよう斜めに向けたまま、長話をする意思がないことを暗に示す。
 そんな僕を見て顎を撫でながら、ふと思い出したように伯爵は笑みを深めた。

「そういえば、我が娘が貴殿の妹御と親しくさせていただいているようですな。たびたび屋敷にもお誘いを受けているようですので、いずれ顔を合わせることもありましょう、その時はどうぞよしなに」
「……妹にもてなすよう伝えます」
「はは、その場にはぜ卿にも同席賜りたい。娘はこれで、中々器量のいい心根の優しい娘ですからな。貴殿も妹御と同じく交流していただけると娘も喜びましょう」
(……その口を塞いでやりたい)

 婚約者のいる男に、自分の娘をまるで愛人を宛がうかのような口ぶりで勧める男に腹が立った。
 僕は返事をせずに笑顔を残したまま小さく頭を下げ、その場を後にする。背後から声を掛けられた気がするが、気にするものか。

(白々しい。何が交流だ)

 ハンスから報告を受けているガゼボでの出来事。そこにいた令嬢が伯爵の娘であることはわかっている。僕がユフィールに暴言を吐いた女を許すはずがない。

「フューリッヒ卿!」

 腹立たしさが収まらないまま回廊を足早に歩き近衛詰所の入口へ向かうと、衛兵が僕の姿を見て慌てて声を掛けてきた。入り口には数人の騎士がいる。

「どうしました」
「それが、貴殿に会わせろと屋敷の使用人が……」
「フューリッヒ様! 婚約者様!」

 聞き覚えのある声が僕を呼んだ。騎士の身体に隠れ見えなかったが、あれはユフィールの侍女だ。

(……一人か?)

 ぞわり、と嫌な予感がした。

「アナ、なぜここにいるんだ」
「お嬢様が! おお、お嬢様がっ! 攫われたん……きゃあ!」
「あっ、フューリッヒ卿!」

 彼女の言葉を最後まで聞かないまま、僕は彼女の腕を掴み急ぎ厩へ向かった。

 *

 聞けば、ユフィールが王都へ買い物に出た店の近くで、橋の崩落事故が起こったという。その混乱に乗じてユフィールが攫われた。
 厩に向かいながらアナから話を聞き、通り過ぎる友人に声を掛け人を集める。この混乱で街の騎士たちは橋へ向かっているだろうから、この場にいる騎士たちに馬車を探してもらう方が早い。僕の尋常ではない様子とアナの泣いたような顔を見て、心配した友人たちが付いてきてくれた。

「サーシャが?」
「は、はい! その、店向こうの道に立っていらしたのを、お嬢様が……っ」

 貴族の娘が一人きりで街に出る筈がない。まして、今は父に外出禁止を言い渡されているはずだ。誰かに呼び出された? 誰に?

「ら、ライアン様が追いかけています!」
「……あいつ」
 
 ユフィールの様子を不審に思ったライアンがアナに声を掛け、後を追ったのだという。だがすでに移動しているだろう。どこを探せばいいのか見当がつかない。

(一体、誰の差し金でこんな……!)

 厩で集まった友人たちに簡単に状況を説明し馬に飛び乗る。握り締める手綱がミチッと音を立て、馬が僕の気配を感じ取り嘶いた。
 
「でで、伝言をっ」
「伝言?」

 アナが下から泣いたような顔で僕を見上げた。

「お、お嬢様がライアン様に、東方のお茶が美味しかったと。ガゼボでお茶をした時に、好評だったとお礼を述べられたとか……!」
「……わかった。アナ、急いで屋敷に戻り父へこの件を伝えてくれ。おい、彼女を急いで屋敷へ連れて行ってくれ!」

 そばにいた騎士に彼女を任せ、集まってきた友人たちと共に門を飛び出した。

(東方のお茶。――ボルドか!)

 馬で駆けながら、祝賀会でその日のためによく読んで覚えてきたと、ユフィールが緊張した面持ちで言っていた言葉を思い出す。

『貴族名鑑?』
『ええ。そこに書かれたことを覚えて対応できれば、少なくともアレク様の足手まといにはならないと思って』
『そんなこと、気になさらなくても大丈夫なのに』
『いいえ、だって私、アレク様のお隣に立つんですもの。少しでもお役に立ちたいわ』

 はにかみ笑う彼女の言葉が嬉しくて、僕の腕に手を載せる彼女の手をそっと撫でた。そうするとほんのり頬を赤く染めるその姿がまたかわいくて。
 
『どんなことを覚えたんです?』
『あ、商いをされている貴族の方の取扱品目を興味深く拝見しました。輸入業を生業としているボルド伯爵は、珍しい東方のお茶を扱っているんですって』
『飲んでみたい?』
『ふふ、機会があれば』
 
 ――ユフィール!

 僕は周囲に指示を出し、ボルド伯爵の船が停留する港へと向かった。

 *

 港へ向かう途中、目を凝らせばライアンの残した痕跡を見つけることができた。木の幹や道端に、僕たちにしかわからない痕跡が残されている。
 何も知らずに通り過ぎると何でもないそれらは、こうして捜索をしている騎士たちには異変だと読み取れる。
 付き従ってくれた友人たちはそれを見てただ事ではないと状況を把握し、それぞれ散会して捜索範囲を広めた。

(――いた!)

 馬を走らせてしばらくすると、遠くに見覚えのある黒い馬車が見えた。
 馬車にはおそらくユフィールだけではなくサーシャもいるだろう。下手に近づいては勘づかれ、何をされるかわからない。馬のスピードを緩め周囲を見渡すと、ライアンの痕跡を見つけた。静かに近づくと、ライアンが物陰から顔を出し手招きをする。目の端で馬車を捕えながら素早く馬から降りると、一緒に後を追っていた何人かがマントを脱ぎ捨て通行人を装い、馬車を追った。

「ライアン!」
「こっちだ」

 ライアンはすぐに建物の隙間を縫うように駆け出し路地裏へと出た。郊外のここは道を逸れると林が広がり、人気もなく視界が悪い。
 物陰に身を潜め視線で示された先を見ると、辻馬車のような古い馬車が一台停まっている。周囲には煙草を吸いながら談笑する男たちが数名。

「乗り換え用の馬車か」
「来たぞ」

 裏道に入ってきた馬車の姿が見えた。こちらに向かってくるのが見えたのだろう、馬車の外で待機していた男たちが視線をそちらへ向けた。吸っていたたばこを地面に捨て足で踏み消す。
 
「すまない、ライアン」
「それは後だ。男が五人……、目視で確認できるのは六人か。どうする」
「まだ早い」
「今のうちに近づくぞ。他は?」
「八名いる」
「この状況でよく集めたなあ」

 ライアンは短く笑うと視線を馬車へ向けた。

「婚約者殿も大した度胸の持ち主だ」
「……ああ、知ってる」

 けれどきっと、恐ろしさを押し殺し、周囲の人間を心配しているだろう。心を痛め、自分を責めている。
 彼女はそういう人だ。
 そんな心配はするなと、早く抱きしめたい。貴女は何も悪くないのだと、早く伝えなければ。

「馬車が止まり、扉が開いてから動く。ユフィールとサーシャの無事が確認できてからだ」

 背後に集まっていた友人たちに伝えると、皆静かに頷き散会する。
 長い時間を一緒に過ごした友は、何も言わずとも腰の剣に手を当て視線でひとつ頷くと、僕と同時に腰をかがめ馬車へと走っていった。

 *

 到着し停車した馬車から呻き声が聞こえ、ユフィールの声、サーシャの叫び声が聞こえた。
 そして勢いよく開く扉。

「サーシャ様、早く!」

 転がるように飛び出したサーシャをさらに彼女は後押しする。

「走って!」
 
 サーシャがライアンのいる方へと駆けて行ったのを視界の隅で確認し、馬車の近くに潜んでいた僕たちは一斉に男たちを制圧した。突然現れた僕たちに驚いた男たちは腰の剣を抜く暇なくあっという間に地面に押し付けられる。

(ユフィール!)

 馬車から飛び降りた御者が彼女にのしかかり剣を振りかぶる姿に、目の前が真っ赤に染まった。剣を抜かず鞘ごとその身体を叩きつけ、彼女の身体から引き離す。
 ぎゅうっと抱きしめ感じる、腕の中のぬくもり。

「危ない!」

 ユフィールの悲鳴のような声に、振り向きざまに剣を振り、さらに剣を返してその身体を横から鞘で殴りつけた。手に骨の砕ける感触が伝わってくる。
 彼女の前で血を見せたくない。
 こんな状況を見せたくない。周囲では興奮した男たちの呻き声や怒声が響き渡っている。
 僕は素早く彼女の身体をマントで包んだ。激しく鳴る心臓の音は、僕のものなのか、彼女のものなのか。

 状況に混乱し、けれどなんとか自分を持ちなおそうとする彼女の姿を見て僕は宥めるように、安心させるようにその身体を抱き締めた。
 小さく震えていることに気が付いているのだろうか。指先が真っ白になるほど自分の手を握り締め、瞬きもせず、呼吸も浅いことに気がついているだろうか。
 あの日の、僕の知らせを聞いた時のように自分を責めていることに、気がついているだろうか。
 
「――ね、ゆふセンセ」

 あなたのせいではないよ。
 はずっと、伝えたかったんだ。
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